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46・再会と別れ 前
しおりを挟む竜の城は短い夏を迎えた。
いつかの晩以来、不審なものが訪れることもないが、ギュンター子爵からの連絡もない。エクムントらは密かに武器の手入れをしているが、ヴィルフリートとアメリアは表向き変わりなく過ごしていた。
ある昼下がり、二人は図書室で寛いでいた。例の本にはもう手を触れることはなく、アメリアは美しい詩や物語を好んで読んだ。時には声に出して読み、ヴィルフリートが目を細めることもあった。
「ヴィル様、少し休憩をしません?」
アメリアが本を傍らに置いて尋ねた。ヴィルフリートが頷くのを見ると、立ち上がって紅茶を淹れる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
カップを渡す手が触れて、二人はふっと微笑みあった。並んでお茶を飲みながら、読んだ本のことや窓から見える景色のことを話し合う。アメリアがここへきて、おそらくもっとも長い時間を過ごしたのがこの長椅子かもしれない。ヴィルフリートとなら特に何もしゃべらなくても、二人でいるだけで心地よい。
だが今は、沈黙が降りるたびに祈ってしまう。このまま、この穏やかな日々が続くように、と……。
ヴィルフリートがふと眉を上げ、口へ運びかけたカップを戻した。
「……誰か来る」
「……!」
図書室の窓からは、門は見えにくい。だがとりあえず、応対はエクムントがしてくれるはずだ。しばらく気配を伺っていたが、とくに揉めている様子もない。
するとせわしげな足音がして、レオノーラが図書室の扉を開けた。
「アメリア様、申し訳ありませんが。ちょっとこちらへお願いできますか」
アメリアが口を開く前に、ヴィルフリートが立ちあがった。
「レオノーラ、どういう事だ」
「ヴィルフリート様。今、ギュンター子爵からの手紙を持って訪ねてきた親子が、アメリア様の知り合いだと言っているのです。ですから、サロンの窓からでも確認していただこうと」
「知り合い……?」
子爵の知人に、自分の知り合いなどいただろうか。首をかしげるアメリアに、ヴィルフリートが手を差し出した。
「アメリア、私も行こう。とりあえず見てみるといい」
頷いて、三人はサロンへ向かった。そこからは門までが見通せる。
エクムントと向かい合うように立っていたのは、意外にも質素な身なりの人物だった。
「……ラウラ!」
「間違いないですか、アメリア様?」
「間違いないわ。カレンベルクの家で私の侍女をしてくれていたラウラと、彼女のお父様のクライバーさんです。……どうして、ラウラが」
アメリアは向き直り、何度も頷いてみせた。
「持参した書類には、間違いなく子爵の印が押されているそうです。ヴィルフリート様、ここへ通してよろしいですね?」
「ヴィル様、私からもお願いします」
「アメリア、父親という男の方も面識があるのだね? 問題ない人物かい?」
アメリアの返事を待ってレオノーラに合図すると、心得たように出て行った。やがて彼女が庭を歩いていく姿が見えた。
「―――お嬢様!」
ラウラはアメリアをひと目見ると、たちまち涙を溢れさせた。その横で父のクライバー氏が、丁寧に頭を下げる。
完全に身動きのとれなくなったギュンター子爵が思いついたのが、この親子だった。アメリアは知らなかったが、ラウラの父クライバー氏は広く商売をし、ときには貴族の館にも出入りしていた。仕入れのために遠出することもあり、そういう意味ではうってつけだったのだ。今回も実際にいくつかの買い付けをしながらの旅だったという。実直で信頼もおけ、なによりラウラとのつながりでアメリアと面識があるのが大きかった。
むろん、王宮の秘密に関わらせるわけにはいかない。クライバー氏は懐から厚い手紙を出した。
「子爵様から、こちらのご主人さまにとお預かりして参りました。無事にお渡しできてようございました」
返事を預かってゆくというクライバー氏を待たせておいて、ヴィルフリートはエクムントと別室へ手紙を読みに行った。するとそれまで黙っていたラウラが、ようやく口を開いた。
「お嬢様……。お久しぶりです。お元気そうで、良かったです」
「ラウラ、こんな遠くまでありがとう。まさかまた会えるなんて、思わなかったわ」
聞けば、ラウラはアメリアがいなくなってすぐに、家に戻されたのだという。
「お嬢様がいらっしゃらない以上、侍女の仕事もないと言われまして……」
いかにもあの義父のやりそうなことだ。アメリアは眉を寄せたが、二人は気にした様子もなく笑っている。
「でも、良かったです。お嬢様、お幸せそうで……。それに、旦那様もすごく素敵な方じゃないですか」
「これラウラ、失礼だ」
「でも父さん、あんな透き通るような金髪、初めて見たんだもの」
恐縮する二人に微笑んで首を振って、アメリアは気づいた。詳しい事情を知らない二人には、ヴィルフリートの容姿は気にならないらしい。もしかして「竜の末裔」などという先入観がなければ、その程度のものなのか。
そこへヴィルフリートとエクムントが戻ってきた。
「ではこれをお預かりいただけるか、クライバーさん」
エクムントに手渡された手紙を、クライバー氏は恭しく受け取って懐へ納めた。
「その手紙は子爵殿以外の者が読んでも、詳細は分からないようになっています。往きは大丈夫だったそうだが、もし帰りに何かあったら、心配することはないから手放しなさい。その場合は子爵殿に『わかった』と伝えてくれれば何とかなりますからな」
「お心遣い感謝いたします」
クライバー氏は一礼し、すぐにも帰り支度を始めた。明るいうちに山を下りて、麓の村へ行かねばならない。ラウラも名残惜しそうだったが、素直に上着を手に取った。
「ラウラ、これを」
親子が玄関ホールへ出たとき、ヴィルフリートと入れ替わりに席を外していたアメリアが、小さな包みを持って戻ってきた。
「後でお父様と食べて。あなたの好きなお菓子も入ってるわ」
「お嬢様……」
「ラウラ、木の実のタルト好きでしょう」
また涙ぐむラウラの手を握り、アメリアは微笑んだ。
その日届けられた手紙の内容を、ヴィルフリートは教えてくれなかった。伝えるほどのことでもなかったのかと特に訊ねはしなかったけれど、彼には珍しいことだった。
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