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後日談・家族の肖像 前
しおりを挟む中庭には、幾種類もの薔薇がちょうど見ごろを迎えていた。中でも白い薔薇を集めた一画はことのほか美しく、花の季節には、毎年東屋が設えられた。
ダンドリュー侯爵夫人シャルロットは、東屋でお茶を飲んでいた。
と言っても決して優雅にくつろいでいるばかりではない。中庭を所せましと駆け回る二人の息子の歓声が響き、足元では末の息子が座り込んで、真剣な表情で薔薇を分解しようとしている。
「コンスタン、棘に気を付けるのよ」
「うん!」
末っ子のコンスタンはまだ3歳になったばかりだが、興味のあることには幼児とは思えぬ集中力を発揮することがある。今はどうやら薔薇がその対象になっているらしかった。返事はしたが、コンスタンの金髪は下を向いたまま動かない。
バタバタと足音が近づいてきた。
「かあさま、お腹すいた」
転がるように駆け込んで来たのは次男のベルナール。黒髪に緑眼、見た目は父親のジェラールにそっくりだ。
「僕も喉が渇きました、お母様」
その後ろからベルナールを追ってきたのは、長男のアントワーヌだ。こちらも髪は黒髪ながら、瞳はシャルロットの菫色に近い、薄い青色。まだ8歳だがすらりと背が伸びて、少年らしい体つきになってきている。
「2人とも、まず手を拭いてからよ」
シャルロットの声に、侍女が心得て清潔な布巾を出す。アントワーヌは丁寧に手を拭くが、6歳のベルナールはささっと表面を拭ってごまかすのを知っているので、シャルロットは手ずから受け取ってベルナールの手を掴んだ。
「かあさま、痛いよ」
「ちゃんと拭かないからよ」
それでも手を放すと、けろりとしてテーブルの上の菓子に手を伸ばす。
見た目はジェラールそっくりだが、中身はどうやら自分に似たらしい、そう思ってシャルロットは微笑んだ。
「いただきます」
長男アントワーヌはきっちり挨拶をして食べ始める。子供ながらしっかりした立ち居振る舞いに、既に「さすがダンドリュー侯爵の跡継ぎだ」と評判で、これもまたジェラールによく似ている。
―――王宮でのジェラール、ね。本当に外面はいいんだから、あの人は。
もっともアントワーヌは、父親と違って表裏はまったくない。
どうやら薔薇の研究がおわったらしいコンスタンが、膝にまとわりついてきた。抱き上げて膝に乗せ、同じように手を拭って、小さな焼き菓子をひとつ持たせてやる。
駆け回った息子たちはグラスに水をもらい、一息に飲み干した。ベルナールが零したビスケットの屑をアントワーヌが払ってやり、そのベルナールは新しい菓子をコンスタンに手渡してやる。コンスタンが兄ににっこり笑った。
「あはは、コンスタン喜んでる」
「ベルナールが取ってあげたからよ」
優しい息子達に嬉しくなって、シャルロットも微笑んだ。
するとアントワーヌが、母親を見上げた。
「お母様?」
「なあに、アントワーヌ」
「レオナール殿下に聞きました。もうすぐセルジュ殿下に弟か妹ができるそうですね」
数年前に即位された新国王陛下には、アントワーヌと同い年の王子レオナールがいた。アントワーヌは王子の学友、遊び相手として、時折王宮へ上がることもあった。
セルジュ殿下というのは王弟リュシアン殿下の長子で、こちらはアントワーヌのひとつ下だ。
「そうね、もうすぐね。セルジュ殿下も楽しみにされているでしょうね」
友人でもあるリュシアン殿下の妃フェリシアを思い浮かべ、シャルロットは微笑んだ。
「そうなんです、お母様」
王宮へ出入りするようになって、アントワーヌの口調は急に大人びた。それでも子供らしく目を輝かせて話し続ける。
「レオナール殿下には妹姫がいるでしょう? だからセルジュ殿下も、妹が欲しいと」
「あら、そうなのね?」
「はい、そうなんですって。それでね、お母様」
アントワーヌの目がさらに輝く。
「僕も、妹が欲しいです!」
「楽しそうだな」
「とうさま!」
植込みの向こうから聞こえる声に、ベルナールが駆け寄って行った。するとコンスタンも膝から滑り降り、とことこと兄を追っていく。
「お帰りなさい、とうさま!」
「とーたま!」
飛びつくベルナールの頭を撫でて、遅れてしがみつくコンスタンを抱き上げ、その人は笑顔を見せた。
「ああ、今帰った」
「お帰りなさい、ジェラール」
「ああ」
コンスタンを抱いたまま、ジェラールは片手で妻を抱いて口づけた。この2人のキスはうっかりすると長くなりがちだが、今日は待ちきれないアントワーヌがそれを遮った。
「お父様、僕、お母様にお願いをしていたんです」
するとジェラールの口角がきゅっと上がった。
「ほう、何をお願いしたんだ?」
―――これは絶対聞こえてたわ。
シャルロットの背中を汗がつたう。
―――ジェラール、お願いだから子供の前で変なことは言わないでよね……!
「僕、妹が欲しいんです!」
椅子にかけた父親の膝にすがらんばかりにして、アントワーヌが声を張り上げた。
「妹? コンスタンじゃなくて?」
ベルナールが身を乗り出した。
「そうだよ、ベルナール。コンスタンはもちろん可愛いけど、おまえも妹ほしいだろう?」
アントワーヌが満面の笑みで言うと、意味を知ってか知らずか、ベルナールも乗せられた。
「ほしい! 妹!」
「そうか、妹が欲しいのか」
ジェラールの笑顔は優しかった。
「それなら、お母様だけでなくお父様にもお願いをしなくてはいけないぞ」
思わず目を見開いたシャルロットだが、子供たちは夢中になってジェラールの話を聞いている。
「どうして? 赤ちゃんはお母様のお腹から生まれるのでしょう?」
―――ジェラール、どうするのよ?
ハラハラするシャルロットを横目で面白そうに見ながら、ジェラールはアントワーヌに言った。
「お父様とお母様の子供だからな。お父様が神様にお願いしないと、お母様のお腹に来てくれないんだ」
「そうか!」
長男と次男は父親に尊敬のまなざしを向けた。
「じゃあお父様、お願いします! お母様のお腹に赤ちゃんが来てくれるように、いっぱいいっぱいお願いしてください!」
「おねがいしてください!」
「そうだな、じゃあおまえたちも、良い子で早く休むんだぞ。遅くまで起きているとお母様が疲れてしまうからな」
「はい! 良い子で早く寝ます!」
「ぼくも!」
子供たちの可愛い言葉が、なぜか違うものに聞こえてくる……。
シャルロットの笑顔は、ほんの少し引きつっていた。
「ね、ジェラール……、あの、あたしもうそんなに若くないから……」
その夜、ベッドの上でシャルロットはじりじりと後ずさった。そんな妻をあっさりと腕に閉じ込めて、ジェラールはガウンのリボンを解いてゆく。
「心配することはない。まだまだ充分綺麗だ、シャル」
「いや、でも、あんまり無理は……! それに、貴方も明日に差し支えては……っ!」
「子供たちの願いを叶えてやらないとな」
そんな優しげなことを言っているけれど、さすがのシャルロットにも分かる。もう来年で結婚して10年になるのだから。
今夜のジェラールは、まずい。久々に抱き潰されそうな予感に、シャルロットはふたつの意味で震えるのを感じた。
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