君のかけら fragment

黒遠

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 エンマの唇が乾燥して割れてきた。こういうところからだめになっていくんだな。

「失礼します」

 ノックの音がして、葬儀社の人が入ってきた。ドライアイスの交換。

「唇が」
「ああ、そうなんですよね。かさかさになってしまうんです。これ、使われますか?」

 普通の、生きてる人用のリップだった。

「指に取って、ちょんちょんって。やりましょうか?」
「やります」

 そっと唇に触れた。いつもの柔らかさはもうない。多少はましになったかな。

「どうも」
「何かあったら仰ってくださいね」

 葬儀社の人は一礼して出て行った。
 ひたいに触れた。冷たい。

「いつもこれやるよね」

 エンマに言われたな。ひたいをくっつけるやつ。なんでだろう。なんか、お前にはやっちまうんだよ。俺はあんまり言葉でうまく伝えられないから、頭の中を見て欲しかったのかもな。

 伝わったか? お前はよくそのまま顔を上げてキスしてくれた。それも好きだったな。体温が行き来するんだよ。ひたいをくっつけると。そんな感じがして安心したんだ。たぶんもう誰にもしないな。

 またノックの音がした。

「シツレシマスネ」

 カナエの奥さんだった。お盆にサンドイッチとペットボトルのお茶を持ってきてくれた。

「ありがとうございます」
「anytime. don't forget we are here for you」(いつでも。私たちがついてますよ)
「thank you so much. when was the last time you saw him?」(ありがとう。最後に彼に会ったのはいつでした?)
「well...a week ago, I think. I'm so sorry. Kanae is in his hard time, eather.」(先週かしら。本当に残念だわ。カナエも落ち込んでいる)
「I know...」

 そうだろうな。カナエにも大打撃だろう。長いこと苦楽を共にした相棒がいきなり死んだわけだから。

「 you 'd better have some rest. I or Kanae will be with him.」(少し休んだ方がいいわ。私かカナエがいますから)
「I'm OK, thanks. I just want to be here.」

 離れられない。ここにあるのが体だけだってわかっていても、カナエやソーマにもお別れをさせてやらなきゃいけないってわかってても、もうこれ以上側にいられないから。これがエンマと同じ空間にいられる最後の時間だから。

 なんで死んじまったのかな。

「おい、起きろよ」

 起きねーよな。






 翌日、納棺になった。指輪は一度外さないといけなかった。カナエから前にもらった、二人で写ってる写真を入れた。俺たちは外では友達同士にしか見えないように気をつけてたから、二人で写ってる写真が本当になくて、カナエが昔バーベキューをした時に撮ってくれたその写真一枚だけだった。

 エンマも気に入ってプリントして、多分部屋の壁にも貼ってある。二人で並んで座って笑い合ってる写真。ほかの写真はみんなソーマとどっちか。ソーマと写ってるのは入れらんないからな。

 これ言うとお前は怒るだろうけど、俺はソーマが全寮制の中高に行ってくれて良かったな。二人だけで暮らせただろ。お前はソーマがいて嬉しいって言ってくれて、俺もソーマがいて楽しかったけど、お前と二人の時間はほんとになくて、しかもソーマのためにソーマの前では距離を取らないといけなかったから、正直リラックスして過ごせなかったんだ。

 お前はどう思ってたのかな。ソーマのことは俺以上に気にして考えてたお前だから、当然だと思ってた? お前も疲れることがあった? でも幸せだったな。俺はほんとにお前に幸せにしてもらった。三人で暮らせたのも、六年二人で暮らせたのも(休みの時はソーマもいたけど)、宝くじに当たったみたいだったよ。お前はどうだった? 幸せだったか?

 それからエンマが入った棺をみんなで家から運び出した。
 最後にエンマの事務所の前を回ってもらった。事務所の前には後輩の設計士さんたちや事務の子なんかが整列していて、クラクションを聞いてみんなぱーっと頭を下げた。よく見ると別な社名の作業服の人もぱらぱらと混じっている。泣いてる人もいた。みんなハンカチを持ってた。

 すごいな。俺、死んでもこんなに泣いてもらえねえよ。お前はすごい。お前はいつも真摯で誠実だったもんな。みんなそれがわかってたんだよ。

 そして火葬場で棺が大きな窯に入れられ、制服を着た人が敬礼してスイッチを入れるのを見た。これでエンマの体もなくなってしまう。まだ熱いエンマの骨をひとつひとつ白い壺に入れた。最後に指輪を入れさせてもらった。

 指輪は小さな音を立てて壺の中に収まった。エンマの白い指に、指輪を嵌めた日のことを思い出した。エンマに選んでもらった、細かい彫り跡の模様の細い指輪。嬉しそうな顔したんだ。指輪の嵌まった自分の手を見て、お前はニコッと笑った。俺も心底嬉しかった。

 知ってたっけ。俺、結婚指輪初めてつけたんだよ。お前に嵌めてもらったんだ。言ってなかったかも知れないな。
 紙切れに名前を書くよりも、お前とした指輪の交換の方が本当の結婚だと思う。周りからああだこうだ言われるから指輪しようなんて言ったけど、そんなのは言い訳だ。お前とずっと一緒にいるって約束が見える形で欲しかった。

 ずっとだよ。

 死がふたりを分かつまで?

 死が二人を分かつとは思わない。

 俺は別れるつもりはないから。今回は離婚しないって言っただろ。ずっとって言ったらずっとだ。俺が死んだら必ずお前を見つける。お前のことは永遠に俺が独り占めする。俺も永久にお前のものだ。

 そういう約束だったんだよ。少なくとも俺にとっては。知らなかったろ。やだって言うかな? またお前にどやされるな。そんな大切なこと最初っから言っとけって。お前は一言足りねえんだよバカって。でも真顔でなかなか言えないだろ、こんなこと。さすがの俺でもさ。

 いつか言おうと思ってたんだよ。





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