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番外編1 彼女がおれに振り向くまで――純情な課長SIDE

魅惑的な彼女との出会い・そして悲しい再会

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 見知らぬビルに入ると、SPIや面接に走り回った就職活動の頃を思い出す。あの頃は周りがまだきらきらして見えた。

 世間がこんなに汚れているだなんて知らなかった。

 先日受けた面接を思い返す。手応えは、あった。面接官は終始にこやかで、おれのことを褒めてくれさえした。なのに。

 落ちた。

 中途採用の難しいところだ。このまま行くとおれは人間不信になりそうだ。さて今日のところはどんなだろう。

 手汗がやばい。

 おれのいま勤めている会社は典型的な年功序列制、しかも学閥ありき。要するに、然るべき大学を出ていないと出世のコースにすら乗れない。

 乗れない、おれの直属の上司は非常にいいひとだ。いいひと過ぎて見てるこっちがもどかしい。しかるべき対価を貰えぬのにアイデアや労力を搾り取られ不憫だ。

 残念ながら、ああはなりたくなかった。

 だから受からなければならない。

 気を引き締める。エレベーターへ二階へ。フロアマップで場所を確認する。近いな。

 心臓がばくばく言ってるのを感じる。実家に戻ってくればと両親はうるさいが、帰るつもりなんかさらさらない。

 甘えたらおれの負けだと思った。

 角を曲がったところで、女が歩いていた。女子社員と言うべきか。

 白いワイシャツに黒のタイトスカート。

 ブラが透けていない色だがラインが浮き出ている。

 素足の透けて見えるなまめかしい黒のストッキングにハイヒール。

 シンプルな女の格好って結構そそられる。

 しかも、彼女のウエストが、細くて――歩くたびにおしりが揺れる。小ぶりでいい感じだ。おれは大きすぎるのが好きじゃない。あのくらいがちょうどいい。

 大事な面接前だというのにおれは彼女の尻を凝視していた。ほかに誰も廊下を歩いてなかったらいいけどあとで考えると完全不審者だったと思う。

 彼女は、どうやらおれが面接を受ける会社の社員のようだ。ドアの前に立つと、ためらいなく扉を引く。胸の膨らみからしてどうやらDはありそうだとおれの目はしっかり確認していた。

 と、おれに気づく。

 開いて、持ってくれていた。おれを先に入れてくれる。「あ。すいません」とおれは会釈した。すると微笑み返す。童顔なのにその微笑の仕方が妙に大人っぽくって、どきっとした。

 彼女は、おれが部屋に入るのを確かめ、自分も入ると、おれの目を見て言う。

「面接にお越しの三田遼一さんですね。お待ちしておりました」

 そして、ゆっくりと、一礼をする。――驚いた。

 おれの顔に名前でも書いてある? なわけねえだろ。

「ご案内します」

 もう一度微笑むと、彼女は、きびきびとした仕草でおれをエスコートする。

 狐につままれた感じだった。……彼女の手にネイルは施されていない。服装と化粧の感じからして、受付嬢ではなさそう……とすると人事、それとも秘書?

 こんな秘書いたらおれ相当幸せ。

 面接会場らしき部屋の前で止まると、彼女は、こちらです、と言って止まった。あれか。ノックからさせるってのはどこの中途採用でも一緒か。ノックしてから何秒待つとか就活んとき話題になったな。

「それでは、失礼します」――あ。

 そそられ可愛い子ちゃんともこれでおさらばか。

 こころに隙間風を感じつつ、ドアに向き合うと、

「あのっ」

 ……なんだか、急に声が子どもっぽくなった。さっきまでの大人びた声は仕事用か。

 なんだろう、と思いつつ、おれは返事をし、彼女のほうに顔を向けた。

 すると彼女は、首の高さまで手を持ち上げ、応援するように、その手をぐっと握り、


「……面接。がんばってくださいね!」


 か、きーんとおれのなかでホームランがヒット。

 九回裏満塁ホームラン……。

 野球部で女子マネがすげえ美人に見えるのと同じ理屈。

 歯が見えるくらいにっこりと笑った彼女の笑みが脳髄に強烈に焼きついた。

 面接室に響かぬよう意識した声量、だがその無邪気な響き……。

「それじゃあ、失礼しますっ」と。ぺこっと慌てた感じで頭を下げると、たたた、と走り去っていった……。

 なにか、遠いまぼろしでも見た感じだった。青春時代……淡い恋。ひとを疑わぬ素直さ。

 見返りを求めぬ純真を、おれは彼女のなかに見たのだった。

 そそられる女としてのスタイルに少女の無垢な笑みそのギャップが、おれを虜にし。


『あの子に、もう一度、会いたい』


 いい感じでおれは面接に集中し、結果、採用通知を受け取った。


 * * *


 会社を辞めて再就職するのは案外時間がかかる。健保に年金やらの変更手続きに受け入れ先での手続き。というか、前職の引き継ぎに時間がかかり、結局、転職するのに二ヶ月を要した。

 念願かなって初出社の日がやって来た。

 勿論おれのテンションは高かった。

 モチベーションも。

 これまでとは違う環境。少なくとも学閥の壁に泣かされることは無さそうだ。おれにしかるべきポジションを用意できるとのこと。まそんなのはリップ・サービスかもしれないが。

 のし上がってみせるさ。

 それに――


 彼女に、会えるかもしれない。


 部の事務の子に会社を案内されおれは目を疑った。

 おれの所属する経営企画課の席に、まさにその『彼女』の姿があったのだ。

 ぃやったあ! と叫びたかった。喜びを顔に出さないようにするのが、大変だった。

 案内が終わり、みんなにおれが紹介される。残念ながらおれの教育担当は彼女ではなかった。

 それから数日。課のみんなは仲が良さそうだが――

 彼女はぽつんとしてた。

 仕事で頼まれごとが明らかに多い、そしてにこやかに対応はするのだが、


 明らかに、あのときの笑みとは違った。


 勿論、その笑みは可愛いんだけど――口角に貼りついただけの、嘘のような匂いを感じた。たぶん彼女は本当は笑いたくないんだと、思った。


 不思議だった。

 昼も一人で食ってる。

 見知らぬ男にエールを送れるくらいの性格なら、みんなとも打ち解けそうなものなのに……。

 その様子を見て、おれは声をかける機会を失った。


 あなたのお陰です、と伝えたかった。

 おれのこと覚えてますか。面接んとき案内してくれた――

 おれ、がっちがちで。でもあの応援で気持ちがほぐれて。

 あなたのおかげで、採用されたんですよと。


 だが同時に。

 その彼女の様子を見る限りまともに話しかけても拒まれるだろうことを予感させた。

 いや、直感だった。


 おれの歓迎会には彼女も出席していた。

 そのときがチャンスだと思った。彼女は部屋の隅で黙々と酒を作っている。

 おれは、彼女に近づいた。

「手伝いましょうか」

 びくっと肩が揺れる。なんだろう、驚かせたかな……。

 おれを見る彼女の目にありありと警戒のいろが浮かんでいる。

 そして、彼女は儀礼的な笑みを作り、

「いえ。……三田さん、幹部候補でしょう? そんなかたに、お酒作るのは任せられません……」

 言葉尻こそ柔らかいが彼女はおれを拒んでいたのだ。そしておれから目を背け、また、作り出す……。

 おれと彼女のあいだを隔てる、強固な壁を感じた。


 とてもじゃないけど、言い出せる雰囲気じゃなかった。


 *
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