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その日

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 目が覚めて、腕の中を確かめる。銀色の髪。人形のようなきれいな顔。今日もネリの隣で目を覚ますことができた。でもなんとなくわかる。多分、今日・・だ。
 考えてみれば、この一年は俺に与えられた奇跡の時間だったんだな。
「ネリ」
 ネリを起こす。ぎゅっと抱きついてくる。俺の存在を確かめるように。柔らかい唇。
「ネタ トラン マ」(トランのところに行こう)
 あとは何がしたいかな。師匠に会いたかったかな。カラスたちには、昨日のうちにたくさん好きなものを食べさせてやった。
「ナンデー?何かオネガァーイ?」
「違うよ。もう少しでお別れだからさ」
「エー。死ぬノォー?」
「まあそうだな。いろいろやらせてごめんな。もういいよ。自由に生きてくれ」
「ワカッター」
「今までありがとな」
 お前たちがいてくれて、本当に助かったんだ。元気で。
 広場に行くと、トランがもう待っていた。まだ朝の空気が残っている。シュトロウも座っていた。きっと今日も矢の練習をしてきたんだろう。楽器が差し出される。
「ほら。ビナーヤ」
「ビナーヤ?」
「この楽器の名前だよ。知らないで弾いてたのか」
 トランが苦笑した。知らなかった。まだまだ知らないことがあるんだよ。たくさん。
 できることなら、石に齧りついてでも残りたい。何かを差し出せばここにいられるのなら、何でもあげる。両手のシルシだっていらない……
「何の曲?」
「そりゃ」
 ゆっくりとリジンする。美しい模様が手のひらに写しとられる。面白い力だったな。スリだからこの能力って。アーガの木はなかなかいいセンスしてる。
 指が弦の上を優しくなぞる。今回は前回のように、勝手に歌い出すようなことはない。トランの師匠の人の魂が、俺の好きな歌を歌わせてくれる。

 ……あなたが好き

 自然と口元が笑う。うまく歌えて嬉しい。

 この気持ちは本物
 木陰であなたを待つ
 川べりであなたを待つ
 愛しています 言葉はいらない
 私の手を取っておくれ

 いつのまにか沢山の人々が取り囲んでいる。拍手。そうだ。この曲は最初に歌って人を集める雅歌だと言っていた。シルシが育ったからもう一曲歌える……。

 ……禍々しきものよ 彼に道をあけよ
 悪しき者たちは 彼に触れることはできぬ
 聖なるものは彼に力を貸せ
 その旅路にただ幸あれと
 
 この歌に何度助けてもらっただろうか。今この歌を返す。この世界のみんなをどうか守ってくれ。

 アーガの木よ その葉の恵みよ
 彼に道を示せ 行く末に花を咲かせよ
 目の前に道なくば来し道を見よ
 彼を形作るものなり………

 目を上げる。この世界の人々の中に、スーツの男性やTシャツの女の子が混ざり込んでいる。やってきた。その時が来たんだと思う。
「『トラン』」
 隣を見る。ちゃんとまだトランがいる。ほおに涙が伝っている。
「『本当のバードは、自分だけの歌を持っている』」
 トランの師匠の言葉が口をついて出た。伝えられて良かった。この人の葉もなかなか薄くならなかったから。
「……自分だけの歌?」
 トランに楽器を返す。手はやはり爪が割れている。ネリが手を添えてくれる。この傷すら、元の世界に持っていけるものなら持っていきたい。
「自分だけの呪歌ガルドル……」
 トランははっとした。
「ちょっと待ってくれ!まだ消えるなよシロ」
 あの小さな手帳を開く。ペンで書き込んだり、また消したり。電子音のとおりゃんせが聞こえる。混じって来た。アスファルトの匂い。スマホの着信音。
「シロ!」
 シュトロウが肩を掴む。ネリが抱きついてくる。悲しまないで。俺はきっと、元の世界で夢の中みたいに、何かをどこかに置いてきたと思って生きていくと思う。失くした何かのことを思い出して涙を流す日がたくさんあると思う。でも同じくらい、お前たちといた日々で学んだことや、幸せだったことを思い出すだろう、きっと。そうだといい。
「幸せでいてくれ」
 ビルの影。高く伸びる街灯。目と鼻の先を車が通り抜ける。危ない。立ち上がる。どうしてこんなところに座り込んでいたんだろう?あたりを見回す。どこだ?どこかの街角。駅の近くかな?このゲーセンは見たことがある。一本裏通りに入ったのか。駅に行けば道がわかるはずだ。手がふとポケットの中を探す。スマホが指に当たる。違う。これじゃない。高架橋を見上げる。家に帰らないと。あいつが心配する。駅に行かないと。音楽が聞こえる。なんだろう。駅で歌ってるストリートミュージシャンかな。でもずいぶんうまい。どこかで聞いたことがあるような気がする。流行りの曲ではないけど。

 ……星の導きは運命のくびき
 流れ来しほうき星はあるいは落ち あるいは去りゆく
 アーガに導かれし旅人たちはその役目を終え
 戻るべき場所へ還る
 天の巡りがひとつ回る時
 アーガの木は選びたもう
 ここに居るべき人を

 どこから聞こえてくるんだ。耳を澄ます。どこかで聞いた声。どこかで聞いた曲……。

 星の導きは運命のくびき
 いま我はこいねがう ここにその人あれと
 アーガの木よ 聞し召せ その人を求める声を
 ふるさとは生まれた地にあらず
 この地こそその人の帰るべき場所
 その人はもう旅人ではない

「ト……」
 そう。この声は………。

 トラン。

 はっと目を開けた。夏の光がぎらぎらと照らしている。大勢の人の拍手。埃っぽい石畳。
「『よし』」
「シロ‼︎」
 次の瞬間、ネリとシュトロウとトランが折り重なるようにシロに抱きついてきた。暑い……。
 戻ってきた?本当か?
「ぎりぎり……」
「トラン凄い!」
 はらはらと手の中から2枚のアーガの葉が出てくる。茶色の葉を見ると、もうほとんど模様が消えていた。
「トラン、お師匠さんの葉が……」
「ほんとだ。また薄くなった。不詳の弟子で……ここまで気が付かなくてやきもきしてたんだろうなあ」
 トランはそう言ってその葉を大切そうに首にかけた金の鎖に付け直した。
 呪歌は魔法じゃない、アーガの木に祈りを届ける歌。本当に伝えたい祈りがあれば新しく作れるはずだ。そしてそれは新しい呪歌ガルドルとなって受け継がれていく。トランは即興で旅人をこの世界の住人であれと祈る歌を作ってくれたのだ。
「さすがに作曲は間に合わないと思って、二番てことで」
「ちゃんと覚えといて弟子に伝えろよ」
 シュトロウが茶々を入れると、トランは笑った。
「わかったんだ。大事なのは歌詞を間違えないことじゃなくて、どれだけアーガの木に伝えたいかだと」
 


 ガルドに戻り、召喚士のセイに顛末を伝えると、セイはほっとした顔をして笑顔を見せた。
「私には何もできなくて……戻らずに済んで本当に良かった」
 もののついでに50年前の反乱の実際のところを伝えた。反乱の詳細や王様が作った政策について記録が一切出てこないので、彼女や多くの歴史家はそれをずっと訝しんでいたらしい。もう今となっては伝聞でしかないので、史実とはならないが、セイはそれを書き残すことにした。少しはサヨやブリムや、その他の反乱軍と呼ばれた人たちも報われるかもしれない。
 デュトワイユの村に戻ると、たくさんの人が待っていてくれた。俺がよほど具合が悪くて、ガルドの医者のところから帰ってこられなくなってるんじゃないかと噂になっていたらしい。チーズや卵を持ってきてくれた人もいて、なんだか申し訳なかった。しばらくは本当に元の世界に帰らなくて良くなったのかわからなくて、おっかなびっくりだったけど、パトの実がすっかり大きくなってのを見て、ああ、もう一年を過ぎたんだとほっとした。カラスたちは結局、いつも家の周りにいて、時々食べ物をねだり、時々おつかいをやってくれる。クラブに帰らなくて良かったのか尋ねたら、「食べたいモノが出てくるトコの方がいいダロォー」と言われた。すっかりただの枯れた葉っぱになったサヨの葉は、アーガの神殿の木に返した。どこかのだれかに生まれ変わるのかもしれない。
 心残りだった師匠の稽古のすっぽかしについては、トランが連絡をとってくれて、ダイゴンで会うことができた。
「師匠との約束を破るのはいけませんね」
「ごめんなさい」
「でもいい顔になりましたね」
 そしてまた踊りをビシバシ教えてくれた。今月はもう一度ダイゴンに来てくれる。
 トランと、ずっと付き合ってくれたシュトロウには本当に感謝しかない。トランはまたあちこちで歌を歌っている。そろそろ弟子を探さないといけないかなと言い出した。彼の師匠の葉は、ずっと彼の首元に飾られている。
 俺とネリはまた元の生活に戻った。
「キ リテ ネ クツト ハ キト」(あなたを殺さなくて良かった)
 冗談に聞こえない。たぶん冗談じゃないんだと思う。ネリがどんなに心配してくれたか、どんなに心を痛めていたか知っている。俺とネリの寿命はたぶん全然違うけど、ネリが飽きるまで一緒にいたい。
「キ ムルト ハ シャト」(俺はお前の子どもが欲しい)
 ネリが微笑む。きっとできるな、これ。信じる。これからも大変なことは起こるだろう。この世界でも。元の世界にいた方がマシだったと思うことももしかしたらあるかもしれない。でも俺の帰る所はここだ。
 ネネリオやタキのその後はわからない。もしかしたらまたどこかで運命が重なるのかもしれないし、もうその時は終わったのかもしれない。
 シュトロウは、元通り、とはいかなかった。
「いつの間に………」
「いつから?」
「友達甲斐のないやつ」
「言いそびれて。相手、幼なじみだから今更って感じだし」
「とにかく、結婚おめでとう!」
 秋の収穫祭に合わせて、デュトワイユの真ん中の広場で結婚式をした。町の人たちが大勢集まった。シュトロウの奥さんは色白で丸顔のかわいい人だった。トランも来て、祝福の呪歌ガルドルを歌った。師匠にお願いして踊ってもらい、俺も踊らされた。木の実や秋の花々がそこら中に飾られて、シュトロウのことを気に入っているシルフが色とりどりの落ち葉を空から降らせた。すごくきれいで楽しい式だった。式が終わってしばらくして、トランがお父さんが作ったビナーヤを一つくれた。俺が楽しそうに歌ってたからだって。ダイゴンの領都で会うとき、師匠から踊りを習う前後に弾き方を教えてくれる。弦の数が多いのですごく難しい。でもトランは根気強い。家で鳴らしていると、シルフやウィスプが聞きにきて、とてもストレートな感想を言って帰って行く。
「ハ ドムプ」(へたくそ)
「キ ハスト コク キト パ」(習い始めたばっかなんだよ)
 俺は「与える者」という名前をもらったけど、この世界に来てからもらってばかりだと思う。どうして「イクバヤ」と付けたのかシュトロウに尋ねると、「あの時は正直、適当につけた」と言われた。
「でも、俺は間違ってなかったんじゃないか」
 シュトロウは笑ったけど、どうだかわからない。これから何かをみんなに返して行けたらいい。
 ネリは俺がビナーヤを習い始めてから、左手をリジンして歌って欲しいと言う。まだまだちゃんと弾けないから恥ずかしい。たどたどしくだけど、一曲だけ頑張って覚えたのをネリに弾いて歌う。爪は切り方をトランが教えてくれたから、あまり割れなくなった。
「弾くよ」
「うん」

 あなたが好き。
 この気持ちは本物………

 
 異世界から来た男は、仲間たちと幸せに暮らしました。めでたしめでたし。俺の物語はみんなのおかげで、どうやらそれで終われるみたいだ。
 
 
 
 
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感想 1

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みんなの感想(1件)

よっちゃん
2024.07.22 よっちゃん

とても面白かったです!
初めからいっきに読みました(◍ ´꒳` ◍)
最後までハラハラしましたがハッピーエンドで感動しましたー🥺

黒遠
2024.07.23 黒遠

お読みいただきありがとうございました。
また、ご感想ありがとうございます。励みになります。

解除

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