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36-彼の一族と人魚の関係
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そういえば……と、ベリルの言葉で思い出す。
「そうそう。いくつか同時に試してたとき、うっかりひとつだけ海底に忘れてきたんだ」
「…………」
「あとから気づいて取りに戻ったんだけど、どこを探しても見当たらなくてさ」
「……………………」
「それを聞いた俺のジイさんは、『きっと人魚が持ってったに違いない!』って騒いでたよ」
「っっ!!!!」
いきなりピシリと背筋を伸ばしたベリルが、振り向きざまに俺の胸に飛び込んできた。
あまりの勢いに思わず数歩退いたら、背後にあった簡易ベッドに足をとられる。
倒れまいとしたが踏ん張りきれず、ベリルを胸に抱き留めたままその上に倒れ込んでしまった。
「ごめんなさい! それから、ありがとう!」
「なんのことだ?」
いきなり謝罪や感謝をされても、わけがわからない。
ベリルの顔を確認したくて胸の上から引きはがそうとしたけど、よけいにしがみついてきて離れたがらない。
ベッドに押し倒されてるこの構図は、俺的にはかなり嬉しい体勢ではあるんだけど……。
このまま流されるわけにはいかないんだ。
俺にはまだ、確かめなきゃいけないことがあるんだから。
「ベリル。もしかして、またなにか思い出したのか?」
できるだけやさしい声で聞いてみる。
するとベリルは、少し間を置いてからふるふると首を振った。
「なあ……ベリル、顔を見せてくれよ。いったいどうしたんだ?」
しがみつく力が緩くなり、肩を持ちあげるだけでそっと引きはがされたベリルが、ゆっくりと顔をあげた。
うう……。
紅潮した頬に潤んだ瞳をして……なんとも色っぽい。
噛みしめてでもいたのか、ふくりと膨らんだ唇はいつもより赤みが増していて、しゃぶりつきたくなるほど美味しそうだった。
けど、ダメだ。
まだ手を出していいタイミングじゃない。
告白して、俺の気持ちを受け入れてもらってからだ。耐えろ、俺。
「……うれしかったんだ。キングがいてくれて。すごくすごく、うれしくなったんだ」
俺も、ベリルがいてくれて嬉しいけど……。
「それだけ?」
「それだけ」
こくんと頷く様子は少し幼い。
「じゃあ、ほかになにか気がかりは?」
「……気がかり……」
ベリルの顔から、ふっと表情が消えて、彼が思考の中へと沈んでいくのがわかった。
記憶の欠片を捕まえに深みへ潜っていくような……イメージの海にたゆたうような、そんな顔つきだ。
ベリルは、ラボへ来てから……いや、彼の部屋を出てからずっと、気分の上下が激しい様子だった。
きっと、なにか重大な問題を抱えてるに違いない。
それがどんなことかはわからないけど……どうかひとりで抱えないでほしい。
もし心になにかの重石があるなら、俺にも取り除く手伝いをさせほしい。
なんでもいい……ベリル、話してくれ。
「……人魚……」
「ん?」
ベリルが俺と視線を合わせないまま、言いにくそうに口にした。
人魚がどうしたと言うんだろう。
「人魚に人生を狂わされる、って……」
「え?」
どこかで聞いたフレーズだ。どこでだった?
たしかメアリーだ。
俺にパートナーをつくれと言った、あのときの。
あのときはほかに、俺がベリルを好きだってことがメアリーにバレて……。
「え、ええ!? き、聞いてたのか!?」
思わず身体の上にいたベリルを押し退けるような勢いで起きあがってしまった。
「ご、ごめんなさいっ」
俺に気圧されてベッドへと座り直ったベリルが、申し訳なさそうに顔を伏せる。
聞いてたのか……。
じゃあベリルは、俺の気持ちなんてとっくに……。
想定外の事態に呆然としていると、
「ねえ、人魚が人生を狂わすって、誰の人生? キングの? キングは狂わされてるの? 人魚に?」
ベリルが焦ったように重ねて聞いてくる。
俺のシャツを握り締めて、細い眉根を寄せ……とても不安そうだ。
どうやら『狂わされる』という単語に怯えているらしい。
「いや、俺のことじゃない。俺のひいジイさんとジイさんのことだよ」
安心してほしくてベリルの頭を撫でてやりたかったが、いまは複雑に編み込まれているので容易には撫でられない。
かわりに首筋に揺れる髪を撫でた。
俺が狂わされているわけではないと理解したらしいベリルがホッとした様子に、俺までホッとする。
俺の場合は『人魚に』じゃなく『ベリルに』だな、と苦く思った。
恋狂いの自覚は、もはや十分にある。
ああ、そうか。きっと、ひいジイさんも……。
「たぶんその二人もな、べつに人魚に人生を狂わされたわけじゃないんだ。あえて言うなら、恋に人生を捧げたんだよ」
まあ、祖父の場合は、自分の父への思慕と人魚への憧憬に、と言うべきだが。
「若い頃、人魚に出会って恋をしたひいジイさんは恋心を捨てきれずに、人魚の去った海を探索し続けたんだ」
現在も行われているその大捜索は、近隣大学の研究員と、プロのダイバーを雇っての大掛かりなものだ。
経費も莫大で、人魚探索を実施するたびにダルトン一族は財産を切り崩していった。
そのうち、一族みんなに説得された曾祖父は、年に一度、天候のいいシーズンにだけ海底調査を兼ねて行うことを了承した。
自分の父親の夢を叶えたかった祖父も同じだ。
曾祖父が亡くなってからは祖父が陣頭指揮をとって人魚探索を続けている。
毎年、そのための資金調達にあくせくしながら……。
でも父は違った。
祖父に振り回される祖母を見て育ったせいか、人魚の夢を見ることなく、現実主義に徹した立派な実業家として大成した。
ダルトン一族が手放した多くの財産を再構築したのは父だ。
そして、そんな父親の背中を見て育ったメアリーも……。
「メアリーは『曾祖父や祖父のようにはなるな、父のようになってくれ』って、言いたかっただけなんだ」
これで納得できただろうか。
ベリルを見ると、ベリルはなぜかいっそう不安そうな顔をしていた。
ベリルを安心させたくて話したはずのに……いったいなにがいけなかったんだろう?
「……キングは……?」
ベリルのその声は、さっきよりもずっと小さく、頼りなげだった。
「キングは、……人魚をどう思う?」
「そうそう。いくつか同時に試してたとき、うっかりひとつだけ海底に忘れてきたんだ」
「…………」
「あとから気づいて取りに戻ったんだけど、どこを探しても見当たらなくてさ」
「……………………」
「それを聞いた俺のジイさんは、『きっと人魚が持ってったに違いない!』って騒いでたよ」
「っっ!!!!」
いきなりピシリと背筋を伸ばしたベリルが、振り向きざまに俺の胸に飛び込んできた。
あまりの勢いに思わず数歩退いたら、背後にあった簡易ベッドに足をとられる。
倒れまいとしたが踏ん張りきれず、ベリルを胸に抱き留めたままその上に倒れ込んでしまった。
「ごめんなさい! それから、ありがとう!」
「なんのことだ?」
いきなり謝罪や感謝をされても、わけがわからない。
ベリルの顔を確認したくて胸の上から引きはがそうとしたけど、よけいにしがみついてきて離れたがらない。
ベッドに押し倒されてるこの構図は、俺的にはかなり嬉しい体勢ではあるんだけど……。
このまま流されるわけにはいかないんだ。
俺にはまだ、確かめなきゃいけないことがあるんだから。
「ベリル。もしかして、またなにか思い出したのか?」
できるだけやさしい声で聞いてみる。
するとベリルは、少し間を置いてからふるふると首を振った。
「なあ……ベリル、顔を見せてくれよ。いったいどうしたんだ?」
しがみつく力が緩くなり、肩を持ちあげるだけでそっと引きはがされたベリルが、ゆっくりと顔をあげた。
うう……。
紅潮した頬に潤んだ瞳をして……なんとも色っぽい。
噛みしめてでもいたのか、ふくりと膨らんだ唇はいつもより赤みが増していて、しゃぶりつきたくなるほど美味しそうだった。
けど、ダメだ。
まだ手を出していいタイミングじゃない。
告白して、俺の気持ちを受け入れてもらってからだ。耐えろ、俺。
「……うれしかったんだ。キングがいてくれて。すごくすごく、うれしくなったんだ」
俺も、ベリルがいてくれて嬉しいけど……。
「それだけ?」
「それだけ」
こくんと頷く様子は少し幼い。
「じゃあ、ほかになにか気がかりは?」
「……気がかり……」
ベリルの顔から、ふっと表情が消えて、彼が思考の中へと沈んでいくのがわかった。
記憶の欠片を捕まえに深みへ潜っていくような……イメージの海にたゆたうような、そんな顔つきだ。
ベリルは、ラボへ来てから……いや、彼の部屋を出てからずっと、気分の上下が激しい様子だった。
きっと、なにか重大な問題を抱えてるに違いない。
それがどんなことかはわからないけど……どうかひとりで抱えないでほしい。
もし心になにかの重石があるなら、俺にも取り除く手伝いをさせほしい。
なんでもいい……ベリル、話してくれ。
「……人魚……」
「ん?」
ベリルが俺と視線を合わせないまま、言いにくそうに口にした。
人魚がどうしたと言うんだろう。
「人魚に人生を狂わされる、って……」
「え?」
どこかで聞いたフレーズだ。どこでだった?
たしかメアリーだ。
俺にパートナーをつくれと言った、あのときの。
あのときはほかに、俺がベリルを好きだってことがメアリーにバレて……。
「え、ええ!? き、聞いてたのか!?」
思わず身体の上にいたベリルを押し退けるような勢いで起きあがってしまった。
「ご、ごめんなさいっ」
俺に気圧されてベッドへと座り直ったベリルが、申し訳なさそうに顔を伏せる。
聞いてたのか……。
じゃあベリルは、俺の気持ちなんてとっくに……。
想定外の事態に呆然としていると、
「ねえ、人魚が人生を狂わすって、誰の人生? キングの? キングは狂わされてるの? 人魚に?」
ベリルが焦ったように重ねて聞いてくる。
俺のシャツを握り締めて、細い眉根を寄せ……とても不安そうだ。
どうやら『狂わされる』という単語に怯えているらしい。
「いや、俺のことじゃない。俺のひいジイさんとジイさんのことだよ」
安心してほしくてベリルの頭を撫でてやりたかったが、いまは複雑に編み込まれているので容易には撫でられない。
かわりに首筋に揺れる髪を撫でた。
俺が狂わされているわけではないと理解したらしいベリルがホッとした様子に、俺までホッとする。
俺の場合は『人魚に』じゃなく『ベリルに』だな、と苦く思った。
恋狂いの自覚は、もはや十分にある。
ああ、そうか。きっと、ひいジイさんも……。
「たぶんその二人もな、べつに人魚に人生を狂わされたわけじゃないんだ。あえて言うなら、恋に人生を捧げたんだよ」
まあ、祖父の場合は、自分の父への思慕と人魚への憧憬に、と言うべきだが。
「若い頃、人魚に出会って恋をしたひいジイさんは恋心を捨てきれずに、人魚の去った海を探索し続けたんだ」
現在も行われているその大捜索は、近隣大学の研究員と、プロのダイバーを雇っての大掛かりなものだ。
経費も莫大で、人魚探索を実施するたびにダルトン一族は財産を切り崩していった。
そのうち、一族みんなに説得された曾祖父は、年に一度、天候のいいシーズンにだけ海底調査を兼ねて行うことを了承した。
自分の父親の夢を叶えたかった祖父も同じだ。
曾祖父が亡くなってからは祖父が陣頭指揮をとって人魚探索を続けている。
毎年、そのための資金調達にあくせくしながら……。
でも父は違った。
祖父に振り回される祖母を見て育ったせいか、人魚の夢を見ることなく、現実主義に徹した立派な実業家として大成した。
ダルトン一族が手放した多くの財産を再構築したのは父だ。
そして、そんな父親の背中を見て育ったメアリーも……。
「メアリーは『曾祖父や祖父のようにはなるな、父のようになってくれ』って、言いたかっただけなんだ」
これで納得できただろうか。
ベリルを見ると、ベリルはなぜかいっそう不安そうな顔をしていた。
ベリルを安心させたくて話したはずのに……いったいなにがいけなかったんだろう?
「……キングは……?」
ベリルのその声は、さっきよりもずっと小さく、頼りなげだった。
「キングは、……人魚をどう思う?」
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