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第二章 箱庭の温泉街

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「ツツジ、案内してやってくれ。だ」
「はーい」
 ツツジというのが名前なんだろう、少女が私の手を取り、先ほど倒れ込む寸前だったミニチュアの街並みの前まで導いてくれる。
「そこにゆっくり屈んでね」
 ツツジが指差す所へ、言われるままに私は膝を折った。自然とミニチュアの街並みが近くに見える。

 その街並みは精巧で、温泉街をそのまま映し取ったみたい。今にも人形達が動き出しそう、と思った所で本当に人形が動いて見えて、私は目を瞬く。
「え、この人形、動いてませんか?」
「動くよ、当たり前じゃない」
 私はじいっと目を凝らす。もしかしたら、小さな人々が動いて見えるのも、ミニチュアの温泉宿に明かりが灯り、道のあちこちで湯煙がゆらゆらと揺れているのも、全部そういう風に作られたオモチャなのかも。

 だけど、小さな影の一つがこちらに向かってトコトコと駆けてきて両手を振っているのが見えた時、私は声を上げた。

「母さん?!」
 よく見れば、こちらに手を振る小さな姿に見覚えがあった。じっと見ていると、一生懸命に身振り手振りで何かを伝えようとしている。
 オモチャじゃ、ない?

「はい、これ使って」
 少女から手渡されたのは、クラシカルな電話機だった。促されるままに受話器を耳に当てると、そこから母の声が聞こえて来る。
『聞こえてる~?』
「聞こえてる……。ねえ、何なのコレ」
『母さんね、こっちでちょっとお手伝いしてるのよ』

 すれ違う会話。訳がわからず混乱する私を他所よそに、母は言葉を続ける。

『ほら、買った家あったでしょ? 温泉付きの』
「うん、さっき寄って来た」
『あの家ね、温泉、来てなかったのよ』
「だから契約書を見せて欲しかったのに……」

 呆れたようにそう言うと、母は私が口を挟む隙を与えたくないのか勢いよく。
『だって、契約書には確かに「」付きって書いてたのよ。……まさか温泉を引き込む管が通ってる土地の人が、途中で全部お湯を汲み上げちゃってウチまで届かないなんて思わないじゃない』
 とまくし立てる。
「紹介してくれた友達を信じたいんだろうけど、すぐに契約を迫るような場合は大体知られたくない事があると思った方が良いよ……」
 私は小さくため息をついた。

 そんな風に母が騙されるのは、実は初めてではなかった。
 友達だからと良いように使われる母の姿を、私は何度も見てきた。だけどその度に、『騙された方が悪いんだから、次は大丈夫よ』と笑い飛ばし、自分自身で何だかんだ解決してきてたけど……。
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