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12-少年人魚の里脱出
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おばあさまがしてくれた人魚の話。
彼女は森の魔女から『人間になる薬』をもらって人間になった。
「この薬で、人間になれるの? 僕が?」
「そうだよ。生憎と完成品じゃないから、もしかしたら不具合があるかもしれない。でも、声は出るし、足だって痛まない。安心してお飲み」
そうだった。
あの話の彼女は森の魔女との契約で声を失い、薬の副作用で痛む足を堪えて人間になったんだ。
「先代の薬とは調合が違うんだよ。わたしはあそこまで捻くれてない」
僕が呆然と手の中の瓶を見つめていると、さっきまで怖いほど真剣だったおばあさまが、ふっと笑った。
「おまえのことは我が子のように思ってるんだ。これはおまえが二十歳になる祝いのプレゼントさ。いいから、さあ、早く」
おばあさまが……僕を我が子のように……?
「僕……ここに戻ってこられる? 戻ってきてもいい?」
「ダメだよ。ここにおまえの幸せはない。戻ってきたらダメなんだ」
でも、と続けようとする僕を、おばあさまが無理やり森の方へと押しやった。
尾びれのない尻尾を引き摺って。
「一気に海岸を目指すんだよ。浜についたら、人間がいないのを確認して、それから薬を飲むんだ。いいね」
押し出されるままに森へ入ると、深い藻が視界を遮る。
振り返っても、もうおばあさまは見えなかった。
どういうことだろう。おばあさまが言ったことを反芻してみても事情が見えてこない。
とにかく、僕を『我が子のように』と言ってくれたおばあさまを信じよう。
僕はここにいちゃいけないし、人間にならなくちゃいけないんだ。
急いで森を抜けると、その先でクリスたちのグループが待ち構えていた。
体格のいい人魚ばかりが集まったようなグループで、ずらりと五名ほどが目の前を塞いでいると、とても迫力がある。
「ハイ、ベリル。さっきはなんで急いでたの? 里の入り口から来たみたいだったけど、まさかまた外に出てたとかいわないでしょうね?」
そのうち人間に捕まって干物にされるわよ、と意地悪そうに笑いながら、クリスが近づいてくる。
里にいたって、オスの僕にやることなんてないんだから、好きにさせてほしい。
「関係ないだろ? そこどいてよ」
「ふん、生意気な口を利くのはやめてよね。大婆様があんたをお呼びなの。おとなしくついてきなさい」
クリスがぐいっと身体を寄せて、高慢な態度で命令してきた。
クリスは美人で、特に身体が大きい。
こうして迫られるだけで、小柄な僕は萎縮してしまう。
それが面白いのか、クリスはよく僕に絡んできた。
僕は里の最年少で、しかも不用なオスだから、意地悪したくなる気持ちもわからないでもない。
でも、多くのメスが自分磨きに夢中で僕なんか眼中にないのに、クリスだけが嫌味を言ってきたり意地悪をしてきたり……。
どれも些細なことだけど、それでも、自分は無価値な存在だといちいち思い知らされるのは、けっこう堪えた。
「あら、これなあに?」
クリスが僕のもっていた瓶を覗き込む。
僕が嫌がって身体を引くと、今度は面白い玩具でも見つけたみたいにニヤリと笑って、楽しそうに瓶へと手を伸ばしてきた。
それもかわして瓶を守る。
渡すわけないじゃないか、こんな大事なものを。
「いいじゃない、少しぐらい見せてくれても。ベリルってばケチねぇ」
くすくすと笑いながら、クリスが僕の背後に小さく目配せをする。
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
いつの間にか僕の背後へと回り込んでいたクリスの仲間に羽交い絞めにされる。
動けずにいる僕の手から、クリスが悠々と瓶を奪っていった。
「返せよっ、返せっ」
僕が暴れて瓶を取り返そうと手を振り回すと、クリスはわざとらしく「おお、怖い」なんて言いながら、瓶を僕の手の届かない遠くへと掲げてみせた。
「おとなしくついてくるなら、返してあげてもいいわ」
どうしよう。隙をついて逃げるのはきっと簡単だ。
でも、おばあさまは『薬を飲んで人間になれ』と言ったんだ。あの薬がないとダメだ。
このまま大婆様のところへついていく……? それから隙をついて逃げ出して、瓶も取り返して……。
羽交い絞めにされたままで勝算の低そうな作戦を練っていると、背後から聞きなれた声がした。
「おや、お嬢様方。うちのかわいいベリルになんの用だい?」
クリスなんかより、ずっとずっと意地悪で、愛しい声が響く。
辺り一帯の水温が、一瞬で下がった気がした。
「え、大婆様……? いや、森の魔女よ! なんでここに!?」
クリスの仲間たちが口々に叫びだして、てんでバラバラに逃げ惑う。
その中を、おばあさまはあのマシンを操りながら自在に泳ぎ回っていた。
人魚たちほどのスピードは出てない。
でも、たぶん数十年かそれ以上ぶりに泳いだんだと思う。
マシンにしがみついてるおばあさま自身は必死の形相だったけど、クリスたちの驚愕する姿に、僕はかなり爽快な気分だった。
僕を羽交い絞めしていた背後の人魚も、その光景に呆然としている。
緩んだ拘束をスルリと抜け出して、すかさず誰の手も届かない場所へと避難した。
「ベリル、早くお逃げ!」
おばあさまの声に後押しされて、里の入り口へと泳ぎだす。
でも、その前に。
クリスの目の前を掠めるようにして切り込んで、去り際に瓶を奪った。
「返してもらうよ。これは僕のだ」
一瞬のことに驚いたクリスは、慌ててすぐに追いかけてきたけど、追いつくわけがないんだ。
ズルでもしない限り、クリスに僕は止められない。
「おばあさま、ありがとう!」
「達者でおやり」
クリスたちをマシンで追い回すおばあさまの笑顔を最後に、僕は里を飛び出した。
彼女は森の魔女から『人間になる薬』をもらって人間になった。
「この薬で、人間になれるの? 僕が?」
「そうだよ。生憎と完成品じゃないから、もしかしたら不具合があるかもしれない。でも、声は出るし、足だって痛まない。安心してお飲み」
そうだった。
あの話の彼女は森の魔女との契約で声を失い、薬の副作用で痛む足を堪えて人間になったんだ。
「先代の薬とは調合が違うんだよ。わたしはあそこまで捻くれてない」
僕が呆然と手の中の瓶を見つめていると、さっきまで怖いほど真剣だったおばあさまが、ふっと笑った。
「おまえのことは我が子のように思ってるんだ。これはおまえが二十歳になる祝いのプレゼントさ。いいから、さあ、早く」
おばあさまが……僕を我が子のように……?
「僕……ここに戻ってこられる? 戻ってきてもいい?」
「ダメだよ。ここにおまえの幸せはない。戻ってきたらダメなんだ」
でも、と続けようとする僕を、おばあさまが無理やり森の方へと押しやった。
尾びれのない尻尾を引き摺って。
「一気に海岸を目指すんだよ。浜についたら、人間がいないのを確認して、それから薬を飲むんだ。いいね」
押し出されるままに森へ入ると、深い藻が視界を遮る。
振り返っても、もうおばあさまは見えなかった。
どういうことだろう。おばあさまが言ったことを反芻してみても事情が見えてこない。
とにかく、僕を『我が子のように』と言ってくれたおばあさまを信じよう。
僕はここにいちゃいけないし、人間にならなくちゃいけないんだ。
急いで森を抜けると、その先でクリスたちのグループが待ち構えていた。
体格のいい人魚ばかりが集まったようなグループで、ずらりと五名ほどが目の前を塞いでいると、とても迫力がある。
「ハイ、ベリル。さっきはなんで急いでたの? 里の入り口から来たみたいだったけど、まさかまた外に出てたとかいわないでしょうね?」
そのうち人間に捕まって干物にされるわよ、と意地悪そうに笑いながら、クリスが近づいてくる。
里にいたって、オスの僕にやることなんてないんだから、好きにさせてほしい。
「関係ないだろ? そこどいてよ」
「ふん、生意気な口を利くのはやめてよね。大婆様があんたをお呼びなの。おとなしくついてきなさい」
クリスがぐいっと身体を寄せて、高慢な態度で命令してきた。
クリスは美人で、特に身体が大きい。
こうして迫られるだけで、小柄な僕は萎縮してしまう。
それが面白いのか、クリスはよく僕に絡んできた。
僕は里の最年少で、しかも不用なオスだから、意地悪したくなる気持ちもわからないでもない。
でも、多くのメスが自分磨きに夢中で僕なんか眼中にないのに、クリスだけが嫌味を言ってきたり意地悪をしてきたり……。
どれも些細なことだけど、それでも、自分は無価値な存在だといちいち思い知らされるのは、けっこう堪えた。
「あら、これなあに?」
クリスが僕のもっていた瓶を覗き込む。
僕が嫌がって身体を引くと、今度は面白い玩具でも見つけたみたいにニヤリと笑って、楽しそうに瓶へと手を伸ばしてきた。
それもかわして瓶を守る。
渡すわけないじゃないか、こんな大事なものを。
「いいじゃない、少しぐらい見せてくれても。ベリルってばケチねぇ」
くすくすと笑いながら、クリスが僕の背後に小さく目配せをする。
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
いつの間にか僕の背後へと回り込んでいたクリスの仲間に羽交い絞めにされる。
動けずにいる僕の手から、クリスが悠々と瓶を奪っていった。
「返せよっ、返せっ」
僕が暴れて瓶を取り返そうと手を振り回すと、クリスはわざとらしく「おお、怖い」なんて言いながら、瓶を僕の手の届かない遠くへと掲げてみせた。
「おとなしくついてくるなら、返してあげてもいいわ」
どうしよう。隙をついて逃げるのはきっと簡単だ。
でも、おばあさまは『薬を飲んで人間になれ』と言ったんだ。あの薬がないとダメだ。
このまま大婆様のところへついていく……? それから隙をついて逃げ出して、瓶も取り返して……。
羽交い絞めにされたままで勝算の低そうな作戦を練っていると、背後から聞きなれた声がした。
「おや、お嬢様方。うちのかわいいベリルになんの用だい?」
クリスなんかより、ずっとずっと意地悪で、愛しい声が響く。
辺り一帯の水温が、一瞬で下がった気がした。
「え、大婆様……? いや、森の魔女よ! なんでここに!?」
クリスの仲間たちが口々に叫びだして、てんでバラバラに逃げ惑う。
その中を、おばあさまはあのマシンを操りながら自在に泳ぎ回っていた。
人魚たちほどのスピードは出てない。
でも、たぶん数十年かそれ以上ぶりに泳いだんだと思う。
マシンにしがみついてるおばあさま自身は必死の形相だったけど、クリスたちの驚愕する姿に、僕はかなり爽快な気分だった。
僕を羽交い絞めしていた背後の人魚も、その光景に呆然としている。
緩んだ拘束をスルリと抜け出して、すかさず誰の手も届かない場所へと避難した。
「ベリル、早くお逃げ!」
おばあさまの声に後押しされて、里の入り口へと泳ぎだす。
でも、その前に。
クリスの目の前を掠めるようにして切り込んで、去り際に瓶を奪った。
「返してもらうよ。これは僕のだ」
一瞬のことに驚いたクリスは、慌ててすぐに追いかけてきたけど、追いつくわけがないんだ。
ズルでもしない限り、クリスに僕は止められない。
「おばあさま、ありがとう!」
「達者でおやり」
クリスたちをマシンで追い回すおばあさまの笑顔を最後に、僕は里を飛び出した。
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