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6・王宮へ 前
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ハンナの指導は厳しかった。アメリアは刺繍の経験はあったが、ドレスを仕立てるには縫製の前に身につけるべき技術もたくさんあったし、そもそも刺繍とは針も運針もすべてが違った。
採寸して型紙を起こし、布を裁断する。何度も仮縫いを繰り返し、裾をかがり、刺繍やレースなどの装飾を施す。他にもボタンやフックの取り付け、ボタンの穴かがりなど、覚えることはたくさんあった。そして布地や糸、仕立てる部位によって、気の遠くなるような多くの細かい作業を駆使して縫い上げる。
小物から始め、町の女性が自分の服を仕立てるくらいのレベルなら半年もあれば良かったろうが、ハンナは彼女の満足のゆく出来でないと許さなかった。何度もやり直しを命じられ、普段着のドレスを仕立てるのに一年かかった。
そこからさらに一年弱。アメリアは都合三枚のドレスを仕立て上げた。むろん舞踏会で着るほどのドレスではない。町の人でも着られる、ちょっと贅沢なドレスというところだ。
ハンナと相談し、ドレスは彼女の知り合いを通じて売ってもらうことにし、アメリアはささやかながら初めて自分の手で稼ぐことが出来た。
「思ったよりも筋がいいし、それに何よりよく頑張ったわね」
三枚のドレスが全部売れた時、ハンナが言った。
「工房を構え、貴族の方向けの贅をつくしたドレスを仕立てるには、当然だけどまだまだ足りない。でも、どこか工房が少ない町で……富裕層向けのドレスを個人で請け負って作ることは、出来るかもしれないわ」
「ありがとうございます、先生」
ハンナの言葉に勇気をもらい、アメリアは一層手の込んだドレスに取り掛かった。
そこへ降ってきたのが、「竜の花嫁」の話だった。
数日後、アメリアはハンナのところへ向かった。
「先生、すみません。父から縁談を申し付けられ、もうこちらへ伺うことは出来なくなりました」
アメリアがもうすぐ十八歳になることはハンナも知っている。仕方がないという表情で頷いた。
「まあ、貴族のお嬢様なら仕方のないことですからね。……おめでとうございます、と申し上げて良いのかしら? お相手は?」
アメリアはどうにか笑ってみせた。
「まだお会いしていないので、何とも……。どうやら遠くへ嫁ぐことになりそうです」
貴族の娘の結婚事情にも詳しいハンナは、望まない縁談だと思ったのだろう。それ以上聞こうとはしなかった。それでも、
「貴族のご令嬢の中で、お嬢様ほど一生懸命な方を私は存じません。どうぞ最後まで人生を諦めることなく、お幸せに……」
そう言って目を潤ませた。
「何か記念の品を」と、ハンナはアメリアが今まで使っていた道具をくれようとした。だが、言えないけれど実際は「竜の花嫁」になる自分だ。
「嫁ぎ先に持っていくことを許されるか分からないので、残念ですが……」
そう断るしかなかった。ハンナも理解してくれたが、やはり淋しい。
「先生、本当にありがとうございました」
最後にもう一度礼を言い、アメリアは俯きがちに邸へ戻っていった。
義父のカレンベルク伯爵の言った「春の祭」とは、王都で雪解けを祝って行われる祭りだった。北の三分の一が雪に閉ざされるバルシュミット王国だが、だいたいこの祭りを境に国中全ての街道が通行可能になり、北の町へも旅行が出来るようになるとされている。
去年はアメリアも邸を抜け出して、ラウラと祭りの雰囲気を楽しんだものだった。だが今年はおそらくその日が、アメリアの出発する日になるのだろう。祭りはもう一月後に迫っていた。
「準備をしておくように」と言われても、もし噂通りに生贄となるのなら、何も準備など要りはしない。むしろこれは「思い残すことのないように後始末を」という意味なのか。それとも何か、特別な準備でもいるのだろうか。
どこか麻痺したような変に落ち着いた心持ちで、アメリアはまもなく離れる部屋を眺めるのだった。
採寸して型紙を起こし、布を裁断する。何度も仮縫いを繰り返し、裾をかがり、刺繍やレースなどの装飾を施す。他にもボタンやフックの取り付け、ボタンの穴かがりなど、覚えることはたくさんあった。そして布地や糸、仕立てる部位によって、気の遠くなるような多くの細かい作業を駆使して縫い上げる。
小物から始め、町の女性が自分の服を仕立てるくらいのレベルなら半年もあれば良かったろうが、ハンナは彼女の満足のゆく出来でないと許さなかった。何度もやり直しを命じられ、普段着のドレスを仕立てるのに一年かかった。
そこからさらに一年弱。アメリアは都合三枚のドレスを仕立て上げた。むろん舞踏会で着るほどのドレスではない。町の人でも着られる、ちょっと贅沢なドレスというところだ。
ハンナと相談し、ドレスは彼女の知り合いを通じて売ってもらうことにし、アメリアはささやかながら初めて自分の手で稼ぐことが出来た。
「思ったよりも筋がいいし、それに何よりよく頑張ったわね」
三枚のドレスが全部売れた時、ハンナが言った。
「工房を構え、貴族の方向けの贅をつくしたドレスを仕立てるには、当然だけどまだまだ足りない。でも、どこか工房が少ない町で……富裕層向けのドレスを個人で請け負って作ることは、出来るかもしれないわ」
「ありがとうございます、先生」
ハンナの言葉に勇気をもらい、アメリアは一層手の込んだドレスに取り掛かった。
そこへ降ってきたのが、「竜の花嫁」の話だった。
数日後、アメリアはハンナのところへ向かった。
「先生、すみません。父から縁談を申し付けられ、もうこちらへ伺うことは出来なくなりました」
アメリアがもうすぐ十八歳になることはハンナも知っている。仕方がないという表情で頷いた。
「まあ、貴族のお嬢様なら仕方のないことですからね。……おめでとうございます、と申し上げて良いのかしら? お相手は?」
アメリアはどうにか笑ってみせた。
「まだお会いしていないので、何とも……。どうやら遠くへ嫁ぐことになりそうです」
貴族の娘の結婚事情にも詳しいハンナは、望まない縁談だと思ったのだろう。それ以上聞こうとはしなかった。それでも、
「貴族のご令嬢の中で、お嬢様ほど一生懸命な方を私は存じません。どうぞ最後まで人生を諦めることなく、お幸せに……」
そう言って目を潤ませた。
「何か記念の品を」と、ハンナはアメリアが今まで使っていた道具をくれようとした。だが、言えないけれど実際は「竜の花嫁」になる自分だ。
「嫁ぎ先に持っていくことを許されるか分からないので、残念ですが……」
そう断るしかなかった。ハンナも理解してくれたが、やはり淋しい。
「先生、本当にありがとうございました」
最後にもう一度礼を言い、アメリアは俯きがちに邸へ戻っていった。
義父のカレンベルク伯爵の言った「春の祭」とは、王都で雪解けを祝って行われる祭りだった。北の三分の一が雪に閉ざされるバルシュミット王国だが、だいたいこの祭りを境に国中全ての街道が通行可能になり、北の町へも旅行が出来るようになるとされている。
去年はアメリアも邸を抜け出して、ラウラと祭りの雰囲気を楽しんだものだった。だが今年はおそらくその日が、アメリアの出発する日になるのだろう。祭りはもう一月後に迫っていた。
「準備をしておくように」と言われても、もし噂通りに生贄となるのなら、何も準備など要りはしない。むしろこれは「思い残すことのないように後始末を」という意味なのか。それとも何か、特別な準備でもいるのだろうか。
どこか麻痺したような変に落ち着いた心持ちで、アメリアはまもなく離れる部屋を眺めるのだった。
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