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番外編4 至上の幸せ――多感な莉子SIDE
#EX04-45.ダブルバインド
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明けて、13日の、月曜日。いつも通り課長と一緒に出社する。フロアにまだひとはまばらだが、先ずはいるメンバーに挨拶をする。土曜日は、ありがとうございました……と。
13日は不吉な日だと言われているが、迷信というものは、あくまで信じたいひとだけが信じる……その程度のもので。例えば、……わたしたちのように、平和な夫婦には適用されない。
はずが。
「……大丈夫? 高嶺……」
高嶺の様子が気になり、たまらず、昼休みに彼女を会議室に連れ込み、声をかけた。が、彼女は暗い面持ちで、
「あたし、……貴将と別れるかも」
「えっ……嘘……っ」なにを言っているのだろう。わたしたちの披露宴の準備も、高嶺は荒石くんと一緒に手伝ってくれて、ふたりは、順調満帆。だったはずが……。「え。なんでなんで。なにがどうしてそんなことに……なっちゃったの?」
「だって貴将――」ぷぅ、と高嶺は頬を膨らませ、「……子ども。子どものこととか……考えてないんだもん……まだ……欲しくないって……」
基本的にはなんでも高嶺の味方であるはずのわたしだが。――なるほど。荒石くんの意見に同意出来る部分はある。
「――荒石くんは、高嶺の、事情を……知っているんだよね」と、わたしは切り出す。「つまり、中野さんのサポートで入って、もしかしたら正社員に採用されるかもしれないという事情を……。だったら、荒石くんが、子どものことをすぐには考えられないと思うのは自然じゃないかしら……」
「でも。ひとの命がかかっているんだよ? 中野さんのことは確かに大切だけれど……それで、妊娠出産の時期を逃すのは……違うと思う」
「えっなに言ってるの高嶺。そもそも高嶺は……中野さんが出産するから代打で雇われてそれで……しかも、能力を買われて正社員になろうとしているんだよ。なのに、いま……妊娠するのはまずいでしょう」
「だったらいつならいいって莉子は考えているの? 二年後? 五年後? 例えば中野さんが三人子どもを産み終えてから? 莉子だって……中野さんみたいに、妊娠出産する可能性はあるんだよ。あたし……中野さんの赤ちゃんを抱っこして。莉子たちの結婚式を見ていて思った。あたしも……幸せが欲しい。目の前にある幸せを掴もうとすること……それの、どこが、悪いの?」
言葉が出なかった。確かに……高嶺の言う通りだ。もし、わたしが、今後妊娠出産したとしたら、――それで、高嶺が既に正社員として雇われているとしたら、『また』、高嶺に我慢を強いるの? だったらいつ……高嶺は自分の思う通りの出産を出来るのだろうか。ましてやわたしは……幸せを見せつけたばかりの人物なのだ。
ともかく。わたしが気になるのは、高嶺が……荒石くんと別れようと考えていること。本気だろうか?
高嶺はわたしの胸中を読んだかのように、
「貴将とは……こじれていて。……で。結婚式の後、有志で飲み会に行って……そこで出会った男に口説かれて。
感じのいいひとだったよ? 貴将みたいに、変なところのない、ノーマルな男。
だから、グラッていったわけじゃないんだけど……こころが逃げているのかもね。他の男とさっさと子どもを作れるのなら、それでいいかも。会社の人間相手だったら妊娠出産の時期とか考えなきゃだから……面倒くさいし。最悪、退職するって手もあるでしょう……」
――ああ。
かざすのは簡単。でも、わたしが振りかざそうとしている正論は、高嶺自身が、よく分かっているはず……。
わたしは、ランチが進まない様子の、高嶺に視線を注いだ。相変わらず、手作りのお弁当。中身を見れば、頑張っていることがよく分かる……。
「友達としては、高嶺がしたいことを優先して欲しいと思う……。
ただ、職場の同僚としては……」
わたしは間を置くと、
「高嶺の判断を、手放しで受け入れることは出来ない……」
苦い苦い、結論を弾き出した。
* * *
「――莉子。大丈夫……?」
課長にも心配されるありさまだ。平和な夕食のさなか。箸が――止まっている。
「を、拒んだ。よくよく考えたら……わたしも、同じなのだ。もし、中野さんが復帰する前後に妊娠でもしたら、会社に迷惑をかけることになる。中野さんが復帰するのは来年の四月。中野さんのお子さんが、保育園に無事入れるかもまだ分からない。認可保育園に入れられなかった場合は、認可外に預けるつもりだとは聞いているが。
本当に、わたしは、自分のことしうん。ちょっと……考えごと」
「それは、おれには話せないこと?」
「……うん」迷ったものの、わたしは判断を留保した。「ごめんね。落ち着いたら話せるかもしれない……」
「悩み事があるんだったら、ひとりで抱え込まないで。……誰にも言わないから。話せる範囲で話してくれて……いいんだよ?」
「ありがとう遼一さん。でも……大丈夫だから……」
課長は、高嶺を直接雇用しようか考えている人物だ。派遣の契約は三ヶ月単位で、次の更新は一月。もし――わたしが余計なことを言えば、彼女の評価に響く。生活に関わる。仮に、うちの会社から切られたとしたらすぐに再雇用先は見つかるのか? それに、荒石くんとは、どうなる……?
余計なことは言えなかった。仮に……課長を裏切る結果になったとしても。
その日、わたしは、課長か考えていなかった。いくら結婚式諸々の準備が忙しかったとはいえ、周りのことが見えていなかった。おそらく……高嶺は、下手にわたしを刺激しないために、今日まで黙っていてくれたのだ。大切な親友に気を遣わせてしまっていたこと自体が、申し訳なかった。
それに、自分は……結婚しているのだから。しかも、課長とは公認の仲なのだから、妊娠しても当然……というあまえがあったのかもしれない。不思議と、自分が、中野さんの復帰直後に妊娠したらどうなるか――? ちっとも考えちゃいなかった。
自分が、自分で、恥ずかしい。
課長に、話せば、楽になるかもしれない。……でも、高嶺のプライバシーに関わることを、やすやすと打ち明けるわけにはいかない。それに。今回のはわたしのメンタルの問題だ。課長に言って横着するのはなにか、違うと思う。悩み……悩みに悩んで、一晩眠り、冬に特有の、空気の澄み渡った、晴れ渡る朝を迎えても、なかなか答えは出なかった。
*
13日は不吉な日だと言われているが、迷信というものは、あくまで信じたいひとだけが信じる……その程度のもので。例えば、……わたしたちのように、平和な夫婦には適用されない。
はずが。
「……大丈夫? 高嶺……」
高嶺の様子が気になり、たまらず、昼休みに彼女を会議室に連れ込み、声をかけた。が、彼女は暗い面持ちで、
「あたし、……貴将と別れるかも」
「えっ……嘘……っ」なにを言っているのだろう。わたしたちの披露宴の準備も、高嶺は荒石くんと一緒に手伝ってくれて、ふたりは、順調満帆。だったはずが……。「え。なんでなんで。なにがどうしてそんなことに……なっちゃったの?」
「だって貴将――」ぷぅ、と高嶺は頬を膨らませ、「……子ども。子どものこととか……考えてないんだもん……まだ……欲しくないって……」
基本的にはなんでも高嶺の味方であるはずのわたしだが。――なるほど。荒石くんの意見に同意出来る部分はある。
「――荒石くんは、高嶺の、事情を……知っているんだよね」と、わたしは切り出す。「つまり、中野さんのサポートで入って、もしかしたら正社員に採用されるかもしれないという事情を……。だったら、荒石くんが、子どものことをすぐには考えられないと思うのは自然じゃないかしら……」
「でも。ひとの命がかかっているんだよ? 中野さんのことは確かに大切だけれど……それで、妊娠出産の時期を逃すのは……違うと思う」
「えっなに言ってるの高嶺。そもそも高嶺は……中野さんが出産するから代打で雇われてそれで……しかも、能力を買われて正社員になろうとしているんだよ。なのに、いま……妊娠するのはまずいでしょう」
「だったらいつならいいって莉子は考えているの? 二年後? 五年後? 例えば中野さんが三人子どもを産み終えてから? 莉子だって……中野さんみたいに、妊娠出産する可能性はあるんだよ。あたし……中野さんの赤ちゃんを抱っこして。莉子たちの結婚式を見ていて思った。あたしも……幸せが欲しい。目の前にある幸せを掴もうとすること……それの、どこが、悪いの?」
言葉が出なかった。確かに……高嶺の言う通りだ。もし、わたしが、今後妊娠出産したとしたら、――それで、高嶺が既に正社員として雇われているとしたら、『また』、高嶺に我慢を強いるの? だったらいつ……高嶺は自分の思う通りの出産を出来るのだろうか。ましてやわたしは……幸せを見せつけたばかりの人物なのだ。
ともかく。わたしが気になるのは、高嶺が……荒石くんと別れようと考えていること。本気だろうか?
高嶺はわたしの胸中を読んだかのように、
「貴将とは……こじれていて。……で。結婚式の後、有志で飲み会に行って……そこで出会った男に口説かれて。
感じのいいひとだったよ? 貴将みたいに、変なところのない、ノーマルな男。
だから、グラッていったわけじゃないんだけど……こころが逃げているのかもね。他の男とさっさと子どもを作れるのなら、それでいいかも。会社の人間相手だったら妊娠出産の時期とか考えなきゃだから……面倒くさいし。最悪、退職するって手もあるでしょう……」
――ああ。
かざすのは簡単。でも、わたしが振りかざそうとしている正論は、高嶺自身が、よく分かっているはず……。
わたしは、ランチが進まない様子の、高嶺に視線を注いだ。相変わらず、手作りのお弁当。中身を見れば、頑張っていることがよく分かる……。
「友達としては、高嶺がしたいことを優先して欲しいと思う……。
ただ、職場の同僚としては……」
わたしは間を置くと、
「高嶺の判断を、手放しで受け入れることは出来ない……」
苦い苦い、結論を弾き出した。
* * *
「――莉子。大丈夫……?」
課長にも心配されるありさまだ。平和な夕食のさなか。箸が――止まっている。
「を、拒んだ。よくよく考えたら……わたしも、同じなのだ。もし、中野さんが復帰する前後に妊娠でもしたら、会社に迷惑をかけることになる。中野さんが復帰するのは来年の四月。中野さんのお子さんが、保育園に無事入れるかもまだ分からない。認可保育園に入れられなかった場合は、認可外に預けるつもりだとは聞いているが。
本当に、わたしは、自分のことしうん。ちょっと……考えごと」
「それは、おれには話せないこと?」
「……うん」迷ったものの、わたしは判断を留保した。「ごめんね。落ち着いたら話せるかもしれない……」
「悩み事があるんだったら、ひとりで抱え込まないで。……誰にも言わないから。話せる範囲で話してくれて……いいんだよ?」
「ありがとう遼一さん。でも……大丈夫だから……」
課長は、高嶺を直接雇用しようか考えている人物だ。派遣の契約は三ヶ月単位で、次の更新は一月。もし――わたしが余計なことを言えば、彼女の評価に響く。生活に関わる。仮に、うちの会社から切られたとしたらすぐに再雇用先は見つかるのか? それに、荒石くんとは、どうなる……?
余計なことは言えなかった。仮に……課長を裏切る結果になったとしても。
その日、わたしは、課長か考えていなかった。いくら結婚式諸々の準備が忙しかったとはいえ、周りのことが見えていなかった。おそらく……高嶺は、下手にわたしを刺激しないために、今日まで黙っていてくれたのだ。大切な親友に気を遣わせてしまっていたこと自体が、申し訳なかった。
それに、自分は……結婚しているのだから。しかも、課長とは公認の仲なのだから、妊娠しても当然……というあまえがあったのかもしれない。不思議と、自分が、中野さんの復帰直後に妊娠したらどうなるか――? ちっとも考えちゃいなかった。
自分が、自分で、恥ずかしい。
課長に、話せば、楽になるかもしれない。……でも、高嶺のプライバシーに関わることを、やすやすと打ち明けるわけにはいかない。それに。今回のはわたしのメンタルの問題だ。課長に言って横着するのはなにか、違うと思う。悩み……悩みに悩んで、一晩眠り、冬に特有の、空気の澄み渡った、晴れ渡る朝を迎えても、なかなか答えは出なかった。
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