碧の青春【改訂版】

美凪ましろ

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第二十七章 天然というのも罪ですね

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 親友の幸せな恋の行く末を見守りたいのはやまやまだが、ミッションが残っている。
 午後の四時五分。
 休み時間にひっきりなしに女の子に呼び出されていた和貴には、朝イチで渡した紗優が正解。紗優づてに講習会に行くと聞いていたので、彼を捕まえられず私は焦っていた。
 不確定要素よりも確定要素を固めるのが先決。
 ……と判断の働く自分をドライだと思う。
 もし――いつか殴られたのがマキだったとしたら私は激高しただろうか。我を忘れて飛び出しただろうか。
 恋心の正体を見抜くのは難しい。
 視界に入らないと気になって仕方ない、その対象がスイッチした自分の感性にも。
 誰かに内面で優劣をつけたがる自分の醜さにも気がつく、それも含めて。
 これらに比べればノッポなターゲットを見つけるのはウォーリーを探すよりも断然たやすい。
 帰り仕度にひとのひしめくよそのクラスであろうと。
「……おまえが三組に来るとは、珍しいな」
 後ろのロッカーに向かいピーコートのボタンを留めていた。
 ダウンコートはクリーニングに出しているのだろうか。私が泣きついた日以来、見ていない。
「図書館行くよね。……あとで顔出すから」
「ああ」彼はロッカーに片手を添えて閉じた。まだ手袋はしていない。
 合格してからというものの、彼と図書館に行っていない。手続きもろもろで慌ただしく、……手のひら返した自分の行動にもいまさら気がつく。単純で現金な、合格した側の事情に依る気まずさなりを感じつつあったが、……彼は一向に気にしない様子。
 マキは今日がなんの日だかも、どうでもよさそうだ。
 もし女の子に告白されたとしてもこの無表情を貫くのだろう。
「じゃあね」
 黒のピーコートもよく似合うと思った。
 女の子相手なら単純に言えることも、彼には言えない。
 異性間の距離を感じつつ私は距離を開いた。
「――都倉」
 彼ほどに涼やかで耳に心地のいい低音を出せるひとを知らない。
 間を置く彼の余韻。名を呼ぶときの響きが気持ちいいほどで、何度でも聞いていたい。
 これも勿論、口に出せないたぐいのものだけれど――
「なぁに」
 横開きのドアに手をかけ、振り仰げば、彼は一ミリも笑わず、「来週には合格通知が来る」
 合格。「……ってマキの?」
「ああ」
「すっごい自信だよね」落ちる不安って彼には無いんだろうか。
「ああ。俺もおまえと同じ東京行きだ」
「そう」
「――嬉しくねえのか?」
 隣を通る子がもろに私のことを見てきた。
 ……だから。
 そういうのをでっかい声で言わないでよ。
 だんだん声が大きくなるタイプで、とんでもないことを臆面もなく言える彼に、この場で渡さないのは、注目を集めたくないからこそなのに。
「そーゆーこと言ってると顔出さないから」ふくれっ面で言ってみるものの、
「……望むところだ」口許で微笑する余裕をもって、「どうなるのか覚悟しておくんだな」
 指を組み合わせてばきぼきする、それ、怖いから。
 逃れ逃れ廊下に出た。
 まったくもう。
 顔が見たいんなら素直に言えばいいのにね。
 この町の気候は東京育ちの私に感じたことのない痛みをもたらす。耳あては子どもっぽいので回避しているが、本当はしたほうがあったかい。髪をかけて晒す耳も、スカートから出る膝頭も真っ赤になるし、つま先に雨や溶けた雪の染み込んだ場合は足の指がしもやけとなる。雪国をサーバイブするにオロナイン軟膏が必須。
 澄んだ清らかな空気を感じられるものの屋外は氷点下の寒さだ。中庭の樹木に降り積もる雪が溶けていない。だから、
 こんな時期にあんな場所に誰もいない、
 ――はずが。
 保健室の角を曲がり、渡り廊下に飛び出た。
 開きっぱのドアの裏に身を隠す。
「先輩、どうしてっ……」
 切迫した女の子の声。よく聞こえる。下級生だろう、向こうの校舎から渡り廊下をこっちにやってくる男の子たちが好奇の視線を投げる。彼らのほうにも、私にも。
 私は顔を伏せた。
 その好奇は長続きするものでなく、笑い話に被さって溶けてしまう。
 しかし私のそれは違う。
「あたし、中学の頃から、先輩のこと、ずっと」
 好きやったんです。
 告白が胸を、突く。
 私には決して声に出せない一言を。
「だから、どうしても、受け取って、欲し、く、って……」
 顔を確かめようとした、でもできなかった。切れ切れの言葉にどれほどの勇気と想いが込められているのか。私は暗がりのなかで胸元をかき合わせた。
「……一年生?」
 間違いない。
 和貴の、声だ。
「はい」
「緑中(いっちゅう)だったの」
「一中(いっちゅう)です」
 彼らの会話の示唆するところが分からない。
 でも次の台詞の意図なら、私には掴めた。
「……悪いことは言わない。ほかのひとを好きになったほうが、キミのためだよ」
 穏やかな口調がかえって残酷だった。
「なんで、ですか。やってあたし、ずっと、先輩が、っ……」
 もう、聞いていられない。
 顔を伏せて建物に戻ろうとした、が。

「好きなひとがいるんだ」

 その足が凍りついた。
 息を奪われ、動けない。

 好きなひと――?

 そんな可能性も、脳天気な私は考えてもいなかった。

「……だからね、僕は受け取れない。ごめんね」
「桜井先輩。あのっ」
「話はそれだけ?」
「せ、んぱい……」
 声を絞り、泣くのをこらえる。差し迫る足音は、どっちのものか。
 考えなくても、分かる。
 胸に渡せない想いを抱えた彼女は、私という立ち聞きをした人間を捉え、涙をいっぱいに貯めた目で、なにも考えられない様子で、目の前を走り去った。
 悲しみと激情が自分のなかに取り残された。
 私は、――動いていた。
 ズックが濡れる。だから校舎からはあんまり出ない。
 背中を向けた、――中庭の緑を背景に赤いコートが映える。彼が、立っていた。
「……和貴」
「ま、さきさんっ?」
 突然に現われた私に頓狂な声をあげるものの、私のこころには冷たいものが流れた。
「どうして、受け取らなかったの」
 理解が及んだのか。和貴の片方の口端が軽薄な感じに歪んだ。「……聞いてたんだ?」
「うん。その……中庭に和貴がいるのが見えて……」
「まー人目につくよねここは」
 中庭を両側から挟む校舎を、首の体操でもする動きで見回す。
 他人ごとのように言える彼が、怖く感じられた。
「ずっと、好きだったって言ってたじゃない。……受け取ってあげたってよかったのに。なんで今年から? 去年は貰ってたんでしょう」
「心境の変化、かな」
 ポケットを手を突っ込み、肩をすくめる彼に怒りを覚えた。
「そんな、いい加減な気持ちで振り回さないでよ。女の子たちのこと」
「――いい加減?」
 言葉尻に和貴が食いついた。
「いい加減はどっちだよ。僕のことをよく知りもしないのに、なんとなくみんながあげるからって。あの子たちが求めてるのは僕じゃない。連れ回していいでしょうって友達に自慢できるビジュアルの、適度に人当たりのいい、男の子、なんだ。常にニコニコしてアイドルみたく好き好きゆってくれるマスコットをね。そんなことも思い至らずに、流行でも追いかける感覚でそれをやってんだ」
 夢だと、幻想だと、見なす。
 現実を伴わない、淡雪のようにライトで溶けやすい恋心を。
 こうやって怒ることもある。突き放すこともある。
 ニコニコ笑ってるばかりが、和貴じゃない。理想を満たすばかりじゃない、本音の和貴を理解している子も、必ず居る。
 絶対に。
「本当に和貴を好きだから渡す子もいるんだよ。なけなしの勇気を、振り絞って……」
 さっきの女の子に自分を重ねていた。
 もしかしたら自負していたかもしれない。
 或いは告白に近かったのかもしれない。
 自分がそうなのだと。
 突き放されても追いかけたい、
 理解者でありたい希望の一切を、

「僕は――応えられない」

 和貴は、拒んだ。
 その拒否こそが私に差し向けられていた。
 ゆるぎもしない、決意を宿した、瞳が告げた。
 変えるつもりはないのだと。
 変わるつもりもないのだと。

 うちに秘めた恋心もろとも粉砕された気がした。

 和貴はその眼差しのままに、こちらに踏みより、

「応えられないんなら、最初っから変な期待させないほうが、あの子たちのためだよ」

 和貴の言うことは分からなくもない。
 けど。けど……。
 言葉にならないもどかしい想いが私のなかで波打つ。
 ぎゅっと拳を固く握りしめた。「だからって、あんな言い方しなくっても……」
「じゃあ真咲さんは、どんな言い方で僕が断ればいいと思ってる?」
 険を取り除いた、理解を示す口調で問いかけられ、絶句した。
 ――分からない。
 相手を傷つけずに拒む方法なんて、私にはちっとも分からない。
 それこそ私が悩んでいることの、ひとつだった。
 なにも応えられずの私を見、風に遊ばされる前髪をふと押さえ、和貴は濡れてしまった内履きに目を落とした。「……こんなとこで油売ってないでさ、真咲さん。行ってきなよ」
 校舎を顎で指す。
 三年の教室のほうを。
 なにを言いたいのか、理解しなかった。

「マキのとこに行くんでしょ」

「――は?」
 頭のなかが白く染まった。
 反対に血流はどくどくとうるさい。
「どうして、……ここでマキが出てくるの」
「だってさ」嘲るような笑い方をする。「いつもいつもべったりくっついててさ、すっごく仲がいいじゃん」
「なにそれ。確かにマキと行動することは多いけど、放課後の、図書館行くときくらいだよ。勉強するためだけだし」
「へえ、そう。ホントに?」
 そんないかがわしい目で見られていたなんて。
 日頃は綺麗なアーチを描く口を、への字に曲げる彼に、私のなにかが切れた。
「あーそう。そう思いたいなら思ってればいいじゃん。ひとの気も知らないで」
「真咲さん」
 子リス和貴に戻ったのは分かるが私のなかでは遅かった。
「本命チョコは受け取らないんだよね。はい。これ義理だから安心して」
「ま、さきさん……」
 押しつけられる袋に手を添え、交互に見て当惑している。
 私は喉の奥が狭まるのを感じながらもその彼に伝えた。
「お、望みどおり、マキのところに行ってくる。……じゃあね」
 和貴はもう、……なにも言わなかった。
 ひた走って、自分の下駄箱に着いてようやく、呼吸が取り戻せた。
 どうして、あんなかたちでしか言えないんだろう。
 言えないからああいうかたちで八つ当たりする。……和貴はちっとも悪くない。悪くないのに。下駄箱に泣きついたってなんの意味もない。
 ……私には和貴のことをどうこう言う筋合いも資格もない。
 マフラーの鮮やかないろが滲んで見えた。私は、このいろが好きだった。和貴を感じられるいろが好きだった。どんないろであっても和貴が着こなせば好きになれた。
 和貴のことが、好きだった。
 息を整え、マフラーを巻き直す。混沌とした気持ちのまま、それでもたったひとつ。
 こころの求める先へと向かった。
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