上 下
5 / 12

5・やけくそで書いてはいけません

しおりを挟む
 


 どれくらいそうしていたのだろう? メイドがお茶を運んできて、私は慌てて頬に残る涙をぬぐった。メイドは私の様子を不審に思ったかもしれないが、敢えて目を合わせることもせず、何も言わずに出て行った。さすがにお母さまの使用人の躾は完璧だ。

 温かいお茶を飲んだら、少しは落ち着いた気がした。私は傍らのノートに目をやる。自分の気持ちにさえ気づいていなかった馬鹿な私を証明するようで、忌々しい。

 ――いっそ書き直してやろうかしら。

 シャルルを怒らせてしまった今、もう私のお話を読む人はいない。だったら、もう誰の気持ちをおもんばかる必要もないじゃないか。
 例のページは私の涙であちこちが滲んでしまい、読めたものではなかった。私は思い切って最後のページに大きくバツを書く。それから新しいページを開き、猛然とペンを走らせた。

 書き始めた時は、アイリーンにプロポーズを断らせるだけのつもりだった。それが衝動のまま書き綴るうちに、ストーリーは自分でも思わぬ方向に転がってゆく。
 もともと書いてさえいれば時間を忘れてしまえる私だ。いつもとは違って心の赴くままに、憑かれたように書き綴ってゆく。

 アイリーンに振られたシャルルは、失意の中で初めてミレーヌわたしの存在に気が付くのだ。そして衝動のままにミレーヌの部屋に忍び込み、驚くミレーヌに想いのたけをぶつける。そして気持ちを確かめ合った二人は……。

 ベッドシーンを書き上げたところで、私はやっと我にかえった。
 読み返してみると、馬鹿馬鹿しいほど甘い。おまけに自分の・・・ベッドシーン。自分で書いておきながら、さすがに途中で読むのをやめた。どうやらこれは、後で破り捨てることになりそうだ。

「……馬鹿だな、私」

 それでも全て吐き出したせいか、妙にすっきりした気分で顔を上げた。気づけば、外はかなり暗くなっている。……そこで初めて気がついた。

 薄暗い窓に、人影が映っている。それが誰か分かった瞬間、私は弾かれるように振り返った。

「シャルル!?」

 シャルルはひどく決まり悪そうに、視線をそらした。

「君と喧嘩したから謝りたいって言ったら、母君が通してくれた」

 何と答えていいか分からなかった。別に喧嘩をしたわけじゃない。それに私は、シャルルがどうしてあんなに怒ったのか、まだ分からない。どうやら仲直りというのは口実で、他に理由がありそうだ。

 するとそこへ、なんとお母さまが自らお茶を運んできた。いつもなら使用人に任せて、お皿の一枚、スプーンの一本だって運んだことなどない方なのに。

「シャルルさまがわざわざ来て下さったのだから、貴女もいつまでも拗ねていてはだめよ。ちゃんと仲直りなさいね」

 明かりを点けながら余計なことを言う。お母さまの脳内では、私たちは痴話喧嘩でもしたことになっているのだろう。大きなお世話だ。
 そして最後にお母さまは、私にだけ聞こえる声で囁いた。

「――もう使用人は近付けさせないから、安心なさい」
「は!?」

 ――ちょっ……お母さま? それっていったい、どういう意味ですか?

 目をひん剥いた私に意味深な笑みを残して、お母さまは出て行った。まったく、何を期待しているのかしら。この世界って、やっぱりちょっと何か違うのよね……。
 呆気にとられてお母さまを見送っていた私は、シャルルの足音に気付くのが遅れた。

「ちょっ、だめ!」

 この世界のミレーヌわたしは、どれだけ鈍いのだろう。
 またしてもノートを奪い取られ、今度こそ私は本気で慌てていた。――だって、あれには……。

「やめて、返してよ! 勝手に読むなんてひどい!」
「どうせさっきも読んだろう。それに、勝手にこんなものを書いた君に言われたくはないね」
「うっ……」

 言い返せない私は、それでも手を伸ばしてノートを奪い返そうと試みた。当然あっさりかわされてしまい、唇を噛んでシャルルを睨む。

「さすがに僕の名であんな話を書かれているのは、不愉快だからね。取り上げて焼き捨ててしまおうと思ったんだ。そうしたら君は僕が入って来たのも気づかず、夢中になって何やら書いてるじゃないか。しかも覗いてみたらまた、僕の名がある。――それでも君は、僕を責められるの?」
「……覗いてたなんて知らなかったんだもの……」
「そういう問題じゃない」

 シャルルはにべもなく言った。やっぱり仲直りがしたいわけではないらしい。

「それに悪いが、ちゃんとノックはしたよ。気づかなかったのは君だ」
「……」

 シャルルは私の肩を押して椅子に座らせると、自分は立ったままノートを開いた。そして私が告白シーンにバツ印をつけ、その先を書き直したことに気がついたようだ。ちょっと驚いた様子で読み進めていく。
 どうしよう、どうかその先を読まないで……! 私は刑を宣告されるのに似た気持ちだった。

「ふう……」

 数ページ読んだところで、シャルルが大きなため息をついてノートを閉じた。その眉間にはくっきりと縦皺が刻まれている。

 ――どうしよう、やっぱり怒るよね。捲ったページ数からして、ベッドシーンまでは行っていないようだけど、でも……。

 どうか頼むから、二度とノートを開かないでほしい。祈らんばかりの私に、シャルルは冷たく言った。

「何か言うことはないの?」
「……ごめんなさい」
「それは、何を謝っているのかな」

 もちろん勝手にシャルルを主人公にして、こんなお話を書いたことだ。そう言うと、シャルルはさらに深いため息をついた。

「なるほどね。まったく分かってないってことか」
「……どういうこと?」

 それには答えず、シャルルはさっきと同じように、向かいの椅子に腰を下ろした。膝の上でノートを片手で叩きながら、私をじっとりと睨みつける。

「で、君の本心はどっちなわけ?」
「え」
「僕とアイリーン嬢が婚約という場面を消して、君と愛し合う話になっているようだけど」
「……」
「返事は?」

 うう、これではまるで尋問だ。恨めしげにシャルルを睨んでみたけれど、もちろんまったく効果はない。

「この先を読めば分かるのかな」
「や、だめっ!」

 ノートに手をかけるシャルルに、思わず腰を浮かせて叫んでしまった。

「どうして?」
「……」
「どうしてだめなんだ? これまでだって、読んだじゃないか」

 どうして……って、決まっている。こんなの見られたら、怒られるどころかきっと軽蔑されてしまう。
 ああもう、私の馬鹿。なんでよりによってこんな歯が浮くようなシーン、書いちゃったんだろう? 完全に二次創作の頭になっていたからとはいえ、自分で自分のラブシーンなんて、よくも書けたものだ。

「答えられないのか?」
「はっ……恥ずかしいから、読まないで……! お願い、ごめんなさい。さっきのことは謝るから」
「僕が読めないほど、恥ずかしいことを書いたの?」
「ちがっ……!」

 つい反射的に否定しかけたけれど、それでは言い訳が成立しない。

「……わない……」
「へえ、それはそれは」

 俯いた私に、シャルルはわざとらしく首をすくめてみせる。

「とにかく、僕は君の小説のせいでとても不快な思いをしたんだ。どうやら訂正してくれたらしいが、確認しなくては分からないだろう?」

 きっちり理詰めで責めてくる。シャルルの頭の良さが、これほど恨めしかったことはない。それでも私は、頼むしかなかった。

「でもだめ。お願いだから読まないで」
「ふうん」

 シャルルの口元が、笑みを形づくった。これは……いけない。なぜだか分からないけれど、とにかく嫌な予感がする。
 案の定、シャルルはとんでもないことを言い出した。

「そうだな、僕が読んじゃいけないなら……。君が読んで聞かせてよ」
「はあっ!?」

 私はぽかんと口を開いて固まった。思わず呼吸が止まりかけ、喉から変な音が出たくらいだ。

「な……! い、嫌よ。そんな」

 ――無理だ、無理に決まってる。あんな恥ずかしい文章を、私が読んで聞かせるなんて。

 ところがシャルルは容赦なく、私を叩きのめすつもりのようだ。

「それなら仕方ない。君のお父上に教えてあげよう。君が書いているのは詩なんかじゃない、ってね」
「ええっ!?」
「そうそう、君の母君も興味がおありのようだったね」
「……うう。そんなの卑怯よ、シャルル……!」

 私は拳をきつく握りしめる。ところがシャルルは涼しい顔だ。
 ……こうなっては降伏するしかなかった。

「読みます。だから、お願い。お父さまたちに言うのだけは……!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〈短編版〉騎士団長との淫らな秘め事~箱入り王女は性的に目覚めてしまった~

二階堂まや
恋愛
王国の第三王女ルイーセは、女きょうだいばかりの環境で育ったせいで男が苦手であった。そんな彼女は王立騎士団長のウェンデと結婚するが、逞しく威風堂々とした風貌の彼ともどう接したら良いか分からず、遠慮のある関係が続いていた。 そんなある日、ルイーセは森に散歩に行き、ウェンデが放尿している姿を偶然目撃してしまう。そしてそれは、彼女にとって性の目覚めのきっかけとなってしまったのだった。 +性的に目覚めたヒロインを器の大きい旦那様(騎士団長)が全面協力して最終的にらぶえっちするというエロに振り切った作品なので、気軽にお楽しみいただければと思います。

大嫌いなアイツが媚薬を盛られたらしいので、不本意ながらカラダを張って救けてあげます

スケキヨ
恋愛
媚薬を盛られたミアを救けてくれたのは学生時代からのライバルで公爵家の次男坊・リアムだった。ほっとしたのも束の間、なんと今度はリアムのほうが異国の王女に媚薬を盛られて絶体絶命!? 「弟を救けてやってくれないか?」――リアムの兄の策略で、発情したリアムと同じ部屋に閉じ込められてしまったミア。気が付くと、頬を上気させ目元を潤ませたリアムの顔がすぐそばにあって……!! 『媚薬を盛られた私をいろんな意味で救けてくれたのは、大嫌いなアイツでした』という作品の続編になります。前作は読んでいなくてもそんなに支障ありませんので、気楽にご覧ください。 ・R18描写のある話には※を付けています。 ・別サイトにも掲載しています。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

【R18】殿下!そこは舐めてイイところじゃありません! 〜悪役令嬢に転生したけど元潔癖症の王子に溺愛されてます〜

茅野ガク
恋愛
予想外に起きたイベントでなんとか王太子を救おうとしたら、彼に執着されることになった悪役令嬢の話。 ☆他サイトにも投稿しています

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件

百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。 そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。 いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。) それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる! いいんだけど触りすぎ。 お母様も呆れからの憎しみも・・・ 溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。 デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。 アリサはの気持ちは・・・。

R18、アブナイ異世界ライフ

くるくる
恋愛
 気が付けば異世界。しかもそこはハードな18禁乙女ゲームソックリなのだ。獣人と魔人ばかりの異世界にハーフとして転生した主人公。覚悟を決め、ここで幸せになってやる!と意気込む。そんな彼女の異世界ライフ。  主人公ご都合主義。主人公は誰にでも優しいイイ子ちゃんではありません。前向きだが少々気が強く、ドライな所もある女です。  もう1つの作品にちょいと行き詰まり、気の向くまま書いているのでおかしな箇所があるかと思いますがご容赦ください。  ※複数プレイ、過激な性描写あり、注意されたし。

媚薬を飲まされたので、好きな人の部屋に行きました。

入海月子
恋愛
女騎士エリカは同僚のダンケルトのことが好きなのに素直になれない。あるとき、媚薬を飲まされて襲われそうになったエリカは返り討ちにして、ダンケルトの部屋に逃げ込んだ。二人は──。

処理中です...