碧の青春【改訂版】

美凪ましろ

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第一章 ほんとにここで?

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 割と、不自由のない暮らしをしていたと思う。

 通うのはエスカレーター式の私立だった。制服だって、キャメルのブレザーに青と茶のプリーツスカート。地元では可愛いって有名で、他校の子がわざわざ振り返って見てくることだってあった。私は行かないけど合コンで男の子受けするんだとか。毎日袖を通すのが密かなる私の楽しみだった。ルーズソックスは履かずに上品に、学校指定の紺のハイソックスと黒のローファーで仕上げる組み合わせが好きだった。
 欲しいお洋服や習い事一つだってねだって親に断られたことはなかった、……というより私は本以外あんまり欲しがらない、平均的な女の子よりも偏屈な子どもだから。

 それだって、夢見ることもある。

 見目かたちのいいお嬢様になって、天蓋付きのふかふかのベッドに眠りたい。出窓にレースのカーテン、天井まで届く窓もあったり。弾かないけれど白いグランドピアノだって置かれたりして。お紅茶の似合う、広々とした白床の高貴な空間。が、自分の部屋だったらいいなって。
 現状を目の当たりにして思う。

 町田の家のほうが夢に近かった。

 ――通された二階の奥の部屋は、元の私の部屋の半分以下だろうか。六畳あるかないか。しかも和室。色褪せてすり切れた畳は見るに張替えどき。抹茶色の砂壁は漆喰だろうか、こすったら表面のざらっざらが剥がれ落ちてしまいそう。学習机炬燵扇風機たんす石油ストーブ本棚カラーボックス衣装箱で既に目いっぱいで、家具の家具の間と、残った手前のスペースに段ボールが五段十段積み上がっている。満員電車の車内みたく足の踏み場もない、入り口近くで三人立つのがぎりぎり。この家で不要な家具を運び入れて何十年と放置した廃屋に近しい物置にとりあえず段ボールを突っ込みました、というのが結論。油性マジックで『母』と書いた段ボールまで何故かこちらに集合している。家具が一つ二つの母の部屋に、段ボールは一箱もなかった。
 鼻から息を吸う。……胸が悪くなりそう。換気したほうがいいと思ったけれど、窓の所に行くには、薄いほこりを被った家具を踏んで段ボールの形を潰さなきゃ無理そうだ。勉強机と背の高い本棚の間から西日が射す。障子窓の和紙は日焼けして穴が空いたまんま。つと頭上を見上げてぞっとした。
 蜘蛛の巣が張っている。
『おかえりなさい。真咲ちゃんも遠い所をよう来たね』
 震えながら壁に身を寄せて思い起こす祖母の言葉。
 とんだ、歓迎だ。
「お祖母ちゃん、こんなんやったら布団も敷けんがいね。あたしらどうやって寝ればいいが」
 流石の母も咎める口調となる。
「すまんかったねえ」と言うものの、祖母に悪びれる様子はない。「片付けとる暇なかったんよ。お祖父さんちっとも動けんげしわたしかて年寄りやしなんもできんげ。若い人やないとこういうときに役に立たんもんやねえ。ああ、使わん家具あったら向かいの部屋放っといて。あすこも物置になっとるし」
 たぶんほとんどの家具を使わない。
「したってこんなん、荷物開く前に大掃除せなならんやろが。昨日今日帰ってくるってあたしゆうたんやないげよ。それにな、お引越しの業者さんやって二階まで運んだり仕分けくらいしてくれるってちゃんと伝えといたがいね」
「ごめんねえ。お祖母ちゃん、ご飯の支度があるさけ、それまで二人でやっとって」
 祖母は、逃げるように去った。いや、どう見ても逃げていった。
 雑然のなかに取り残され愕然とする。暑い。クーラーはある、けれどリモコンはどこだろう?
 頭のなかで展開を組み立てる。先ずは段ボールを全て運び出し、使わない沢山の家具も廊下に、向かいの物置に入れて箱をまた戻して……って今日のうちに終わるのか。終わらない。吊り下げの四角い照明を見てもほこりがひどいし拭き掃除も必要だ。非力な女二人と、老人二人が居たって(というより祖母は手伝う意欲がなさそうだし)東京で荷物を運んでくれた筋肉隆々の引越し業者みたく上手くは行かない。

『真咲ちゃんの部屋っていいなー広くって綺麗で』

 唐突に、部屋に友達を呼んだときの反応が思い出される。羨ましい、とみんなが言ってくれた。なんのこともなしに恵まれた生活を過ごしていた日々。
 東京に、全部置き去りにしてきたということなのだろう。この部屋を整理整頓しても、出てくるのはあれよりも狭い、いいなって誰にも言われない部屋なのだ、間違いなく。
「……お母さん」
「なあに? 真咲」
 現実への準備を整えた母は段ボールの一つに手をかける。
 私は、整わない。お城から独居房へ動かされたかの急激な変化に、追いつけていない。
「ほんとにここで?」
 潤ったはずの喉がいやに乾きを覚える。
「うん?」
「ほんとにここで私たち、ずっと暮らすっていうこと?」
「そうやねえ」母は笑う。やや苦いものの混じった笑みで。「先ずは真咲の部屋片付けなならんね。安心したって。お母さん頑張るさけ」

 ――こんな部屋は、いやだ。

 出かかった言葉は飲み込んだ。母は既に、うーいしょ、と言いながら一つを下ろしてガムテープを剥がし始める。
 私は、動けない。
 動いて開けばもう、認めたことになってしまう。
 仕立てのいい紺色のブラウス、グレーのタイトスカートにストッキング。引越しに向かない服装で母は小柄な体を懸命に動かす。私だって結構気に入ったワンピースを着てきてしまった。父と会えるのは最後だったから。車内でいっぱい汗をかいた。お風呂だって入りたい。

 夢で描いた童話で例えればこれは灰かぶりシンデレラに近いのかもしれなかった。
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