上 下
19 / 21

後日談・家族の肖像 前

しおりを挟む

 
 中庭には、幾種類もの薔薇がちょうど見ごろを迎えていた。中でも白い薔薇を集めた一画はことのほか美しく、花の季節には、毎年東屋が設えられた。

 ダンドリュー侯爵夫人シャルロットは、東屋でお茶を飲んでいた。
 と言っても決して優雅にくつろいでいるばかりではない。中庭を所せましと駆け回る二人の息子の歓声が響き、足元では末の息子が座り込んで、真剣な表情で薔薇を分解しようとしている。
「コンスタン、棘に気を付けるのよ」
「うん!」
 末っ子のコンスタンはまだ3歳になったばかりだが、興味のあることには幼児とは思えぬ集中力を発揮することがある。今はどうやら薔薇がその対象になっているらしかった。返事はしたが、コンスタンの金髪は下を向いたまま動かない。

 バタバタと足音が近づいてきた。
「かあさま、お腹すいた」
転がるように駆け込んで来たのは次男のベルナール。黒髪に緑眼、見た目は父親のジェラールにそっくりだ。
「僕も喉が渇きました、お母様」
 その後ろからベルナールを追ってきたのは、長男のアントワーヌだ。こちらも髪は黒髪ながら、瞳はシャルロットの菫色に近い、薄い青色。まだ8歳だがすらりと背が伸びて、少年らしい体つきになってきている。

「2人とも、まず手を拭いてからよ」
シャルロットの声に、侍女が心得て清潔な布巾を出す。アントワーヌは丁寧に手を拭くが、6歳のベルナールはささっと表面を拭ってごまかすのを知っているので、シャルロットは手ずから受け取ってベルナールの手を掴んだ。
「かあさま、痛いよ」
「ちゃんと拭かないからよ」
 それでも手を放すと、けろりとしてテーブルの上の菓子に手を伸ばす。
 見た目はジェラールそっくりだが、中身はどうやら自分に似たらしい、そう思ってシャルロットは微笑んだ。

「いただきます」
長男アントワーヌはきっちり挨拶をして食べ始める。子供ながらしっかりした立ち居振る舞いに、既に「さすがダンドリュー侯爵の跡継ぎだ」と評判で、これもまたジェラールによく似ている。
 ―――王宮でのジェラール、ね。本当に外面はいいんだから、あの人は。
 もっともアントワーヌは、父親と違って表裏はまったくない。

 どうやら薔薇の研究がおわったらしいコンスタンが、膝にまとわりついてきた。抱き上げて膝に乗せ、同じように手を拭って、小さな焼き菓子をひとつ持たせてやる。
 駆け回った息子たちはグラスに水をもらい、一息に飲み干した。ベルナールが零したビスケットの屑をアントワーヌが払ってやり、そのベルナールは新しい菓子をコンスタンに手渡してやる。コンスタンが兄ににっこり笑った。
「あはは、コンスタン喜んでる」
「ベルナールが取ってあげたからよ」
優しい息子達に嬉しくなって、シャルロットも微笑んだ。


 するとアントワーヌが、母親を見上げた。
「お母様?」
「なあに、アントワーヌ」
「レオナール殿下に聞きました。もうすぐセルジュ殿下に弟か妹ができるそうですね」

 数年前に即位された新国王陛下には、アントワーヌと同い年の王子レオナールがいた。アントワーヌは王子の学友、遊び相手として、時折王宮へ上がることもあった。
 セルジュ殿下というのは王弟リュシアン殿下の長子で、こちらはアントワーヌのひとつ下だ。
「そうね、もうすぐね。セルジュ殿下も楽しみにされているでしょうね」
 友人でもあるリュシアン殿下の妃フェリシアを思い浮かべ、シャルロットは微笑んだ。

「そうなんです、お母様」
王宮へ出入りするようになって、アントワーヌの口調は急に大人びた。それでも子供らしく目を輝かせて話し続ける。
「レオナール殿下には妹姫がいるでしょう? だからセルジュ殿下も、妹が欲しいと」
「あら、そうなのね?」
「はい、そうなんですって。それでね、お母様」
アントワーヌの目がさらに輝く。

「僕も、妹が欲しいです!」


「楽しそうだな」
「とうさま!」
植込みの向こうから聞こえる声に、ベルナールが駆け寄って行った。するとコンスタンも膝から滑り降り、とことこと兄を追っていく。
「お帰りなさい、とうさま!」
「とーたま!」
飛びつくベルナールの頭を撫でて、遅れてしがみつくコンスタンを抱き上げ、その人は笑顔を見せた。
「ああ、今帰った」

「お帰りなさい、ジェラール」
「ああ」
コンスタンを抱いたまま、ジェラールは片手で妻を抱いて口づけた。この2人のキスはうっかりすると長くなりがちだが、今日は待ちきれないアントワーヌがそれを遮った。
「お父様、僕、お母様にお願いをしていたんです」
 するとジェラールの口角がきゅっと上がった。
「ほう、何をお願いしたんだ?」
 ―――これは絶対聞こえてたわ。
シャルロットの背中を汗がつたう。
 ―――ジェラール、お願いだから子供の前で変なことは言わないでよね……!

「僕、妹が欲しいんです!」
椅子にかけた父親の膝にすがらんばかりにして、アントワーヌが声を張り上げた。
「妹? コンスタンじゃなくて?」
ベルナールが身を乗り出した。
「そうだよ、ベルナール。コンスタンはもちろん可愛いけど、おまえも妹ほしいだろう?」
アントワーヌが満面の笑みで言うと、意味を知ってか知らずか、ベルナールも乗せられた。
「ほしい! 妹!」


「そうか、妹が欲しいのか」
ジェラールの笑顔は優しかった。
「それなら、お母様だけでなくお父様にもお願いをしなくてはいけないぞ」
 思わず目を見開いたシャルロットだが、子供たちは夢中になってジェラールの話を聞いている。

「どうして? 赤ちゃんはお母様のお腹から生まれるのでしょう?」
 ―――ジェラール、どうするのよ?
ハラハラするシャルロットを横目で面白そうに見ながら、ジェラールはアントワーヌに言った。
「お父様とお母様の子供だからな。お父様が神様にお願いしないと、お母様のお腹に来てくれないんだ」
「そうか!」
長男と次男は父親に尊敬のまなざしを向けた。

「じゃあお父様、お願いします! お母様のお腹に赤ちゃんが来てくれるように、いっぱいいっぱいお願いしてください!」
「おねがいしてください!」
「そうだな、じゃあおまえたちも、良い子で早く休むんだぞ。遅くまで起きているとお母様が疲れてしまうからな」
「はい! 良い子で早く寝ます!」
「ぼくも!」
 子供たちの可愛い言葉が、なぜか違うものに聞こえてくる……。
 シャルロットの笑顔は、ほんの少し引きつっていた。


「ね、ジェラール……、あの、あたしもうそんなに若くないから……」
その夜、ベッドの上でシャルロットはじりじりと後ずさった。そんな妻をあっさりと腕に閉じ込めて、ジェラールはガウンのリボンを解いてゆく。
「心配することはない。まだまだ充分綺麗だ、シャル」
「いや、でも、あんまり無理は……! それに、貴方も明日に差し支えては……っ!」

「子供たちの願いを叶えてやらないとな」
 そんな優しげなことを言っているけれど、さすがのシャルロットにも分かる。もう来年で結婚して10年になるのだから。
 今夜のジェラールは、まずい。久々に抱き潰されそうな予感に、シャルロットはふたつの意味で震えるのを感じた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私が美女??美醜逆転世界に転移した私

恋愛
私の名前は如月美夕。 27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。 私は都内で独り暮らし。 風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。 転移した世界は美醜逆転?? こんな地味な丸顔が絶世の美女。 私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。 このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。 ※ゆるゆるな設定です ※ご都合主義 ※感想欄はほとんど公開してます。

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

とりあえず天使な義弟に癒されることにした。

三谷朱花
恋愛
彼氏が浮気していた。 そして気が付けば、遊んでいた乙女ゲームの世界に悪役のモブ(つまり出番はない)として異世界転生していた。 ついでに、不要なチートな能力を付加されて、楽しむどころじゃなく、気分は最悪。 これは……天使な義弟に癒されるしかないでしょ! ※アルファポリスのみの公開です。

【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件

百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。 そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。 いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。) それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる! いいんだけど触りすぎ。 お母様も呆れからの憎しみも・・・ 溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。 デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。 アリサはの気持ちは・・・。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

伯爵令嬢のユリアは時間停止の魔法で凌辱される。【完結】

ちゃむにい
恋愛
その時ユリアは、ただ教室で座っていただけのはずだった。 「……っ!!?」 気がついた時には制服の着衣は乱れ、股から白い粘液がこぼれ落ち、体の奥に鈍く感じる違和感があった。 ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

殿下、今日こそ帰ります!

猫子猫
恋愛
彼女はある日、別人になって異世界で生きている事に気づいた。しかも、エミリアなどという名前で、養女ながらも男爵家令嬢などという御身分だ。迷惑極まりない。自分には仕事がある。早く帰らなければならないと焦る中、よりにもよって第一王子に見初められてしまった。彼にはすでに正妃になる女性が定まっていたが、妾をご所望だという。別に自分でなくても良いだろうと思ったが、言動を面白がられて、どんどん気に入られてしまう。「殿下、今日こそ帰ります!」と意気込む転生令嬢と、「そうか。分かったから……可愛がらせろ?」と、彼女への溺愛が止まらない王子の恋のお話。

処理中です...