悪役令息、皇子殿下(7歳)に転生する

めろ

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 ページが捲られるごとに、記憶が甦っていく。

(思い出した……そうだ、僕は…………)

 立派な商人になりたくて。
 貴族学園に入学して、殿下と出会って。
 貴族の興味を惹くために、悪役令息だなんて吹聴して。

 ――僕は前世、エヴァレットだった。

 殿下の目論見通り、奇抜な装いの僕は瞬く間に貴族の注目の的となった。面白半分に近づいてきた彼らと親交を持つことでグリューエル商会の名を社交界に広めることに成功した。学園卒業後は貴族たちから本格的に依頼を受けるようになり、商人として充実した日々を送っていた。

 濁流のように過去の記憶が押し寄せる。
 ひたむきに努力した日々に、社交界で脚光を浴びた日々。商人として活躍した日々も。

 驚くほどに上手くいっていた。
 でも、最期は不意に訪れた。

(そう、。仕事の一環で皇妃殿下の生家に訪れた僕は、偶然見聞きしてしまった。それで――)

 息が上がり、汗が止まらない。
 きっと今、自分は真っ青な顔をしている。

 最後のページが捲られたその時、硝子が砕け散るような音が聞こえた。

「っ、イリヤ!!」

 いつも淡々としていた声が、らしくもなく荒々しく叫んだ――ルヴィエがこんな声を出せるなんて僕は初めて知った。

 途端に現実に引き戻される。
 今の僕はイリヤで、ルヴィエと二人で『ジュリエッタ』を読んでいて。それで、何だっけと考えるよりも早く、割れた硝子の破片が視界に飛び込んできた。

 夜の暗闇の中、月明かりに照らされた破片が妙に美しくて、束の間現実逃避のようにぼんやり眺めてしまった。
 しかし、ぬるい風が頬を撫でる感触で僕はようやく事態を理解した。

「え、なにこれ……窓が割れたの?」

 皇子宮の私室の床に、無数の硝子片が散らばっている。

 僕はすぐさま慌てて状況の理解に努めた。
 ルヴィエの希望により僕らは『ジュリエッタ』を一緒に読んでいた。ハインリとイザベラのやり取りを目の当たりにし、どうやらルヴィエなりに思うところがあったらしい。
 夕食や入浴を挟みつつ、どうにか物語も終盤に差し掛かった夜更け。僕は応接用のソファにルヴィエと並んで座っていて、目の前のテーブルには『ジュリエッタ』――ちょうど最後のページが開かれている。そして、床には粉々の窓硝子。

 硝子の散り方から考えて、どうやら外からの衝撃で窓が割れてしまったらしい。誰かキャッチボールでもしていたのだろうか?でも、こんな夜中に?

 身じろぎし、ルヴィエの肩越しに壊れた窓を確認しようとする。しかし、手でグッと後ろへ突き飛ばされた。
 どういうつもりなのかと僕が尋ねるよりも早く、ルヴィエはソファから立ち上がり、窓の方へと身体を向けた。まるで自分の背に僕を隠すかのように。

「廊下へ、ハインリが来る、すぐに」

 ぎこちなく、焦りの滲む声音。
 さっきからルヴィエはどうしたんだろう。

 ふと、パキリとガラスを踏み割るような音が耳を掠めた。窓の外、大きな影がゆらりとうごめく。

(窓の外に、何かいる……?何か、大きな生き物が)

 僕がそう気づくと同時に、廊下へと続く扉がバンッと音を立てて開かれた。そして、その音に反応して大きな影が――部屋の天井に届くほど背が高く、壁ごと窓枠を破壊するほど猛々しい巨大な鹿が僕ら目掛けて駆けてくる。

「っ、は!?」

「殿下!!」

「逃げろ!」

 扉から現れたハインリに腕を掴まれ、廊下へと一気に引っ張られる。ルヴィエの小さな背中がどんどん遠ざかっていく。
 そして、獰猛な獣がルヴィエの目前へと迫った。

「っ、ルヴィエ!!」

 浮遊感の中、弾かれたように名前を呼ぶ。
 僕にはどうすることもできないと分かっていても、そうせずにはいられなかった。

 どんな形であれ、死ぬのは怖い。
 目の前で誰かを失うのは、もっと嫌だ。

 でも、僕はまた繰り返し名前を呼ぶことしかできない。声に出して、心の中で、何度も何度も。
 どうなるかなんて内心では分かりきってるのに、どうしても諦められなくて。

 ――瞬間、暗闇に鮮烈な光に広がった。
 薄い緑が宿された、柔らかな光。ルヴィエを包み込むように現れたその光が、迫りくる獣の身体に触れたその時、その巨躯が音もなく弾き飛ばされた。

 永遠にも感じられる一瞬の出来事の後、巨大な鹿が壁に打ち付けられた衝撃で部屋が音を立てて崩れ始めた。轟音と共に砂埃が舞い、視界を妨げる。目を開けるどころか、息をすることすら難しい。

 それでも、崩落する部屋から僕の身体がどんどん離れていくのが分かった。僕を抱き留めたまま、ハインリが廊下を駆け抜けていく。
 護衛騎士であるハインリは、何を犠牲にしてでも僕を守らなければならない。それが彼の仕事であり、責務だから。だから、守られる側である僕は彼の迷惑にならないよう静かに大人しくしているべきだ。頭ではそう分かっていた。でも、僕は混乱して喚かずにはいられなかった。「殿下、落ち着いてください!」とハインリに身体を押さえ込まれても叫ばずにはいられなかった。

 しかし、僕が過呼吸を起こしかけているのに気がついたのだろう。ハインリは足を止めることなく、こう告げた。

「殿下!いいですか、よく聞いてください。ルヴィエ殿は絶対に無事です。あの光を殿下もご覧になられましたよね?陛下からのご命令で今まで申し上げられませんでしたが、ルヴィエ殿は私同様に殿下の御身をお守りするための存在――あの方は、魔術師なのです!」
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