昨日、課長に抱かれました

美凪ましろ

文字の大きさ
上 下
52 / 103
番外編4 至上の幸せ――多感な莉子SIDE

#EX04-02.小さなさざなみ

しおりを挟む
「立波(たつなみ)秀子(ひでこ)と言います。今日からお世話になります。よろしくお願い致します!」

 新入社員が、部署に配属される時期が来た。今年の新入社員は二名。合弁会社であるうちの会社は、中途採用も積極的に行っているから、この人数だ。

 外部で研修を終えた彼らは、配属が決まると、みんなの前で挨拶をする。……そう、退職や入社時は、必ずこうして大勢の前で挨拶をするルールだ。短期間で辞めてしまうプロパーや派遣さんであっても。

 立波さんは、エレガントな印象の社員だ。はきはきと物を喋り、好感が持てる。……海外営業部配属の彼女は、やはり、語学が堪能らしく。広河さんと同じ大学の出身とのこと。

 続いて、国内営業部になった新入社員は……。

「荒石(あらいし)貴将(たかまさ)と言います」声が小さくてよく聞き取れない。それでよく、あの厳しい就職戦線を勝ち抜けたものだ。「Y大の出身で……少しでも早く、皆さんの戦力になれるように……頑張ります」

 おそらく、後方にいる社員には声が届かなかったであろう。が、彼がもっさりとした頭を下げると拍手が続く。

「えー。二人とも、会社で働くのは初めてで、分からないことがあるだろうから、いろいろと力になってくれたまえ――」

 この場を仕切る、人事部部長の発言を遮ったのは、立波さんだった。「いえわたし、学生派遣で働いた経験があるんですけど? 履歴書を読んでいないんですか?」

「あ――いやその、正式な社会人としての経験をだな――」

 思わぬ反論に、しどろもどろになる人事部部長に、うちの企画部の部長が助け舟を入れた。「いやいやああまあ、なかなかどうして頼もしい新入社員じゃないか――。活躍を楽しみにしているよ」

 はい、と歯切れよく答えたのは、立波さんだけで、荒石くんは小さく頷くだけ。この時点でなにやら嫌な予感はしていたのだが――。

 * * *

「あのぉ。桐島さん……ですよね」

「はいなにか」早速始業時間を迎えると、荒石くんに声をかけられ、わたしはタイピングの手を止めた。すると彼はもごもごと、

「研修……を受けていたので、交通費精算をしたいのですが。その入力の仕方を……」

 その台詞を受けてわたしは頭に血がのぼりそうになった。

 待って待って待って。

 荒石くん。国内営業部所属だよね? なんでわたしがこんなこと――。

 そう思い、国内営業部のメンバーが働く島を見た。皆、タイピングをしたり電話をしたりと――忙しそうだ。

 尻拭いをこっちがさせられるかたちか。……経営企画課(なんでもや)の悲しき宿命よ。どうせならと。こちらもアピールをする権利があると思い、国内営業部内の彼の席に行き、椅子を引き寄せ、彼にレクチャーすることにした。

 * * *

「今日のあれは、なんだ。おかしいだろ。なんで莉子が荒石くんの教育をしている……」

 夕食の場にて、やはり、課長はご立腹だった。

「特に、国内営業部の連中は、経営企画課のことを勘違いしているようだな……。便利な尻拭い野郎、とでも思っているのだろう……。あまりこれが続くようなら、おれのほうからガツンと……」

「あっいえいえいいです」とわたしは手を振り、「荒石くん……。悪い子じゃないんですよ。それに、国内営業部の皆さんもお忙しそうですし……。あのまま放置されたら荒石くんが被害者ですよ。誰にも教えて貰えずぽつんと放置されるのを見るのも……ね。苦しいじゃないですか……」

「にしても、課のきみの力を借りる以上は、せめて、部長か、おれにでも話を通すべきではないか。……納得が行かないな」

「確かにそうなんですけど。けどまあ、わたし、手が空いてはいますし。様子を見ましょうか……」

 釈然としないながらも課長は頷いた。やがて課長のその不安は、現実のものとなる。

 * * *

「ありがとうございます。分かりました。おれ、今後、気をつけます」

 荒石くんは、一週間もすれば、見違えるような好青年に生まれ変わっていた。わたしの指導が効いたのか。他の部署にいる彼に、ここまでするのは? と迷いもあったが、はきはきと自分の意志を表現するさまを見て、自分の指導が正しいのだと悟った。

 なお、課長はこの事態を看過せず、あの翌日には国内営業部の部長に話を通し、一日の半分、期間は一週間と決めて、わたしに新人荒石くんの教育を担当させるようにした。……課長に守られたかたちだ。確かに、正直、部外者のわたしが言質もなしに、新人の教育を担当させられるという事態は、気持ちがよくない。

 服装も言動もぱりっとして。週末に美容室でも行ったのか、髪型もさっぱりとしており、――生まれ変わったかのようだった。初対面の、もごもごと口の中で言葉を転がす喋り方はもう過去のもの。喋り方も勿論わたしはレクチャーした。明るく笑う荒石くんは、

「あっそうだ。……今夜、国内営業部のみんなと飲み会があるんですけど、桐島さんも行きませんか?」

「え……でも」わたしは反射的に課長の席を見た。残念。離席中だ。「わたし……お酒飲めないから、見てるだけになりますけど……それでよければ」

「桐島さんは功労者なので。来て頂かないと困りますよ。お願いです。来て……貰えませんか」

「うーん。ちょっと、考えさせて」

 なにかの感情に顔をしかめた荒石くんだったが、笑顔に切り替え、「いい返事を待ってますよ」

 * * *

「あ……いえ。そんなことは。皆さんお忙しそうでしたので……わたしでも力になれたようで……よかったです」

 早速その夜に開かれた飲み会にて、予想通り、わたしは、国内営業部のメンバーに礼を言われるかたちとなる。……てか。後から礼を言うくらいなら、最初から自分たちで面倒を見ろっての。すこしの腹立たしさとともに、グラスを呷る。……て、これ。

 わたしは慌ててお水を口に含んだ。「……焼酎入ってますよね。誰ですか。焼酎入れたの……」

「あ。おれです。すいません」ちっとも悪びれぬ様子で、荒石くんが挙手する。「せっかくですし、酔いが回った桐島さんを、おれ、見たいと思って……」

「やっていいことと悪いことがあるわ!」わたしは立ち上がった。バッグを手に取り、「ごめんなさい。そういう意図なら、わたしはこれ以上この場にいることは出来ません。……帰ります」

 言って財布から五千円札を抜き取り、皆に頭を下げて、帰ろうとするのだが――。

「待ってください」と荒石くんが店を出たわたしを追いかけてくる。――すまなさそうな顔に、自分の言動が子どもっぽいと思えてくるのだが、仕方があるまい。妙齢の女性である以上、わたしは自分を守らなければならない。

「……怒っています?」

「怒ってる。……わたし、酔いつぶれるのなんか二度とごめんよ。していい冗談と悪い冗談があるわ。あなたがしたのは明らかに……後者のほう」

 ――ああ、やばい。

 酒が回ったのか、言葉が出ない。

「そんなに桐島さんが弱いなんておれ、……知らなくって。すみませんでした。……落ち着くまで、どこかで休んでいきませんか」

 * * *

 まさか。宿泊も出来る休憩施設に連れ込まれる展開じゃないよね? なんて思いながら、わたしは途中のコンビニで、荒石くんに清涼飲料水を買って貰い、飲んで、すこし、落ち着き……しっぽりとしたバーに連れていかれている。

 わたしが飲むのは、アイスミルク。冷えた牛乳。それでも、カクテルグラスに入れられればさまになるというもので。

「こんな店を荒石くんが知っているだなんて思いもしなかった」アルコールが、普段よりもわたしを饒舌にさせる。「人間には、いろいろな側面があるのね……」

 わたしが課長の、様々なパーソナリティを思い返しながらそう言うと、隣のスツール椅子に座る荒石くんが、

「おれ、桐島さんのことが、好きです……」

「……荒石くん」仮に、わたしに課長がいなかったとしたら、この告白をどう、受け止めていたのだろう。そう思いかけた自分を、また別の自分が戒める。――なにを考えているの! と。

「あの。でもわたし、結婚を前提に付き合っているひとがいるから……ごめんなさい」

「なんで結論を急ぐんです」と荒石くん。「結婚しているならまだしも、未婚でしょう? 桐島さんは……。結婚は一生に一度のことです。じっくり……いろんな男を見て、確かめて、それから結論を出しても、遅くはないんじゃないでしょうか……?」

 この一週間で叩きこんだスキルがわたしを懐柔にかかる。苦い思いでわたしは彼の主張を受け止める。「確かにそうかもしれないけれど。でもわたし、彼以外のひとにちっともそそられないのよ。本当の話……」

「本心ですかそれ? この一週間で、モブからイケメンに生まれ変わったおれに向ける、あなたの目線が変わったことに気づかないとでも……あなたは思っているんですか」

「馬鹿にしないで」とわたしは言い切った。「確かに、荒石くん。あなたは魅力的に生まれ変わったけれど。だからといって、女が簡単に恋に落ちると思ったら……大間違いよ。――わたし、帰るわ」

「ますます惚れました。……桐島さん、おれ、あなたをおれのものにしてやります。絶対に」

「課長がいる限り、それはありえないわ。……さよなら」

 言って五千円札を差し出し、わたしはそのバーを後にした。短時間であれど荒石くんとふたりで飲んだ、この事実がどんな事態を巻き起こすのかを知らないまま。

 *
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・ なりませんでした!! 【現代版 シンデレラストーリー】 貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。 はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。 しかしながら、その実態は? 離婚前提の結婚生活。 果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」  突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。  冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。  仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。 「お前を、誰にも渡すつもりはない」  冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。  これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?  割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。  不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。  これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

処理中です...