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番外編4 至上の幸せ――多感な莉子SIDE
#EX04-20.プール! プール! プール!!
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「ねえ。莉子。見て見てー。すごいすごいっ……。波のプールがあるよ。ねえ入ろうよ!」
「わぁ……ちょっと引っ張らないでー」
七月に入り、プール開きの日を迎え、砂糖に群がる蟻のように、プールはひとでいっぱいだ。みんな――楽しんでいる。
「……課長」
わたしは荒石くんと並んで立っている課長を振り向いた。すると彼は、「行っておいで」と手を振る。
前々からプールに行きたいね、って話は課長としていて。それで、高嶺と荒石くんカップルも興味がありそうなので、せっかくなのでと、某巨大プールに遊びに来ている。
わたしは――高嶺と仲良くなってから、彼女と課長が半々くらいで。こころのなかに占める割合が。高嶺は……いつもわたしのことの親身になってくれるから。課長とはまた違ったやり方で。
高嶺を大切に思う気持ちを、どう整理したらいいのか分からない。なんというか……わたしのほうも、もし高嶺が異性だったら、彼女に惚れていたかもしれない。そのくらいに、彼女が好きだ。
課長には、言えない。それまで課長にべったりだったのが急に……高嶺と平日ご飯を食べに行ったり、休日出かけることに対し、なんというか、罪悪感を感じることもある。
課長は、わたしの変化について、なにも言わない。……そう。彼は、こちらが自然と、気持ちの整理がつくまで待つタイプの男だから。
「ねえ。気持ちがいいよ莉子。おいでー!」
課長に視線を引き寄せられているあいだに、高嶺は向こうに行っていた。波打つプールのなかで大きく手を振り、「すっご。気持ちいいよー!」
大きなステージがあるほうから、こちら側の斜めに盛り上がる地面にかけて、プールが波を打っている。すごい。へえ。いまどきのプールってこんなだったんだ。わたしの知るプールの形態は、学校にあるのよりも大きなプールや、あとは流れるプール? Oの形の、ぐるぐる回るタイプのプールしか知らない。
サンダルを脱ぎ、入ってみる。ひんやりとする。――つめたい。あまりのつめたさにびっくりしてしまう。
「なにもたもたしてんの。莉子。行くよ」
業を煮やしたらしい高嶺がわたしを迎えに来る。が、
「すごい……冷たい」
「慣れだよ慣れ。さ。あっちのほう行こう」
そうして高嶺はずんずん前に進んでいき、ひとの間を縫い、あっという間にステージ前へと辿り着く、ステージの下部から、規則的に高い波があがり、それが向こうへと流れていく。高い波がどんどんあがり、そのリズムに合わせてこちらもからだを浮かせる。――母の胎内にいる感覚ってこんなだろうか。水のなかって……気持ちがいい……。気持ちよさに、包まれる感覚。
「ねえ……浮き輪ないのかな。ないよね?」周囲を見回した高嶺が、「買ってこようか。そこらへんに売ってるよね?」
「え……でも。勿体なくない?」
確かに周りを見ればみんなが浮き輪を持っているのだが。でも、浮き輪って。プールのときくらいしか使わなくない? プールなんてこの先どのくらいの頻度で行くのか分からないし。この夏一回こっきりだと、勿体ないような。
「あっちの売店に売ってましたよ」見れば、やってきた荒石くんが話しかけるのは明らかにわたしだ。「なら、みんなで見に行きましょうか」
「……課長は」
「おれはいいと思うよ。こういうときって、楽しまなきゃ損だろ」
課長がこの手の提案に乗らぬはずがなく、わたしたちは売店を見に行った。
* * *
「わー。こんなおっきい浮き輪もあるんだ! 見てよ莉子! シャチに……鮫だよねこれ。面白ーい」
子どものようにはしゃぐ高嶺が愛おしい。
売店には、ラーメンやソフトクリームなどを売る幅広いカウンターやフードコートが用意されており、その一角にラックが置かれ、浮き輪や……空気を入れた見本の浮き輪を売っている。
見本を手に取ると思ったよりも大きい。……わたしの身長くらいありそうな。
でもわたしは疑問に思う。「こんなに大きい浮き輪……どうするの」
「んー」と楽しそうに高嶺は巨大な浮き輪をすぽっと自分のからだに嵌め、「乗ったり? ぷかぷかしたり……一緒に泳いだりするんじゃない? ね。どっちかシャチ系のにしてどっちかが浮き輪にしようよ」
「浮き輪は人数分な」と背後から仕切るのは課長。「じゃあ、それぞれが欲しいの選んで。ここはおれが出すから」
これでは課長というより、まるでお父さんだ。そんなお父さんの提案に乗り、わたしたちは各々が欲しい浮き輪を選んだ。
* * *
「気持ちいい……」
「だねー」
プールには浄化機能でもあるのか。水の中にいるとこころが洗われる気がする。わたしは大きめなドーナツ柄の浮き輪を選んで、高嶺がシャチ。この四人でいるときは自然と同性ペアで過ごすことが多い。課長と荒石くんは、すこし離れてわたしたちを見守っている。
ぐるぐる回る、お馴染み流水プールで歩いている。高嶺は大きなシャチに抱きつくようにして。
日光が降り注ぐ屋外プール。外は暑いだけに、この冷たい水とのコントラストがたまらない。水に浸かっていると独特の浮遊感に包まれ、頭のなかがクリアになる。癒し効果があるみたいだ。ふーんわり。たゆたう。たゆたう……。
勿論、プールは大勢のひとがおり、家族連れが七割、以外は学生さんやカップルが多いという印象。高校生の男の子集団も見かけ、そうか男の子同士でプールに行くのも当たり前なのかと……妙に感心してしまう。いまどきの子はいろんな遊び方を知っているんだな、と。
「ねえ。彼女たち、ふたり?」
ちょくちょく、こうやって話しかけてくる男のひとがいる。高嶺が答える。「いえ。彼氏連れで来てるんで。後ろにいます」
「あ……そ……」
軽薄な男連中はそれで去っていく。明らかに高嶺の水中から出るグラマラスなボディを見ているのが気に障る。高嶺はお洒落をしてはいる。可愛い。けど、視線で凌辱するのは許せないんだぞ、と。
この日にプールに行くのが決まっていたので、水着を持たないわたしたちは、こないだ仕事帰りに買いに行った。高嶺が、赤地に白い水玉のビキニ、わたしがお揃いの黒バージョン。
「ねえ。もうちょっと貴将たち、近くにいてよ」
わたしとのひとときを邪魔される高嶺は不服気に荒石くんに言う。と荒石くんが、「悪い悪い」とさっぱりした頭を掻く。
「高嶺たちなんか楽しそうだからさぁ。邪魔しちゃわりいと思ってつい、遠巻きで見ちまうんだ……」
「さっきみたいな変なやつらがいたらすぐに追い返せるくらいの距離にいて」
「それか、課長……。ガン飛ばしてくださいます? 腕組みしてこっわーい顔して」
「あ、それいいね。お願いします三田課長」
「分かった」
元々きりりとした顔立ちの課長がそれをすると効果的だったのか。以降、わたしたちに近づく男は現れなかった。
* * *
「わあ……高嶺。高嶺ぇ……っ」
「莉子。あははーっ」
ざぶ、ざぶ、と繰り返し、高い波がフェンスの向こうからやってくる。それに合わせてからだが浮き、自然と足が地面を離れ、その波動に酔いしれる。首の下までプールの水に浸かって。どうしてこんなに水はわたしたちを癒すのだろう。こうして高い波に身を任せると、小さなことなんか、どうでもいいって思えてくる。――些細なこととか。
先週、結婚式の打ち合わせに行ってきた。ざっくり、出席人数を洗い出すのと、大まかなスケジュールなんかも聞いて。出席者、席次表のシートを貰ったけど……準備が大変で。なかなか頭の痛いところがある。誰をどこに座らせよう……誰をどこまで呼ぼう。
うちの部署はわたしの入社前に結婚した人間が多く、経営企画課内における結婚式の常識がいまひとつ分からない。ひとまず、課の人間は全員呼ぶことにした。となると、主賓は企画部の部長とか? どこまで呼ぼうか? と。課長と話し合って、偉い人を何人か呼ぶことにした。――が、それが常識的なことなのかまでは分からない。
あとは、友達。……友達。わたし、全然いないからな……。大学のゼミの集まりの幹事をやっていたけど、レイプの件があってから疎遠気味で。年賀状のやり取りをし、たまにメールをするくらい。あでもそっから、一回だけ開いたけど、妊娠した子がいて正直……嫉妬してしまって。でも、誰かが結婚式を挙げれば必ず集まる間柄だ。呼んでも不自然ではない。近いうちにみんなで集まろうと呼びかけるつもりだ。
こうしてプールに連れてきたのは、こうしたくさくさした気分を吹っ飛ばすための、課長なりの、わたしへの気遣いなのだろう。
気持ちを切り替えて、子どものように、みんなで遊んでいるいちに、あっという間にお昼になっていた。わたしたちはフードコートに行き、全員がラーメンを頼む。
テーブル席について食べると、
「うっま!」
真っ先に荒石くんが叫んだ。「うわー。冷えたからだに超染みるー。うっまー」
まさしくその通りで。午前中いっぱい、プールに漬かっていたから意外とからだが冷えている。このからだに、この熱さが、ありがたい。美味さが全身に染みわたる。
こういうところのご飯ってあんまり美味しくなかったはずが。いまはどうだ。行列の出来るラーメン店ばりに美味しい。普通に。
わたしはとんこつラーメンにしたけれど、細麺が、絡まって、ずるずると進む。紅ショウガやネギ、高菜のトッピングもありがたい。それからチャーシューがジューシーで!
全員すぐに平らげると、一旦トイレに寄ってからまたプールへと飛び込んだ。
* * *
「はーい! みなさん、盛り上がっていますかー! それではずぶぬれタイムの開始ですー!」
大きなステージの前の、波のプールに入ったわたしたち。見れば、ステージの上に、何人も、男の子たちがそれぞれ長いホースを手に立っている。何気にこういうところで働く男の子たちってからだを鍛えるのが趣味なのか。全員色黒で腹筋が割れている。目の保養。
「いきますー。スタート!」
なにをするのかと思いきや、男の子たちは一斉に、観客席であるプールにいるわたしたちにホースを向けて、出る水をまんべんなく浴びせかける。……てすごい、勢い。勢い! そこそこ離れたところにいるわたしと高嶺たちにまで容赦なくぶっかかり、途端に顔も髪も濡れる。ものすごい雨……いや、滝にでも打たれたみたいだ。
「うわぁ……なにこれ」
「あっ、また来る!」
ぶしゃあああ、とまた水がぶっかかりもう、前が見えない。口を開けばすぐ水が入り、かといって閉じれば鼻に水が入り息が出来ない。勢いがすごすぎて笑えて来る。
男の子たちはけらけらと楽しそうにまんべんなく、観客のわたしたちにぶっかける。なんとなく……その姿に卑猥ななにかを感じてしまったのは内緒だ。
ずぶぬれタイムが終わると、もう、びしょびしょ。髪から水を滴らせ、高嶺と顔を見合わせて笑った。
それから――ステージライブが行われてエキサイトしたり。ビールを飲んだり、わたしはアイスクリームを食べたり。ウォータースライダーを滑ったり。たっぷり――わたしたちは、大人になってから初めて訪れるプールを楽しんだのだった。
* * *
(寝てる……)
遠出もあって疲れたのか。高嶺は、電車で座席に座ると瞬く間に眠ってしまった。わたしの隣にいる課長が、小さなあくびをした。今日はぐっすりと眠れそうだ。……セックス、出来なさそうだな。疲れちゃった。
課長が会話をしていないことからすると、課長の隣に座る荒石くんも、眠っているのだろう。わたしは課長に話しかけた。
「……楽しかったですね」
「そうだな」
「……高嶺とばかりいてごめんなさい」
「いいんだよ。莉子に親友が出来たのは、おれも嬉しい。それに、おれはいつでもきみに会えるから」
嫉妬、しないのかな。
なんとなく気になるけれど……。
課長は、わたしが高嶺と出かけてもとやかくは言わないひとだけれど。二週間に一回、多いときは週三回の頻度で、遊びに行ったりご飯を食べて帰っている。……そういうときは、課長はコンビニ弁当。申し訳ない。――結婚式準備、それから引っ越しの準備も徐々に進むから、高嶺ときゃっきゃする楽しい時間にも限りがあるのかと思うと、寂しい気持ちにもなる。
すると、わたしの携帯がふるえた。メールだ。バッグから取り出し、すぐさま開いた。見れば、
『出産しました! 2950グラムの元気な赤ちゃんです!』
――なんと。中野さんからメールが届いていた。
*
「わぁ……ちょっと引っ張らないでー」
七月に入り、プール開きの日を迎え、砂糖に群がる蟻のように、プールはひとでいっぱいだ。みんな――楽しんでいる。
「……課長」
わたしは荒石くんと並んで立っている課長を振り向いた。すると彼は、「行っておいで」と手を振る。
前々からプールに行きたいね、って話は課長としていて。それで、高嶺と荒石くんカップルも興味がありそうなので、せっかくなのでと、某巨大プールに遊びに来ている。
わたしは――高嶺と仲良くなってから、彼女と課長が半々くらいで。こころのなかに占める割合が。高嶺は……いつもわたしのことの親身になってくれるから。課長とはまた違ったやり方で。
高嶺を大切に思う気持ちを、どう整理したらいいのか分からない。なんというか……わたしのほうも、もし高嶺が異性だったら、彼女に惚れていたかもしれない。そのくらいに、彼女が好きだ。
課長には、言えない。それまで課長にべったりだったのが急に……高嶺と平日ご飯を食べに行ったり、休日出かけることに対し、なんというか、罪悪感を感じることもある。
課長は、わたしの変化について、なにも言わない。……そう。彼は、こちらが自然と、気持ちの整理がつくまで待つタイプの男だから。
「ねえ。気持ちがいいよ莉子。おいでー!」
課長に視線を引き寄せられているあいだに、高嶺は向こうに行っていた。波打つプールのなかで大きく手を振り、「すっご。気持ちいいよー!」
大きなステージがあるほうから、こちら側の斜めに盛り上がる地面にかけて、プールが波を打っている。すごい。へえ。いまどきのプールってこんなだったんだ。わたしの知るプールの形態は、学校にあるのよりも大きなプールや、あとは流れるプール? Oの形の、ぐるぐる回るタイプのプールしか知らない。
サンダルを脱ぎ、入ってみる。ひんやりとする。――つめたい。あまりのつめたさにびっくりしてしまう。
「なにもたもたしてんの。莉子。行くよ」
業を煮やしたらしい高嶺がわたしを迎えに来る。が、
「すごい……冷たい」
「慣れだよ慣れ。さ。あっちのほう行こう」
そうして高嶺はずんずん前に進んでいき、ひとの間を縫い、あっという間にステージ前へと辿り着く、ステージの下部から、規則的に高い波があがり、それが向こうへと流れていく。高い波がどんどんあがり、そのリズムに合わせてこちらもからだを浮かせる。――母の胎内にいる感覚ってこんなだろうか。水のなかって……気持ちがいい……。気持ちよさに、包まれる感覚。
「ねえ……浮き輪ないのかな。ないよね?」周囲を見回した高嶺が、「買ってこようか。そこらへんに売ってるよね?」
「え……でも。勿体なくない?」
確かに周りを見ればみんなが浮き輪を持っているのだが。でも、浮き輪って。プールのときくらいしか使わなくない? プールなんてこの先どのくらいの頻度で行くのか分からないし。この夏一回こっきりだと、勿体ないような。
「あっちの売店に売ってましたよ」見れば、やってきた荒石くんが話しかけるのは明らかにわたしだ。「なら、みんなで見に行きましょうか」
「……課長は」
「おれはいいと思うよ。こういうときって、楽しまなきゃ損だろ」
課長がこの手の提案に乗らぬはずがなく、わたしたちは売店を見に行った。
* * *
「わー。こんなおっきい浮き輪もあるんだ! 見てよ莉子! シャチに……鮫だよねこれ。面白ーい」
子どものようにはしゃぐ高嶺が愛おしい。
売店には、ラーメンやソフトクリームなどを売る幅広いカウンターやフードコートが用意されており、その一角にラックが置かれ、浮き輪や……空気を入れた見本の浮き輪を売っている。
見本を手に取ると思ったよりも大きい。……わたしの身長くらいありそうな。
でもわたしは疑問に思う。「こんなに大きい浮き輪……どうするの」
「んー」と楽しそうに高嶺は巨大な浮き輪をすぽっと自分のからだに嵌め、「乗ったり? ぷかぷかしたり……一緒に泳いだりするんじゃない? ね。どっちかシャチ系のにしてどっちかが浮き輪にしようよ」
「浮き輪は人数分な」と背後から仕切るのは課長。「じゃあ、それぞれが欲しいの選んで。ここはおれが出すから」
これでは課長というより、まるでお父さんだ。そんなお父さんの提案に乗り、わたしたちは各々が欲しい浮き輪を選んだ。
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「気持ちいい……」
「だねー」
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勿論、プールは大勢のひとがおり、家族連れが七割、以外は学生さんやカップルが多いという印象。高校生の男の子集団も見かけ、そうか男の子同士でプールに行くのも当たり前なのかと……妙に感心してしまう。いまどきの子はいろんな遊び方を知っているんだな、と。
「ねえ。彼女たち、ふたり?」
ちょくちょく、こうやって話しかけてくる男のひとがいる。高嶺が答える。「いえ。彼氏連れで来てるんで。後ろにいます」
「あ……そ……」
軽薄な男連中はそれで去っていく。明らかに高嶺の水中から出るグラマラスなボディを見ているのが気に障る。高嶺はお洒落をしてはいる。可愛い。けど、視線で凌辱するのは許せないんだぞ、と。
この日にプールに行くのが決まっていたので、水着を持たないわたしたちは、こないだ仕事帰りに買いに行った。高嶺が、赤地に白い水玉のビキニ、わたしがお揃いの黒バージョン。
「ねえ。もうちょっと貴将たち、近くにいてよ」
わたしとのひとときを邪魔される高嶺は不服気に荒石くんに言う。と荒石くんが、「悪い悪い」とさっぱりした頭を掻く。
「高嶺たちなんか楽しそうだからさぁ。邪魔しちゃわりいと思ってつい、遠巻きで見ちまうんだ……」
「さっきみたいな変なやつらがいたらすぐに追い返せるくらいの距離にいて」
「それか、課長……。ガン飛ばしてくださいます? 腕組みしてこっわーい顔して」
「あ、それいいね。お願いします三田課長」
「分かった」
元々きりりとした顔立ちの課長がそれをすると効果的だったのか。以降、わたしたちに近づく男は現れなかった。
* * *
「わあ……高嶺。高嶺ぇ……っ」
「莉子。あははーっ」
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先週、結婚式の打ち合わせに行ってきた。ざっくり、出席人数を洗い出すのと、大まかなスケジュールなんかも聞いて。出席者、席次表のシートを貰ったけど……準備が大変で。なかなか頭の痛いところがある。誰をどこに座らせよう……誰をどこまで呼ぼう。
うちの部署はわたしの入社前に結婚した人間が多く、経営企画課内における結婚式の常識がいまひとつ分からない。ひとまず、課の人間は全員呼ぶことにした。となると、主賓は企画部の部長とか? どこまで呼ぼうか? と。課長と話し合って、偉い人を何人か呼ぶことにした。――が、それが常識的なことなのかまでは分からない。
あとは、友達。……友達。わたし、全然いないからな……。大学のゼミの集まりの幹事をやっていたけど、レイプの件があってから疎遠気味で。年賀状のやり取りをし、たまにメールをするくらい。あでもそっから、一回だけ開いたけど、妊娠した子がいて正直……嫉妬してしまって。でも、誰かが結婚式を挙げれば必ず集まる間柄だ。呼んでも不自然ではない。近いうちにみんなで集まろうと呼びかけるつもりだ。
こうしてプールに連れてきたのは、こうしたくさくさした気分を吹っ飛ばすための、課長なりの、わたしへの気遣いなのだろう。
気持ちを切り替えて、子どものように、みんなで遊んでいるいちに、あっという間にお昼になっていた。わたしたちはフードコートに行き、全員がラーメンを頼む。
テーブル席について食べると、
「うっま!」
真っ先に荒石くんが叫んだ。「うわー。冷えたからだに超染みるー。うっまー」
まさしくその通りで。午前中いっぱい、プールに漬かっていたから意外とからだが冷えている。このからだに、この熱さが、ありがたい。美味さが全身に染みわたる。
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なにをするのかと思いきや、男の子たちは一斉に、観客席であるプールにいるわたしたちにホースを向けて、出る水をまんべんなく浴びせかける。……てすごい、勢い。勢い! そこそこ離れたところにいるわたしと高嶺たちにまで容赦なくぶっかかり、途端に顔も髪も濡れる。ものすごい雨……いや、滝にでも打たれたみたいだ。
「うわぁ……なにこれ」
「あっ、また来る!」
ぶしゃあああ、とまた水がぶっかかりもう、前が見えない。口を開けばすぐ水が入り、かといって閉じれば鼻に水が入り息が出来ない。勢いがすごすぎて笑えて来る。
男の子たちはけらけらと楽しそうにまんべんなく、観客のわたしたちにぶっかける。なんとなく……その姿に卑猥ななにかを感じてしまったのは内緒だ。
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それから――ステージライブが行われてエキサイトしたり。ビールを飲んだり、わたしはアイスクリームを食べたり。ウォータースライダーを滑ったり。たっぷり――わたしたちは、大人になってから初めて訪れるプールを楽しんだのだった。
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(寝てる……)
遠出もあって疲れたのか。高嶺は、電車で座席に座ると瞬く間に眠ってしまった。わたしの隣にいる課長が、小さなあくびをした。今日はぐっすりと眠れそうだ。……セックス、出来なさそうだな。疲れちゃった。
課長が会話をしていないことからすると、課長の隣に座る荒石くんも、眠っているのだろう。わたしは課長に話しかけた。
「……楽しかったですね」
「そうだな」
「……高嶺とばかりいてごめんなさい」
「いいんだよ。莉子に親友が出来たのは、おれも嬉しい。それに、おれはいつでもきみに会えるから」
嫉妬、しないのかな。
なんとなく気になるけれど……。
課長は、わたしが高嶺と出かけてもとやかくは言わないひとだけれど。二週間に一回、多いときは週三回の頻度で、遊びに行ったりご飯を食べて帰っている。……そういうときは、課長はコンビニ弁当。申し訳ない。――結婚式準備、それから引っ越しの準備も徐々に進むから、高嶺ときゃっきゃする楽しい時間にも限りがあるのかと思うと、寂しい気持ちにもなる。
すると、わたしの携帯がふるえた。メールだ。バッグから取り出し、すぐさま開いた。見れば、
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