33 / 87
32-彼の瞳の色
しおりを挟む
待ちに待った夜が来た。
ベリルを誘うため彼の部屋をノックすると、いつものはにかんだような笑顔に迎えられる。
よかった。
目蓋の腫れはちゃんと引いている。
あれからは、気持ちが揺れずに過ごせたようだ。
まだシャワーを浴びてないのか、メアリーに括ってもらった髪型のままだ。
いくつかにわけた束をゆるく編みあげ、高い位置でひとつに纏めてあった。
実際にはもっと長い前髪を左右に軽く垂らして、カットしたように偽装するなど、まったく凝り性のメアリーらしい。
でも、ベリルにはよく似合ってるよ、うん。
「あ、ラボの見学だよね? まだ勉強の途中で……すぐに片づけるから待っててもらえる?」
「ああ、ベリルは本当に勉強熱心だな」
慌てて室内に戻るベリルの後ろについていくと、うれしそうな顔をした彼が机の手前で振り返った。
「うん、勉強は大好き! 字を覚えるのも本を読むのも、こんなに楽しいことだったなんて知らなかった!」
弾けるような笑顔が眩しい。心の底から勉強を楽しんでる証拠だな。
「ひと段落つくまで待ってるよ。俺は別に急いでないから」
「わ、ありがとう! ケント先生の課題があと少しで終わるんだ」
ベリルは、記憶とともに文字情報も失っていた。
それが発覚して以来、彼は、執事のケントについて初等科レベルから学び直している。
ケントはかつて、俺の家庭教師もしていた。
生徒のレベルに合わせたステップアップが得意で、視野の広い、とても腕のいい教師だ。
どうやら課題も出しているようだが、きっとベリルがそう望んでいると知ってのことだろう。
いまでは、子どもたちのお昼寝タイムが、ケント先生のレッスンタイムとなっていた。
ベリルの課題が終わるのを待っていると、部屋の様子が以前と違うことに気がついた。
チェストの上には、それまでなかった花びんが置かれ、小さな可愛らしい花が飾られている。
その横には、子どもたちからのプレゼントか、大小さまざまな貝殻が並べられていた。
新しく設置した本棚には、ケントの選んだテキストや辞書……さまざまなジャンルの事典もある。
まだ隙間の多いのほかの棚には、子どもたちが描いた絵や、みんなで撮った写真が大切そうに飾られていた。
ただのゲストルームだった部屋が、いまではベリルの部屋になりつつある。
ベリルがここで、彼なりに生活を楽しんでいる証に思えて嬉しくなった。
ベリルがこの屋敷を去るときには、この部屋から彼の気配が消えるのか……。
想像するだけでキツイな、それは。
ひとりで暗い気分に陥っていると、以前ベリルに買い与えた海の写真集が目に入った。
写真立てを使って工夫してるのか、本棚の一番上の棚で見上げるような角度にわざわざ調整されて、背表紙が飾られている。
なんで背表紙なんだ?
手に取って裏返すと、表紙は、夕日に焼けた海を背にイルカの親子が跳躍するシルエットというダイナミックな写真だった。
対して裏表紙は、海底から海面を見あげた景色で、特にこれと言ってなんの変哲もない。
ページをめくってみると、海洋写真に合わせて、写真家本人のコラムが載っていた。
海棲生物の豆知識なんかも載っていて、なかなか興味深い。
「あ、その写真集、本当に素敵だよね。早くコラムを読めるようになりたいなぁ」
お待たせ、と言いながら近づいてきたベリルは、俺が手にしてる写真集を見て微笑んだ。
ページを覗き込む様子からすると、ずいぶんと気に入っているらしい。
好奇心に満ちたこの表情を見られただけでも、あのとき有無を言わさず買い与えた甲斐があったな。
「キング、これはなんて書いてあるの?」
ベリルがあるページを指差した。
見ると、クマノミのほか数種類の魚の写真に添えて、『水中生物の不思議』と題して豆知識が載っている。
「ああ……これは、子孫を増やすために、自分の性別を変える魚たちを紹介してるんだ」
「えっ!? 性別を変えるって……オスがメスになるとか!?」
ベリルが心底驚いたような顔をしている。こんな顔もかわいい。
「魚類にはけっこういるんだよ。こういう逞しく生き抜いていく種類がね」
コラムの内容に、ニュースなどで知った知識も織り交ぜ、性転換する魚について詳しく説明してやった。
すると、ベリルは、
「……すごいね…………いいなぁ……」
と、羨ましそうな感想を漏らした。
『いいな』? どういう意味だ?
ベリルに写真集を返すと、彼はしばらくのあいだ、そのページに見入っていた。
その表情はやや暗い。
彼はときおりこんな……見ててせつなくなるような顔をする。
「そろそろ、ラボに行く?」
暗く沈んだベリルをなんとかしてやりたくて、今夜の予定を引き合いに出してみた。
「そうだった! キングのラボの見学だ!」
俺の狙いは当たったらしく、顔をあげたベリルの表情は明るい。
よほどラボの見学が楽しみなんだな。
ベリルが笑ってくれるなら、何回だって案内させてもらうぞ。
微笑ましい気分で、写真集を本棚に戻すベリルを見ていると、やはり裏表紙を向けて飾っている。
「なんで裏表紙を飾るんだ?」
単純に素朴な疑問だった。
なんの他意もなかったのに……。
「この写真の、この色が好きなんだ。海の中に降り注ぐ光がキラキラ踊る青い色」
そう言いながら背伸びをして、俺の瞳を覗き込んできたベリルは、自分の方こそきらきらと碧の瞳を輝かせている。
「キングの瞳の色にそっくりでしょう? すごく素敵な色で……僕、大好き……」
うっ……。
そんなうっとりとした顔をして『大好き』などと言われたら、都合よく勘違いしてしまいそうだ。
咄嗟に視線を逸らして、知らずベリルを抱きしめそうになった自分の腕を背後に隠す。
……危ないところだった。
思わず抱きしめて、口説く前から警戒されるだなんて御免だ。
「そ、それじゃあ……行こうか」
視線は逸らしたままでドアへと向きを変えた。
余計なことはするなよと自分の手に言い聞かせながら、ベリルの背に添え、外へと促す。
気を抜くとにやけてしまいそうになる顔を引き締めながら、この瞳の色に産んでくれた両親に感謝した。
ベリルを誘うため彼の部屋をノックすると、いつものはにかんだような笑顔に迎えられる。
よかった。
目蓋の腫れはちゃんと引いている。
あれからは、気持ちが揺れずに過ごせたようだ。
まだシャワーを浴びてないのか、メアリーに括ってもらった髪型のままだ。
いくつかにわけた束をゆるく編みあげ、高い位置でひとつに纏めてあった。
実際にはもっと長い前髪を左右に軽く垂らして、カットしたように偽装するなど、まったく凝り性のメアリーらしい。
でも、ベリルにはよく似合ってるよ、うん。
「あ、ラボの見学だよね? まだ勉強の途中で……すぐに片づけるから待っててもらえる?」
「ああ、ベリルは本当に勉強熱心だな」
慌てて室内に戻るベリルの後ろについていくと、うれしそうな顔をした彼が机の手前で振り返った。
「うん、勉強は大好き! 字を覚えるのも本を読むのも、こんなに楽しいことだったなんて知らなかった!」
弾けるような笑顔が眩しい。心の底から勉強を楽しんでる証拠だな。
「ひと段落つくまで待ってるよ。俺は別に急いでないから」
「わ、ありがとう! ケント先生の課題があと少しで終わるんだ」
ベリルは、記憶とともに文字情報も失っていた。
それが発覚して以来、彼は、執事のケントについて初等科レベルから学び直している。
ケントはかつて、俺の家庭教師もしていた。
生徒のレベルに合わせたステップアップが得意で、視野の広い、とても腕のいい教師だ。
どうやら課題も出しているようだが、きっとベリルがそう望んでいると知ってのことだろう。
いまでは、子どもたちのお昼寝タイムが、ケント先生のレッスンタイムとなっていた。
ベリルの課題が終わるのを待っていると、部屋の様子が以前と違うことに気がついた。
チェストの上には、それまでなかった花びんが置かれ、小さな可愛らしい花が飾られている。
その横には、子どもたちからのプレゼントか、大小さまざまな貝殻が並べられていた。
新しく設置した本棚には、ケントの選んだテキストや辞書……さまざまなジャンルの事典もある。
まだ隙間の多いのほかの棚には、子どもたちが描いた絵や、みんなで撮った写真が大切そうに飾られていた。
ただのゲストルームだった部屋が、いまではベリルの部屋になりつつある。
ベリルがここで、彼なりに生活を楽しんでいる証に思えて嬉しくなった。
ベリルがこの屋敷を去るときには、この部屋から彼の気配が消えるのか……。
想像するだけでキツイな、それは。
ひとりで暗い気分に陥っていると、以前ベリルに買い与えた海の写真集が目に入った。
写真立てを使って工夫してるのか、本棚の一番上の棚で見上げるような角度にわざわざ調整されて、背表紙が飾られている。
なんで背表紙なんだ?
手に取って裏返すと、表紙は、夕日に焼けた海を背にイルカの親子が跳躍するシルエットというダイナミックな写真だった。
対して裏表紙は、海底から海面を見あげた景色で、特にこれと言ってなんの変哲もない。
ページをめくってみると、海洋写真に合わせて、写真家本人のコラムが載っていた。
海棲生物の豆知識なんかも載っていて、なかなか興味深い。
「あ、その写真集、本当に素敵だよね。早くコラムを読めるようになりたいなぁ」
お待たせ、と言いながら近づいてきたベリルは、俺が手にしてる写真集を見て微笑んだ。
ページを覗き込む様子からすると、ずいぶんと気に入っているらしい。
好奇心に満ちたこの表情を見られただけでも、あのとき有無を言わさず買い与えた甲斐があったな。
「キング、これはなんて書いてあるの?」
ベリルがあるページを指差した。
見ると、クマノミのほか数種類の魚の写真に添えて、『水中生物の不思議』と題して豆知識が載っている。
「ああ……これは、子孫を増やすために、自分の性別を変える魚たちを紹介してるんだ」
「えっ!? 性別を変えるって……オスがメスになるとか!?」
ベリルが心底驚いたような顔をしている。こんな顔もかわいい。
「魚類にはけっこういるんだよ。こういう逞しく生き抜いていく種類がね」
コラムの内容に、ニュースなどで知った知識も織り交ぜ、性転換する魚について詳しく説明してやった。
すると、ベリルは、
「……すごいね…………いいなぁ……」
と、羨ましそうな感想を漏らした。
『いいな』? どういう意味だ?
ベリルに写真集を返すと、彼はしばらくのあいだ、そのページに見入っていた。
その表情はやや暗い。
彼はときおりこんな……見ててせつなくなるような顔をする。
「そろそろ、ラボに行く?」
暗く沈んだベリルをなんとかしてやりたくて、今夜の予定を引き合いに出してみた。
「そうだった! キングのラボの見学だ!」
俺の狙いは当たったらしく、顔をあげたベリルの表情は明るい。
よほどラボの見学が楽しみなんだな。
ベリルが笑ってくれるなら、何回だって案内させてもらうぞ。
微笑ましい気分で、写真集を本棚に戻すベリルを見ていると、やはり裏表紙を向けて飾っている。
「なんで裏表紙を飾るんだ?」
単純に素朴な疑問だった。
なんの他意もなかったのに……。
「この写真の、この色が好きなんだ。海の中に降り注ぐ光がキラキラ踊る青い色」
そう言いながら背伸びをして、俺の瞳を覗き込んできたベリルは、自分の方こそきらきらと碧の瞳を輝かせている。
「キングの瞳の色にそっくりでしょう? すごく素敵な色で……僕、大好き……」
うっ……。
そんなうっとりとした顔をして『大好き』などと言われたら、都合よく勘違いしてしまいそうだ。
咄嗟に視線を逸らして、知らずベリルを抱きしめそうになった自分の腕を背後に隠す。
……危ないところだった。
思わず抱きしめて、口説く前から警戒されるだなんて御免だ。
「そ、それじゃあ……行こうか」
視線は逸らしたままでドアへと向きを変えた。
余計なことはするなよと自分の手に言い聞かせながら、ベリルの背に添え、外へと促す。
気を抜くとにやけてしまいそうになる顔を引き締めながら、この瞳の色に産んでくれた両親に感謝した。
0
お気に入りに追加
178
あなたにおすすめの小説
「…俺の大好きな恋人が、最近クラスメイトの一人とすげぇ仲が良いんだけど…」『クラスメイトシリーズ番外編1』
そらも
BL
こちらの作品は『「??…クラスメイトのイケメンが、何故かオレの部活のジャージでオナニーしてるんだが…???」』のサッカー部万年補欠の地味メン藤枝いつぐ(ふじえだいつぐ)くんと、彼に何故かゾッコンな学年一の不良系イケメン矢代疾風(やしろはやて)くんが無事にくっつきめでたく恋人同士になったその後のなぜなにスクールラブ話になります♪
タイトル通り、ラブラブなはずの大好きないつぐくんと最近仲が良い人がいて、疾風くんが一人(遼太郎くんともっちーを巻き込んで)やきもきするお話です。
※ R-18エロもので、♡(ハート)喘ぎ満載です。ですがエッチシーンは最後らへんまでないので、どうかご了承くださいませ。
※ 素敵な表紙は、pixiv小説用フリー素材にて、『やまなし』様からお借りしました。ありがとうございます!(ちなみに表紙には『地味メンくんとイケメンくんのあれこれ、1』と書いてあります♪)
※ 2020/03/29 無事、番外編完結いたしました! ここまで長々とお付き合いくださり本当に感謝感謝であります♪
からっぽを満たせ
ゆきうさぎ
BL
両親を失ってから、叔父に引き取られていた柳要は、邪魔者として虐げられていた。
そんな要は大学に入るタイミングを機に叔父の家から出て一人暮らしを始めることで虐げられる日々から逃れることに成功する。
しかし、長く叔父一族から非人間的扱いを受けていたことで感情や感覚が鈍り、ただただ、生きるだけの日々を送る要……。
そんな時、バイト先のオーナーの友人、風間幸久に出会いーー
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)
彼女ができたら義理の兄にめちゃくちゃにされた
おみなしづき
BL
小学生の時に母が再婚して義理の兄ができた。
それが嬉しくて、幼い頃はよく兄の側にいようとした。
俺の自慢の兄だった。
高二の夏、初めて彼女ができた俺に兄は言った。
「ねぇ、ハル。なんで彼女なんて作ったの?」
俺は兄にめちゃくちゃにされた。
※最初からエロです。R18シーンは*表示しておきます。
※R18シーンの境界がわからず*が無くともR18があるかもしれません。ほぼR18だと思って頂ければ幸いです。
※いきなり拘束、無理矢理あります。苦手な方はご注意を。
※こんなタイトルですが、愛はあります。
※追記……涼の兄の話をスピンオフとして投稿しました。二人のその後も出てきます。よろしければ、そちらも見てみて下さい。
※作者の無駄話……無くていいかなと思い削除しました。お礼等はあとがきでさせて頂きます。
男とラブホに入ろうとしてるのがわんこ属性の親友に見つかった件
水瀬かずか
BL
一夜限りの相手とホテルに入ろうとしていたら、後からきた男女がケンカを始め、その場でその男はふられた。
殴られてこっち向いた男と、うっかりそれをじっと見ていた俺の目が合った。
それは、ずっと好きだけど、忘れなきゃと思っていた親友だった。
俺は親友に、ゲイだと、バレてしまった。
イラストは、すぎちよさまからいただきました。
好色サラリーマンは外国人社長のビックサンを咥えてしゃぶって吸って搾りつくす
ルルオカ
BL
大手との契約が切られそうでピンチな工場。
新しく就任した外国人社長と交渉すべく、なぜか事務員の俺がついれていかれて「ビッチなサラリーマン」として駆け引きを・・・?
BL短編集「好色サラリーマン」のおまけの小説です。R18。
元の小説は電子書籍で販売中。
詳細を知れるブログのリンクは↓にあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる