少年人魚の海の空

藍栖 萌菜香

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02 彼の恋愛事情

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 メアリーは、本当に人のことをよく見ている。

 先日完成させた高性能水中スクーターは、趣味のダイビングに役立てばと作り始めたところへちょっと興が乗っただけで、やる気になったというほどでもなかったが、俺がここのところ発明に対する情熱を失くしていたことは、しっかりバレていたようだ。

 メアリーの発言が、人魚探しをやめない俺への単なる嫌味であれば無視もできたんだが、その口調に家族としての気遣いが混ざっているとあっては、そうもいかなかった。

「興味のもてる相手ねぇ。いきなり、どうして?」
 話したくないという意思表示を控えめに声に乗せながら、ちらりと姪たちを見遣った。
 姪たちは午前中に観たDVDアニメ『人魚姫』の話に夢中で、とても乱入してくれそうもない。
 うーん、残念だ。


「いきなりじゃないわ。あんたももう二十八でしょ。いい年じゃない。特許をいくつももってる発明家で、社長の息子。しかも、ラボつきの屋敷に、土地に船までもってて、ハンサムでフリーなのよ? 女たちが放っておくとは思わないんだけど」

 これは、誉められてるのか?
 不満そうに放たれる刺々しい口調からは、責められてるとしか思えないが。

「いやいや、もれなく放っておかれてるよ。なかなか出会いがなくってね」
 俺に対してはいつも鬼のようなメアリーが、珍しいことに心配してくれてるんだとわかってはいるんだが、思いのほか素っ気ない声が出てしまった。


 ティーンエイジャーの頃ならまだしも、いまとなっては、そういったことへの興味はほとんどない。
 というか、はっきり言ってしまえば面倒くさい。

 時間や価値観に折り合いをつけて、思いやりという絶え間ない努力をしながら寄り添い合うなど、気ままな発明生活をしてるいまの俺にできるとは思えなかった。
 どうやら、こんなことまで情熱が枯れてしまったらしい。

 まったく活気を見せない俺に苛立つメアリーの気持ちもわからないでもないが、実際のところ、出会いがないというのは本当だった。


 俺が祖父や父からここら一帯の土地や屋敷を買い取ったのは、去年のことだ。幼い頃を過ごしたこの海は俺の憧れで、この土地で暮らしたいという念願が叶ったいまの暮らしには、とても満足している。
 けれど、人に会う機会などは、まったくと言ってなかった。

 手にしたその土地はじつに広大で、何キロも離れているお隣さんはシーズンオフにはほとんどいないし交流もない。家や土地のことは祖父の代から住み込んでくれてる執事とメイドに任せきり。自分でする買い物などは仕事に使う部品や機材くらいで、そもそも近隣には専門店がないから出歩くこともない。発明品の売込みや工場の手配も、すべてインターネットでこと足りていた。
 俺が日常で出会う相手なんて、家族か、使用人か、配達人くらいなものだ。

 唯一の趣味であるダイビングにしたって、船はすべて屋敷と直結したボートハウスに格納されているから、遠い公共ハーバーまで出向く必要もないからな。


「出会いがない? ああ、そうでしょうね。海の底に出会いがあるとは、とても思えないもの」
 メアリーは、もし海の底で出会えたら拍手喝采してあげるわ、と呆れたような声を残して、少し離れたデッキチェアに向かった。
 その横のチェアではいまだルークが登頂に奮闘し、そのまわりをジャックが心配そうにうろついている。

「拍手喝采ねぇ。ぜひしてもらいたいものだが……」
 すでに百年近く捜索が続けられてきたんだ。
 きっとこの先、俺が何十年かけたところで、海の底での出会いなどないだろう。

 その虚しい予測にガッカリもしてるけど、少しホッとしてもいる。
 海底ではなく船の上でだったが、出会ってしまった曾祖父は、死の間際まで相手を想い続けることになったんだから……。


「ねえ、にんぎょのおはなし、まだー?」
 痺れをきらしたらしいノーラが俺の腕をゆすった。

 幼い姪の瞳を覗き込むと、人魚を信じきれずにいながらも、かつて身内がおちたという不思議な恋への憧れが映っている。
 相反する感情に揺れる様は、まるで誰かとそっくりだ。

「そうだった。ひいひいジイさんと人魚の話だったな」
 デッキチェアに腰かけて、忌々しそうなオーラを滲ませているメアリーのことはさておき、一族に語り継がれている人間と人魚の恋物語を聴かせるために、俺は小さな姪たちに笑顔で向き合った。
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