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5・やけくそで書いてはいけません
しおりを挟むどれくらいそうしていたのだろう? メイドがお茶を運んできて、私は慌てて頬に残る涙をぬぐった。メイドは私の様子を不審に思ったかもしれないが、敢えて目を合わせることもせず、何も言わずに出て行った。さすがにお母さまの使用人の躾は完璧だ。
温かいお茶を飲んだら、少しは落ち着いた気がした。私は傍らのノートに目をやる。自分の気持ちにさえ気づいていなかった馬鹿な私を証明するようで、忌々しい。
――いっそ書き直してやろうかしら。
シャルルを怒らせてしまった今、もう私のお話を読む人はいない。だったら、もう誰の気持ちを慮る必要もないじゃないか。
例のページは私の涙であちこちが滲んでしまい、読めたものではなかった。私は思い切って最後のページに大きくバツを書く。それから新しいページを開き、猛然とペンを走らせた。
書き始めた時は、アイリーンにプロポーズを断らせるだけのつもりだった。それが衝動のまま書き綴るうちに、ストーリーは自分でも思わぬ方向に転がってゆく。
もともと書いてさえいれば時間を忘れてしまえる私だ。いつもとは違って心の赴くままに、憑かれたように書き綴ってゆく。
アイリーンに振られたシャルルは、失意の中で初めてミレーヌの存在に気が付くのだ。そして衝動のままにミレーヌの部屋に忍び込み、驚くミレーヌに想いのたけをぶつける。そして気持ちを確かめ合った二人は……。
ベッドシーンを書き上げたところで、私はやっと我にかえった。
読み返してみると、馬鹿馬鹿しいほど甘い。おまけに自分のベッドシーン。自分で書いておきながら、さすがに途中で読むのをやめた。どうやらこれは、後で破り捨てることになりそうだ。
「……馬鹿だな、私」
それでも全て吐き出したせいか、妙にすっきりした気分で顔を上げた。気づけば、外はかなり暗くなっている。……そこで初めて気がついた。
薄暗い窓に、人影が映っている。それが誰か分かった瞬間、私は弾かれるように振り返った。
「シャルル!?」
シャルルはひどく決まり悪そうに、視線をそらした。
「君と喧嘩したから謝りたいって言ったら、母君が通してくれた」
何と答えていいか分からなかった。別に喧嘩をしたわけじゃない。それに私は、シャルルがどうしてあんなに怒ったのか、まだ分からない。どうやら仲直りというのは口実で、他に理由がありそうだ。
するとそこへ、なんとお母さまが自らお茶を運んできた。いつもなら使用人に任せて、お皿の一枚、スプーンの一本だって運んだことなどない方なのに。
「シャルルさまがわざわざ来て下さったのだから、貴女もいつまでも拗ねていてはだめよ。ちゃんと仲直りなさいね」
明かりを点けながら余計なことを言う。お母さまの脳内では、私たちは痴話喧嘩でもしたことになっているのだろう。大きなお世話だ。
そして最後にお母さまは、私にだけ聞こえる声で囁いた。
「――もう使用人は近付けさせないから、安心なさい」
「は!?」
――ちょっ……お母さま? それっていったい、どういう意味ですか?
目をひん剥いた私に意味深な笑みを残して、お母さまは出て行った。まったく、何を期待しているのかしら。この世界って、やっぱりちょっと何か違うのよね……。
呆気にとられてお母さまを見送っていた私は、シャルルの足音に気付くのが遅れた。
「ちょっ、だめ!」
この世界のミレーヌは、どれだけ鈍いのだろう。
またしてもノートを奪い取られ、今度こそ私は本気で慌てていた。――だって、あれには……。
「やめて、返してよ! 勝手に読むなんてひどい!」
「どうせさっきも読んだろう。それに、勝手にこんなものを書いた君に言われたくはないね」
「うっ……」
言い返せない私は、それでも手を伸ばしてノートを奪い返そうと試みた。当然あっさりかわされてしまい、唇を噛んでシャルルを睨む。
「さすがに僕の名であんな話を書かれているのは、不愉快だからね。取り上げて焼き捨ててしまおうと思ったんだ。そうしたら君は僕が入って来たのも気づかず、夢中になって何やら書いてるじゃないか。しかも覗いてみたらまた、僕の名がある。――それでも君は、僕を責められるの?」
「……覗いてたなんて知らなかったんだもの……」
「そういう問題じゃない」
シャルルはにべもなく言った。やっぱり仲直りがしたいわけではないらしい。
「それに悪いが、ちゃんとノックはしたよ。気づかなかったのは君だ」
「……」
シャルルは私の肩を押して椅子に座らせると、自分は立ったままノートを開いた。そして私が告白シーンにバツ印をつけ、その先を書き直したことに気がついたようだ。ちょっと驚いた様子で読み進めていく。
どうしよう、どうかその先を読まないで……! 私は刑を宣告されるのに似た気持ちだった。
「ふう……」
数ページ読んだところで、シャルルが大きなため息をついてノートを閉じた。その眉間にはくっきりと縦皺が刻まれている。
――どうしよう、やっぱり怒るよね。捲ったページ数からして、ベッドシーンまでは行っていないようだけど、でも……。
どうか頼むから、二度とノートを開かないでほしい。祈らんばかりの私に、シャルルは冷たく言った。
「何か言うことはないの?」
「……ごめんなさい」
「それは、何を謝っているのかな」
もちろん勝手にシャルルを主人公にして、こんなお話を書いたことだ。そう言うと、シャルルはさらに深いため息をついた。
「なるほどね。まったく分かってないってことか」
「……どういうこと?」
それには答えず、シャルルはさっきと同じように、向かいの椅子に腰を下ろした。膝の上でノートを片手で叩きながら、私をじっとりと睨みつける。
「で、君の本心はどっちなわけ?」
「え」
「僕とアイリーン嬢が婚約という場面を消して、君と愛し合う話になっているようだけど」
「……」
「返事は?」
うう、これではまるで尋問だ。恨めしげにシャルルを睨んでみたけれど、もちろんまったく効果はない。
「この先を読めば分かるのかな」
「や、だめっ!」
ノートに手をかけるシャルルに、思わず腰を浮かせて叫んでしまった。
「どうして?」
「……」
「どうしてだめなんだ? これまでだって、読んだじゃないか」
どうして……って、決まっている。こんなの見られたら、怒られるどころかきっと軽蔑されてしまう。
ああもう、私の馬鹿。なんでよりによってこんな歯が浮くようなシーン、書いちゃったんだろう? 完全に二次創作の頭になっていたからとはいえ、自分で自分のラブシーンなんて、よくも書けたものだ。
「答えられないのか?」
「はっ……恥ずかしいから、読まないで……! お願い、ごめんなさい。さっきのことは謝るから」
「僕が読めないほど、恥ずかしいことを書いたの?」
「ちがっ……!」
つい反射的に否定しかけたけれど、それでは言い訳が成立しない。
「……わない……」
「へえ、それはそれは」
俯いた私に、シャルルはわざとらしく首をすくめてみせる。
「とにかく、僕は君の小説のせいでとても不快な思いをしたんだ。どうやら訂正してくれたらしいが、確認しなくては分からないだろう?」
きっちり理詰めで責めてくる。シャルルの頭の良さが、これほど恨めしかったことはない。それでも私は、頼むしかなかった。
「でもだめ。お願いだから読まないで」
「ふうん」
シャルルの口元が、笑みを形づくった。これは……いけない。なぜだか分からないけれど、とにかく嫌な予感がする。
案の定、シャルルはとんでもないことを言い出した。
「そうだな、僕が読んじゃいけないなら……。君が読んで聞かせてよ」
「はあっ!?」
私はぽかんと口を開いて固まった。思わず呼吸が止まりかけ、喉から変な音が出たくらいだ。
「な……! い、嫌よ。そんな」
――無理だ、無理に決まってる。あんな恥ずかしい文章を、私が読んで聞かせるなんて。
ところがシャルルは容赦なく、私を叩きのめすつもりのようだ。
「それなら仕方ない。君のお父上に教えてあげよう。君が書いているのは詩なんかじゃない、ってね」
「ええっ!?」
「そうそう、君の母君も興味がおありのようだったね」
「……うう。そんなの卑怯よ、シャルル……!」
私は拳をきつく握りしめる。ところがシャルルは涼しい顔だ。
……こうなっては降伏するしかなかった。
「読みます。だから、お願い。お父さまたちに言うのだけは……!」
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