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親父とエンマくんと言えば、すごく印象に残っている出来事がある。親父が盲腸を拗らせて腹膜炎で緊急入院した時だ。
親父はアホだから、盲腸の段階で受診してればなんてことなかったのに、爆発するまでほったらかして会社で倒れた。幸いあまり散らずに済んだけど、一時は危なかった。
開腹手術を受けてしばらく面会謝絶になった。
面会謝絶になるとどうなるかというと、身内しか面会できなくなる。うちの場合、だから俺しか親父に会えなくなった。
急に呼び出されて学校休んで寮から帰ってきて親父の付き添いをしなきゃいけなかった。わけのわからない難しい話も聞かなきゃいけない。
ちゃんと病院に説明したらいいじゃんと、この時だけは本気で思った。パートナーだからエンマくんも許可してほしいって。でもその時俺は十六歳で、まだまだ学校とかのしがらみがあるから、絶対だめだとエンマくんは言った。エンマくんは本当に慎重だった。
しかも、親父は会社で倒れたもんで、会社にスマホを置いてきていた。完全にアホ。仕方ないか。倒れちゃったんだもんな。エンマくんと親父の連絡手段がない。
病室の部屋番号は俺から伝えた。3階の部屋だった。エンマくんは俺と一緒に病院のロビーまで来て、病院の案内図をじっと見ていた。俺は親父の病室にタオルやら着替えやらを持って行った。全部エンマくんが用意したんだけど。
手術が終わって、やっと体に刺さってたいくつかのカテーテルやら点滴やらが抜けたばかりの親父が病室にいた。まだ何本か繋がってた。残りが抜けたら面会謝絶解けます、そしたら大部屋に移動ね、と看護師さんが言って出て行った。それを見計らって親父が俺を手招きした。
「ちょっと、肩貸せ」
「何? 便所?」
「いいから」
一歩歩くごとに、盲腸を破裂するまで放っておけた男が顔をしかめた。種類の違う痛さなんだろう。繋がってるいろんな線にも気をつけないといけなかった。片腕に俺、片手に点滴台。てか、歩いていいのか。
「窓」
窓? 景色見たいの? 重いんだけど。
ベッドから5歩くらいの窓。窓のそばに来た時、親父はぱっと俺から離れて一人で窓辺に立った。なに。立てんじゃん。
そして、窓の下にちょっと手を振った。は? 寄って親父の視線を辿ると、視線の先の病院の駐車場に、エンマくんがいた。エンマくんも親父を見上げていた。は? どうやって? 何で? 何なのこの人たち。
「痛えわ。肩」
親父は窓から一歩引いてからまた俺の肩を掴んだ。凄い。ベッドまで戻ると、親父はあぶら汗でびっしょりだった。アホか。
でもそうまでしてもエンマくんに顔を見せたかったのはわかった。言葉を交わすでもない。ただお互い顔を見るだけのために。
キモっ! とは思った。でもこの時ばかりはそれ以上に、凄いなと感動すら覚えた。親父もエンマくんも連絡手段はなかったはずだ。俺も何も言ってない。教えたのは部屋番号だけ。それだけでふたり、こうしてちゃんと会った。
そうなんだ、と思った。こんなことできるんだ。エンマくんは親父が見えるかも知れないと思って窓の下に行き、親父はエンマくんが来てるかも知れないと思って痛みを押して窓辺に行くんだ。
カナエさんが二人を比翼の鳥と言うわけだった。だから、親父がエンマくんが死んでしまった後、十年も生きていたのは逆にびっくりした。親父にしてはよくもったと思う。
親父は俺が結婚して半年ほどで、心筋梗塞でポックリ死んだ。
「くおん」
葉桜の季節だった。ものすごく懐かしいハスキーな声が耳元で聞こえた。
俺をそう呼ぶ人はもうここにはいないはずだった。驚いて公園の横で立ち止まってあたりを見回した。次の瞬間、強烈な圧迫感が来た。何かに体を思い切り挟まれて潰されているような、体が破裂するような痛みだった。苦しい。思わず片膝と片手を地面についた。一気に汗が吹き出した。息ができない。
視界が暗くなる一瞬、俺の地面についた右手に白い手が重なったのが見えた。あの指輪がはまっている。
「ふ……」
俺ちゃんとしたよな。投げ出さなかっただろ。お前に胸を張っていいか? ずっと待ってた。ずっと。
ああ。漸く。
fin
<subriminal gravity / practical disguise / fragment / Jul. 2020- Oct.2020>
親父はアホだから、盲腸の段階で受診してればなんてことなかったのに、爆発するまでほったらかして会社で倒れた。幸いあまり散らずに済んだけど、一時は危なかった。
開腹手術を受けてしばらく面会謝絶になった。
面会謝絶になるとどうなるかというと、身内しか面会できなくなる。うちの場合、だから俺しか親父に会えなくなった。
急に呼び出されて学校休んで寮から帰ってきて親父の付き添いをしなきゃいけなかった。わけのわからない難しい話も聞かなきゃいけない。
ちゃんと病院に説明したらいいじゃんと、この時だけは本気で思った。パートナーだからエンマくんも許可してほしいって。でもその時俺は十六歳で、まだまだ学校とかのしがらみがあるから、絶対だめだとエンマくんは言った。エンマくんは本当に慎重だった。
しかも、親父は会社で倒れたもんで、会社にスマホを置いてきていた。完全にアホ。仕方ないか。倒れちゃったんだもんな。エンマくんと親父の連絡手段がない。
病室の部屋番号は俺から伝えた。3階の部屋だった。エンマくんは俺と一緒に病院のロビーまで来て、病院の案内図をじっと見ていた。俺は親父の病室にタオルやら着替えやらを持って行った。全部エンマくんが用意したんだけど。
手術が終わって、やっと体に刺さってたいくつかのカテーテルやら点滴やらが抜けたばかりの親父が病室にいた。まだ何本か繋がってた。残りが抜けたら面会謝絶解けます、そしたら大部屋に移動ね、と看護師さんが言って出て行った。それを見計らって親父が俺を手招きした。
「ちょっと、肩貸せ」
「何? 便所?」
「いいから」
一歩歩くごとに、盲腸を破裂するまで放っておけた男が顔をしかめた。種類の違う痛さなんだろう。繋がってるいろんな線にも気をつけないといけなかった。片腕に俺、片手に点滴台。てか、歩いていいのか。
「窓」
窓? 景色見たいの? 重いんだけど。
ベッドから5歩くらいの窓。窓のそばに来た時、親父はぱっと俺から離れて一人で窓辺に立った。なに。立てんじゃん。
そして、窓の下にちょっと手を振った。は? 寄って親父の視線を辿ると、視線の先の病院の駐車場に、エンマくんがいた。エンマくんも親父を見上げていた。は? どうやって? 何で? 何なのこの人たち。
「痛えわ。肩」
親父は窓から一歩引いてからまた俺の肩を掴んだ。凄い。ベッドまで戻ると、親父はあぶら汗でびっしょりだった。アホか。
でもそうまでしてもエンマくんに顔を見せたかったのはわかった。言葉を交わすでもない。ただお互い顔を見るだけのために。
キモっ! とは思った。でもこの時ばかりはそれ以上に、凄いなと感動すら覚えた。親父もエンマくんも連絡手段はなかったはずだ。俺も何も言ってない。教えたのは部屋番号だけ。それだけでふたり、こうしてちゃんと会った。
そうなんだ、と思った。こんなことできるんだ。エンマくんは親父が見えるかも知れないと思って窓の下に行き、親父はエンマくんが来てるかも知れないと思って痛みを押して窓辺に行くんだ。
カナエさんが二人を比翼の鳥と言うわけだった。だから、親父がエンマくんが死んでしまった後、十年も生きていたのは逆にびっくりした。親父にしてはよくもったと思う。
親父は俺が結婚して半年ほどで、心筋梗塞でポックリ死んだ。
「くおん」
葉桜の季節だった。ものすごく懐かしいハスキーな声が耳元で聞こえた。
俺をそう呼ぶ人はもうここにはいないはずだった。驚いて公園の横で立ち止まってあたりを見回した。次の瞬間、強烈な圧迫感が来た。何かに体を思い切り挟まれて潰されているような、体が破裂するような痛みだった。苦しい。思わず片膝と片手を地面についた。一気に汗が吹き出した。息ができない。
視界が暗くなる一瞬、俺の地面についた右手に白い手が重なったのが見えた。あの指輪がはまっている。
「ふ……」
俺ちゃんとしたよな。投げ出さなかっただろ。お前に胸を張っていいか? ずっと待ってた。ずっと。
ああ。漸く。
fin
<subriminal gravity / practical disguise / fragment / Jul. 2020- Oct.2020>
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