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1-3. 抑制剤の効かない薬師と運命の邂逅

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 初めて会った相手に抱かれるなんて、とうに慣れたことなのに。アンバーの心臓は張り裂けそうなほどに脈打っている。本能なのか、羞恥なのか、あるいはつがいという未知の存在に対する恐怖なのか。何にせよ、誰かと身体を重ねるに当たってこんなにも緊張するのは初めてだった。

「っあ――――――!!!」

 すでに何かを噛み切られた感覚があるにも関わらず、彼はアンバーのうなじを甘噛みし続けている。そして後ろからぴったりと身体を重ね合わせて、少しずつ身体の中に入ってきた。燃えるような灼熱がゆっくりとアンバーの中に沈んでいく。こんな状況なのに、負担をかけないよう気遣ってくれているのだろうか。そんな気遣いが嬉しい反面、淫らな身体には正直物足りなくて。逡巡した挙句、彼に強請ってしまった。

「ん、っ…………ねぇ、奥が疼いて…我慢できない……だから、はやく来て……っ」

「――――――っ!!!!」

 びくっびくっと彼の身体が大きく震えた。身体の中が熱く滴るその感覚にまさかと思って、自分の右肩に顔を埋める彼の表情を確認すると切なげな表情で目を瞑っていた。

「…………イッちゃったの……?」

「……貴方が、煽るからっ……っ、く………!!」

「――――っ、ふふ……そんなこと、ある……?」

 恥ずかしそうな様子の彼につい笑ってしまった。身体つきも見事だし、アルファとしてのオーラも極上。でも、彼はおそらく自分より若い。だから、もしかして初めてだったのかも知れない。そんなことを考えて笑みを深めてしまった。相変わらず気が狂いそうなほど身体は疼いているのに、彼の愛らしい反応にどうしようもなく心が満たされていく。これまで寝たどの相手にもこんな感情を抱いたことはなかった。これが、つがいというものなのだろうか。

「お願いだから、忘れて…………次からはちゃんとする、からっ――――く、っ!!」

「あ、ああ!!!――――――っ、気持ち、い――――!!!」

 吐精したにも関わらず、熱さも固さも全く変わらない灼熱に一気に最奥まで貫かれた。

 それからは、凄まじかった。程良く筋肉のついたしなやかな身体は抽挿を繰り返し、アンバーを絶頂へと追い詰めていく。しかも、その度に互いの体液がぐちゃぐちゃと音を立てて混ざり合う。外はまだ明るいというのに、薄暗い薬屋の中で淫猥な音を響かせているという事実が堪らなく劣情を擽る。彼も同じことを思っているようで、腰を打ちつけながらも恥ずかしそうにしているのが伝わってくる。後ろから攻め立てられているせいで彼の表情は見えないのに、なんとなく気配で分かってしまうのが不思議だった。

「――――あああ、んっ………ねぇ、名前……教えて……?」

 すぐにでも絶頂してしまいそうな身体を叱咤して、どうにか言葉を紡いだ。互いにまだ一回しか達していないというのに、喘ぎすぎてアンバーの声はすでに枯れ始めていた。でも、せっかくこうして抱き合っているのだから彼の名を呼びたい。熱に浮かされながらそう思った時、彼に名前を聞いていないことに気がついた。

「――――っは!!ルヴィエ……だ、っ――ー!!!」

「――――ル、ヴィエ………俺は、アンバー…だよ…っあ、ああああ!!」

「――――――っ、アンバー……!!愛して、る――――、っ」

「っく、ルヴィエ!!待、って――――――――!!」

 つがいとなった彼――――ルヴィエは俺の耳元で愛を囁くと、身体を起こしてさらに激しく抽挿を始めた。腰を両手で掴まれて、後ろから強く打ちつけられる。ぐちゅっ、ぐちゅと霰もない音が鳴り響いて、耳まで犯されているような感覚に陥った。どうしようなく彼が、ルヴィエが欲しい。最奥が滾って彼の熱を欲している。そう自覚した途端に、アンバーは限界を迎えた。

「あ、あああ――――――もう、イくっ!!ルヴィエ、ルヴィエ、っ………!!!」

「っく!!私も、もう――――――――アンバー、っ!!!」

 あまりの快感に啜り泣きながらルヴィエの名前を叫ぶ。彼もまた、アンバーの名を呼びながら一際強く腰を打ちつけた。そして、その衝撃で絶頂へと昇り詰める。今まで感じたことのない快感にアンバーは高い声で啼いた。自分の声とは思えない、発情した雌の啼き声が聞こえる。少し遅れてルヴィエの低い唸り声も聞こえてきた。その声に本能を刺激され、彼自身を強く締め上げてしまった。

 その瞬間、ルヴィエの灼熱が身体の中で一気に弾けた。先程の比にならないほどじっくりと、深く熱を注がれる。その熱い白濁を一滴を逃すまいと、秘孔が何度も収縮して――――――その強すぎる絶頂感にアンバーは意識を手離したのだった。


***


 穏やかな波のような揺れと、全てを包み込む温かさ。遠い日に見た春の海を思い出すようなその感覚に意識を取り戻していく。

「……アンバー、目が覚めたの?」

 微睡みの中、少し掠れた艶のある低い声に囁かれた。返事をしようと口を開くが、声が出ない。何の音も発せないまま、唇を動かし続けているとルヴィエが気づいてくれた。

「あぁ、声が出ないのかな。気にしないで、何も話さなくていいから」

 大きな手が額を撫でる感覚に、ゆっくりと目を開ける。夕闇の中、優しい笑みを浮かべたルヴィエがこちらを覗き込んでいた。彼の膝の上に抱えられて、腕の中で眠っていたらしい。

 共に絶頂を迎えた後、意識を失ったアンバーをルヴィエはすぐに抱き留めてくれた。彼に声を掛けられて目を覚ました時には、錯乱してしまいそうなほどの熱が消え去っていた。たった一度、一緒に絶頂を迎えただけだというのに心も身体もこの上なく満たされていて。こんなことは、オメガになってから初めてだった。

 一方で、ルヴィエとは何度でも抱き合いたいような気持ちもあって――――結局、日が沈むまで延々と愛し合った。最後に身体を重ねた時の記憶はほとんどない。ただ、彼が繰り返し名前を呼んでくれたことだけは覚えている。
 
 そして、今。二人は馬車の中にいるらしい。装飾は控えめだが、しっかりとした作りの馬車の中は驚くほどに静かだった。それでも、僅かに揺れてはいるのでどこかへ移動しているのだろう。

「体調は大丈夫……な訳ないよね。身体は清めておいたけど、喉以外にどこか痛かったりしない?」

 心配そうな表情をしたルヴィエにじっと見つめられる。気怠さに包まれてはいるが、鋭い痛みを感じる部分はない。彼の言葉通り不快感もない。肌もさらりとしている。それに、やけに質の良いゆったりとした服を着せられていた。色々と気になるが、声も出ないのでひとまず首を横に振る。その仕草を見て、ルヴィエは微かに笑った。

「そっか、なら良かった」

 彼のブルーグレーの瞳が安堵の色を浮かべる。神秘的な銀の輝きは見当たらないものの、柔らかな月明かりに照らされた彼の瞳も美しい。思わずそっとルヴィエの頬に触れると、彼に手を重ねられた。

「あんなに…その、激しく抱き合った後だから疲れてるだろうし、できるだけ手短にするつもりなんだけど……少し話してもいい?」
 
 ルヴィエはそう告げながら、じわりと頬を赤く染めていく。あんなに濃厚なセックスをしておいて、この恥じらうような反応。自分でもどういう感情なのか判別つかないが、胸が妙にドキドキしてきた。きっと自分の頬も赤くなっているんだろうなと思いつつ、小さく頷く。

「まず、私とつがいになってくれてありがとう。衝動のままに貴方を抱いてしまったことについては申し訳なく思ってる……でも、貴方が私の運命のつがいだってことは一目見た瞬間に確信した。絶対に間違いない。だから、私のそばにいて欲しい。誰よりも、何よりも貴方を大切にすると誓うよ」

 運命のつがい、という言葉に心臓がドクンと音を立てる。身体を重ねる前にもルヴィエはその言葉を口にしていた。それはオメガとして目覚めた後、どうにか自分にも効果のある抑制剤を作れないかと試行錯誤していた時期に知った言葉だった。アルファとオメガの間に存在する特別な絆、互いにとって唯一の存在。そして、その相手と巡り会う可能性は極めて低く、奇跡に近いという。第二の性に関する書物を読み漁っていると必ずと言っていいほど出てくるその言葉は、自分には縁遠いものだと思っていた。

「っ、アンバー…………キスしてもいい?」

 ふと気がつけば、瞳から涙が溢れていた。温かいような、冷たいような感覚が頬を伝っていく。流れ落ちる涙の意味を悟られないように、自分からルヴィエの頬を引き寄せて口づけた。互いの舌を丁寧に絡めて蕩けるように愛撫する。息継ぎの合間に、喉の痛みも忘れて繰り返し彼の名を呼んだ。消えてしまいそうなほどに儚い、吐息のような声だったのに彼は綺麗な顔で笑ってくれて。そんな彼の笑みにつられて、涙を流しながら自分もつい微笑んでしまって。今はただ、何も考えずにこの甘く優しいキスに溺れていたい。アンバーはそう思いながらルヴィエの背に腕を回した。

 そんなキスを延々と紡いでいると、不意に揺れが止まった。どうやら、目的の場所に辿り着いたようだ。仄かな欲望を湛えたルヴィエの顔が離れていった。深い口づけの名残が透明な糸を引く。その淫靡な光景にまた下腹部が熱く疼き始めた。

「そんな顔されたら今すぐにでもまた抱きたくなっちゃうからダメだよ、まずはその喉を治してからね。治癒師を手配しておいたからすぐに治してもらえるはずだよ」

 治癒師、という聞き慣れない言葉に目を瞬かせる。医師や薬師ではないのだろうか。キスの余韻の残る鈍い頭でぼんやりとそう思った。

「あぁ、そういえばちょっと珍しいよね。でも、城には何人かいるんだ。治癒に長けた魔術師や魔女のことだよ。アンバーだって魔力は持ってるでしょ?魔法や魔術には自信があるから触れてて何となくわかるよ。まぁ、残念ながら治癒魔法の適性はないんだけど……できることなら私が直接治してあげたかったな」

 すらすらと事も無げに話すルヴィエを凝視する。気になる発言がいくつもあった。彼の発した言葉の意味を頭の中で反芻しているうちに、ある仮説に思い至って背中が凍りついた。

 ルヴィエが身に纏っている騎士の装いはありふれた意匠をしている。身体もしっかりと引き締まっていて、実に騎士らしかった。重ねられている手だって所々硬い。日頃から剣術の訓練に励んでいるのだろう。だから、彼が騎士であることは疑っていなかった――――なのに、魔法だって?

 この世界において、魔力を持つ者はそれなりにいる。アンバーだって、薬を調合する時は大抵魔力を込めている。そうすることで薬の効果がより強くなったり、特別な効能を付与できたりするのだ。ただ、魔法や魔術が使えるほど魔力を持つ者は珍しい。それこそ、アルファであったとしても魔法が使えるとは限らないのだ。なのに、ルヴィエは魔法や魔術に自信があると顔色一つ変えずに言い切った。それに、アンバーの喉の痛みを鎮めるためだけにわざわざ治療師を呼んだという話。なにより、城という言葉。

 なんだか嫌な予感がしてきた。爽やかな笑顔を浮かべるこの青年は、もしかしてかなり高位の貴族、あるいは――――――。

「そういえば、まだ正式に名乗ってなかったね。俺はルヴィエ・フィル・クロヴィス――――このクロヴィス帝国の皇太子だ」


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