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1・私は魔王 上
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帰宅ラッシュの人混みをかき分けるようにして、私は駅の階段を駆け下りていた。やたらと明るい発車メロディが鳴り響いて、焦る気持ちを逆撫でする。
―――早く、あれに乗らなくちゃ……!
雑踏の向こうから、私を呼ぶ声が聞こえた。もう、追いつかれてしまうかもしれない。さっき振り返った時は、あいつはもう改札を通り抜けていた。彼の方が足が長いし、もしかしたらもうすぐ後ろに来ているかも……?
私は階段の途中にも関わらず、思わず後ろを振り向いてしまった。いた! ちょうど階段の上に、背の高い……。
「!?」
その瞬間、足が縺れて……私は段を踏み外した。
◆◇◆
「なあに、また討伐隊を送り込んできたの? もう、懲りないわねえ」
真っ赤な血の色のワインを満たしたクリスタルグラスを手にして、私は呆れた声を出した。
「その通りで、陛下」
目の前に跪くのは異形の魔物。頭にはねじれた長い角、蛇みたいな尾。真っ赤な瞳をぎょろりと剥きだして私を見上げる馬面、筋骨隆々とした身体には鱗。
こんな見た目だけどこの上なく有能な、私の一の部下。ここ、魔王城の宰相アードンだ。
私は、魔王オリアニス。漆黒の長い髪に雪のような白い肌、何も塗らなくても艶やかに紅く輝く唇に紫水晶の瞳、黒真珠の輝きを宿して優美な曲線を描く角。自分で言うけど、魔界一の美女って噂もあながち間違ってはいない。
「で、今度の勇者とやらはどうなの? 少しは骨がありそうかしら?」
私が尋ねると、宰相は苦笑に似た表情をつくった。
「いや、魔力も体力も大したことはなさそうですな。これでは第2階層を超えられれば良いほうかと」
「ふうん、相変わらずねえ。少しは懲りるということを覚えればいいのに」
この世界には私の統べる魔王城のほかに、人間たちの住む町がある。あちらも王が国を統べているのだけど、彼らは年に何度か、魔族討伐の名目で、勇者を頭にした討伐隊を送り込んでくるのだ。毎度歯が立たずに追い返されているくせに、それはもうしつこいったら。
「これで、10人? 11人目? 全くあの国王も無駄なことしてるわねぇ……」
ところで、私は齢300年近い魔王だけれど、城の誰にも言っていない秘密がある。それは、もともとは人間だ、ということ。それも、この世界ではない、別のところ。
私は日本人だった。
派手に街中で喧嘩して、元カレから逃げようとした私は、誤って駅の階段から転落した。そして恥ずかしいことに、打ちどころが悪くてそのまま死んでしまったらしい。
気が付いたらここ、魔王城のベッドに横たわって……「魔王オリアニス」になっていたというわけ。
もちろん、驚きましたとも。気がついたらおどろおどろしいインテリアの、窓のない部屋。そこが魔王の私室で、誰もいなかったのがせめてもの救い。鏡に映る自分を見て驚愕し、「これは、少なくとも地球じゃないところへ転生したらしい」と認識するだけの時間はあった。さすがに頭に角生えてれば、信じるしかないでしょう?
どうしてそんなことになったのかは分からない。分かるわけがない。パニック気味の自分を必死で落ち着かせて、可能な限り魔王の記憶を引っ張り出した。
魔王としての基礎知識は頭に入っていたし、(信じたくないけど)300歳近いこの年までに身につけたらしい、術だか魔法だかも使うことが出来た。あの時は嬉しくもなんともなかったけれど。
それから勇気を出して部屋を一歩出れば、案の定、そこらじゅうに異形の怪物がうようよしていた。そして私を見ると道を開け、「陛下」と呼んで頭を下げた。
もちろん、戻る方法など分からない。私は魔王として生きるしかなかった。
そしてそれから3年半。最初は部下の魔物を見るたびに内心で悲鳴を押し殺していた私も、気がつけばすっかり慣れていた。宰相のアードンの馬面なんて、イケメンに見えてきたくらいだ。角だろうが鱗だろうが、脚が何本あろうが……みんな私のかわいい眷属。人間たちに、そう簡単にやられるわけにはいかない。
「これで12人目でしたかな、陛下。どっちにしても、いつも通り部下に任せて問題ないでしょう」
「そのようね。あとは頼んだわ、アードン」
―――早く、あれに乗らなくちゃ……!
雑踏の向こうから、私を呼ぶ声が聞こえた。もう、追いつかれてしまうかもしれない。さっき振り返った時は、あいつはもう改札を通り抜けていた。彼の方が足が長いし、もしかしたらもうすぐ後ろに来ているかも……?
私は階段の途中にも関わらず、思わず後ろを振り向いてしまった。いた! ちょうど階段の上に、背の高い……。
「!?」
その瞬間、足が縺れて……私は段を踏み外した。
◆◇◆
「なあに、また討伐隊を送り込んできたの? もう、懲りないわねえ」
真っ赤な血の色のワインを満たしたクリスタルグラスを手にして、私は呆れた声を出した。
「その通りで、陛下」
目の前に跪くのは異形の魔物。頭にはねじれた長い角、蛇みたいな尾。真っ赤な瞳をぎょろりと剥きだして私を見上げる馬面、筋骨隆々とした身体には鱗。
こんな見た目だけどこの上なく有能な、私の一の部下。ここ、魔王城の宰相アードンだ。
私は、魔王オリアニス。漆黒の長い髪に雪のような白い肌、何も塗らなくても艶やかに紅く輝く唇に紫水晶の瞳、黒真珠の輝きを宿して優美な曲線を描く角。自分で言うけど、魔界一の美女って噂もあながち間違ってはいない。
「で、今度の勇者とやらはどうなの? 少しは骨がありそうかしら?」
私が尋ねると、宰相は苦笑に似た表情をつくった。
「いや、魔力も体力も大したことはなさそうですな。これでは第2階層を超えられれば良いほうかと」
「ふうん、相変わらずねえ。少しは懲りるということを覚えればいいのに」
この世界には私の統べる魔王城のほかに、人間たちの住む町がある。あちらも王が国を統べているのだけど、彼らは年に何度か、魔族討伐の名目で、勇者を頭にした討伐隊を送り込んでくるのだ。毎度歯が立たずに追い返されているくせに、それはもうしつこいったら。
「これで、10人? 11人目? 全くあの国王も無駄なことしてるわねぇ……」
ところで、私は齢300年近い魔王だけれど、城の誰にも言っていない秘密がある。それは、もともとは人間だ、ということ。それも、この世界ではない、別のところ。
私は日本人だった。
派手に街中で喧嘩して、元カレから逃げようとした私は、誤って駅の階段から転落した。そして恥ずかしいことに、打ちどころが悪くてそのまま死んでしまったらしい。
気が付いたらここ、魔王城のベッドに横たわって……「魔王オリアニス」になっていたというわけ。
もちろん、驚きましたとも。気がついたらおどろおどろしいインテリアの、窓のない部屋。そこが魔王の私室で、誰もいなかったのがせめてもの救い。鏡に映る自分を見て驚愕し、「これは、少なくとも地球じゃないところへ転生したらしい」と認識するだけの時間はあった。さすがに頭に角生えてれば、信じるしかないでしょう?
どうしてそんなことになったのかは分からない。分かるわけがない。パニック気味の自分を必死で落ち着かせて、可能な限り魔王の記憶を引っ張り出した。
魔王としての基礎知識は頭に入っていたし、(信じたくないけど)300歳近いこの年までに身につけたらしい、術だか魔法だかも使うことが出来た。あの時は嬉しくもなんともなかったけれど。
それから勇気を出して部屋を一歩出れば、案の定、そこらじゅうに異形の怪物がうようよしていた。そして私を見ると道を開け、「陛下」と呼んで頭を下げた。
もちろん、戻る方法など分からない。私は魔王として生きるしかなかった。
そしてそれから3年半。最初は部下の魔物を見るたびに内心で悲鳴を押し殺していた私も、気がつけばすっかり慣れていた。宰相のアードンの馬面なんて、イケメンに見えてきたくらいだ。角だろうが鱗だろうが、脚が何本あろうが……みんな私のかわいい眷属。人間たちに、そう簡単にやられるわけにはいかない。
「これで12人目でしたかな、陛下。どっちにしても、いつも通り部下に任せて問題ないでしょう」
「そのようね。あとは頼んだわ、アードン」
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