うみのない街

東風花

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対面

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 ふ、ふふ不倫? なのだろうか?
 いやいや、まさか、美海ちゃんに限って、そんなこと!
 僕は、努めて気にしないそぶりをしながらも耳をダンボにし、いつものカウンター席に腰を掛け、いつものようにノートパソコンを開いた。

「あ、ごめんね悠斗《ゆうと》君。なに頼む?」

 僕に向けられた(営業)スマイルに笑顔で返しながらも、動揺を隠せずしどろもどろに答える。

「も、ももも、モーニングを」

 カミカミな僕に、いたずらにツッこむこともなくほほ笑み返す彼女は、ただの天使である。

「モーニングね。ちょっと待ってて。あの、お父様も何か頼まれますか?」

 美海に視線を向けられたスーツを着た怪しい男は、ぼそりと答えた。

「ホットコーヒーを」

 陰気な声だ。

「オリジナルブレンドとアメリカンがありますけど、どちらにされます?」

「アメリカンで」

 やはり男は、ぼそぼそとしゃべりながらカウンター席に腰かけた。
 ああ。アメリカンはいただけない。
 この店は、美海さんのオリジナルブレンドがすこぶる美味いんだ。
 そもそも、アメリカンなんて薄いコーヒー飲むくらいなら水でも飲んどけって。

「僕が悪いんだよ。仕事に逃げて、あの子と向き合ってこなかった罰なのだと思うよ。でも、本当に、どう接していいか」

 スーツの男は項垂れながら悲壮な声でそんなことを言う。
 そして、あらかじめ挽いてある豆を丁寧にドリップする美海を見つめながら卑屈な笑顔を浮かべた。

「こんなこと、君に言うべきじゃないのだろうけど」

「何も気にしてないですよ」

 美海はあっけらかんと言い放ち、まっすぐにスーツの男を見つめた。

「私は、何も気にしてません。りんちゃんはいい子だし。大好きです」

 かなわないなぁとでも、言いたげに男は頭をかいた。

「ここも、母に聞いたんですか?」

 美海がそう聞くと、男は、また卑屈な笑みを浮かべた。

「未だ、彼女に依存している自分が嫌になるよ」

「母も、同じだと思いますよ?」

「まさか、彼女にとって僕は、たくさん係わってきた男性の中の一人だよ」

「母が初めて心の底から愛した人だって、聞いたことがありますよ」

 美海のほほ笑みと優しく響く声は、何とも言えない力強さを秘めている。
 男は、一瞬、呆けたような表情になったかと思うと、また卑屈な笑みを浮かべ、後悔と自責の念が入り混じったような声で、こう言った。

「あの時、母の言いなりになど、なっていばければ。今頃は、美智さんと君と笑って暮らせていたのかも、しれないよね」

「私、女々しい男性は嫌いです」

 美海は間、髪を入れず、表情さえも変えずに言い放った。

「ハハ……手厳しいね。気の強さは美智さんとよく似ている」

 そう言うと男はため息を一つつき、ゆっくりと立ち上がった。

「りんは、やっぱり家に帰るつもりないみたいだし、どうやら君とはうまくやっているみたいだし、帰るよ」

 そう言って、男は胸の内ポケットから茶封筒を取り出した。

「これ少ないけど」

 お金だろうか?

「いりません」

 やはり美海は、きっぱりと突き放す。

「妹一人くらい養えますよ? 私」

 美海のそのセリフは、男にとって思いがけない物だったらしく茶封筒を引っ込めるべきか、それとも強引に渡すべきか、非常に逡巡しているように見えた。
 美海は、言葉を続ける。

「未だに、母の口座に養育費を振り込んでくださっていますよね? 感謝してますけど。でも、もうやめてくださいね。私養育される年じゃないので」

 ハッとした男は、情けない笑顔で茶封筒を胸の内ポケットにしまった。

「そうだね。すまない」

 男は、ゆっくりと美海に背を向け、とぼとぼと歩き出す。
 美海は、そんな男の背中に優しく声をかけた。

「りんちゃんには、まだ、あなたが必要ですよ?」

 男は、一瞬の間の後、振り返り、悲しそうな笑顔で頭を下げて、店から出ていった。

「コーヒー無駄になっちゃったな」

 美海がぽつりと言った。
 なんだか、その顔がひどく悲しそうだったので「もしかして、あの人、美海ちゃんのお父さん?」と、喉元まで出かけたそのセリフを引っ込めた。
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