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「入って」

 扉に向けて入室の許可を告げる。自由な二人と一緒にいると忘れそうになるが、この場で最も高貴な身分なのはイリヤだ。

 扉が開かれ、スッと現れたのはシュヴァルツだった。皇帝はいない。

(シュヴァルツが一人でいるのって、初めて見たかも)

 シュヴァルツから挨拶を受けながら素朴にそう思った。皇帝のお世話係のようなイメージがどうしても強いので少し意外だ。

「ご歓談中恐縮ですが、陛下が殿下とルヴィエ様をお呼びです。ご案内いたします」

 シュヴァルツに肯首を返し、スヴェン将軍に一度向き直る。手短に別れの挨拶を告げ、僕はルヴィエとともに席を立った。

「ルヴィエ」

 僕らが部屋を出る直前、将軍がルヴィエの名前を呼んだ。僕の隣に立つルヴィエが静かに振り返る。

「殿下と仲良くなれて良かったな」

「…………うん」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべた大柄な男はルヴィエの返事に満足そうに頷くと「行った行った」とばかりに手を振り払うような仕草を見せた。

 出会った当初のことを思えば、ルヴィエとの距離はグッと縮まったなと僕自身も感じていた。でも、ルヴィエ本人もそう感じてくれているらしいと知ってなんだかそわそわしてきた。ちょっと面映い。

「……こほん。殿下、申し訳ないのですが陛下との謁見前にお伝えすべきことがございまして」

 部屋を出て、シュヴァルツの後について廊下を歩き始めてすぐにそう言われた。そうだ、ぽわほわしてる場合じゃなかった。
 気持ちを切り替え、シュヴァルツの話に耳を傾ける。

「まず、先日のムルク襲撃事件についてですが、顛末については予めゾラを通じてお伝えさせていただいた通りです」

 ムルク襲撃事件とは、言うまでもなく先日皇城で起こった一件だ。あの時、僕は皇子宮でムルクと遭遇したが、実は城のあちこちでムルクが出没し、大騒動となっていたらしい。

 幸い、事態は比較的短時間のうちに収拾した。というのも、常ならば帝国辺境にて軍備を担うベテラン騎士たち――特に先の戦で北方の国々へ赴いたことのある猛者たちが、密かに皇城へ呼び寄せられていたのだ。
 彼らであれば仮に大鹿が出ても、臆することなく適切に対処できるだろうと見込んでの皇帝の采配だった。なんでも先の戦の折に皇帝と将軍、そして北方のベテラン騎士たちはムルク討伐を何度か経験しているらしい。

(念のための措置だったらしいけど、おかげで被害がかなり抑えられたってゾラが言ってた)

 時は遡り、皇都にムルクが現れたつい先日のこと。以前ルヴィエが言っていた通り、あの夜、皇帝と将軍はそれはそれは楽しく酒を飲み交わしていた。しかし部下からムルク出没の報告を受け、二人は酔っ払いながらもはっきりと違和感を覚えたのだという。本来なら帝国で見かけるはずのない生き物が、なぜ皇都に?と。
 たまたま迷い込んだのか?それとも、誰かが人為的にムルクを運び込んだのか?であれば、強大で獰猛な生き物をどうやって?そんなことが可能なのか?
 そして次第に二人はある可能性に思い至った。魔術師が関わっていれば、ありえるのかもしれないと。

 一人の魔術師が扱うことのできる力は大抵一種類。たとえばルヴィエの場合、操ることのできる力は「光」らしい。言われてみれば確かに、ムルクの巨体を弾き飛ばした時、ルヴィエは薄緑の光に包まれていた。
 ただ、幼さのせいなのか、ルヴィエは自分で魔術をコントロールすることができないのだという。本人曰く、自身の身に危機が迫ったときに自動的に発動するだけとのことで、ぶっちゃけ身を守ることしかできないんだとか……どうやら魔術師の力は元の素養だけでなく、心身の成長や経験、知識によって大きく左右されるらしい。
 ただし、ルヴィエの魔術師としての素質はかなり優れているそうで魔術の源となる自然の力――マナを感知する能力は今の段階で熟練の魔術師並みなんだとか。

 そこで、皇帝はふと思いついた。ムルク出没に魔術師が関与しているのならば、ルヴィエを連れて行けば何かしら痕跡を見つけられるのでは?と。

 そんな訳で前回のムルク討伐時、ルヴィエは皇帝の小脇に抱えられ真夜中の鹿狩りに強制参加となった。マナ探知機としてこき使われた挙句、ムルクの肉を食べたいと言い出した皇帝にパシられ、厨房で爆発騒ぎを起こし、散々ネタにされ……ほんとお疲れ様って感じだ。

 とはいえ、皇帝と将軍の予測は当たっていた。討伐されたムルクからマナの痕跡が発見されたのだ。
 それはつまり、ムルクが何者かによって意図的に帝国に送り込まれた可能性を示唆していた。
 
 そして、今回皇城に現れたムルクたちにも同様のマナの痕跡が付けられていた訳だが――

「つい先ほど、責任の所在が公となりました」

「責任の所在?」

「平たく言えば一連の黒幕の正体といったところでしょうか。もっとも、どの単位でケジメを取らせるかは絶賛調整中ですが」

 シュヴァルツは歩みを止めることなく淡々と不穏な言葉を口にした。黒幕だのケジメだの、頭では分かってはいたがいよいよ陰謀めいてきた。

「――事の発端は次期東王の座を巡る後継者争いです」
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