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6・弟王子の策略……ですか? 後
しおりを挟むお兄様が出て行った後、私はそのまま肘をついて考え込んでいた。
これでも侯爵家の令嬢だ、それほど結婚に甘い夢をみていたわけではない。私に近寄ってくるのは実のところお父様のお眼鏡にかなった男ばかりだし、このままでいればそれとなくお相手を薦められただろう。それは仕方ない。
では何が気に入らないって、クリスが私の気持ちを無視して、強引にことを進めようとしていることだ。小さいころはあんなに可愛らしかったのに、もう、馬鹿にして……! おまけに国王陛下を巻き込んで逃げ道を塞ぐなんて。
手をつけていなかったお茶は、すっかり冷めてしまった。侍女を呼んで入れ替えさせている間、私は星でも眺めようかとバルコニーへ出た。手すりにもたれてまたため息をつき、空を見上げる。
「……姉さま」
囁く声に驚いて見回すと、杏の木の下にクリスが立っていた。
「そこへ行っていい?」
私の返事を聞く間もなく、クリスはするすると柱を昇ってきてしまった。そういうところは子供のころと何も変わっていない。
振り返ると、お茶を頼んだ侍女はもう既に出て行った後だった。もう面倒はこりごりなのでクリスを部屋に入れないことに決め、私はそのままバルコニーにとどまった。
「……姉さま」
「何しに来たの?」
「姉さまに会いに」
悪戯っぽい顔でしゃらっと言ってのけたクリスに、私は冷たい視線を向ける。ひっぱたきたい右手がうずうずしたけれど、とりあえず我慢した。
「部屋に入れる気はないわ、帰りなさい」
「いやだなあ、もう何もしないよ。これ以上義兄上に殴られたくないもの」
「……ちょっと、義兄上って何のつもり?」
「気が早かったかな」
あまりに図々しい言い草に、かえって力が抜けてしまった。その隙にクリスは私の目の前まで近づいた。はっと身構えた私の前で、クリスは表情を改めて膝をつく。
「強引な手を使ったことは悪いと思ってる。でも、後悔はしてないよ。僕はどうしても姉さまが欲しかったから……」
その瞳は月の光を映してきらきらと輝いていて、幼いころに私を呼んだあの顔を思い起させる。ああいけない、私はどうしてもクリスに流されやすいのだ。
「だからって、あそこまで私の気持ちを無視していいと思ったの……?」
「だって姉さま、僕がまともに『結婚して』って言ったって、どうせ本気にしなかったでしょ?」
「……」
言われてみればその通りで、私はそれ以上文句を言えなくなってしまった。私のなかでクリスは弟でしかなく、愛だの恋だの言われてもとうてい信じられず、笑うしかなかったと思う……。あの夜までは。
「もう聞いたんでしょ? 僕、伯母上のところに行くよ。一年絞られてくる。おっかないんだ、あの方は……」
「……そうなの?」
「うん。それが、姉さまとのことを認めてもらう条件なんだ」
認めてくれなくてもいいんだけど、と思ったのが顔に出たらしい。クリスは少し悲しげに眉を下げた。それでも気を取り直したように顔を上げ、私をひたと見すえる。
「怒られても仕方ないと思ってるよ。でも、たとえ嫌われても、僕は姉さまを諦められない。だから」
―――待って、クリスって……こんな顔をするの?
沢山の求愛を断ってきた私だけれど、思えばこんな目で見られたことはなかった。
もしかして、勝手に弟という枠に閉じ込めていたのは、私の方なのかもしれない。もしかしてクリスは、そんなものとっくに踏み越えていたの? 目の前に跪く少年は、私のなかで初めて……違う人みたいにみえた。
「勝手なのは分かってるけど、姉さま。一年後に、もう一度僕をみてほしいんだ」
「……もう一度?」
「そう。その時までに、姉さまに惚れてもらえるような男になってみせるから」
「……本当かしら」
目を合わせるのがちょっとくすぐったくて、私は横を向いて呟いた。クリスが笑う気配がする。
「あ、信じてないね。いいよ、楽しみにしてて」
「……分からないわよ、まだ」
「大丈夫、姉さまが僕の事忘れないように、毎日手紙書くもの。―――じゃあ、僕もう行くね。明後日出発するから」
「え、そんなに急なの?」
まさかそんなに早いとは思わず、私ははっと向き直った。
「うん。―――淋しい、姉さま?」
「きゃっ」
急に両手を掴んで引っ張られ、クリスの顔が目の前に迫る。下ろしていた髪が、クリスの頬にかかった。
「ちょっと、クリス」
「淋しいって言ってよ、嘘でもいいから」
「クリス……」
「今夜はまだ、弟みたいな僕でいいから。『クリスがいなくなったら淋しい』って。お願いだよ……」
クリスの瞳が、私を映して揺れている。
また、クリスに調子よく騙されているのかもしれない。流されているのかもしれない。でも、恋人でもなんでもないけれど、可愛かった、大事なクリスには違いない……。
「淋しいわ、クリス」
ぽろりと零れるように、言葉が滑り出ていた。自分でも少し驚いて目を瞠る。
「ありがとう、姉さま」
「―――!」
立ち上がりざま、掴んだままだった手を引いて、クリスは素早く口づけた。
「じゃあね、姉さま。元気で」
あっという間に柱を滑り降りたクリスが林のなかへ駈け込んでゆくのを、私は茫然と見送った。
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