120 / 125
第三十二章 バイバイ、和貴
(4)
しおりを挟む
紺碧のはるか上空を青白い月が飾り付ける。
どこからともなく薫る、花の匂いに春の気配を感じる。
春眠暁を覚えず。
眠らなくても平気な体質だが、徐々に睡眠が深くなっている。
目前には泣いている紗優が立っていた。
「どうしたの」
「……真咲はほんとに馬鹿や。なして、和貴に言わんかったん」
「やだ、盗み聞きしてたのっ」
大声が出てしまい見回すも、マキとタスクの姿が見当たらなかった。「あれっ、二人は……」
「そっち」
「わっ」
言いながら歩き進み外壁で曲がろうとしたところで、出会い頭にぶつかりかけた。
もはや学習しろ、と彼は諭さず、
「……行くぞ」
と口にしたのが実質、一同への号令だった。
人目をはばからず号泣する紗優に、タスクがハンカチを差し出した。――こんなところまでジェントルマンだ。マキも実は言動が紳士的だが、違うかたちでの表し方をする。
彼の足が、宮沢家へと進んでいた。場所を知っているのが少々意外だったが、以前に和貴の家を訪れたというのなら、それで知っているのかもしれない。
歩いて一分足らず。
行き来するには便利な距離だが、気持ちの整理をつけるには不十分な距離と時間だった。
涙で前髪も横っかみも濡らした紗優は、月夜の淡いひかりを浴び、かぐや姫のように儚げだった。
「マキ、タスク、……元気でな。真咲も、からだに、気ぃつけて……」
姫君は言葉を出すのもやっと、という感じで、私たちがなにか返す間もなくふらふらとした足取りでじゃあな、……と宅の玄関ドアに向かった。
「宮沢さん……!」
呼び止めたのがタスクだった。
「貴女にバレンタインのお返しをしていませんでしたね。受け取ってくれますか」
無言で振り返り、顔に貼りついた髪を分けつつ、紗優がタスクに歩み寄る。「これ、なぁに」
「Elton Johnの『Your Song』です。坂田くんが貴女の誕生日に歌った曲です」
「ありがと。あげたもんに対して高すぎる気ぃするげけど……」
背後でどうしてだかマキが大げさにため息をついた。
「それから、都倉さん」
真摯で、深刻ななにかを思わせるその眼差しに、からだが震えた。
「貴女にも差し上げなければならないものがあります」
タスクが学生かばんに手をかけ、なにかを取り出す。
「……紙?」
小さな紙切れだ。四つ折りに折り畳まれていて、授業で友達と回しあうよりも質素な、……わら半紙、いや、羊皮紙っぽいもの。
まさか、紙をプレゼントされるなんて思わなかった。
戸惑う私の反応を、タスクが薄く笑う。
「なかを、ご覧頂けますか」
その紙切れを開いてみた。
そこには、
「これって……!」
――いろいろな真実がここで結合する。
あの日あのときああだった理由が、この胸に雪崩込んだ。
「これを探すのに苦労しました」
「遅れてきたのって、……学校に寄ってきたんだね。だから制服なの」
タスクが無言で首を傾げるのが回答だった。「……さて」
首を鳴らし、部長らしく超然と、
タスクらしく優雅に、
私に問いかける。
「素知らぬ振りをするも良し。当人に確かめるのもまた一興。さて――どうなさいますか」
「決まってる」
私は顔を起こした。
離すことなどできない紙を胸に当て、
「直接、確かめる……!」
涙があふれるのも構わず。
「そうおっしゃられると思っていました」ふうと息を吐き、とある誰かに似た仕草で片手をポッケに突っ込んだ。「ですが、そんな泣き顔を晒すのは僕ではなく、どうか彼の前だけにしてください」
「なあな、取り込んどるとこすまん。さっきからなんの話しとんの」
割って入った紗優が、私が胸から離す紙を覗き、「わ!」と叫んだ。
今度は低い位置から私に笑いかけ、
「やったやったダンスしてい?」と訊いてくる。
「……どうかな」私も笑って応じ、目許を拭う。
タスクが左に視線を投げた。もう一人の存在――遠巻きに立つ彼のことを視野に捉える。
私は、彼に、接近した。
「……マキ。私、」
「分かってる。行け」
背中で応じる彼が、きらめく彼の言葉の音波が、私の背を後押しする。
「ごめん、……マキ」
これを言うのは酷だと思った、でも言わずにおれなかった。
どんなかたちでも、私を支えてくれた。
最後の彼がどんな顔をしているのか、焼きつけたかったけれど、それは、子どもじみた自分の願望で、あやふやなそんなものに、決着をつけなくてはならない。
甘えきっていた自分にも決別する。
マキも、同じなのか。
ゆっくりと、歩き出す。
「あたし真咲のおばーちゃんとこ電話しとこっか。うち泊まってくって」
「いや」紗優の言葉にマキが答えた。「俺の旅館に、……おまえと学校のやつらで泊まったことにしておけ。宮沢の親と都倉の親は親しくしてんだろ。俺の親ならバレる心配はねえ。宮沢がちゃんと嘘つけんなら、……都倉が家に帰らねえならな」
遠ざかるのに彼の声が近かった。
最後まで思いやりを捨てなかった。その言葉がふさわしいのは、彼だった。
「マキ、……ありがとう」
白い手が闇をひらひらと揺れる。
挨拶なんかしない、ときに無視する彼の、最後の流儀を見た気がした。
私が、彼の想いに応えるなら、
選ばなくてはならない。
同情や哀れみなんかじゃなく、――
私は見守るタスクに礼を言い、紗優にはあとで電話する、と伝えた。
「電話なんかいーって」
「都倉さん! 頑張ってください!」
後ろから後押しする声に加速され、たったひとつの気持ちを胸に、
だから私は走った。
本当のこころの求める先へと。
どこからともなく薫る、花の匂いに春の気配を感じる。
春眠暁を覚えず。
眠らなくても平気な体質だが、徐々に睡眠が深くなっている。
目前には泣いている紗優が立っていた。
「どうしたの」
「……真咲はほんとに馬鹿や。なして、和貴に言わんかったん」
「やだ、盗み聞きしてたのっ」
大声が出てしまい見回すも、マキとタスクの姿が見当たらなかった。「あれっ、二人は……」
「そっち」
「わっ」
言いながら歩き進み外壁で曲がろうとしたところで、出会い頭にぶつかりかけた。
もはや学習しろ、と彼は諭さず、
「……行くぞ」
と口にしたのが実質、一同への号令だった。
人目をはばからず号泣する紗優に、タスクがハンカチを差し出した。――こんなところまでジェントルマンだ。マキも実は言動が紳士的だが、違うかたちでの表し方をする。
彼の足が、宮沢家へと進んでいた。場所を知っているのが少々意外だったが、以前に和貴の家を訪れたというのなら、それで知っているのかもしれない。
歩いて一分足らず。
行き来するには便利な距離だが、気持ちの整理をつけるには不十分な距離と時間だった。
涙で前髪も横っかみも濡らした紗優は、月夜の淡いひかりを浴び、かぐや姫のように儚げだった。
「マキ、タスク、……元気でな。真咲も、からだに、気ぃつけて……」
姫君は言葉を出すのもやっと、という感じで、私たちがなにか返す間もなくふらふらとした足取りでじゃあな、……と宅の玄関ドアに向かった。
「宮沢さん……!」
呼び止めたのがタスクだった。
「貴女にバレンタインのお返しをしていませんでしたね。受け取ってくれますか」
無言で振り返り、顔に貼りついた髪を分けつつ、紗優がタスクに歩み寄る。「これ、なぁに」
「Elton Johnの『Your Song』です。坂田くんが貴女の誕生日に歌った曲です」
「ありがと。あげたもんに対して高すぎる気ぃするげけど……」
背後でどうしてだかマキが大げさにため息をついた。
「それから、都倉さん」
真摯で、深刻ななにかを思わせるその眼差しに、からだが震えた。
「貴女にも差し上げなければならないものがあります」
タスクが学生かばんに手をかけ、なにかを取り出す。
「……紙?」
小さな紙切れだ。四つ折りに折り畳まれていて、授業で友達と回しあうよりも質素な、……わら半紙、いや、羊皮紙っぽいもの。
まさか、紙をプレゼントされるなんて思わなかった。
戸惑う私の反応を、タスクが薄く笑う。
「なかを、ご覧頂けますか」
その紙切れを開いてみた。
そこには、
「これって……!」
――いろいろな真実がここで結合する。
あの日あのときああだった理由が、この胸に雪崩込んだ。
「これを探すのに苦労しました」
「遅れてきたのって、……学校に寄ってきたんだね。だから制服なの」
タスクが無言で首を傾げるのが回答だった。「……さて」
首を鳴らし、部長らしく超然と、
タスクらしく優雅に、
私に問いかける。
「素知らぬ振りをするも良し。当人に確かめるのもまた一興。さて――どうなさいますか」
「決まってる」
私は顔を起こした。
離すことなどできない紙を胸に当て、
「直接、確かめる……!」
涙があふれるのも構わず。
「そうおっしゃられると思っていました」ふうと息を吐き、とある誰かに似た仕草で片手をポッケに突っ込んだ。「ですが、そんな泣き顔を晒すのは僕ではなく、どうか彼の前だけにしてください」
「なあな、取り込んどるとこすまん。さっきからなんの話しとんの」
割って入った紗優が、私が胸から離す紙を覗き、「わ!」と叫んだ。
今度は低い位置から私に笑いかけ、
「やったやったダンスしてい?」と訊いてくる。
「……どうかな」私も笑って応じ、目許を拭う。
タスクが左に視線を投げた。もう一人の存在――遠巻きに立つ彼のことを視野に捉える。
私は、彼に、接近した。
「……マキ。私、」
「分かってる。行け」
背中で応じる彼が、きらめく彼の言葉の音波が、私の背を後押しする。
「ごめん、……マキ」
これを言うのは酷だと思った、でも言わずにおれなかった。
どんなかたちでも、私を支えてくれた。
最後の彼がどんな顔をしているのか、焼きつけたかったけれど、それは、子どもじみた自分の願望で、あやふやなそんなものに、決着をつけなくてはならない。
甘えきっていた自分にも決別する。
マキも、同じなのか。
ゆっくりと、歩き出す。
「あたし真咲のおばーちゃんとこ電話しとこっか。うち泊まってくって」
「いや」紗優の言葉にマキが答えた。「俺の旅館に、……おまえと学校のやつらで泊まったことにしておけ。宮沢の親と都倉の親は親しくしてんだろ。俺の親ならバレる心配はねえ。宮沢がちゃんと嘘つけんなら、……都倉が家に帰らねえならな」
遠ざかるのに彼の声が近かった。
最後まで思いやりを捨てなかった。その言葉がふさわしいのは、彼だった。
「マキ、……ありがとう」
白い手が闇をひらひらと揺れる。
挨拶なんかしない、ときに無視する彼の、最後の流儀を見た気がした。
私が、彼の想いに応えるなら、
選ばなくてはならない。
同情や哀れみなんかじゃなく、――
私は見守るタスクに礼を言い、紗優にはあとで電話する、と伝えた。
「電話なんかいーって」
「都倉さん! 頑張ってください!」
後ろから後押しする声に加速され、たったひとつの気持ちを胸に、
だから私は走った。
本当のこころの求める先へと。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
タダで済むと思うな
美凪ましろ
ライト文芸
フルタイムで働きながらワンオペで子育てをし、夫のケアもしていた井口虹子は、結婚十六年目のある夜、限界を迎える。
――よし、決めた。
我慢するのは止めだ止め。
家族のために粉骨砕身頑張っていた自分。これからは自分のために生きる!
そう決めた虹子が企てた夫への復讐とは。
■十八歳以下の男女の性行為があります。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【R15】メイド・イン・ヘブン
あおみなみ
ライト文芸
「私はここしか知らないけれど、多分ここは天国だと思う」
ミステリアスな美青年「ナル」と、恋人の「ベル」。
年の差カップルには、大きな秘密があった。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~
海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。
そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。
そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。
【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら
瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。
タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。
しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。
剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
月曜日の方違さんは、たどりつけない
猫村まぬる
ライト文芸
「わたし、月曜日にはぜったいにまっすぐにたどりつけないの」
寝坊、迷子、自然災害、ありえない街、多元世界、時空移動、シロクマ……。
クラスメイトの方違くるりさんはちょっと内気で小柄な、ごく普通の女子高校生。だけどなぜか、月曜日には目的地にたどりつけない。そしてそんな方違さんと出会ってしまった、クラスメイトの「僕」、苗村まもる。二人は月曜日のトラブルをいっしょに乗り越えるうちに、だんだん互いに特別な存在になってゆく。日本のどこかの山間の田舎町を舞台にした、一年十二か月の物語。
第7回ライト文芸大賞で奨励賞をいただきました。ありがとうございます、
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる