君のかけら fragment

黒遠

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 それからは反抗期に突入。

 二人とは目も合わせなかった。食事の時も無言で食べるだけ食べて部屋に篭る。塾の時も、それまでは塾が終わるとエンマくんの事務所に行って一緒に帰っていたのに、一人で帰るようになった。

 エンマくんも親父も、俺の顔を見れば挨拶やら近況伺いやらして来たけど、俺は全く返事をしなかった。やって舌打ちくらい。とにかくこんな家、とっとと出てやると思った。
 学校でもホモとかそういう言葉に過剰反応してしまって、要注意になってしまった。おかげで俺は何度かスクールカウンセラーから呼び出しがあった。

 何か心配ごとや悩んでることはない? ありません。おうちの人とは仲良くやってる? なんでそんなこと聞くんですか? 何かにイライラしてしまったりすることはあるかな? あなたに関係なくないですか? 気持ちのもやもやを話すと楽になることがあるの。何かの助けになればと思って。話したって解決しないんじゃ意味なくないですか?

 解決しないんだ。俺は意を決して、三ヶ月ぶりくらいに親父に話しかけた。

「ママの家の子になりたい。普通の家の子になりたい。ママに連絡したいんだけど」

 やっとそれだけ言った。前置きも何もなく、これだけ。これだって、しばらく前から何度も頭の中で用意して練習した言葉だった。親父はわかったと言ってスマホを操作し、さらさらとメモを取って俺に紙を渡そうとした。俺がそれを人差し指と親指で取ろうとしたら、親父は手をメモから離さなかった。

「ちょっと……」
「あのな、ママんちの子になるんならそれでもいい。仕方がない。お前を産んでくれたのは確かにママだからな。ただ覚えておけよ。俺もエンマもお前を一番大切にしてきたつもりだ。確かに変な家族かもしれないけど」
「うるさい! 手を離せよホモ!」

 メモはビッと千切れた。俺はメモを持って部屋に入り、すぐに電話をかけた。ママ! ママならきっとこんな変な家に俺を置いておかない。俺と一緒に暮らして普通の家族でいられる。かなり長い間コール音が鳴ったが、ついに通話になった。

「……はい?」

 気怠げな女性の声だった。

「ママ? 俺、ソーマ! あの……」
「ママ? ソーマ? え?」

 女の人はスマホの外の人に何か話しているようだった。ソーマってあの? いやだ、違うのよ。ちょっと待って。今更何よ。平気よ。

「ソーマって、苫渕さんの子の蒼馬?」
「そうだよ! ママ、俺、ママと暮らしたい! 今さ……」
「いやだ、困ったわね。あのね、もうあたしと苫渕さんとは関係ないのよ。あんただって、お金払ったんだからもう関係ないのよ。あんたは苫渕さんちの子なの。こっちだってね、子供はいるし、家庭があるのよ。わかって? もうかけてこないでね」

 プツンと電話は切れた。お金払ったから関係ない? こっちだって家庭はある? 俺は苫渕さんの子? 俺はもうママの子じゃないの?

 頭が真っ白になった。こんなはずじゃなかった。ママがすぐにこっちにおいでって言うと思ってた。普通の家で暮らせると思った。

「うわあーーー!」

 ベッドに両手を打ち付けて声を上げて泣いた。俺は完全に一人だ。早く家を出たい。一人で生きていきたい。もう嫌だ。こんな家、大嫌いだ。俺の周りには気持ち悪い大人しかいない。

 孤立無援の心境だった。絶望。世界で一番不幸な子供だと思った。あと何年? いま俺は小五。普通なら大学生で一人暮らし? あと七年? 七年なんて、永遠に来ないみたいに思えた。それまであいつらに食わせてもらって、一緒に生活しないといけない。子供だから。

 かなり大声で泣いたから、たぶん親父もエンマくんも俺が母親にどんな扱いをされたのか気づいたはずだった。
 一週間後くらいに、エンマくんが部屋をノックした。俺は「入ってくんな」と怒声を上げて拒否した。その次の日、親父がドアを開けて「話がある」と言った。勝手に入ってくんな! 出て行け! と思いつく限りの罵声を上げて暴れたが、親父はびくともしなかった。
 手元にあるものをあらかた投げ終わってしまったから、布団にくるまって無視しようとしたら、親父はベッドの隅にどっかりと座って布団の中の俺に声をかけてきた。

「お前、俺たちと暮らしてて全然楽しくなかったか? 嫌だったか?」

 ……そう言われると、楽しくないことなんてなかった。俺たちはすごく仲のいい家族だったと思う。

 そりゃ、学校とかの親が来る系のイベントはつらかったけど、俺じゃなくても一人親の子はいたし、どっちが来ても他の子たちからは羨ましがられて誇らしかった。
 動物園も水族館も何度も二人に連れて行ってもらった。海も遊園地も。バーベキューもカナエさんの一家と親父とエンマくんとやった。去年の夏……。

 家の庭で花火したり。いつも三人で笑ってた。お弁当だってエンマくんが作ってくれた。キャラ弁がいいとリクエストした時は、すごく気合の入ったリノボのお弁当にしてくれて、まだスマホに画像が残ってる。

「……別に」

 別に嫌じゃなかった。これまでは。大好きだった。二人とも。

「今は嫌なんだな?」
「……うん」
「家を本当に出たいか?」
「うん」
「パパとエンマが気持ち悪いか?」
「うん、キモい」
「それはもう仕方ないな。ソーマがそう思うかもしれないと思ったからずっと秘密にしてたんだからな。いつか話そうと思ってた」
「その話、やめて。出てって」
「まあ、考えてみるわ」

 親父は言うだけ言ったという感じでさっさと部屋を出て行った。考えてみる? 何を?





 それからまた数日たって、誰かが部屋をノックした。エンマくんかと思って「うるさい」と叫んだら、「こえーな」とカナエさんの声がした。

「カナエさん?」
「入っていいか?」

 カナエさんは俺の知ってる中で一番破天荒で頭良くてカッコいい大人の人だった。髪の毛は大学生の時からずっとアッシュグレイ。英語ペラペラで、奥さんが外国人で、エンマくんの事務所の代表。

「なんか荒れてんだって?」

 カナエさんはベッドの向かいにある俺の勉強机の椅子に背もたれを抱くようにして腰掛けた。俺も体を起こしてベッドの上に座り直した。

「……なんかさ、親がホモだってわかってキモくなった」

 結局これなんだよ。生理的に受け付けない。知らなかった時は平気でも、今は虫唾が走る。

「んまあ、気持ちはわからなくはない。ショックだったかもな」
「カナエさんは知ってたの?」
「知ってたよ。どっちかに何かあったらすぐどっちかに知らせてって頼まれてるから」
「キモいって思わなかった?」
「んー、俺とは、なんていうかな、好みがちがうんだなとは思ったよ。でもキモいまでは思わなかったな。猫好きと犬好きみたいなもんさ。俺は犬の方が好きなんだ、あんたとはその辺趣味が合わないね、くらいかな」
「キモいよ」
「まあ自分の親が……となったら想像できないよ。悪いけど。でも世の中いろんな人がいて、いろんな文化や趣味や事情がある。わかる? diversityてやつ。俺だって日本の社会ではアウトローだよ。でもいろんな人がいていろんな考え方があって然るべきって世の中だからなんとかなってる」
「よくわからない」
「いつかわかってくれればいい。家、出たいの?」
「出たい」
「本当に? マジで? ずっと家族の誰とも会えなくても?」
「出たい。マジで。大学生になるまで出られないと思うと吐きそうだよ」
「大学とは限らないよ。俺、中学からアメリカで一人だったんだよ。全寮制の中高一貫校で。ほんとに寂しかったよ。最初は特にね。知ってる奴もいない、言葉も通じない、日本と時間も合わないから気楽に電話もできない」
「全寮制?」
「みんな学校で暮らしてるってこと」
「そんなとこあるの?」
「日本にもあるよ。結構たくさんね。でもさ、さっきも言ったけど、すごい辛い。一人でなんでもやらないといけないし、理不尽なことも一人で耐えないといけない。寮生同士でいじめとかもある。何より逃げ場がない。今さ、ソーマは一言も口効かなくてもエンマとお父さんがご飯用意してくれて、服洗濯してくれて、学校にも連絡してくれるけど、寮生活だとそんなこと誰もしてくれない」
「それでもいい! 自分でやれるんなら今だってお金稼いで一人暮らししたいくらいだもん。なんだってやるよ」
「じゃあ、自分でどこに行きたいか調べて、ちゃんと親父さんと話すことだな。自分の将来のことも考えてね。今ソーマがやってることはただ甘ったれてるだけだ」
「甘ったれてない!」
「Uh huh. 衣食住、王様みたいに世話してもらってんなら、俺に言わせりゃ甘ったれさ」

 カナエさんはそれで出て行ったけど、俺は目が開いた。中学から家を出ることもできるんだ。

 必死に寮のある中学を調べた。カナエさんの言う通り、知らなかっただけで結構あちこちにあった。スポーツ選手の養成所みたいなところが多い印象だけど、勉強系で有名らしいところもあった。俺は昔から水泳はやってたけど、抜きん出てすごいわけじゃなかったから、スポーツ系は諦めて中高一貫系のところを探した。東京のと、県内のと、四国のがいいかなと思った。ネットで見た感じだけだけど。

 早速次の日、親父が家に帰ってきた音がしたので、リビングに行って話を切り出した。

「あのさ、俺、こういう学校行きたいんだけど」

 エンマくんはまだ帰ってなかった。親父はワイシャツのまま、ネクタイもとかずに俺が見せたスマホの画面を見た。

「ここ、か、こっちか、ここ。受験しないといけないけど……」
「お前としては、どこに一番行きたい?」
「え……と、東京か県内」
「二校とも基本はインターナショナルスクールなんだな。海外で仕事できるようになりたいか?」
「……そこまでまだ考えてないけど、カナエさんみたくなりたい」
「なるほどな。まあいい見本だよな、カナエは。パンフレットもらってみるか。あと、中学受験のスタートとしてはかなり遅い。お前、成績はいいけど、公立の一般の学校でのことだからな。結構厳しいと思う。覚悟できてるか?」
「がんばる」
「よし。塾の方にも相談してみようか。エンマにも話さないとな」
「うん」

 親父はその場でスマホから資料請求してくれた。久々にまともに話をした。次の目標が見つかってみると、親父は親父だった。いつも忙しくてもまず俺のことをやってくれる。話も聞いてくれる。先の見通しも教えてくれる。いいことも悪いことも。キモくなかった。

 あ、そうだった、と、この時思った。

 三ヶ月前の親父も、今目の前にいる親父も、全く同じ人だったんだなって。ただこの三ヶ月で俺の見方が変わってしまっただけなんだ。

 親父は変わらずかっこよくて県内でまあまあ有名な企業のエンジニアで、エンマくんはモデルみたいな、俺に優しくしてくれる設計士なんだ。それは変わらないんだ。別に俺がホモだって知ったからって、目の前で二人がエッチなことを始めるわけじゃない。それは俺が勝手に想像して嫌がってるだけのことだ。

 猫が好きか犬が好きか。カナエさんが言ったことが少しわかった気がした。











 
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