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26-少年人魚の胸の痞え
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『パートナー』の意味ならわかる。
イルカで言う番の相手だ。
人間もイルカと同じで、パートナーと子どもを作って育てるんだろう。
メアリーで言うなら、彼女の夫がメアリーのパートナーだ。
そのメアリーが『ちゃんとしたパートナー』と言ったんだから、それは、キングと結婚し、子どもを作り育てる相手のことだ。
メアリーはキングにそれを望んでる。
そこまで考えたら、急に苦しくなった。
胸の奥に重たいなにかがずしりと痞えて、すごく息がしづらい。
すぐにでも胸を開いて、その痞えを掻き出したくなる。
きれいに洗ったばかりの身体が、もう汚れてしまったような気さえした。
突然、こんな風になるなんて……僕、どうしちゃったんだろう?
海の底ではこんな気持ちになったことはない。
もしかしたらこれも、おばあさまの言う『不具合』だろうか。
……キングのパートナー。
きっと、人間のメスがなるんだろうな。
僕は……無理だよ。オスだから……。
人間になったら、なにかが変わると思っていたけど、結局、役立たずのままだった。
あんまり息苦しくて、大きな溜め息が漏れる。
息に紛れて痞えが取れればいいと思ったけど、いくつ溜め息をついても胸は軽くならなかった。
メアリーがキングにパートナーを望んでいることはわかった。
でもそれなら、『人魚に人生を狂わされる』っていうのは、どういうことだろう……。
その言葉が持つ、どこか怖い響きに足が竦む。
そのまま動けずにいると、おでこをぺたぺたと叩かれた。
「あ……ルーク?」
宙からルークへと視線を移すと、ルークは僕のおでこを叩くのをやめて、満足したように頷いた。
それから、扉を指さし「んご」と僕を促す。
「そうだね。キングが待ってる。行かなくちゃ」
僕は肩口まで這い登って来ていたルークを抱き直して、目の前の扉を押し開いた。
「だあー」
ルークのご機嫌な声に、部屋にいたメアリーとキングが振り向く。
僕は、思わずメアリーから目を逸らした。
メアリーが弟の幸せを願うのは当たり前のことだ。
その願いに僕が適合しないのは、誰が悪いわけでもない。ただの不運だ。
そんなことは、わかってる。
わかっているのに、どうしてもメアリーを真っ直ぐに見ることができずにいた。
そうして僕が俯いたままでぐずぐずしていると、キングがすかさず駆け寄ってきてルークを抱き取った。
「ホントに、お前ってやつは……」
呆れたような、それでいてホッとしたような声で、キングがルークに文句を言う。
そのままメアリーの膝へとルークを手渡したキングは、すぐに引き返してきて、今度は僕を長ソファに座らせた。
自分もいっしょに腰かけて、さっそく打ち身はどこだと僕の身体を検分し始める。
「ベリル。転んで打った以外に、問題はなかったか?」
よほど心配をかけてしまったらしい。
気遣わしげな青い瞳に覗き込まれた。
ああ、海の空だ。
やっぱり、キングの瞳には海の空がある。
懐かしいのと、うれしいのがごっちゃになって、胸の奥が熱くなる。
その熱が、胸を塞いでいた痞えを軽くした。
でも、キングが僕の顎に手を添えてそこを覗き込んだから、海の空はあっという間に視界から消えてしまった。
キングの瞳をずっと見ていられたらいいのに……。
ふたたび気持ちが沈んでいくのを感じて、そんなことを思っていると、
「なに、ベリル! バスルームで転んだの? 危ないわねぇ……」
と、メアリーの、驚き考え込むような声がした。
「大丈夫、たいしたことなかったよ」
これ以上、みんなに心配をかけたくなくて、咄嗟にそう答えた。
よかった……普通にしゃべれる。
それでも、目を合わせる自信はまだなかった。
僕の力になりたいと言ってくれた人なのに、このままなのはイヤだ……。
沈んだ気分に押し退けられるようにして、ふたたび胸の痞えが競りあがってきた。
キングの瞳が見たくて、半ば泣きそうな気分になっていると、メアリーがなにを思ったのか、とんでもないことを言い出した。
「ちょっとキング、次は一緒に入ってあげなさいよ。ベリルが慣れるまでのあいだでいいんだから」
「ええっ!?」
「ええっ!!」
メアリーのあんまりな発言に、キングと僕が揃って彼女を振り向き、まったく同時に驚愕の声をあげていた。
あ、見れた……。
メアリーの楽しそうな瞳としっかりと視線が合う。
気がつけば、メアリーのあまりの衝撃発言に胸の痞えも吹き飛んでいた。
よかった。
これならちゃんと普通にできそうだ。
「なんつーことを……」
隣から、呻くようなつぶやきが聞こえてきた。
振り向くと、キングが顔をしかめてメアリーを睨んでいる。
当然だ。
『一緒に入ってあげなさい』だなんて言われても、キングは困るだけだろう。
だって、僕の裸はキングの目には毒なんだから。
それよりもっ!
困るのは僕だ!!
いっしょにシャワーなんか浴びたら、絶対にバレちゃう……僕が半分人魚だって……。
そのときの様子を想像して、ゾッとした。
「だ、だめっ!!」
思わず大声でそう叫んだら、キングがゆっくりと僕を振り向き、ガックリと肩を落として俯いた。
それを見たメアリーが、なぜか必死で笑いを堪えている。
キングもメアリーも、どうしたんだろう?
とうとう吹き出してしまったメアリーを、キングがふたたび恨めしそうに睨みつけた。
楽しそうな二人の様子に、メアリーの膝からおりたルークが、混ぜろとでも言いたげにメアリーの膝をぺちぺちと叩いている。
ああ、ここは明るい。
太陽の光が差し込む海の空そのものだ。
『人魚に人生を狂わされる』という言葉の意味はわからないままだけど……。
笑いすぎて涙が滲んでしまったらしいメアリーとも楽しく過ごせそうだ。
できることなら、みんなと同じこの世界に、一日でも長く留まっていたい。
僕は、いつか訪れる終わりの日を予感しながら、それでもそう願わずにはいられなかった。
イルカで言う番の相手だ。
人間もイルカと同じで、パートナーと子どもを作って育てるんだろう。
メアリーで言うなら、彼女の夫がメアリーのパートナーだ。
そのメアリーが『ちゃんとしたパートナー』と言ったんだから、それは、キングと結婚し、子どもを作り育てる相手のことだ。
メアリーはキングにそれを望んでる。
そこまで考えたら、急に苦しくなった。
胸の奥に重たいなにかがずしりと痞えて、すごく息がしづらい。
すぐにでも胸を開いて、その痞えを掻き出したくなる。
きれいに洗ったばかりの身体が、もう汚れてしまったような気さえした。
突然、こんな風になるなんて……僕、どうしちゃったんだろう?
海の底ではこんな気持ちになったことはない。
もしかしたらこれも、おばあさまの言う『不具合』だろうか。
……キングのパートナー。
きっと、人間のメスがなるんだろうな。
僕は……無理だよ。オスだから……。
人間になったら、なにかが変わると思っていたけど、結局、役立たずのままだった。
あんまり息苦しくて、大きな溜め息が漏れる。
息に紛れて痞えが取れればいいと思ったけど、いくつ溜め息をついても胸は軽くならなかった。
メアリーがキングにパートナーを望んでいることはわかった。
でもそれなら、『人魚に人生を狂わされる』っていうのは、どういうことだろう……。
その言葉が持つ、どこか怖い響きに足が竦む。
そのまま動けずにいると、おでこをぺたぺたと叩かれた。
「あ……ルーク?」
宙からルークへと視線を移すと、ルークは僕のおでこを叩くのをやめて、満足したように頷いた。
それから、扉を指さし「んご」と僕を促す。
「そうだね。キングが待ってる。行かなくちゃ」
僕は肩口まで這い登って来ていたルークを抱き直して、目の前の扉を押し開いた。
「だあー」
ルークのご機嫌な声に、部屋にいたメアリーとキングが振り向く。
僕は、思わずメアリーから目を逸らした。
メアリーが弟の幸せを願うのは当たり前のことだ。
その願いに僕が適合しないのは、誰が悪いわけでもない。ただの不運だ。
そんなことは、わかってる。
わかっているのに、どうしてもメアリーを真っ直ぐに見ることができずにいた。
そうして僕が俯いたままでぐずぐずしていると、キングがすかさず駆け寄ってきてルークを抱き取った。
「ホントに、お前ってやつは……」
呆れたような、それでいてホッとしたような声で、キングがルークに文句を言う。
そのままメアリーの膝へとルークを手渡したキングは、すぐに引き返してきて、今度は僕を長ソファに座らせた。
自分もいっしょに腰かけて、さっそく打ち身はどこだと僕の身体を検分し始める。
「ベリル。転んで打った以外に、問題はなかったか?」
よほど心配をかけてしまったらしい。
気遣わしげな青い瞳に覗き込まれた。
ああ、海の空だ。
やっぱり、キングの瞳には海の空がある。
懐かしいのと、うれしいのがごっちゃになって、胸の奥が熱くなる。
その熱が、胸を塞いでいた痞えを軽くした。
でも、キングが僕の顎に手を添えてそこを覗き込んだから、海の空はあっという間に視界から消えてしまった。
キングの瞳をずっと見ていられたらいいのに……。
ふたたび気持ちが沈んでいくのを感じて、そんなことを思っていると、
「なに、ベリル! バスルームで転んだの? 危ないわねぇ……」
と、メアリーの、驚き考え込むような声がした。
「大丈夫、たいしたことなかったよ」
これ以上、みんなに心配をかけたくなくて、咄嗟にそう答えた。
よかった……普通にしゃべれる。
それでも、目を合わせる自信はまだなかった。
僕の力になりたいと言ってくれた人なのに、このままなのはイヤだ……。
沈んだ気分に押し退けられるようにして、ふたたび胸の痞えが競りあがってきた。
キングの瞳が見たくて、半ば泣きそうな気分になっていると、メアリーがなにを思ったのか、とんでもないことを言い出した。
「ちょっとキング、次は一緒に入ってあげなさいよ。ベリルが慣れるまでのあいだでいいんだから」
「ええっ!?」
「ええっ!!」
メアリーのあんまりな発言に、キングと僕が揃って彼女を振り向き、まったく同時に驚愕の声をあげていた。
あ、見れた……。
メアリーの楽しそうな瞳としっかりと視線が合う。
気がつけば、メアリーのあまりの衝撃発言に胸の痞えも吹き飛んでいた。
よかった。
これならちゃんと普通にできそうだ。
「なんつーことを……」
隣から、呻くようなつぶやきが聞こえてきた。
振り向くと、キングが顔をしかめてメアリーを睨んでいる。
当然だ。
『一緒に入ってあげなさい』だなんて言われても、キングは困るだけだろう。
だって、僕の裸はキングの目には毒なんだから。
それよりもっ!
困るのは僕だ!!
いっしょにシャワーなんか浴びたら、絶対にバレちゃう……僕が半分人魚だって……。
そのときの様子を想像して、ゾッとした。
「だ、だめっ!!」
思わず大声でそう叫んだら、キングがゆっくりと僕を振り向き、ガックリと肩を落として俯いた。
それを見たメアリーが、なぜか必死で笑いを堪えている。
キングもメアリーも、どうしたんだろう?
とうとう吹き出してしまったメアリーを、キングがふたたび恨めしそうに睨みつけた。
楽しそうな二人の様子に、メアリーの膝からおりたルークが、混ぜろとでも言いたげにメアリーの膝をぺちぺちと叩いている。
ああ、ここは明るい。
太陽の光が差し込む海の空そのものだ。
『人魚に人生を狂わされる』という言葉の意味はわからないままだけど……。
笑いすぎて涙が滲んでしまったらしいメアリーとも楽しく過ごせそうだ。
できることなら、みんなと同じこの世界に、一日でも長く留まっていたい。
僕は、いつか訪れる終わりの日を予感しながら、それでもそう願わずにはいられなかった。
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