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作業所「ハトさん」

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  『ハトさん』     
          
 夜が白み始め、やがて昨日と同じ様な、一日が再び始まる。
 主人公の平野誠は、目が覚めて、半身を起して、ベッドサイドにある、金属製のパイプの手すりをつかんだ。
 ……冷たい……
 誠は、手を引っ込めながら、窓の外を見た。
 窓の外に見える木々を見て、夏の頃は、あんなに新緑の緑に溢れ、生気のある木々だったのに、冬になった今では、生気を失った、大地に、むき出しなっている木々の枝の様子が、彼に死後の世界を想像させて陰鬱な気分にさせている。
 誠はフラフラと、家の台所に行って、朝食のごはんを家族と一緒に食べた後、出かける準備を始めた。
 リックサックに、筆記道具を放り込んで、リックを背負うと、誠は、玄関を飛び出して車に飛び乗った。

 誠の向かう所は、世間一般の普通の会社でなくて、精神障がい者達が、集まる所である。
 なぜ、そこに行くのかというと、彼は精神障がい者だからである。精神障がい者は、虐げられた歴史があって、一昔前、ならば、病院に押し込まれて、そこで、一生暮らすしかなかった。
 しかし、最近の精神病の潮流で、精神病を抱えた人達は、病院から出て、一般社会で、健常者と共に暮らす社会にしようと言う、機運が少しずつ高まっている時代だからである。
 ただ、そうは言っても一般の健常者の中には、精神障がい者を、理解が出来ない人達もいて、スンナリトはいかないようだ……。
 そこで、最終目的の社会復帰と病院との間に、ある程度症状の安定した精神障がい者が集まる、中間施設が出来るのは、当然の成り行かも知れない……。
 そういう場所を、「○○作業所」と言って、全国のあちらこちらに出来ている。

 作業所『ハトさん』も、その流れに合わせて、何年も前に開所している。
 そこでは、病状が安定している精神障がい者が集まって、月曜から金曜までの間、内職の作業を軸に、支援員と呼ばれる職員と共に、精神障がい者の抱える色々な悩みに折り合いをつけながら暮している。

 誠は、車のシートに体を沈めて、寒風が吹きつける中、地域活動支援センター作業所『ハトさん』に向かった。
 誠には、夢があった。
 ……立派に社会復帰を果たし、その手に、ビックマネーを掴み、愛する人と共に、幸せに暮らす……
 それは、思った様には、叶わない事に気付かない訳ではないが、だからと言って、代替の夢がある訳ではなかった。

 誠は、確かに、本心では、代替の夢がある。
「リーダーシップ」を発揮して、内職作業の生産を上げて、その成果を、今まで馬鹿にした奴らに叩き付けて見返してやりたいと、思っていた。
 だが、そんな事が、一介の精神障がい者の誠に、出来る訳がなかった。
 それでも、そうする事によって、誠は、「人は変われる」と信じて、どんな風に、変わればいいのかも分からず、細々と、そんな所を目指していた……。
 
 車は、K市の駅前の中心街を外れて、郊外に走って行くと、誠は、程なく作業所の駐車場に到着した。
 建物の周りには、作業所にしている家を貸している、大家さんの畑がある。そこで、採れた青菜を、大家さんが、時々、差し入れしてくれる。そんな、大家さんの作った、雪堀大根は、ビミな味がする。
 大家さんの近所には、精神障がい者の理解がある。

 誠は、そこから少し歩いて作業所の門をくぐると、風除室を通って玄関の引き戸を開けた。そこに、友達の鍋島悠作がいるのを見つけた。悠作は、上着にヤッケの防水コートを、着て、下は、ゴアゴアの茶色のズボンをはいている。
 小柄に見えるやせ気味の体型に乗った頭は大きく、顔は、青い血管の浮き出た広いオデコに、銀縁のメガネをかけて、如何にも賢そうな雰囲気を醸し出している。
「お早う、悠作」
 誠は、中にいた、悠作に挨拶をした。
 悠作は、視線を誠に向けて、にっこり微笑むと……。
「お早う、マコたん」
 そういって、お互いに、朝の挨拶をして、仲良く二人で、休息室に向かった。

 休息室には、3,4人の作業所の利用者がいた。
 その中の利用者の純と光ちゃんが、話していた。
「就活したけど、ダメだった、精神障がい者は、どこにも(会社に)行けないんじゃないか」
 彼は、大きな体を丸めて、両腕を両足の内側収めて小さくなっている。同じ傷を持った、利用者の純が、光ちゃんに、やさしい言葉をかける。
「ここでゆっくりして、また探したら?」
 光ちゃんは、青い顔をして、激昂する。
「そういって、俺は、何年我慢してきたんだよぉ!」
 光ちゃんの激昂が収まると、カクカクと、動きながら大人しくなった。
 光ちゃんの気持ちがわかる、利用者達は押し黙り、その辺一帯に、暗い空気が包んだ。

 その時、休憩室につながる廊下の先の、ロッカー室から、白熱電球の明かりが、休憩室に漏れてきた。
 周りの数人の利用者が、そっちの方を見た。
 そこに、可愛い女の子がいる。
 ここの作業所の人気者の飯島綾香である。
 女性のわりに長身な綾香は、赤と白のラインの入った、フカフカの毛糸のセーターに、暖かそうな裏地のついた茶色のズボンを履いている。
 ここの利用者の中に何人か、綾香の好きな人がいるのを知っている。
 ただ、誠は、綾香とは、年の差があって、年上の彼女との間に距離がある。
「寒いですね」
 綾香の愛らしい、声がする。
 みんなは、綾香に気づいて、口々に親しみを込めた、挨拶をする。 
「あやかさん! お早う」
 満更でもない綾香は、みんなにニッコリと、満身の笑顔を浮かべた。
 彼女の存在が、利用者達の清涼剤になって、そこ老若男女に関わらず、愛らしい姿を見たものは、微笑ましさを感じてさせている。

 綾香さんを好きな人達の中に光ちゃんがいる。ちょっと、太り気味だが、ネガテイブナ・思いが少ないのか? グリーンの色の服を好んで着ている。
 特徴的なのは、光ちゃんの動きが、カクカクしていて硬い所である。
 そして、いつも、静かにしていたかと思うと、「そうですよね、そうですよね……」と、言って、助走をつけて、ラインを踏み切ると、思い切り「ははっは」と、大声で笑い、相手を笑わせようとするが……。光ちゃんは、いつも、そこで、気の抜けた風船のように、力尽きてしまい、再び、大人しくなる。
 たまにしか来ない人たちがいる中で、誠は、悠作、綾香、光ちゃん達が、『作業所ハトさん』に、頻繁に通って来   るので、何となく、彼らと気心が知れている。
 誠は、悠作の隣に座ると、綾香に、そばに来る様に呼んだ。
「あやかさん、こっちに来ないか?」
「ええっ」
 安い女じゃないよと、お高く留まったが、嬉しそうな誠の顔を見て、(何かあるのかな?) 淡い期待をすると、綾香は、誠の傍の少し離れた所に座った。
 光ちゃんは、そんな誠の様子を羨ましそうに見ていた。
「光ちゃんもこっちに来る?」
 悠作が、光ちゃんを誘った。
「はい」
 そういって、カクカクと動きながら、誠の正面に座って、睨み付けた。
 悠作は、この展開を、陰でクスクスと笑っている。
 誠は、光ちゃんを無視して、仲間たちに朝見た、ニュースの話を始めた。
「ニュースを見たんだけど、フィギュア・スケートの大会で、羽生結弦さんが、クルクル回って……」
悠作も話す……。
「そうそう、四回転ジャンプや、三回転、三回転半のコンビネーションジャンプを、決めて優勝したのを見て、とってもカッコ良かったー」
 仲間たちは、「うん、うん」と頷いた。
 そんななか、光ちゃんは誠に対して挑戦的になる。
 助走をつけて、「それがどうしたん」と、でも言いたかったのか?
「そうですね、そうですね」
 そう言って、闘争心を高めて、誠をじっと見た。すると、殺伐とした空気が、仲間たちの辺りに漂って、何か起こりそうな奇妙な興奮を感じ始めた。

 その時、事務所の部屋から電話のベルが鳴った。
 支援員さんたちは、別の対応をしていて、電話のベルは、中々鳴りやまなかった。
 仲間達も、喋るのを止めて電話のベルに聞き耳を立てた。
すると、誠は、そのようすを見て、仲間たちの前でボケをかました。
「今の電話に、電話だけに、中々デンワ……」
 仲間たちは、誠のボケにあ然として、フリーズする。
 すると、悠作が、大きな頭を後ろに、のけぞらせて、「ははっは」と、大笑いすると、仲間達は、顔を見合せて、「あははっは」と大笑いした。
 その事で、光の挑発的な勢いは、風船の空気が漏れて、小さくなる様に萎んでいった。
 作業所『ハトさん』では、何も起こらないのが、何時もの日常だった。

 綾香は、そこで、最近、支援員さんから聞き出した、『作業所ハトさん』のニュースを、仲間たちに言った。
「そういえば、今日、新しい利用者が、入ってくるんだそうです」
「そうなんだよ」
 悠作が答えた。
 綾香は、体をモジモジさせながらコメントする。
「いい人だといいわね」
「うん、うん」
 誠は、綾香の意見に賛同した。すると、カクカク動いている光ちゃんに、仲間たちの視線が集まった。
「そうだね」
 光ちゃんは、それだけ、仲間たちに言って、黙り込んだ。仲間たちの輪は、その後、自然に消滅した。

 やがて、朝の9時45分になると、支援さん達が、事務所を出て休息室にやってきた。
 利用者の人たちも、それをみて、休息室に、集まると、朝のミーティングが始まった。
 みんな、心に傷を持った利用者たちだ……。

 このミーティングをしている休息室には、ベッドが3台、ソファーが2台あって、部屋の中央には、大きな長方形の短足の家具調テ―ブルが収まる、大きな部屋である。
「お早うございます」
 支援員さんの有希さんが、利用者の皆さんに声をかけた。すると、利用者の皆は、元気な声で、「お早うございます」と、返事をした。
 その後、利用者のみなさん一人ひとりに、今日の自分の体調を、「下痢、発熱、嘔吐」が、ないかという、クローズの様子と、オープンな体調の様子「眠れなかった」とか「具合が悪い」とか「体調は、バッチリ」などと話して、姿や声の様子から、支援員さんたちは、利用者のみんなの体調を確認した。
 それが終わると、作業の内容の簡単な説明を受ける。
 説明が終わると、作業所の関連の話をする。カラオケ会や、食事会などの日程や、「ハトさん」を訪れる人達の話が、出ることが多い。
 今日は、朝からじっと座っている、新入りの可愛い女性のことについて、施設長の坂井さんから、利用者の皆に、彼女の紹介が始まった。
 施設長の坂井さんは、彼女を見て微笑む…。
「この人は、小川リサさんです」
 利用者のみんなは、リサに注目した。
 リサは、ふっくらしている体付きに、フードのついたパーカを着て、膝下15センチの赤と黒のチェックの柄のスカートを履いている。
「初めまして、私は、小川リサです、リサポンと呼んでください、好きな事は、絵を描くことと、誰かを応援することです」
「おお」
 利用者のみんなは、リサさんを好意的に受け入れた。
「僕、光です、光ちゃんと、呼んで下さい」
 唐突な物言いだったが、リサは終始微笑みを、絶やさなかった。

 支援員の有希さんが、それを、見届けると、「じゃあ、朝の体操を始めましょう」
そう言って、支援員さんは、「広がれー」と、言うジェズチャーをした。
 みんなは、それを見て、休息室の方々に散らばった。
 今日の光ちゃんは、格別に元気一杯だ……。誠は、体操をすると、体が温まるので、結構楽しんでやっている。
「イッチ、ニ、イッチ、二、……」
 やがて、体操が終わると、誠や仲間たちは、支援員さんたちがする、作業の準備を終えるまで待機していた。

 待機していた誠は、施設長の坂井さんから、事務所に来るように言われた。
 誠は、(何だろう?)と、思いながら、待機していた誠は、他の人達を置いて、事務所に行った。事務所に入ると、窓際に、長足のキッチンテーブルと、その壁に沿うように、パソコンや書類の棚に、個人情報の書類が無造作に並べてあった。

 施設長の坂井さんは、早速、誠に、話を切り出した。
「他の人に指示を出して、勝手に動かさないでください、支援員でもない、利用者の貴方が言うと、『何だ、支援員でもないくせに…』と、思われて、みんなに嫌われるわよ」
 誠は、その事を聞いて、「ハッ」として、施設長の坂井さんを見上げた。
 ……リーダーの真似ごとをしていた自分の行動が、そんな風に映っていたのか……。
誠には、その事実を直ぐには、受け入れられなかった。
 施設長の坂井さんは、誠にそれだけ言うと、行ってもいいと云う身振りをしたので、誠は、事務所を出た……。
 「ちっ……」
 誠は、施設長の坂井さんの言葉に怒りを感じた。

 そこで、休息室のソファーに座っている悠作に、この怒りをどう思うか? 聞いてみることにした。
「悠作、ちょっと来てくれる」
 誠は、支援員さんに言われて、テーブルに新聞を広げて、作業の準備をしている、悠作を呼んだ。
「何々、マコたん」
 悠作は、大きな頭を揺らしながら、誠の傍にやって来た。傍に来ると、メガネを指で整えた後、ジッと誠を見た。         
 誠は、悠作に言った。
「あのう、さっき、施設長さんから、皆に指示を、出すと、嫌われるって言われたけど、どう思う?」
 悠作は、「そうだね」と、ストレートに答えた。
「えっ」
 誠は、その返事の様子に、唖然として、頭が真っ白になると、「ひとは変われる」と言う、「誠の想い」の壁と、なって立ちはだかった。誠は、その壁を、越えられず、「変われない」現実に、打ちのめされて、利用者の皆に働きかける、リーダーシップをしなくなった。
 
 それからというもの、誠は、周りに干渉しない様にして、何事もないような毎日を、送っていった。

 ところが、利用者の新人のリサが、誠の仲間達の所に来るようになると、どこかから聞いたのか? 誠が、ボス・キャラになりたいと思っていることを、知って、誠を捕まえて、ボス・キャラになる様にと、迫まってくる様になった。
「貴方、自分のやりたいことは、やらなきゃダメよ」
 誠は、リサの話を聞きながら、やりたいことがあっても、やっていいことと、やってはいけないことが、あると、思うのだけど……。リサは、「ぷっく」っと膨れて、誠を非難する。
「根じょうなし、何のために生きているの?」
 誠は、素直に答える。
「分からない」
 そこで、リサは、宣言した。
「貴方、ここのボス・キャラになりなさい」

 誠は思った。
 ……ボス・キャラかぁ、悪くない……
 誠は、リサの剣幕に押されて、リサと二人三脚で、ボス・キャラを目指す事になった。

 そこで、誠は、手始めに、支援員さん達のする作業の準備を、勝手に、代わりにするようになった。
 誠は、そうして、作業の準備の手順を理解したら、仲間たちに声を掛けて手伝ってもらうつもりだった。
 誠は、作業の準備をしながら思った。
 ……これは、仲間たちの仕事ではないかもしれない……
 それから1、2か月位経った頃、一人で準備をしている、誠の様子を、みんなは、不思議そうに見ていた。
 やがて、誠は、学習した。
 ……手順はわかった……

 そこで誠は、人の良さそうな仲間達に声を掛け始めた。
「手伝ってくれませんか?」
 すると、綾香ちゃんが答える。
「はい」
 二人は、楽しそうに作業の準備をした。
 準備が終わると、誠は綾香にお礼を言った。
「ありがとう」
 そう言って、誠は綾香に、にっこりと、ほほ笑んだ。支援員のソルトさんは、そんな誠を苦々しく思っていた。
「誠さん、アンマリ、周りの人達を、自分の思い道理に、動かさないでください」
「いいじゃん」
 誠は、支援員さん達の事なかれ主義を、眉をひそめて聞いていた。

 そんなある日、光ちゃんは、仲の良い綾香と、誠について感じたことを言いあった。
「誠の奴、ちょっと、偉ぶっているよね」
「まあまあ……」
 綾香は、にっこり笑ってその話を濁した。

 誠は、作業所『ハトさん』の仲間たちにとっては、3年しか経ってない、新参者と云うだけでなく、それ以上の何か、悪い所があるようで、彼らの心を何故か? 不快にさせていた。更に、リサと組んで、ボス・キャラを目指している事が、彼らとの間に大きな軋轢を生んでいた。

 いつものように、空気の読めないリサは、誠を見つけると、「こっちに、おいで」と、言って手招きした。
 誠がリサの傍に行くと、リサは、上機嫌で話し出した。
「おい、誠、リーダーシップの本に書いてあったぞ、褒めて、叱って、励ましてってねぇ……」
「……」
 誠は、リサの言う、ボス・キャラになる為の硬い話もいいが、リサを自分の彼女にして、一緒に楽しく、「恋人ゴッコ」したい気持ちもあるのだが……。
 そこで、誠は、リサに言った。
「リサポン、その淡い色のズボン素敵だね」
「そうか」
 リサは、誠の脱線する話が、リサの硬い話のバランスを 取り、満更でもなく喜んでいた。
 誠も、ちょっと変わった、リサに心奪われていた。
 誠は、そんなリサを見て思った。
……リサのことが、少しづつ、好きになっている? ……
 そして、もっと、誠の仲間たちとも、もっと深い、仲間同士の付き合いをしたいと、勝手に考えていた。
 そして、なれるのなら、誠は、ボス・キャラになって頂点に立ってみたいと妄想を膨らませた。

 そんな誠には、親友の悠作がいるが、リサとの相性が悪いのである。誠は、賢い悠作を、相談相手にしようとするが、誠の気分が乗ってくると、悠作は、勝手に休もうとするので、深く付き合おうとしても、思うほど当てにはならなかった……。

 リサは、放っておくと、周りの環境に配慮しないで、重戦車の様に、誠と一緒にボス・キャラを目指して、勝手に驀進して、進んで行くようになった。
 しかし、リサと誠は、ものすごい精神エネルギーを消費した割に、満足な結果を得られなかった。
 誠は、その結果が不満だった。

 すると、リサは、何処から、持ってきたのか? 誠に一冊の本を差し出した。
 でも誠は、リサの持ってきた『リーダーシップ』の本に、書かれたように、ボス・キャラを目指す気になれなかった。
 リサは、肩を怒らして興奮している。
 誠はリサに聞いた。
「リサポン、これでホントにいいの?」
「これでいいのよ」
 リサの話は、きっと、何かおかしいのだが、リサの説明を聞いていると、誠は、自分の力が足りないのだと、思って、何とか、リサの期待に応えようと、更に、頑張った……。
 そんな様子を見かねた支援員さんの一人のソルトさんが、気に掛けると誠に注意した。
「誠さん、本のようにはいかないのよ」
 ソルトさんは、無表情に流すように言った。
 誠は、自分が、支援員のソルトさんに一度否定されると、誠の全人格の全てが否定されたという思いになって、言われたことを、理解することが出来なかった。
 誠は、その事を、リサに話すと、「ソルトさんの言う事は、違うわ」と言って、言葉を濁すばかりだった。
心が折れた、誠は綾香に、つらい気持ちを打ち明けた。
「みんなのためだったのに……」
 すると、綾香は、可愛そうな人を見る様な顔をしてその場を離れた。
 誠は綾香に、すがった自分に憤慨した。
 ……自分は、こんなに、情けない人間だったのか? ……

 誠は、家に帰って一人で考えてみると、知識と現実は、少し違っている事を理解していった。
 誠は思った。
 ……ボス・キャラを目指すからいけないんだ。これからは、皆の一段上に立って、声掛けするまい……。
 そこで、悩んだ末、今までとは違う方向に、方針転換することにした。

 誠は、次の日、作業所『ハトさん』で、おっかなびっくりしながら、言葉を選んで話しかけていた。
 誠は、一つ一つ、納得できる言葉を、確かめるように、支援員さんの人達に言われたことを守りながら、作業全般でなく、自分の作業に限定して、声をかけた。

 綾香は、今まで作ってきた、作業所ハトさんの雰囲気を、壊すような誠の行動を、何処かで憎んでいた。
 しかし、これからどうなるか、彼らの行く末を見てみたいとも思っていた。実は、綾香は、誠の行動力を、買っていたのである。

 そんな中で、作業が終わると、支援員さんのソルトさんは、誠が、良く使っていた『ありがとう』の声かけを、支援員・特権でするようになった。
 それは、やがて、支援員さんたちの方針が、ほめて伸ばそうとする流れに、向かっていった。
 その事で、作業をしている場の空気が良くなっていった。
 そのきっかけを作った、誠は、支援員さんたちから、褒められる事はなかった。
 誠は、何だか、疎外感を感じた。
 誠は、その心を抑え込みながら、頑張った。
 この経験をきっかけに、誠は、仲間たちと一緒に成長する「癒し・キャラ」で、行こうと考える様になった。

 そんなある日、博学な悠作が、誠が、心を入れ替えた事を、感じて一冊の本を貸した。
「マコたん、この本読んでみる?」
「いいの?」
 その本は、機能的な記録の付け方であった。
 誠は、その本を元に、他の人達の優れた点を記録して、その点に関連する本を漁って、その事について研究して、自分の行動に、取り入れようと考えた。

 その事をリサに伝えると、リサは憤慨した。
「思いついたら一直線、初志貫徹しなきゃダメじゃない」
 誠は言った。
「可能性のないことにエネルキーを、つぎ込むわけには、いかない」
 リサはハッとした。
 ……そんな事を言った、人が、いたっけ、その人は、私に、そんなに強くなくたって、いいじゃないって……
 リサは、ガクッとうなだれて、「いつでも良いから、困った時は、相談に乗るから話して……」
 誠は、「うん」と、寂しそうに一つ頷いた。

 その頃、綾香は、支援員さん達から、誠達の極秘情報を、入手していた。
 それによると、小川リサは、猪突猛進な頑固者で周りとトラブルを起こす、トラブルメイカー……
 鍋島悠作は、有名大学を中退、学はあるが行動力が無い…。
 光ちゃんは、事なかれ主義で、人畜無害……。
 所が、平野誠は、プチ・リーダーシップはあるが、極度の秘密主義で、どのくらいの力があるかは、こちらからは、はっきり読み取れない……悪い事を一杯しているが、その都度、上手く切り抜けている。
 そのレポートには、そんな彼らの情報が記されていた。
 綾香は思った。
 ……この「誠」ってひとに、ちょっと、興味があるわ……食事に誘ってみようかしら? へへっ……

 誠が目指した、ボス・キャラから、ちょっと性格が違う、癒しキャラに、鞍替えするには、克服すべき点がある。
我が身を振り返ってみると、自分のコミュニケーションは、難があることに気付いている。
 記録の付け方の本を、「悠作」から借りたので、試しにそれを使って、コミュニケーションの能力をアップさせることについて、記録を付けながら学ぼうと考えた。

 そこで、白羽の矢が立ったのは、施設長の坂井さんの話し上手な様子だった。
 誠は、早速、ランダムに、施設長の坂井さんの素敵な仕草について、思った事を、メモやノートに記録し始めた。
 そんな様子を光ちゃんは、拒絶反応を起こして見ていた。
 光ちゃんは、誠に言う……。
「そんな、簡単に、性格なんて変えられない……」
 光ちゃんは、知っている。
 ……そんな記録を付けたって、それを、生かすことなんて出来る筈がない、それは無駄だ……
 光ちゃんは、そんな事をする誠をバカにしていた。
 誠は、そんなことは、お構いなく、簡単な記録を付けて、分析する事を繰り返した。
 まず、誠が、最初に気が付いたのは、話を最後まで聞き、途中で話の腰を折らないこと……頷きながら、「うん、うん」や「うん~」と、頷きながら、相槌を、打って、相手の話したい気持ちを引き出すこと……。

 それらは、昔から言われていた事なので、簡単に、納得する事が出来た。
 しかし、ここからが難しかった。これだけでは、会話が続かないからだ……。
 誠は、施設長の坂井さんの素敵なところは分かるのだが、どういう仕組みなのか? 分からず、自分の中に、上手に取り入れることができず、袋小路に入っていた。

 そんなある日、誠は、悠作に声を掛けた。
「悠作、聞いて欲しい……」
 悠作は、こっちを見て、にっこり笑った。
 今日の悠作は、珍しく落ち着いているので、誠は、安心して隣に座った。誠は、悠作に、早速、コミュニケーションについての考えを求めた。
「悠作、話し上手になるには、どうすればいいんだろうか?」
「?」
 悠作は、一つ首を傾げた。
「話し上手になるには、意識をもって経験を積むしかないよ……」
「!」
 誠は、「この手のやり方に、王道はないんだな」と、思い、悠作の指摘を受けて無い知恵を、集めて自分で、正解を導くべく考えを練った。
 その頃、会話の本を読んでいて、共感の言葉、「ホントだね」「分かる」「確かに」という言葉を使うと良い事を知った。
 更に、「凄い」とか「嬉しい」という感動する相槌も、あることも……。

 しかし、頭の悪い誠は、それらを上手く取り入れることが、中々出来なかった。
 そこで、施設長の坂井さんの素敵な会話の進め方を、取り入れ様と、観察をすることを続けた。
 やがて、少しずつ分かってきた。
「うん、うん」や、「うん~」と頷いたり、「~ですね」と、オーム返しをしたり、「そうですね」、「そうなんですね」と、相槌をうって、相手の話を、しっかり受け止めている事に、気付いた。誠は、話し上手の良い点を素早くメモした。

 そこで、誠は、これらを使える様にする為に、光ちゃんと話して、経験を積むことにした。光ちゃんに白羽の矢を立てたのは、話し好きで多少迷惑をかけても、許してくれそうな人なつこさが、彼にあったからだ。
 誠が決断すると行動は早かった。
 そんな、ある日、誠は、作業室のテーブルに座っている、光ちゃんに話しかけた。
「今日の、漬け物切りの作業はどうだった?」
「うん、大変だった」
「うん、うん」
 誠は光ちゃんに、うなずきながら言った。
「そうだね」
「……」
 誠は思った。
 ……ミスった・・・・・
 誠は光ちゃんと話しながら、会話がしっくりこないのが、不満だった。
 何度かやってみて、共感の相槌である「ホントだね」や「分かる」や「確かに」と、言う、フレーズを取り入れて話したが、思った様にいかなかった……。

 そこで、誠は、会話のことにつての本を読んだ。
「会話は、気持ちと気持ちの交流だ」と書いてあった。
 誠は、そうなんだと思い、感情を伝える相槌、「良かったんじゃない」、とか「嬉しかったんじゃない」という、言葉を、意識して使おうと考えた。
 でも、どうしても、最後の壁を超えることが出来なかった。
 結構、良いところまで来ているんだが、合格点まで至らなかった。
 誠は、合格点にいかないことに困惑して、自分は、価値のない人間のように思えた。
 ……私は、ダメな人間なのか? ……
 誠は、また、袋小路に陥ってしまった。

 そこで、この窮地を突破するために、博学な悠作に再び、アドバイスを求める事にした。
 悠作は、大きな頭をくらくらさせながら、休憩室のソファーに、座っていた。誠は、その隣に座って、やる気のなさそうな悠作に、話しかけた。
「悠作、話をして良いかい」
 悠作は、誠を見て、つまらなそうな顔をした。
「いいよ」
「はい、それでは……」
 誠は、悠作に、疑問をぶつけた。
「私の聴き方が、上手に出来ないんだけど、それをどう思うか? 聞かせて」
 悠作は、やれやれといった感じだった。

 誠は、素早く、メモ帳を取り出した。
 誠は、考えていたことを、メモにした紙を、見せながら、悠作に、一生懸命になって話した。
 悠作は、そのメモを見ながら、少し考えた後、慎重に口を開いた。
「人って言うのは、自分の話を聞いてもらいたい生き物なんだ、「それ、どうゆう事?」「もっと聞かせて」「それ、教えて~」と、言って、一段下がって、相手のかゆい所を、見つけて、話を引き出すことが大切なんだ」
「うん!」
 誠は、悠作のアドバスに、突破口を見いだし胸躍る心地がした。

 その数日後、誠は、光ちゃんと話をして、アドバイスの効果を確かめることにした。
 作業の終えた後の休憩室で、光ちゃんを誘った。
「光ちゃん、ガンプラの「百式」買ったんだって」
「うん」
 二人は、ソファーに座る。
「ハイグレードの奴で、武装が充実している良い奴だ」
「へぇ~凄いね!」
 誠が驚いた後、光ちゃんの声が大きくなった。
「可動範囲が多くて、色々なポーズがとれるんだよ」
 誠は、オーム返しをする。
「ホント、それ色々なポーズがとれるんですね」
「うん、とっても、かっこいいんだ」
 誠は、質問する。
「ガンプラは、他にもあるんですか?」
「うん、3体ある」
「3体あるんだ、……凄いね!」 

 誠は、話を掘り下げる……。
「ガンプラについて、もっと聞かせて……」
「ガンプラはね、作るだけじゃなくて、飾って眺めると、気分が、いいんだ……」
「分かる」
「こいつは、指揮官タイプの奴で、人気があるんだ、でも、あんまり飾る場所がないけどね」
「ガンプラを、戦う様子にして、かざりつけるのは、いいもんだね」
「ははは」
 その後、会話は延々と続いた……。
 誠は、光ちゃんとの会話が、上手くいき、宿願だった、話し上手のコツをつかんだ。
 しかし、それでも、合格点をはじき出し、壁を超えることが出来なかった。

 リサは、最近活発な誠に元気をもらい、リサもリサなりに、コミュニケーションの研究をしていた。
「マコたん、相槌を使いこなせば、話し上手になれるかな?」
「出来るよ、リサぽん!」
 リサは、誠に「うん」と頷いた。
 お互い同士である事が、二人の間に、友情から淡い恋心となって深まっていった。
 周りから見ると、ちょっと可笑しな二人だった。
 一方の悠作は、今日も貧血気味なのか、皆と話をするが、億劫らしく何となく怠惰な様子だった。
 綾香と光ちゃんは、音楽関係の軽い話をして楽しんでいるようだった。それは、いつもと変わらぬ日常だった。

 所が、誠の変化は、事務室の内で話題になっていた。
「最近、誠さんが元気になったね」
「そうね」
 支援員さんの有希さんは、心配そうに言う……。
「コミュニケーションのやり方を、勉強している見たいだけど、周りの人たちに、それを強引に、広めようと、周りの人巻き込んで、騒動を起こさないといいんだけど」
「確かに」
 支援員さん達は、施設長の坂井さんの一言に頷くと、お互い「そうね……」と言って、誠の状態を推し量った。
 ソルトさんが暗い顔をして言う……。
「誠のことは、猪熊さんが、黙ってないでしょう……」
 施設長の坂井さんは、思った。
……猪熊さんかぁ……
 施設長の坂井さんは、「ふー」と、一つ溜息をついた。
 その頃、誠は、自分が、事務所の中で、注意すべき案件になっている事は、知らなかった。

 そんなある日、綾香が、ふらっと、誠たちの所に来ると、話しかけた。
「誠さん、最近、病気がよくなったんじゃない……」
「そうかな?」
 綾香は、目を大きくして、誠を、不思議そうに見ていた。
 どうやら、綾香は、最近活発になった、誠の秘密を、探りに来たようだ。

 綾香は、誠に尋ねた。
「会話が上手になったね、マコたん、私にも話上手になる方法を教えてよ」
 誠は、綾香の様子を見ながら、どう答えていいか? 考えていた。そこで、誠は綾香に、正直に言った。
「話し上手になる方法は、まだ、良く分からないんだ」
 綾香は、誠の答えに、期待が外れて一人憤慨すると、「はぁー」と、溜め息をついた。

 可愛い綾香とは、何度か、楽しく話をすることがあって、リサのヒンシュクを買ったが、年上の綾香とは、フレンドリーな付き合いをする仲になった。

 誠は、その流れとは別に、ずっと頭を悩ませていた、困った癖について、自分なりに工夫して、克服することにチャレンジした。それは、誠が、相手に、敵対すると、暴言を吐いてしまう癖を、漫画の様に、切り返して、その欠点を無力化することだった。
 その狙いは、敵から、自分の心身や守りながら、相手の出鼻をくじいて、煙に巻くやり方である……。
誠は考えていた。
 ……脅しとは何か? 「何か」あって、それに、対して、軽く脅して、「ふん」と言いながら、相手をいなして失笑して煙に巻く……。 
 ……それは知っている……
 誠はそこで、深く息を吸い込んだ。
 ……じゃあ、その「何か」って、どう捉えるのだろう? …
 誠には、脅しを利かせる仕組みが、分からなかった。
 誠は、知っている。
 ……憎しみや復讐心ではなく、また、恐れたり、萎縮したりすることが無いのなら、言われたら言い返し、やられたら、やり返し、力で負けたら、知恵でやり返す、こうしたぶつかり合いが、自然の働きであり、そこから、お互いの理解や友情が生まれるという……
 これは、仏教の本に書いてあった。 
 そんな誠は、その考えを元に、脅しについての仕組みを、解明しようと考え続けていた。

 そんなある日のことだった。
 お下劣な人達が、昼から卑猥な話を始めた。
 誠は、こういった話が苦手だった。
 誠は、何時もの様に、その場を離れようとしたが、「逃げるのか?」と、言われ、お下劣な人達に難癖をつけられて、それが出来なかった。
 誠は、下を向いて、フリーズしていたが、ふと、「○○さん、それは、ちょっと、気持ち悪いな……」と言った後、相手の顔をキッと睨んだ。
 気まずい沈黙の後、「ふん」と、言って、相手を、いなして、失笑すると、『ちょっと、君とは違うぞ』と、言うところを、見せつけた。
 誠は、その経験から、誠は、「何か?」と、言うのは、無理難題や拒否の事であることを知った。
 やがて、そういった衝突を、容易に起こせる、女性が良く使う、「ちょっと、……何それ、最悪っ!」と、言う、言葉の武器を覚えると、誠は、身を守る事が、出来るようなって、作業所『ハトさん』の中で、頭一つ、抜きん出ていった……。

 ある日の事、光ちゃんが、誠に、感嘆しながら言った。
「マコたん、変わったね」
「そうかなあ?」
 誠は、みんなに、羨ましがられて、恥ずかしくなった。
 長方形の大きなテーブルに、光ちゃんや、綾香ちゃんや、悠作、そして、リサと、誠が、集まった。
 すると、誠の考えた、コミュニケーションについて、話が始まった。光ちゃんが、誠に、不思議な様子で言った。
「マコたん、話し上手になるにはどうすればいいの?」
 リサは、光ちゃんの話を聞いて慌てた。
(聞きたいのは私の方だ)とばかりに、光ちゃんの席を、割り込んで、押しのけながら、誠の近くに行った。
 でも、可愛い綾香は、静かに、そんな様子を遠くから興味深く見ているだけだった。
 誠は、皆に、控えめに話し始めた。
 「相手に、挨拶や、関心を寄せて、話す切っ掛けを、作るんだ、話が、始まったら、「うん、うん」と、言う頷きや、「そうなですね」「そうですね」と、「~なんですね」と、相槌を打って、話を受け止めながら、相手の話をじっくり聞くんだ……その後、スパイスとして、「分かる」「ほんと」「確かに」って言って、相手の話に共感するといいんだ……」
誠は、少し戸惑いがあった。
「そして、出来るなら、話の深堀をする「それ、どうゆう事?」、「その後どうなったの?」「それ、どうしたいの?」、「その話もっと聞かせて」、「それ、教えて」と、そんな風に、言って、相手に対して強烈な関心を持つ事が大切なんだ……」

 悠作は、そこで、重要なポイントを話す。
「大切なのは、話は、「こう言おう」と、考えるんじゃなくて、感じる事なんだ……相手の気持ちに注意を向けて、話を聞きながら、何かを感じたら、それを、表現するだけでいいんです……」
 リサが補足する。
「相手に思いを伝えるには、何も、言葉だけでなく、感情を伝える為の擬音である『ああ~』、『おお~』『えぇ~』などがあって、そこに言葉を、それに、加える事によって、会話を、盛り上げ、実り合うものにするのよね……」
「そうなんだ」
 光ちゃんは、驚いた。
 誠は、「ウン」と、リサの話を聞いた後、悠作の締めの話に耳をそばだてた……。
「そうね、その相手の話に、自分の体験の似たような話をする「自己開示」すると、相手との間の距離が、ぐっと、縮まるんだけどね……」

 悠作は、細い指で頭を掻いた。
「それは、確かに、聞くのも大事だけと、話す事も大切だ、確かな言葉で、自分の立場を守り、相手に、自分の考えや、思い伝えて、相手の知恵や力を、借りて、自分の人生を、  より良いものにする為には、とっても、大切なんです」
 仲間たちは驚いた。
「へぇー」
 悠作は、自分の持っている知識を、披露できて鼻高々だ。
 「凄い……」
 光ちゃんが言う…。
「悠作は、傾聴の技術を持っていたんだね」
「嫌々」
 悠作は照れていたが、仲間達は、悠作の知識に、目を大きく開けて「凄い、凄いぞ」と、驚く、ばかりだった……。
 誠は、その様子を見て思った。
……今みたいに、悠作の持っている知識を、もっと、仲間達と築く新しい世界の為に、使ってほしいな……
 仲間たちは、輝く未来を想像して、思わず、嬉しそうな微笑みがこぼれていた。
だが、彼らは知らない、誠を主軸とする仲間達を、懲らしめようとする、猪熊とその仲間達の敵意が、満ちている事に……。

 綾香は、支援員の人達と協力して、今のような雰囲気を、発展・持続をさせる為には、どうすればいいのか? データを取っていた。
 誠を取り巻く状況は、段々、複雑化していった。

 作業所「ハトさん」には、以前に支援員のソルトさんが、心配していた、禿げた頭にヨレヨレの紺色のジャンパーを、着ていて、朝食べた食べ物の残りカスが、ズボンについて、茶色くしみ込んでいる男が、作業所「ハトさん」に来た。
その、不潔な男を、猪熊と言う……。

 猪熊は、作業所『ハトさん』の仲間たちに対して、恐ろしい様子で接して、言葉汚く罵ってくる。
 そして、仲間の同士で話をしている時に、無関係の猪熊が、何の前触れもなく彼らの話に割り込んで、勝手に話を仕切ろうとする。
 そして、その話の主導権を握ると、猪熊は彼らを怖がらせながら、声高に自己主張して、自分の意見を、相手に無理やり飲ませる。
 作業所のみんなは、そんな猪熊の行動を、不快に思っていた。仲間みんなは、猪熊の事を、残飯を漁る汚い奴で、突然、訳もなく怒り狂って突進してくるイノシシみたいな奴だと、思って、心ひそかに、馬鹿にしていた。

 だが、猪熊は、仲間たちの皆からバカにされている事に、気付くことはなかった。
 そんな、猪熊が問題になるのは、今まで、新潟の厳しい寒さに負けて、ここに来ることはなかったが、最近、暖かくなり、何かと、作業所『ハトさん』に、やって来る様になったので、何かと問題化する様になったからだ。

 誠は、ある日、異変に気付いた。
 ……おや? 何か騒がしい……
 どうやら、また、猪熊が、誰かを狙らって、誰かと、争っている気配がする。
「馬鹿野郎、俺の言うことが聞けねぇのか?」
「……」
 どうやら猪熊が、作業所のみんなの中の一人のクロウと、もめているようだ。
 猪熊は、一方的に、クロウに因縁を付けていた。
「おめぇは、何てことするんだよ、イライラすんなあ」
 クロウは、怖がっていた。

 猪熊の目的は、作業所『ハトさん』で、ボス・キャラになって、作業所の皆を、恐怖を源泉とする力で、支配することだった。
 猪熊は、格下に見ている彼らを馬鹿にして、彼らの価値を、無理やり落とす事によって、相対的に、仲間達の上に立って優越感を感じていた。
 そんな、猪熊は、下等な喜びを感じる為に、飽きもせずに皆をバカにする事を、繰り返していた。
 何故そんな事をするのか?
 それは、例えて言うと、誰かが、手を掛けて丹精込めて耕した、幸せの大地に実った果実を、猪熊が、耕した人たちの了解も無く、暴力的な力で奪い取って、自分だけ幸せになる為である。
 猪熊の夢は、このような事を繰り返して、作業所『ハトさん』で、一番の幸せ者になる事だった。

 そこで、猪熊が、目を付けたのが、誠達が、一生懸命に作った、幸せの果実だった。

 しかし、猪熊の誠たちのその果実を奪う企みは、何となく阻まれていた。
 猪熊の企みの障壁になったのが、誠と、その仲間たちが、集まった群れだった。
 猪熊は、思った。
 ……誠の奴は、何かと目障りだ……
 猪熊は誠を、潰す決意をした。

 そこで、猪熊は、戦闘員を集める事にした。
 とは、言っても、子飼いの信義と寅蔵だけだが……。
 猪熊は、そこで、二人を招集した。
 猪熊が誠たちと、戦える様に戦闘準備を整えた、ある日の事である。作業室で、お昼の食事を終えた後、そのまま、一時間の休憩時間になると、支援員さん達は、事務室に引き上げた。

 すると、作業室は、人もまばらで閑散となり、猪熊達が、ここで戦いを仕掛ける、最高のお膳立てが出来ていた。
 この舞台は、作業所の建物の中で、一番大きな部屋になっている場所だ。
 そこは、台所の流し、や、冷蔵庫、最新式のオーブンや、テーブルや椅子がいくつもある多目的室である。
 そこは、作業する場にもなっている。
 蛇足だが、作業室の外にある風除室は、タバコの部屋になっていて、喫煙者が、そこで、寒さに震えながら、毎日、スパスパとタバコを吸っている。

 一方の誠と、その仲間たちは、静かな休息室に集まって、楽しく雑談しながら、今日の疲れを癒していた。
「疲れたね、お疲れ様……」
「はい」
 男性陣は、今日の疲れに、それだけ言うのが、精一杯で、体が思う様に動かず、疲労困ぱいだった。

 そこに、嫌われ者の猪熊が、誠のそばにやってきた。
 すると、猪熊は、誠に因縁を付けて、戦いを挑んできた。
「おう、誠! 好い気になっているなよ、ちょっと、コッチに来い……」
 誠は、突然の事で驚きながら振り向くと、青筋を立てた猪熊の顔を見た。
「声が大きいですよ、みんな、ビックリするじゃない」
「ふん」
 猪熊は、誠の反撃をやり過ごした。
 ところが、傍にいた、悠作は、取りあえず、丸く収めようと、猪熊に、「あのう……」と、声を掛けた。
 すると、猪熊から「馬鹿野郎」と、余計な因縁をもらい、悠作は、猪熊の雄叫びの恐怖で、全身が硬直すると、オデコの筋から幾筋もの冷汗が流れていた。
 それは、まるで、蛇に睨まれた蛙である。
 そんな、悠作を見て、誠は思った。
 ……悠作は、こうゆうのには、向いてないんだよなぁ……平時に強くて、戦時には、弱い性格だもんなぁあ……
 そこで、誠は悠作に、光ちゃんと綾香を連れて後方の別室へ後退するように言った。
 すると、悠作は、了解して、光ちゃんと綾香を連れて別室の部屋へ後退していった。

 猪熊の招きで、大きな部屋の場所に行ったのが、誠とリサだった。
 誠は思った。
 ……まだ、これなら一対二で、数で押せば、この危機を、乗り越えられる……
 でも、猪熊は、涼しい顔をしている。
 ……俺の強さを思い知らしてやる……
 そう思って、猪熊は、自分の不利な状況を、コレポッチも、気にかけないで悠然と構えていた。

 誠は猪熊に文句を言った。
「自分のことばっかり、言うなよ、それは、自分勝手な話じゃないか?」
 誠は、必死に抵抗した。
 そして、リサが誠を援護する。
「そうよ、マコたんが、どれだけ苦労したと、思ってるの」
 猪熊は、自分勝手な理屈をこねる。
「力の強い者が、天下を取るんだよ、勝てば官軍ってばよ」
「……」
 二人は、猪熊の勝手な言い草に、呆れていた。
 猪熊は誠を、猪熊の力でねじ伏せられれば、一番良いが、そうでなくても、ここの権力者は、俺だと、作業所の皆に、印象付ければ、それでよかった。
 何故、そんなことをするのか? 精神障碍者だからだ。

 そこで、決定的な差を、猪熊は、誠に見せつける事にした。
 猪熊は、叫んだ。
「おい、野郎どもこいつ等に、顔を、見せてやりな……」
「おお」
 奥に控えていた信義と寅蔵が、鉄仮面の様に、無慈悲で残虐な顔をしながら、「オメぇは、嫌いだぜぇ」と、言う気持ちを前面に出して、前線に突如として現れた。
「……」
 これには、さすがの誠とリサは、驚きを隠せなかった。
……こんなに、強い人達が居たなんて……それに、他にもまだ居るかもしれない……猪熊は、なんて強いんだ……

 すると、猪熊達は、動揺している誠とリサに、向かって、束になって、総攻撃してきた。
 信義が吼える。
「誠、おめぇは、目障りなんだよ、愚図は、愚図らしく、大人しくして、ハジケルんじゃねえぞ」
 誠は、思わず口をかむ。
「ぬ」
 すると、寅蔵が、猪熊の優等性を称える。
「この猪熊様は、この施設を作るとき、猪熊様の親様が、莫大な寄付をしたんだぞ、お前なんかに、それが出来るか、『けっ』、足元にも及ばなぜぇー」
 猪熊は、二人を見て、ご満悦だった。
 最後に、猪熊が、二人を脅した。
「オメぇたちは、何がしたくて、そんな事をするんだってばよ、それは、やがて、みんなの負担になって苦しむことになるんじゃないか? でばよ……」
 誠は猪熊の言葉に、迷いが生まれた。
……俺がしてきた事は、みんなの負担だったのか? ……
誠の迷いは、辛うじて保っていた戦力のバランスを崩して誠の戦線は崩壊した。
 戦意を失った誠とリサは、戦域の大きな部屋の場所から逃げ出した。猪熊は、逃げていく2人に、「ははあ」と、笑って、下種の笑みを浮かべた……。

 戦いは終わった。
誠とリサは、この失態を、作業所の皆に見られて、冷たい視線を感じると、心が引き裂かれるほど辛くなった。
 リサが誠に、悲しそうに声を掛ける。
「負けちゃったね」
「ああ」
 誠は、リサの視線を外しながら、呆然とした顔をして、悲しそうにしていた。
 誠は、明らかに、打ちのめされていた……。

 リサは思った。
 ……マコたんは、私が守る……
 リサは、誠の肩に自分の肩を寄せて、何も言わずに、誠の悲しみが言えるまで、ジッと、そうしていた。
 誠は、悔しくて情けなくて、リサに気づかれないように、一粒涙を落とした。
 リサはそれに気づいたが、見て見ぬふりをしていた。
 ……涙が流れるほど、一生懸命に努力したんだね、誰にでも出来る事じゃないよ……

 すると、誠の心は、男のこころの世界にあるという、ヒーロー惑星に、遥か遠くへと、旅立った……。
 残されたリサは、「えっ」という感じで、誠の心が、自分の手の届かない所に、行ってしまったと号泣した……。
 気が付くと、リサの傍らに、綾香がいて、リサを慰めた。リサは、綾香に訴えた。
 「彼のもとで、彼を慰めてあげなくちゃ……」
 綾香は、首を振った。
 「誠の心が、私達の所に、帰ってくる事を信じましょう」
 リサは、それが正しい事だとは思わなかった。
 リサが、思ったことは、誠の元にいて、彼の悩みを、聞いて、慰めて、応援することだった。
 でも、ヒーロー惑星に行った誠と交わす、リサの交信は、ままならいでいた。
リサは、それが、悲しくなって涙を流すと、そばにいる、綾香も一緒に泣いた。

 リサは、やがて落ち着くと、綾香の話にコクリと頷いて、誠の様子を、遠くから見守ることにした。
 それからの誠は、魂の抜けた虚ろな人間になった。
 作業所のみんなは、誠の余りにも不甲斐ない様子を見て、呆れると、相対的に、猪熊の株が上がっていった。
……我らのボスは、猪熊様だ……
 その結果、誠が、一生懸命作ってきた仲間、「マコたん・ブランド」は、猪熊によって、音を立てて崩壊した。
誠は、「マコたん・ブランド」の再起を、はからねば、ならなかった。だが、誠は、自ら行動を、起こす気にはなれなかった…。

 支援員のソルトさんは、知らぬぞんぜぬで、臭いものに蓋で、この行為を黙殺した。
 事務室では、この件について有効な手が打てなかった。
 誠は、思い知った。
……どうせ、また、幸せの果実を作っても、猪熊やその二番煎じの様な奴らに、取られてしまう……
 誠の心の中には、猪熊の恐怖が、心のキャンパス一杯に、シミついている様だった。
 その頃、悠作と綾香は、元気のない誠の代わりに、他愛の無い会話で、仲間達を楽しませたり、皆で作業を行い、作業の後は、皆でトランブ遊びをして誠の穴を埋めていた。

一方、誠に勝った猪熊と言えば、得意絶頂になって、ガゼンと、気持ちに勢いがついた。
猪熊は、作業所で朝から、「俺は、『ボス・キャラ』で、とっても偉い人間だ……」と、思わせる、嘘八百の武勇伝を、作業所「ハトさん」の皆に話してご満悦だった。
 何も知らない、作業所のみんなは、猪熊の業績に、感嘆の息を漏らした。
 猪熊は、それが、嬉しくてたまらなかった。

 そんな、中で、誠は、猪熊と反対に、自分の心の弱さに、独り密かに苦しんでいた。    
 誠は、猪熊に、敗れると、大切に築いてきたモノ全てを、失いない、すっかり、気持ちが落ち込んでしまった。
 誠は独り寂しく冬の寒さに震えていた。寒さに耐えながら、自分の苦しみについて、あれこれ考えていた。
誠は、自分のやりたいことや、現実では何ができるのか? 考えても、それを覆す、答えがでず、2つの狭間で、揺れて、苦しんでいた。
……自分は、無力な人間だ……
 誠は、深い深呼吸の後、自分の家の部屋で、コタツのツマミを回して、その中を熱くして寒さをしのぐ……。
 誠は、その後、手を伸ばして、卓上鏡で、自分の顔を見たら無精ひげが生えていて、少々疲れている様に見えた。
 誠は、その顔を見た時、過去の辛い経験を、はっきりと、思い出して消沈した。
 それは、一般社会にいた時、ルールを作る事のできる強い人間に、エデンの園から排除された経験だった。
 猪熊の背後には、何か得体のしれないプレッシャーを感じる。それはきっと、支援員さん達の様な、ルールの作れる強い人間のことだろう……。

 そういう人たちのバックにあるのは、大勢の大人であり、世の中である。
 世の中がおかしいとは思わないが、精神障がい者になって自己決定力を失った、誠の感覚では、社会人の時より、今まで生きてきた方が、生きづらさを感じる事が多い……。
 誠は、猪熊の背後にある恐怖の源泉を知っている。
 猪熊に対して、どうするかは、猪熊だけでなく、その上のルールを作れる強い人間である、支援員さん達の「容易に、知ることの出来ない考え」に影響される。
 誠は、考えた。
 猪熊に対抗した誠の力の源泉は、漬物切りの仲間たちであったが、その源泉は、猪熊とその仲間に奪われた。
誠は認める。
 ……俺は、弱い……
 誠は猪熊との戦いで落ちぶれた、自分の事を、仲間達は、蔑みの目で見て、自分を嫌らっている。
 誠は、そんな風に思って、悲痛な思いを抱いて自分の殻の中に閉じこもっていた……。

 リサは、誠の友達の悠作の所に行った。
 悠作に、誠を励ましてくれる様にお願いする為だ……。
 リサは、悠作を見つけると、強引に話し始めた。
「悠作、マコたんを、励まして……」
 悠作は、リサの強引な話に肩をすかして見せた。
「そうね、リサポンの気持ちは、分かる…けど、これは、マコたんの問題で、僕が、どうこう言える問題ではないんだ……」
 悠作は、細い目をして、ふっと、息をついた。
「リサポンって、誠を、愛してるんだね……」
「はあ?」
 リサは、真っ赤な顔をした。
「僕は、マコたんが、どんなに苦しくても、みんなの所に帰ってくる事を信じている」
 リサは言った。
「私だって、信じている……けど……」
 悠作が見たリサは、けなげで、とても痛々しかった。

 猪熊の勢いの凄さが目立つ、この頃、その真逆である誠は、毎日、悲痛な思いで過ごしていたが、それを打ち破ったのは、意外なことが切かけだった。
 ある日のこと、気持ちの読めない光ちゃんが、誠の傍に来て、小さい声で言った。
「色々教えてくれてありがとう、僕は、マコたんがいないとダメなんだ」
 光ちゃんは、確かに、自分を必要としているという趣旨のことを言った。でも、誠は、いくら考えても、必要とされていると思えない……。
「そんな筈がないよ」
 誠は、光ちゃんに、真剣に見返した。
 誠は、光ちゃん様子を見て、唐突に笑うと、光ちゃんは、誠の笑い声に釣られて「ははは」と笑った。
 誠は、光ちゃんに言う……。
「光ちゃんの好きな、テレビ番組のMステ見るよ」
「そうですか、面白いですよ」
 誠は、光ちゃんの一言で、自分は、独りじゃなかったことに気付いた。
 その事で、彼のこころは、ヒーロー惑星を離れた。

 誠と光ちゃんが、繋がると、そこを目指して綾香とリサが、集まってきた。
 リサが、誠に声をかけた。
「マコたん、元気になった?」
「まあね」
 リサは、元気になった誠を、心密かに喜んでいる。
 リサは、もしもの時を決めている。
 ……マコたんが、辞めたら、私も辞める……
 そんなリサの思い、誠が好きで、守りたいという気持ちが、誠と、その仲間たちにウマク伝えられない、もどかしいリサだった。
 すると、悠作は、誠に、「やあ」、「やあ」と、言いながら、照れた笑いを、浮かべながらやってきた。
「マコたん、また一緒に、勉強しょうー」
 悠作が、誠に言った。
「ああ」
 誠は、悠作に、にっこり笑って、答えた。
 綾香は、誠の元に集まってくる、彼の事を見て思った。
 ……貴方は、きっと、自力で、この局面を切り抜けられる、私は、貴方の理想に賭けるわ……。
 誠は、みんなの前で呟いた。
「私が、立ち上がるのを待っていたのか?」
 悠作は、「そうだよ」と、言った。
「リサポンも、光ちゃんも、綾香もまっていたのか?」
 リサが、みんなの代表となって、大声で言った。
「待っていたわょ……」
 仲間たちは、にっこりと笑っている。
 誠は、遥か遠いヒーロー惑星から、凱旋した。
 誠には、心から湧き上がる、熱いものがあった。
 誠と、その仲間たちは再び結束した。
 光ちゃんは、誠の復活に、喜びを感じ「チョ―、チョー」と、言って、コブシを天に突き出した。彼らは急速に、元の勢力を取り戻していった。
 そして、前よりも更に大きな力が、そこにあった。

 「いいんですか?」
 信義が猪熊に言った。
 緊張感のない寅蔵は寝ている。猪熊は、誠と誠達の変化を感じていたが、「どうせ、又、軽く潰して遣るわい」と、軽く考えて、何ら有効な手を、打つことはなかった。
「馬鹿野郎」
 猪熊はクロウを、張りセンで痛めつけて、悦に浸っていた。
 猪熊は、誠を甘く見ていた。

 そこで、誠は、猪熊から奪われた縄張りを、取り戻す作戦を考え始めた。
 誠は、考える。
……力ってなんだ? ……
 確かに、猪熊と、戦う時には、猪熊だけでなく、その上のルールを作れる、強い人達の大きな力が邪魔になる。
 それを避けるには、ルールを作れる強い人間「支援員さんたち」の大きな力の動きに注意しなくてはいけない……。
 誠は考えた。
 でも、その種の力は、無欠ではない、強力なのが故に、最初は、ゆっくりとしか動かせず、その力のインパクト が、決まるまでは、時間が掛かるからだ……。
 その大きな力が、誠の頭上に落ちる前に、猪熊を倒せば、この勝負、勝てるかもしれない……。
 誠は確信した。
 ……勝って、安心して仲間たちと過ごせる、自由な世界を、取り戻そう……
 誠は、そこで、時間との勝負に賭け、短期決戦で猪熊との対決を決意した。

 誠が、決意を固くしたある日、自分の家の部屋で、こたつで暖をとって、くつろいでいると、ウトウトと、寝入ってしまった。
 誠は、長い夢を見た。
 それは、滑稽で痛快な、猪熊と戦う夢だった。
 夢の中で、誠は、猪熊と戦う作戦を練っていた。
 誠は思った。
 猪熊と、戦って勝つには、明らかに劣勢な、戦力の差をどうやって、埋めればよいのだろうか……。
 誠は思った。
 ……今のままでは、猪熊には勝てない……
 誠は、戦いが始まるまで、時間が余りなく、その間に、何とかしないと……。しかし、普通の考えでは、簡単に、その穴は埋まらない……。
 誠は、その事に、焦りと迷いが募るばかりだった。

 戦いの数日前の夢、誠は、自分の部屋でカラーボックスの簡易本棚を見ていた。本棚の陰にある、名刺サイズのカードの入った、ケースに手を伸ばした。
 ケースの中には、五人の名前と連絡先が記された、5枚のカードがある。
 その内の一枚は、亡くなった人のもので、それを除いて、残った四枚の中から一枚を手に取った。
 誠は、思った。
……私を、覚えているだろうか?……
 誠は、迷った末に、携帯を手に取って連絡した。
 誠は、夢の中で、その相手とつながった……。

 場面が変わって、猪熊との戦いの用意が、整うと、誠は、支援員の少ない今、猪熊との戦いを始める事にした。
 誠は、光ちゃんと、綾香を、後方にさがらせて、戦いに、巻き込まれない様にした。
 悠作は、後詰めで、誠が猪熊より優勢になった時、戦いに参加する手筈だ。

 誠は、戦う! ……。
 作業所「ハトさん」の昼の休憩時間に、猪熊に戦いを挑むため、リサをつれて作戦を開始した。程なく、誠とリサは、ターゲットの猪熊を捉えた。誠は、リサと一緒に、猪熊に戦いの火ぶたを切った。誠とリサは、用意された、因縁を猪熊に吹っかけて、戦い始めた……。
「おいコラ、猪熊、好い気に、なってんじゃねえぞ!」
 誠は、そう怒鳴って、猪熊に眼を飛ばした。
 リサは、可愛く……。
「なめんなよ」
「?」
 猪熊は、ビックリしたが、デメェなんか怖くねぇぜとばかりに、ガンを飛ばし返した。
 睨み合いの中で、視界の広いリサが、猪熊の仲間が、猪熊の応援に来たと、誠に、耳打ちした。
「ん」
 誠の勢いは、少し無くなっている。
 すると、誠は、リサに、「安全なところに行くように」と、言った。リサは、マコたんは、ダイジョブなのかな? と、思っていたが、怖くなったので、言われた通り後退した。
 誠は、その後、簡単に、三人の人間に囲まれた。
 リサは、思った。
 ……マコたん、全然、ダイジョブじゃ、ないじゃん……
 しかし、誠は、全然、臆する様子が見えない……。
 リサは、思った。
 ……マコたんには、何か、策があるのだろうか? …… 
 猪熊の仲間は、誠の胸倉を掴んで、左右に大きくゆすった。
「ヘヘッーおめぇ、ションベン、チビッタか?」
 猪熊は、誠に、お下劣な言葉を浴びせた。
 配下の二人も、誠を小馬鹿にしてハシャイデいた。
 猪熊が、調子に乗って吠えた。
「世の中は、力の強い者が、勝つんだよ。てめぇ、見たいな奴は、強者のエサなんだよ,オイ、何だその目付き魚の腐った目だてばよ……」
 猪熊は、誠を、吊し上げてやりたい放題だった。
 リサは、『こりゃダメだ』とガッカリしながら、成り行きを見守る。
 誠は、敗北に向かって、一直線の、孤立無援の絶体絶命の窮地だ。
 その時だった。
 大きな影が動いた。
「ガサガサ」
物音がする。
 誠は思った。
……来たか……
 その時、突如、大男が現れた。
 男は直ぐに、猪熊の仲間達の二人を相手に、恐ろしい形相で、「ウラ、ウラ」と、叫びながら迫った……。
猪熊の仲間たちは、驚いて応戦するが、男は、大きな体で目の前に、立ちはだかって、恐ろしい形相で相手を威圧した。
直ぐに、お互い、睨みあって対峙すると、その男は、何も言わず、猪熊の仲間たちの前で、ポキポキと、指を鳴らして見せた。

 猪熊の仲間達は、その行動に、「男が、何を、するか? 分からない」と、云う、言い知れぬ恐怖に震え始めた。
 猪熊の仲間たちは、その男に、痛みの伴う暴力を、振るわれるのではないかと怯えると、浮足立った。
 少しずつ、猪熊の仲間たちは、後ずさりしていく……。
 猪熊が、『お前ら、逃げるんじゃない』と、大声で言って、猪熊の仲間を、踏み留まらせようと鼓舞する。
 男は、それを見て、「おおおー」と雄たけびを上げると、猪熊の仲間達は、「もう、やってらんない」と思って、猪熊を、なげだし一目散で逃げだした。
 猪熊の戦線は崩壊した。

 猪熊は、逃げる事も叶わず、その場に立ちすくんだ。
 直ぐに、誠は、その男と一緒に、二人で、猪熊を囲んで、威圧した。
 誠が、猪熊を責める。
「猪熊、貴方は、強者ではないようだな、カス、見たいな奴だぜ……」
 男が、誠の後ろに控えて、ジッと、猪熊を睨んでいる。
 猪熊は、怖くて仕方がなかった。
 すると、更に、悠作に、来いと言う合図をして、猪熊の傍に来させて、三人で猪熊を怖がらせた。
 猪熊は、自分の状態に愕然とした。
 リサが、増援が来ないか周りを見ていたが、誰も来ないと見ると、猪熊を、ビビらせることに参加した。
 形勢は、男の出現によって一瞬で逆転した。

 誠は、戦いのヤマを越すと、男に声を掛けた。
「のぶゆん、良く来たな」
「おぅ」 
 のぶゆんと呼ばれた男は、本名、「大山信行」と、言って、空手を、やっている、武闘派の誠の友達だ。
 のぶゆんは、格闘技を、やっているだけに、背が高くて、細マッチョであるが、屈強な男で、ゴツゴツした顔つきが、凄くて、戦えば、鬼神の様に恐ろしい……。
 作業所「ハトさん」のみんなは、このケンカを、遠くから見ていた。
 優劣は、誰の目にも明らかだ。
 誠たちは、猪熊に勝利した。
 そして、何事にも、動じなない、この、のぶゆんを見て、仲間たちは、MVP賞は、彼のものだと思った。
みんなは、のぶゆんを見て思った。
……のぶゆんは、カッコいいなぁ……
 のぶゆんは、そんな雰囲気が、皆にあるのが、分かって、心地良かった。
 猪熊は、戦意を喪失した。

 猪熊は、この場を一刻も早く立ち去ろうとしたが、腰を、抜かしてしまい、キョロキョロと、床にはいずりまわって、辺りを見まわすしか出来なかった。
「マコたん、こいつ……」
 のぶゆんは、汚いものでも見る様に、猪熊を蔑んだ目で、見降ろしている。
 誠は、のぶゆんに言った……。
「ほっとけ」
 すると、のぶゆんは、猪熊に、プロレスの技を掛け、床にヒザマ付かせた。
 猪熊悲痛な声を上げる。
「おゆるしおー」
 猪熊は、恐怖のあまり、鼻水を垂れ流しながら、泣いて、許しを請うた……。
 誠は、猪熊を、哀れに思った。
 誠のそんな気も知らず、のぶゆんは、猪熊の頭を、拳で、小突く……。
「ゴツゴツ」
 すると、猪熊の恐怖は、頂点に達する。
 そんな様子を見ていた、みんなは、猪熊の没落に、「いい気味だ」と、興奮した。
すると、皆の中の数人が、猪熊から受けた、日頃の恨みを、のぶゆんのように、晴らしたいと思って猪熊への敵意をあらわにした。
 いったん、流れ出した、その流れは、誰も止めることは、出来なかった。誠は、そろそろ、潮時と思い、引き上げの頃合いをうかがい始めた。
「その辺で、止めたら……」
 誠は、のぶゆんに言った。
「ん」
 のぶゆんの反応が、良くない……。
誠は、それに、腹を立て、キットっと睨んで一言……。
「止めろ」
 のぶゆんは、つまらなそうに一言……。
「ちぇっ」
 のぶゆんは、猪熊を、いたぶるのを止めた。
 そこで、誠は、長い夢から覚めた。

 誠は、気づいた。
……そうかアイツがいたか……
 誠は、早速、のぶゆんに、携帯をつないだ。
 誠は、のぶゆんと夜が更けるまで話をしていた。

 翌日、作業所「ハトさん」に、のぶゆんがやってきた。
 光ちゃんがは、屈強なのぶゆんを見て感嘆を漏らした。
「凄いぞ、のぶゆんさん」
 光ちゃんが、目を輝かせている。
 リサが、そんな様子を見て、にっこり笑う……。
「マコたん、こんな凄い人が、友達なんだね……」
「まあね」
 悠作は、彼に興味を示し、誠の顔の広さに驚いていた。
 のぶゆんは、誠と、誠の仲間達に歓迎されて大喜びだった。
「オス」
 それは、口数の少ない、のぶゆんの喜び方だった。
 実際においても、のぶゆんの働きは、夢の中と同じで、猪熊の我がままを、抑えることが出来た。

 綾香は、のぶゆんを陰から見ていて、そのささくれた分厚い手に感心していた。
 悠作が言った。
「のぶゆんさんは、あんまり喋らない人なんですね」
 光ちゃんが一言言った。
「うん、でも、カッコいい」
 そう、言って光ちゃんは、何度も、頷く……。
 リサが、言った。
「そうね、のぶゆんさんは、ここの用心棒が、いいんじゃないかしら……」
 すると一同は「ははは」と、笑いあった。
 そこに、のぶゆんの笑顔があった。
 のぶゆんは、余り喋らないが、誠の仲間たちは、そんなのぶゆんを、好意的に受け入れている。
 そんな、様子を、誠は、嬉しそうに見ていた。

 のぶゆんが、過去に、堪えていた堪忍の緒が切れて、辺り一帯を、誠と一緒に、修羅場にした事を思い出した。
 のぶゆんには、長所が、欠点に変わる怖さがある。
 あれから、のぶゆんは、変わったのだろうか? そして、私は、あれから、変われたのだろうか? ……

 そこで、誠は、のぶゆんの所に行って、彼に申し出をする。
「どう、ここに通ってみる?」
 すると、のぶゆんは、『そうだな』と、頷いて、その申し出を受けた。
 それから、のぶゆんが、利用を申し込んで、入って来るのに時間はかからなかった。
 今は、体験利用の期間を過ごしている……。
 そんな、のぶゆんは、自分の居場所が、見つかって、楽しそうにしている。
 誠がのぶゆんに言った。
「のぶゆん、みんなのところに来ないか? ……」
 誠は、のぶゆんに、ほほ笑むと、のぶゆんを連れて、悠作や、光ちゃん、リサに綾香達のところに行って、お喋りを始めると、一緒に楽しそうに笑いあった。
 それから、何事も起こらず、平穏な毎日が続いた。

 一方、猪熊は、自分の価値が、低くなったことが、受け入れられず、誠を、懲らしめようとしても、一向にその見通しが立てられなくて、人知れず悔し涙を流して、周りの人達を恨んでいた。誠がそんな、猪熊を見たのが、その時が最後で、それ以来、誰も猪熊を、見ることは無かった。
 いつの事だったか、誰かが、「猪熊は、退所したんって」と、誠に、話した人がいた。
 誠は、「そうか」と、天を仰いで呟いた。

 誠は、寂しかった、猪熊がいた頃あった、高揚感が、今の作業所「ハトさん」に無いのが不満だった。
 誠は、その不満を引きずりながら、少し、ウツ気味になって、作業所「ハトさん」での毎日を送っていた。

 そんなある日、誠は、ポケットに手を突っ込んで背中を丸めた猪熊を見つけた。
猪熊もこちらに気づいたようだ。
 そこで、誠は、手招きして猪熊を誘った。
 すると、猪熊は、肩を怒らせて誠の所にやって来た。
「おう、誠!」
「猪熊」
 誠は、猪熊にまだ力が残っているのを見て安心した。
「猪熊、ハトにこないか……」
 猪熊は誠の本心が、分からなかったが、誠への復讐の機会を得て目を輝かせた。
「おっ、いくぞ、いくぞ、いくってばよ」
 猪熊は、大喜びして、その申し出を受けた。

 猪熊は、作業所「ハトさん」に来ると、早速、昔の仲間を集めて、誠の仲間達を脅かすようになった。
 誠の意図は、そこにあった。
 猪熊を、悪役に仕立てて、あの頃のあった高揚感を、取り戻すのが狙いだった。
 しかし、誠の仲間達は、猪熊の出現に恐怖して、誠の元に、集まってきた。
 仲間たちは、みんな、物言いたげな様子だった。
「みんなの気持ちは、分かる、少し辛抱してくれ」
「嫌だ」
 そんな光ちゃんの声もあったが、「誠が言うなら」と言う、リサの一声で仲間たちは、猪熊を受け入れることになった。
 でも、怖いのは、猪熊も同じだった。
 猪熊も誠も、リサも、光ちゃんも、その他大勢の人達は、お互いに、プルプルと震えだした。
 誠は思った。
 ……このプルプル感が、たまらん……
 誠とその仲間達は、休憩時間に、このプルプル感から逃れるために、面白い話をしたり、カードゲームに興じたりして、その恐怖から目をそらして過ごしていた。
 誠は思った。
 ……おっ、活性化しているぞ……
 でも、時々、猪熊の嫌がらせや、破壊工作をしている事に、誠の仲間達の不満は高まっていった。
 誠は、対応に苦慮していた。
 すると、綾香が見かねて、誠に声をかけた。
「あなたが、猪熊を受け入れた選択を支持します……」
「?」
 誠は綾香の話を怪しんだ。
 綾香は続けた。
「あなたは、誰も見捨てない、強い心の持ち主だから…」
 誠は、思った。
 ……そう言う訳ではないんだけど……
 綾香は、普段の愛くるしい姿に戻って、笑顔で誠に提案してきた。
「猪熊さんと、誠さんの争いは、意見の違いからなんでしょう……」
 誠は不思議そうに思いながら、綾香の言葉を聞いた。
 ……第三者から見るとそう見えるのか……
 困惑している誠には、考えられない発想だった。
 綾香は言う……。
「相手と意見が食い違う時は、敵意をむき出しにしないで、相手を、敬愛している気持ちを、言葉にも行動にも表す様に努めることが、大切なんです」
誠は反発する
 ……そんな馬鹿な……
 誠は、今まで、相容れない相手は、罰して導く事が大切だと考えていたから、容易にその話を、受け入れる事が出来なかった。
 でも、誠は、綾香の話について思うことがあった。
いつも優しい綾香のことだから、自分のうかがい知れない真実がそこにあるのだろうと思い直した。
そう思ったのは、現実的に猪熊の抵抗に打つ手が、もうなかったからなのかもしれない……。

 それから、誠は、猪熊と顔を合わせると、目を合わせる事は出来ないが、目線を鼻の下あたりに付けて、にっこり微笑むことや、最低限の礼を、猪熊に尽くした……。
 それに対して、猪熊の反応は、というと……。
 猪熊は、「気持ち悪い」と、言って、嫌な顔をしてみたり、訝る様な顔をして不快感を露わにした。
 ……なんだ、コイツ…… 
誠は、激しい怒りを感じた。
けれど、誠は、その怒りを抑え、綾香が温かく見守る中で、誠は、綾香の言葉にしたがって、皆は仲間だという意識を、もって、誠の仲間や、猪熊や猪熊たちに、礼儀正しく振舞う努力を続けた。すると、その甲斐もあって、少しづつ、彼らとの軋轢が、改善していった。
 その温かさの中で、猪熊は、色々な人に、諭される様になって……猪熊は、反発しながらも、その言葉に、耳を傾けるようになって、自分が、どんなに破滅的行動をしていたのか、という事に気づいていった。

 それから、誠と誠の仲間たちは、猪熊たちを抱えながら、いつものように、漬物切りの作業を、協力してやっていた。
 例外は、仲間達を、守る役目の「のぶゆん」で仲間達は、「作業をしよう」と、「のぶゆん」に、勧めない事が、暗黙の了解になっている。
 悠作は、何となくこの一件の後、ポジティブになって仲間と、前より深く、学びを通して、関わるようになって、誠は嬉しく思っていた。

 誠が、旗を振る、漬物切りの作業に、問題がなくなると、支援員さん達は、別の遠くのテーブル移っていった。
 遠くのテーブルから、支援員さん達は、時々、彼らの様子を見ている様だ。
 彼らのテーブルでは、漬物切りの作業に加わった新入りの仲間たちに、漬物切り作業の手順を説明していた。
 ただ、誠は、数ある色々な漬物切りの作業の内容を、全部知っているわけではない……。
 そんな時は、昔から作業をしている、光ちゃんや、綾香ちゃんに、誠は、助けを求めることが今でもある。

「この葉、腐っているんだけど、どうしたらいい?」 
「これも、脇に除いた方がいいですかね?」
 すると、綾香ちゃんと、光ちゃんから、「それ、使っちゃえば……」
 すると、誠は、光ちゃんと綾香ちゃんに返事をする。
「そうだね、ありがとう、そうするよ……」
 誠は、そうやって、自分の分かる所は、新入りに説明して、誠の分からない所は、長年やって経験のある仲間の人達に、やり方を聞いて、説明してもらいながら、漬物切りの作業を進めていった。
 そうやって、作業のやり方を説明していくと、誠は、段々仲間たちの特徴的な動きに、余裕で対応出来るようになり、相手を知らないと云う、不安が減って、安心感が生まれると、安定的に、作業の進める事が、出来る様になっていった……。

 そんな様子を、猪熊が、じっと、敵対心をあらわにして、見つめていた。やがて、作業について、説明することがなくなり、もっと、広範囲な仕事の連携、例えば、ホウレンソウの「声のかけ方」の作法に、及ぶようになっていた。
 ……さあ収穫だ……
 激動の日々の後、誠と誠の仲間達は、作業所「ハトさん」の冷蔵庫の中で、増殖して、たわわに実った幸せの果実を、楽しそうに収穫する。
 すると、皆は、両手いっぱいの果実を、作業場テーブルに押し広げた。
 椅子に椅子に座って、お互いの顔を見合わせると、収穫の喜びに、思わず、皆の笑顔がこぼれる……。
 すると、クロウが、「頂きます」と言って、果実を食すと、皆もそれに続いて、食べ始めた……。
 それは、皆を、何とも言えない、幸せな気持ちにさせた。
 そんな幸せの果実のおこぼれに、猪熊達も、皆と一緒に、ありついた……。
 この日、作業所「ハトさん」の皆は、幸せな、ひと時を、満喫していた……。
 やがて、幸せの果実を食べ終えると、テーブルの上の食べカスを片付けて、元の作業場に戻った。

 結局、誠は、ボス・キャラには、なれなかった。
 癒しキャラにも、成れたのかも分からない……。

 今日の作業が終わると、誠は、リサを呼んだ。
「おおー、リサぽん、帰るぞ……」
「あぁぃ!」
 誠は、今日の作業を終えると、リサを載せて、車を発進させた。
 二人が、帰る途中に、薄暗い空を見上げた。
 雲が切れて、太陽の光が差し込んできた……。
 「眩しい」
 寒く厳しく冬が終わり、うららかな、生命の息吹のほとばしる、春の訪れを感じた……。誠はリサと一緒に、その時代(季節)を一直線で、走り抜けて行った……。

 
































  編集後記

 この物語を完成するには、多くの月日をつぎ込みました。そこには、色々な人達の助けがありました。
決して一人で作ったものではありません……。
 作業所の支援員さん達や、作業所の友達、ホンポートや、新津図書館の学芸員さん、親戚の皆さん、病院の皆さん、近所の皆さん、最大の理解者である父などの助けがあったからです……。

 私は、元々貧乏な暮らしをしてきて、余り玩具を買ってもらった記憶がありません。
 私は、もっぱら、学校図書の「怪人二十一面相」や「アルセーヌ・ルパン」などを読んでいました。
 そのお陰で、結構、怪しい人間? になりました。

 自我の芽生えるころ、母が、緑のハードカバーの「坊ちゃん」や「三四郎」、「二十四の瞳」などを、読み聞かせてくれました。
 そんな私ですが、一つみんなと違うのは、私には、精神障害の他に、身体的な欠損(内部障害)が、ある事です……。私はその事で、子供の頃から、いつも母と対立していました。
 母は、私の病気の事を、私には、一切、教えてくれませんでした。
 理由は、病気に逃げ込んで、ろくな人間にならない、と、言う、アンフェアーな考えからでした。
 私は、成人して社会に出ると、内部障害の欠損を隠す事が、できなくなって、恥ずかしい思いを沢山しました。
 そのことで、自分を責め、周りの人達を恨み、精神障碍者になりました。
 母は、間違っていました。病気を理解しなければ、病気を受け入れる事は出来ません。

 精神障碍者になって、暫くすると、母は、交通事故で亡くなりました。
 私は、自分の苦しみを訴える対象を失いました。
 すると、私は、苦しみを訴えることが怖くなりました。
 その状態は、母に向かっていた刃が、刃先を換えて、自分の喉元に突きつけられた様な、死にたい程、辛い事でした。

 そんな時、自分を支えたのが、本の存在でした。
 私は、戦争の本や、宗教の本、生態学の本や、お金についての本、侍の事について書いた本や、心理学の本に、はまりました。
 色々、本を読んでいる内に、私も本を、生活の場である  作業所の様子について、創作小説を書きたいと思いました。

 結構、頑張りました。
 と言うか、それしか出来なかったのです。
 私は、幻聴が聞こえていて、何かに集中していないと、  幻聴に飲み込まれてしまうからです。
 必死に本を読んで、集中しました。

 幻聴との戦いの後は、へとへとに疲れてしまい、とても、運動しようという気にはなれませんでした。
 出来る事は、鉛筆を握りしめる事だけでした。

 あれから、鉛筆を握り、16年の研鑽の末、文章の技量が上がり、その結果、何とか本に仕上げました。
 私は、何かに秀でれば、草原に捨てられたナイフの様に、誰かが見つけてくれると思って、頑張ったのです。

 旅行にもいかず、ネオン街にもいかず、博打もやらずに、酒を少々飲んで、タバコを吹かして、生きてきました。
 それは、とっても、つまらない人生だったのです。

 今では、私は、念願の実家からの独立をはたして、アパート暮らしを始めています。
 生活は、困窮しています。すると、最近、父から生活費として、お金を、幾らか援助してもらえるようになりました。
 それは、困窮している、私にとって、とっても、ありがたいことでした……。

 私が、若い頃にした苦労が、今、報われようとしています。
 私は、この小説を仕上げた事で、形にした事で、越えなければならない、一つの関所を、何とか越えたという、他人には理解できない安堵感があります……。

 私が、これからも、文章を書き続け、作品を仕上げる事で、いくつもの関所を、踏み越えていきたい……。
 確かに、将来の事は、分かりませんが、世の中に、興味をもって、何でも挑戦していきたいと、思っています。

 最後に、今まで、優しい気持ちで、関わってくれた、多くの人達に、『ありがとう』と心からの感謝の気持ちを、伝えたいです。

……では、縁があったら、又、会いましょう……

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