竜の末裔と生贄の花嫁

砂月美乃

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24・雨やどり 前

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 ヴィルフリートは茫然と、図書室の扉が閉まる音を聞いていた。
 いったい、アメリアはどうしたのだろう? 昨日から、どうもおかしい。自分が近寄ったり目を合わせたりすると、怯えたような様子を見せる。
 嫌われただろうか。ここへきて一週間あまり、ようやく自然に微笑んでくれるようになったかと思っていたのに、自分はなにか不快なことをしただろうか。
 心当たりはもちろんある。アメリアの笑顔を見たら、気持ちを抑えきれなくなってしまった。夜は必死で耐えているが、やはり口づけさえもまずかっただろうか?

 さっきのアメリアを思い出すと、ヴィルフリートの胸はちくりと痛んだ。
 例の本、「竜の末裔」に関することが書かれている本。あれを眺めて、アメリアは何やら思い悩んでいた。

 ―――やはり、人ならざる身は恐ろしいのか?

 思わずため息をついたその時、再び図書室の扉が開く音がした。その重たげな足音で、ヴィルフリートには分かる。

「ヴィルフリート様、おいでですか」
「ここだ。今行く」

 家令のエクムントは、長椅子の前で待っていた。

「どうした、エクムント」
「先ほど、花嫁殿が出て行かれましたな」
「……ああ」
「喧嘩でもなさったのですか」

 ヴィルフリートが憮然として答えないでいると、エクムントの目がきらりと光った。

「あまり付け上がらせてはなりませんぞ。だいたいろくでもない家の娘のくせに、ヴィルフリート様に対してあのような態度で……」
「やめろ、エクムント」

 ヴィルフリートの苛立たしげな声に、エクムントがまじまじと主を見る。

「彼女は別に付け上がってなどいない。そんなふうに、目を吊り上げないでやってくれ。―――おまえのせいで逃げられたらどうするんだ」
「逃げる、ですと? それ、その態度こそが生意気だというのです」
「……」

 ヴィルフリートは思わず首を振ったが、エクムントは矛を収める気などないらしい。

「ヴィルフリート様の前でなんでございますが、未だ伽さえ拒んでいるのでしょう。そんなわがままをきいては……」
じい!」

 さすがに一喝すると、エクムントが口をつぐんだ。

「よくもまあ、そのようなことを……そうか、レオノーラか。ならば言う。彼女が拒んでいるわけではない」
「は……?」
「私が、機を待っているだけだ」
「……なんですと? 何だってヴィルフリート様が、そのようなことをしてやる必要があるのです」

 そのとき、笑い声がした。

「まあまあ、本当に殿方というものは……」

 レオノーラは長椅子に近づいて、柔らかく微笑んだ。

「お茶をご用意しましたので、どうぞ。じいや様もそのくらいで」
「だが、そもそも心配していたのはあんたではないか、レオノーラ」

 エクムントは気がおさまらないのか、レオノーラにも目を剥いた。レオノーラは頷く。

「はい、確かに心配いたしました。ですが、アメリア様のご様子を見ていて考え直しましたの。じいや様もどうか、この件はヴィルフリート様に、ご本人同士にお任せなさいませ」

 ヴィルフリートも仏頂面で頷く。レオノーラにも言われては、エクムントも引き下がらないわけにはいかなかった。
 さっきアメリアと話をしたレオノーラには、もっといろいろなことが見えていた。だが、いくら我が子のように大切な主といえども、こればかりは自分が口を出すことではないだろう。エクムントに言ったとおり、レオノーラは黙って見守ることに決めていた。





 またしても続き間の小部屋に舞い戻り、アメリアは顔を覆って座り込んでいた。

 ―――どうしよう。ヴィルフリート様はどう思われたかしら?

 傷ついたような、淋しげな顔をしていた。昨日は見ないと言ったのに、嘘をついたと思われただろうか? 自分を裏切ったと思っただろうか?

 ―――ああ、なんてことをしてしまったのだろう。きっと傷つけてしまった。ヴィルフリート様にだけは、知られたくなかったのに。

 そこまで考えて、アメリアはふと顔をあげた。
 なぜ、知られたくなかったのか。どうして、傷つけたかもしれないことがこんなに辛いのか。

「わたし……」

 ヴィルフリートの笑顔が、手を触れることが、そして口づけが……、なぜこんなにも胸をしめつけるのか。

「なんて、馬鹿なの……!」

 ―――ヴィルフリート様が、好き。

 アメリアは両手で口を覆った。

 ―――こんなことになってから分かるなんて……どうしよう、どうしたらいい?

 もちろん、伝えなくてはいけないのは分かっている。

 ―――「竜の城」へ来て一週間。ヴィルフリート様は何も言わずに、私の気持ちが動くのを待ってくれている。私はそのおかげで、ヴィルフリート様という人を知ることが出来た。でも、せっかく好きだと分かったのに、そうと分かる前に傷つけてしまった。このままではいけない、ちゃんと伝えなくては……。

 アメリアは立ち上がりかけ、そしてはっと動きを止めた。どうやって、伝えるというの? どれだけ勇気をかき集めたら、ヴィルフリートに言えるだろう?
 それにあの夜、「私を好きになってくれたら」と、ヴィルフリートは言った。貴方を好きになりました、と伝えることは、すなわちヴィルフリートに抱かれるということになる。それではまるで「抱いてください」と、自分から言うに等しい。

 ―――ああ、そんなこと……恥ずかしくて言えない。でも、黙っているわけには……。どうやって伝えたらいいのかしら?

 アメリアには結局、どうしたらいいのか分からなかった。




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