竜の末裔と生贄の花嫁

砂月美乃

文字の大きさ
上 下
46 / 50

46・再会と別れ 前

しおりを挟む
 
 竜の城は短い夏を迎えた。
 いつかの晩以来、不審なものが訪れることもないが、ギュンター子爵からの連絡もない。エクムントらは密かに武器の手入れをしているが、ヴィルフリートとアメリアは表向き変わりなく過ごしていた。

 ある昼下がり、二人は図書室で寛いでいた。例の本にはもう手を触れることはなく、アメリアは美しい詩や物語を好んで読んだ。時には声に出して読み、ヴィルフリートが目を細めることもあった。

「ヴィル様、少し休憩をしません?」

アメリアが本を傍らに置いて尋ねた。ヴィルフリートが頷くのを見ると、立ち上がって紅茶を淹れる。

「はい、どうぞ」
「ありがとう」

 カップを渡す手が触れて、二人はふっと微笑みあった。並んでお茶を飲みながら、読んだ本のことや窓から見える景色のことを話し合う。アメリアがここへきて、おそらくもっとも長い時間を過ごしたのがこの長椅子かもしれない。ヴィルフリートとなら特に何もしゃべらなくても、二人でいるだけで心地よい。
 だが今は、沈黙が降りるたびに祈ってしまう。このまま、この穏やかな日々が続くように、と……。


 ヴィルフリートがふと眉を上げ、口へ運びかけたカップを戻した。

「……誰か来る」
「……!」

図書室の窓からは、門は見えにくい。だがとりあえず、応対はエクムントがしてくれるはずだ。しばらく気配を伺っていたが、とくに揉めている様子もない。
 するとせわしげな足音がして、レオノーラが図書室の扉を開けた。

「アメリア様、申し訳ありませんが。ちょっとこちらへお願いできますか」

アメリアが口を開く前に、ヴィルフリートが立ちあがった。

「レオノーラ、どういう事だ」
「ヴィルフリート様。今、ギュンター子爵からの手紙を持って訪ねてきた親子が、アメリア様の知り合いだと言っているのです。ですから、サロンの窓からでも確認していただこうと」
「知り合い……?」

子爵の知人に、自分の知り合いなどいただろうか。首をかしげるアメリアに、ヴィルフリートが手を差し出した。

「アメリア、私も行こう。とりあえず見てみるといい」

頷いて、三人はサロンへ向かった。そこからは門までが見通せる。
 エクムントと向かい合うように立っていたのは、意外にも質素な身なりの人物だった。

「……ラウラ!」
「間違いないですか、アメリア様?」
「間違いないわ。カレンベルクの家で私の侍女をしてくれていたラウラと、彼女のお父様のクライバーさんです。……どうして、ラウラが」

アメリアは向き直り、何度も頷いてみせた。

「持参した書類には、間違いなく子爵の印が押されているそうです。ヴィルフリート様、ここへ通してよろしいですね?」
「ヴィル様、私からもお願いします」
「アメリア、父親という男の方も面識があるのだね? 問題ない人物かい?」

アメリアの返事を待ってレオノーラに合図すると、心得たように出て行った。やがて彼女が庭を歩いていく姿が見えた。



「―――お嬢様!」

ラウラはアメリアをひと目見ると、たちまち涙を溢れさせた。その横で父のクライバー氏が、丁寧に頭を下げる。

 完全に身動きのとれなくなったギュンター子爵が思いついたのが、この親子だった。アメリアは知らなかったが、ラウラの父クライバー氏は広く商売をし、ときには貴族の館にも出入りしていた。仕入れのために遠出することもあり、そういう意味ではうってつけだったのだ。今回も実際にいくつかの買い付けをしながらの旅だったという。実直で信頼もおけ、なによりラウラとのつながりでアメリアと面識があるのが大きかった。
 むろん、王宮の秘密に関わらせるわけにはいかない。クライバー氏は懐から厚い手紙を出した。

「子爵様から、こちらのご主人さまにとお預かりして参りました。無事にお渡しできてようございました」

 返事を預かってゆくというクライバー氏を待たせておいて、ヴィルフリートはエクムントと別室へ手紙を読みに行った。するとそれまで黙っていたラウラが、ようやく口を開いた。

「お嬢様……。お久しぶりです。お元気そうで、良かったです」
「ラウラ、こんな遠くまでありがとう。まさかまた会えるなんて、思わなかったわ」

 聞けば、ラウラはアメリアがいなくなってすぐに、家に戻されたのだという。

「お嬢様がいらっしゃらない以上、侍女の仕事もないと言われまして……」

いかにもあの義父のやりそうなことだ。アメリアは眉を寄せたが、二人は気にした様子もなく笑っている。

「でも、良かったです。お嬢様、お幸せそうで……。それに、旦那様もすごく素敵な方じゃないですか」
「これラウラ、失礼だ」
「でも父さん、あんな透き通るような金髪、初めて見たんだもの」

 恐縮する二人に微笑んで首を振って、アメリアは気づいた。詳しい事情を知らない二人には、ヴィルフリートの容姿は気にならないらしい。もしかして「竜の末裔」などという先入観がなければ、その程度のものなのか。

 そこへヴィルフリートとエクムントが戻ってきた。

「ではこれをお預かりいただけるか、クライバーさん」

エクムントに手渡された手紙を、クライバー氏は恭しく受け取って懐へ納めた。

「その手紙は子爵殿以外の者が読んでも、詳細は分からないようになっています。往きは大丈夫だったそうだが、もし帰りに何かあったら、心配することはないから手放しなさい。その場合は子爵殿に『わかった』と伝えてくれれば何とかなりますからな」
「お心遣い感謝いたします」

クライバー氏は一礼し、すぐにも帰り支度を始めた。明るいうちに山を下りて、麓の村へ行かねばならない。ラウラも名残惜しそうだったが、素直に上着を手に取った。


「ラウラ、これを」

親子が玄関ホールへ出たとき、ヴィルフリートと入れ替わりに席を外していたアメリアが、小さな包みを持って戻ってきた。

「後でお父様と食べて。あなたの好きなお菓子も入ってるわ」
「お嬢様……」
「ラウラ、木の実のタルト好きでしょう」

また涙ぐむラウラの手を握り、アメリアは微笑んだ。

 その日届けられた手紙の内容を、ヴィルフリートは教えてくれなかった。伝えるほどのことでもなかったのかと特に訊ねはしなかったけれど、彼には珍しいことだった。






しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道 周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。 女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。 ※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※

隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛

冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!

処理中です...