竜の末裔と生贄の花嫁

砂月美乃

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18・「竜の城」の生活 前

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「おはようございます、ヴィルフリート様、アメリア様」

 遠慮がちな声に目を覚ましたアメリアは、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。

 ―――ええと、あの声は……レオノーラさん……?

 何故かいつもよりぼうっとした目覚めで、アメリアは身体を起こそうとしたが、身体が動かない。

 ―――ヴィルフリートが、アメリアの腰にしっかりと両腕をまわして抱きしめて眠っている。しかもあろうことか、半分はだけられた胸元に額を寄せているではないか。

「きゃ、ヴィルフリート様っ!?」

 アメリアの悲鳴と、腕の中の身体がびくんと強張ったことでヴィルフリートが目を覚ました。


「……どうした、アメリア。そんな顔をして……」

 言いかけたところで自分の状態に気が付いて、ヴィルフリートが絶句した。

「あ、いやこれは……」

 真っ赤になって固まる二人を見て、遠慮して戸口のところで控えていたレオノーラは笑いを堪えるのに苦労した。

「まあまあ、仲がよろしいこと。お二人とも、洗面のご用意とお召し物はお隣にありますから、お支度を」

 ヴィルフリートはさっと立ち上がり、隣の部屋へ歩いて行った。

 ―――あらあら、照れていらっしゃる。

 レオノーラは微笑ましく思いながら、アメリアにショールをかけてやる。

「すぐに行ってお手伝いしますから、アメリア様もどうぞあちらへ」

 頬を染めたままのアメリアが出て行ってから、レオノーラはシーツを替えようとベッドに近づいた。その動きがふと止まる。


 やがて部屋を出て来たレオノーラは、何かを憂えるように眉をひそめていた。





 アメリアの新しい生活が始まった。

 まずはレオノーラによって、主だった使用人にも紹介された。家令のエクムントをはじめ、料理人や庭師まで。ヴィルフリートはひどく限られた世界で暮らしているので、ただの主と使用人という関係ではない。信用できる人間を選び、その分結びつきは濃いようだった。

 みな、主が長いこと待ち続けていた伴侶がついに現れたことを喜び、アメリアを歓迎してくれている。
 ただ家令のエクムントだけは、アメリアを値踏みするような、疑わしげな目つきで眺めていた。


 新しい生活とはいっても、社交界に出ることも、仕事をすることもない。「竜の城」から出ることのないヴィルフリートだ。当然、その妻のアメリアも同じようにその傍らにいるだけだ。使用人も揃っているこの館で、アメリアのすることはない。





 アメリアはヴィルフリートに連れられて庭を歩いていた。「竜の城」は険しい山の中にあるが、実際小さな山ひとつを占めるくらいの敷地を有している。庭として整えられている以外の土地もあるらしい。

「ここは山の中にあるから、君のいた王都より夏が短いらしい。でもこれからの季節、沢山の花が咲いてとても綺麗なんだ」
「ヴィルフリート様、これ……この可愛らしい花は何というのですか?」

 春先の岩陰に咲く可憐な花々に、アメリアは惹き付けられた。
 王都では花壇に植えられたものと、邸の中を飾るための豪華な花しか見たことがなかった。まして義父カレンベルク伯爵は、花など興味のない人物だったから。


「あの、ヴィルフリート様。まだ先へ行くのですか?」

 綺麗に整備された芝生と花壇を過ぎ、木立のなかへ分け入っていくヴィルフリートに、アメリアは心配になった。ずいぶん館から離れた気がする。

「この先に、君に見せたいものがある。―――ああ、疲れたかい?」
「いいえ、歩けます。ただ、お庭を出てしまうのかと……」

 ヴィルフリートは合点がいったように頷いた。

「心配はいらない。この辺り一帯が『竜の城』の敷地なんだ」

 そして先に立って、木々の間を進んで行った。


 アメリアが辺りを見回しながらヴィルフリートについて行くと、急に目の前が開け、小さな崖の上に出た。

「わ……あ」

 遥か遠くに霞む、まだ雪を被った山々。何処までも続く緑の木々と、その先には畑なのか、茶色の地面も広がっている。目を凝らせば森の向こうには、光を反射して輝く水面……あれは湖だろうか? 
 そして視線を上げれば、これまで灰色の雪雲ばかりだったのが、ようやく春らしい淡い青色をのぞかせ始めた空。薄くちぎれた綿のような雲の間から、柔らかい太陽の光が注いでいた。


 一昨日ここへ来る途中で眺めた景色よりも、さらに素晴らしい眺望だ。アメリアが声もなく見入っていると、

「気に入った?」

 後ろからヴィルフリートの声がした。

「はい、こんな広々として、すてきな景色……初めて見ました。連れてきて下さってありがとうございます」
「それなら良かった。また見に来よう」
「はい、ヴィルフリート様。……もう少し、見ていてもいいですか?」

 ヴィルフリートは笑って頷いた。

「なら、次はここへ椅子を用意しよう」
「布でも敷けば十分ですわ、ヴィルフリート様。そのときは私、お茶を持って参ります」
「それは楽しそうだ」


 アメリアは目の前の景色を見ながら、隣に立つヴィルフリートをちらりと見上げた。他愛ない内容だけれど、初めて笑顔で会話が進んだことが嬉しかった。

 帰りはヴィルフリートに花や木々の名を教えてもらいながら、ゆっくりと庭を散策して戻っていった。





 花が咲き始めたばかりのキイチゴの茂みの前で話している二人を、レオノーラは窓から見守っていた。

 ―――私の心配しすぎかもしれない。お二人は自然に打ち解けていっていらっしゃるようだし、きっと今夜こそは……。

 二人のベッドにアメリアの破瓜の証がなかったことを、レオノーラは気にかけていた。稀に出血のほとんどない女性もいるのは知っているけれど、それ以前にシーツに全く乱れがなく、初夜の営みがあったことさえ疑わしい。

 王都の貴族たちとは違い、ヴィルフリートには嫡子をもうける必要などない。それに何故か「竜」は子供ができにくいと聞いている。だから、別に二人が成就したかどうかを確認することもないのだが。

 それでも、あれだけ「つがい」を待ち望み、ようやくアメリアを手に入れたヴィルフリートに、とにかく幸せになってもらいたい。レオノーラの願いはただそれだけだ。


 きっとアメリア様を思いやられたのだろう。ヴィルフリートの幸せそうな微笑みをみて、レオノーラは窓から離れた。


 ところが翌朝も、翌々朝も。レオノーラは二人のベッドを整えつつ、深いため息をつくことになる……。




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