昨日、課長に抱かれました

美凪ましろ

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番外編4 至上の幸せ――多感な莉子SIDE

#EX04-11.どんとこい

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「聞いたーーー!?!?!?!? まさかの荒石くん、桐島さんの前で告白だって! 三田課長のことが好きです! って!」

 ――言いたいやつには言わせておけ。

 というのはつい先日、わたしが編み出した教訓だ。

「うわーやっば! どうすんだろうね三田課長……まさかまさか。荒石くんと三田課長が、って……絵になりすぎるじゃん! 二人とも超イケメンだし、絵面よすぎるんだけど……!」

「桐島さんも、なんで許すかね。てかあのひと、本当は三田課長のことが大して好きじゃないんじゃないのぉ?」

「三田課長も、荒石くんも、桐島さんも、結構イカれてるよね。あ、三田課長はそうでもないけど。イカれてる者同士、お似合いって感じ……」

 いやいやこのなかで一番イカれてるのは、実はあのひとだったり。恋敵に――餌を与えるようなひとなんですよ?

 課長が、なにを与えたのかは言及しなかったが、おおよそ見当がつく。……まあね。わたしも、開発された女のひとりですから。だからといって、怒りとか……不思議なほど、微塵も感じない。普通の彼女であれば、怒ったり悲しんだりするのだろうに。わたしという人間は、感情が欠落しているのかもしれない。レイプされて以来、孤独な自分を、わたしは持て余している。

 やっばー、地獄の三角関係じゃんきゃははー、と笑い合う声を聞いたのちにわたしは個室を出る。

「さぁて。……本日の袋叩きタイム、終了にございますか……」

「お疲れ様です桐島さん」

 このタイミングで入り口のドアが開き、姿を現す存在に、わたしは腰を抜かしそうになる。……が平静を装い、「お疲れ様です」と挨拶を返す。

 どうやら、紅城(あかぎ)さんは歯磨きをしにきただけのようで。ポーチから歯ブラシを取り出し、歯磨き粉をつけると磨きだす。しゃこしゃこしゃこと、小気味よい音が響く。この端正な横顔がなにを思うのか、思わず凝視してしまう。

 紅城さんは、中野さんの産休育休中のヘルプとして入ってきた派遣さんだ。年はおそらくわたしと同じくらい。だが……恐ろしいほどに妖艶だ。すごい美人。高嶺という下の名は伊達ではない。ぱつんと揃った前髪、ストレートロングの黒髪が、テレビに出てくる歌手みたいだ。

 綺麗な仕草で含んでいた水を吐くと、紅城さんは言った。「……桐島さんって、ドMだったりします?」

 どうやら、さきほどまでの、あの子たちの悪口を聞いていたらしい。紅城さんの目に、確かな光が宿る。わたしも口をゆすぎ、ハンカチで口許を拭くと、

「まあ、そりゃあ、人間ですから。言われ放題言われると傷つきもしますが。けど、……わたしという矛先がなくなったら、あの子たちはまた別の誰かに刃を向けるでしょう? もし、わたしがターゲットになることでそれを阻止出来るのだったら、別にそれはそれでいいと思うんです」

 わたしの発言を受けて、紅城さんは、笑った。「生粋のドMじゃないですか。三田課長が攻めで、桐島さんが受けなんですね。……やっぱり。

 でも。……思うのは」

 紅城さんは、喋りながらも器用に手を動かしている。ポーチから口紅を取り出すと真っ赤なルージュを引き、

「そういう、桐島さんの温和な態度があのひとたちを助長させているんでしょうね。叩き甲斐があるというか。体のいいサンドバッグ扱いですね……。一度ブチ切れたらどうです? わたし、サンドバッグじゃねえんだぞ! ……って」

 ここまで言って紅城さんは言い過ぎたと思ったのか、表情を曇らせ、「……あたし、派遣の身分で偉そうにプロパーさんに講釈垂れてしまって。すみません……」

「あいえ。プライベートで話をするときに、派遣とか、プロパーとか、関係ないですから。……わたし、親しい女の子とか全然いないので……。よかったら仲良くしてください……」

「こちらこそ。あっじゃあ、連絡先教えてくださいよ」と紅城さんは携帯を取り出し、連絡先を交換する。……紅城高嶺。改めてみるとすごい字面だ。名は体を表す、確かにその通り。

「高嶺って名前、素敵ですね。どなたが決めたんですか……」

 せっかくなのでと、名の由来を聞いてみると、紅城さんはなんだか恥ずかしそうに、「父が」と打ち明ける。

「うちの母親がまあまあ美人さんなので。高嶺の花だと思って挑んだんですよ。母は若い頃はモテまくりで、数多くいる男友達のひとりに過ぎなかったんです。

 ……が。あるとき、母が言ったんです。

『富士山の山頂って雪が降るのね。いったいどんな雪なのかしら……』

 南国育ちゆえ、雪を知らない母がそう語れば、父は大学を休んで、富士山に登頂し、なんと、雪を持ち帰ったらしいです。……で、プロポーズ。学生結婚、めでたしめでたしってオチですよ。

 そんな高嶺の花の産んだ子だから高嶺に違いないってことで……『高嶺』」

「素敵な由来じゃないですか!」

「でもこれ……恥ずかしいよ。恥ずかしくないですか?」

「いえいえ。紅城さん、美人ですし。お似合いです……」

「またまた。桐島さんのほうこそ、人気すごいじゃないですか。男連中みぃんな、桐島さんに骨抜きなんですよ。三田課長という婚約者がいるって分かってても諦めきれないみたい。ふふふ。面白いわね。……ねえ桐島さん、さっさと入籍して結婚式挙げたほうがいいですよ? でないと連中も諦めがつかないんじゃないですかね?」

「挙げるつもりではいますけど。いつにしようかなと。まあ、式場の予約状況次第なんですけどね」

「忠告です。一刻も早いほうがいいです。……桐島さんが無事結婚したら、さっきの女連中の口数も減りますよ。自分が結婚すれば、自分がどれだけ他人に酷いことをしているのか……思い知るかもしれません」

「分かった。考えておく」

「じゃ、お先です」

「うん」

 鏡のなかの自分に向き合い、あぶらとり紙で綺麗にしてからパウダーを叩く。――結婚式。……そう、結婚式。

 どうしよう……。

 いよいよ明日、品川のホテルで説明を聞きに行くことになっているけれど。なんと、説明会も人気があるらしく、午後の五時という中途半端な時間を除き、いっぱいなのだそうだ。これはこれは……先手必勝。早く動いたほうがよさそうだ。結婚式ってざっくり半年前に予約するイメージだったんだけど、もしかして、わたし、出遅れてる?

 さっきの女の子たちは呼ばないけれど。別の部署だし。でも逆に……同じ部署だから呼ぶのって迷惑かなあ……。二次会だけのほうがいいんだろうか? 会社関係なら二次会が多く、学生時代の友人知人ならお式からが多かったけど……誰をどこまで呼ぼうか。ううん、悩む……。

 ピンチヒッター的な紅城さんも呼ぶべき? でも派遣さんにお金を遣わせるのも……かといって紅城さんだけ呼ばないのもなあ。うぅん……どうしよう。

 よし。帰ったら課長に相談しよう。……って、自分たちがどういう結婚式を挙げるのか……挙げたいのか。それ次第でもあるんだよなあ……。

 わたしの悶々とした疑問はやがて、結婚式場見学のときに露わになる。

 * * *

「先ずは、ご予約いただき、ありがとうございます。担当の黒石(くろいし)です。……当ホテルをご予約頂いた際には、私が、挙式、披露宴に至るまでのすべての段取りを、進めさせて頂きます」

「あ……よろしくお願いします」

 名刺を受け取る課長のエレガントさに比べてわたしのどんくささといったら。社会人を何年もやっているのに、営業畑ではないからか、いまだに、名刺を渡されると緊張する。

「早速ですが、三田様莉子様は、どのような結婚式をご希望ですか? 式を挙げようと思った理由について、お聞かせいただきたく。……先ずは莉子様から……」

「――わ。わたしですか……」

 実は、昨日は課長が残業だったので、ろくに話し合えていない。セックスもしてない。

「ウェディングドレスを着ることは憧れで。……夢でしたから……。それから、友人知人の結婚式に出て、いいな、と思いまして……。やっぱり、結婚式って幸せな気持ちになるじゃないですか。人生、一度くらい、あの世界の真ん中に立ちたいという思いがありまして……。

 それに。課長とわたしは同じ職場で勤務をしておりまして。紆余曲折あったので、周囲のみなさんにご心配やご迷惑をおかけした場面もあったと思うんです。……結婚式を挙げることで、お披露目と、お礼をさせて頂けたらと……」

「三田様は。いかがでしょう」

「概ね莉子と同じなのだが……。そうだな。付け加えると、おれの大切で美しい莉子をみんなに見せつけたい……というのは本気で。両親や、友人、会社の人間……みんなに、おれたちの幸せな姿を見せて、安心させたい、という思いもあるんです。

 おれは、結構変わった性格で。おれをよく知る人間からは、『結婚なんて絶対無理だろ』……そう思われていたに違いありませんから」

 課長の裏の顔を知らない黒石さんは、目に一瞬不思議そうな光を宿らせながらも、大きく頷く。「お二人とも、意見が一致しているようで安心しました。……いえ、結婚式を挙げる目的。ここのところが食い違ってしまっては、なかなか難しいところがありますから。

 それでは、ご家族、ご親族、ご友人、会社の方を呼ぶ目的で結婚式を挙げるということで。話を進めさせて頂きますね。

 当ホテルでは、地下一階で挙式を行い、それから上の階に移動し、披露宴を行うというスタイルです。……二次会は予定されておりますか」

「そこも含めて検討中で……」と課長が答える。「式と披露宴を親族のみにして、二次会を会社の人間や友人中心にするか。或いは、式と披露宴だけにして、全員一気に呼ぶか。……なかなか頭を悩ませております」

「最近は結婚式のスタイルも様々ですからね」と黒石さんはこちらの胸中を見抜いたかのように語る。「会費制のレストランウェディングも若い方には人気です。……お二人は、これまでにご出席された結婚式のなかで、印象に残っているものはおありですか?」

「あ……横浜の、タワーの最上階で挙げた結婚式……じゃないや、披露宴。すごかったです。夜景が半端なくて……」

 わたしが挙手すると、高層ホテルに勤務をする黒石さんは嬉しそうに口許を緩める。「……当ホテルも、夜景はなかなかのものですよ。皆さん、感動なさいます」

 わたしはふと疑問に思う。「式場って……見学、出来るんですか」

「本日は土曜日ですので、会場は朝から晩まで使用中でして。ですが、過去の映像をお見せすることなら出来ます。……お待ちください」

 言って黒石さんはノートパソコンを操作し、画面をこちらに向けると、動画を見せてくれる。

「わあ……!」

 すごい。広々とした会場。青を基調としたコーディネート。瀟洒なシャンデリア……白い薔薇……青い薔薇が咲き誇る、美しい世界……! 窓も広くって夜景を克明に暴き出している。恐ろしいくらいに、美しかった。

 映像を見た途端、わたしの背筋を鮮烈ななにかが走り抜けた。これは……予感。

 期待に満ちた、すさまじいほどまでの予感。それが、わたしを手放そうとしなかった。

(……課長)

 彼は、頷いた。――わたしたちのこころは決まった。

 ここに、しよう、と。

 *
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