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狼さん、交渉する

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 慶斗が向かったのは父の部屋だった。

「失礼します」
「…慶斗か。珍しいな」
「…お願いが、あるんです」

 澪を守ろうと考えたとき、どうしても困るのが慶斗が仕事に行っている昼間だ。
 今回もそうだったが、慶斗が仕事に行っている間、慶子が澪に何かしても止めることもできない。

 慶子と澪を物理的に離すことが必要だ。

「この家から出たいです」
「…なに?」

 この家にいる限り、慶子から逃れることは出来ない。

「お前、どういう意味か分かって言っているのか?」
「はい」

 狼は群れで過ごす種。狼種も共に住むことで家族とみなされる。
 逆を言えば、家を離れることは、家族から除外されることと同意なのである。

「お前は、跡を継ぐのでなかったのか」
「そのつもりでした。でも、それよりも澪の方が大事です」
「………そうか」

 父は机の中から書類を出してなにかを書き始めた。

「…俺の母も慶子と似ていた」
「えっ…」
「跡を継げと、そのために子供を産めと、ずっと言われてきた。慶子と結婚してからしばらく…とはいっても二、三年ほどだが…子供ができなかった」

 父は慶斗を静かに見つめる。

「…そして母に言われるまま、他の女との間に北斗を産ませた。俺はそのことを、少し後悔している」
「後悔…?兄さんを産んだことをですか!?」
「違う。母に従い、慶子を傷つけた。そして、北斗にもお前にも重荷を背負わせてしまった。……これを」

 慶斗に父が紙を渡した。
 その紙には

「休暇許可書?」

 そう書いてあった。

「お前たちにも同じことにはなってほしくない。家を出て行きたいなら許そう。ただ一時的にだ。必ず戻ってこい」

 休暇許可書には期限は書かれていなかった。

「…孫ができたら会わせるぐらいはするように。慶子はあぁだが、愛情深い女だ。孫を見れば変わるかもしれん」
「…はい」

 慶斗は驚きながら父を見た。
 父は昔から無干渉だったので、自分たちには興味がないとばかり思っていた。
 でも、そうではなかったのだ。

「ありがとうございます」
「…あぁ」

 父はもう仕事に戻っていた。
 慶斗が部屋から出ようとしたとき、父が引き止めた。

「休暇というのはお前が家を出るための建前だ。明日からも仕事はするように」
「はい」

 澪とじっくり過ごす時間が欲しくもあったが、金がなくては腹も膨れない。
 むしろ働かせてもらえることを感謝しなくては。

 しかし、やっぱりがっかりした気持ちで慶斗は部屋から出た。
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