少年人魚の海の空

藍栖 萌菜香

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49-少年人魚のせつない決意

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 料理教室が終了し、朝食のテーブルに着いた。

 メニューは、アンナの作り置き蒸し野菜と、キングのできたてオムレツだ。
 ニーナもノーラもメアリーも、みんな美味しそうに食べている。


 僕は……美味しいはずのオムレツの味が少しもわからなかった。
 さっきから頭の中でぐるぐるまわってる言葉のせいだ。


 出ていくなら早い方がいい。

 キングにあんな顔をさせたままでいたくない。
 出ていくなら、少しでも早い方が……。


 僕が出ていく決心をしたとみんなに伝えるには、どうしたらいいんだろう。
 出ていくあてもないし、納得させられるような言い訳も思いつかない。

 それに、記憶喪失だと偽ったまま、この家を去るつもりか?
 嘘をついてたことをちゃんと謝って……出ていくならそれからだ。

 じゃあ、人魚のことはどうする?
 記憶喪失が嘘だったと告げるには、人魚のことにも触れないと……。


 ……ああ……べつにいいのか。
 もう、僕は人魚だと言ってしまっても……。

 人魚だとバレることを怖れていたのは、キングのそばにいられなくなるのが嫌だったからだ。

 でも、この家を出て行くなら悩むことももうない。
 他言無用と約束してもらえばいいだけだ。きっと、この人たちなら約束を守ってくれる。



 早く言って、出ていかなきゃ。
 時間をかけたら、決心が鈍りそう……。

 そう思って顔をあげたら、みんなが僕を見ていて驚いた。

「……え? ……あ、あの……」

 どうやら、僕が口を開く前から、みんなは僕を見ていたらしい。
 そういえば、いつも賑やかな食卓が静かだったような気がする。


 なにか、あったんだろうか?

 訊ねてみたいけど、ニーナとノーラはひどく心配そうだし、メアリーは難しい顔をしていて……なんだか怒ってるみたいだ。

 キングは相変わらず思い詰めている様子で、僕が彼を見るのと同時に視線を逸らされてしまった。


 …………き、気まずすぎる。
 こんな雰囲気じゃ、肝心な話も言い出しにくいよ……。


「はー……。なにがあったか知らないけど」

 目を閉じ大きな溜め息をついたメアリーが、イライラとした声をテーブルに投げる。
 さっきまで見つめられていた僕は、思わずビクリと肩を竦ませた。

 メアリー……やっぱり怒ってるみたいだ。
 僕、なにかしちゃったのかな……。


「キング……いい加減にしてよね!」
 え?

 メアリーの視線を受けていたのは僕のはずなのに、まるでキングが諸悪の根源のようにメアリーが非難する。

「あんた。ベリルがいなくなってもいいの? このままじゃ逃げられるのも時間の問題よ?」

 ドキリとした。
 まだ『出ていく』なんてひとことも言ってないのに、なんでメアリーは知ってるんだろう。


「……ベリル、出て行っちゃうの? いやよ、ベリルはここにいなきゃ!」
 ニーナが叫ぶ。

「にんぎょおーじのベリルは、おーじさまのキングおじさんと、スエナガクくらすよねー?」
 ノーラが、いつもののんびりした口調でそんなことを聞いてきた。


「えっ!?」
「ええっ!?」

 その内容にビックリした僕とキングが、同時に驚きの声をあげた。

「なんだなんだ、その設定は……」
 キングが脱力したような声を吐き出す。

「笑っちゃうわよねー。あんたが王子様とか、ホントあり得ない」
 と、メアリーが鼻で笑った。


 僕はそうは思わないな……。
 キングの王子様姿は、きっとすごく似合うと思うよ。
 このあいだ想像したウエディングドレスよりはずっと。


「……ベリルが人魚ってところには、ノータッチか……」
 キングが低い声でぼそりとつぶやいた。

 やっぱり……キングにはバレてるんだ。

「そんなのいまさらよ。この子たちの中では、最初からベリルは人魚だし」
 肩をすくめたメアリーが、しょうがないわよねとでも言いたげに口にした。


「……メアリーは?」
 キングが、さらに低い声で重ねて聞いた。
「え? ベリルが人魚かどうかってこと? 私は……そうね」

 メアリーが僕を見つめてくる。
 僕は、その視線を受け止めきれずに、そっと俯いた。


「……私もねえ。昔は、人魚はきっといるんだって信じてたわ」
「え、そうだったっけ?」
「そう。ずっとずーっと昔のことだけどね」

 キングの問いに、メアリーが懐かしそうに、それでいて楽しそうな響きの声で答えた。
 その声音に緊張が解けて、思わず顔をあげる。


「でもねー、おじいさまたちが一族の資産をどんどん切り崩してるのを知ってからは、人魚が許せなくなっちゃって」

 話す内容とは裏腹に、メアリーの横顔は、声と同じく少し嬉しそうだった。

「人魚め、いるなら隠れてないでさっさと出てこーい! とか思ったわ」

 ……えー……そんなこと言われても……。


 ばかよね~人魚はなにも悪くないのに、とメアリーが苦笑いした。

「父さんが必死で一族を立て直してるのを見て思ったの。大事なのは、人魚がいるかどうかじゃないわ。人魚とどう付き合うかよ」

 ……人魚と、付き合うって?


「キング、知ってた? 本当はね、父さんも『人魚はどっかにいるかもしれん』って信じてるのよ」

「えっ! そうなのか?」
 キングが意外そうな声をあげる。
 僕も驚いた。

 キングの話でしかキングのお父さんのことを知らないけど、人魚に夢を見なかった人だと聞いていたから。


「そ。会社が軌道に乗ったころ、『これで探索も続けられるな』って言い出したことがあってさ。聞いたら、ずっと信じてたんだって」

 『父さんとキングには内緒だぞ』って前置きがあったのはたぶん照れ隠しね、と、やはりメアリーは笑顔だ。


「……人魚探索の資金を集めることが、父さんの人魚との付き合い方ってことか?」
「そう。まあ、当然、家族を守るためでもあるんだろうけどね」

 キングはそれきり黙り込んでしまった。
 ……なにを考えてるんだろう。
 俯いてしまっていて、キングの顔が見えない。


「人魚はいてもいいし、いなくてもいいの。みんながちゃんと生活できて、しあわせならそれでいいわ」
 それが一番大切なことなのよ、と、メアリーが晴れ晴れと言いきった。

「だから、ベリルが人魚かどうかなんて、どうでもいいの」

「いいのかよ……」

 キングのその声はとても苦くて……『なんでそんな簡単に』と言っているみたいだった。


 それに対して、メアリーが明るい声でスパッと答える。
「だいたいが、私は最初から記憶喪失のベリルを受け入れてるのよ?」

 メアリーが斜め向かいの席から手を伸ばして、僕の肩に流れる髪を撫でてきた。
 今朝、メアリーが括ってくれた髪のひと房だ。

「ベリルの過去なんて私は知らない。でも、いまここにいるベリルはとてもいい子よ。それで十分だわ」

 メアリーが僕のことをそんな風に考えてくれていたなんて……。


 でも本当なら、僕にそんな信頼を得る資格はない。
 ついてしまった嘘が、重たく心に伸し掛かる。


「たとえ……人魚でも?」

 思わず問いかけた僕の声は、不様にも震えていた。
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