上 下
220 / 229
09 「ふたり」の形

19 Baltroy (メンタリティ)

しおりを挟む
「どうした」

 ヴェスタは家に戻ってとりあえずシャワーを浴び、リビングのテーブルの向かいに腰を下ろした。髪はまだスカイブルーだ。落ち着いたとは言い難い。

 とは言うものの、ヴェスタがすぐに自分の部屋に逃げ込まなかったことにほっとした。向かい合わせに座るのも久々だった。

「……あの人、俺のカウンセラーだった」
「知ってた」
「どうして……」
「申し訳ございません。私がヴェスタの今月の請求書を間違えて・・・・バルにも送ってしまったんです」
「そう、それで俺がうっかり・・・・中身を見ちまって」
「見ないで削除してくださいとバルには言ったんですが」
「黙れ」
「請求書……クリニックの名前しかないのに?」
「……ごめん。それは。お前が土曜日に必ずどっか行くから……気になって。たまたまメアリの通ってたクリニックと同じで、あ、こいつかって」

 ヴェスタはテーブルの上の白いマグカップを見ている。感情の見えない顔。髪の色だけがそれを伝える。「unhappy」。

「まあ、それは言い訳だ。急にお前が冷たくなったから……なんでもいいから手がかりが欲しかった。メアリのこともほんとだけど、調べて悪かった」
「……冷たくなった? そんな風に思ってたの……」

 ヴェスタはやっと口を開いて、そこまで言って一度唇を噛んだ。

「違うんだ。俺、バルといるのが……辛くなって」

 やっぱりか。直球で言われると流石にへこむ。

「結婚しようって話……あれをエミールさんに聞いてもらってた……」
「うん」

 ヴェスタはぽつりぽつりと話だした。


 バルと家族になりたいと思った。
 結婚しようってバルから言われたのは本当に嬉しかった。でもだんだんわかってきた。自分が何にもわかってなかったことが。

 バルが変な目で見られるようになる。寿命も俺の方がずっと短い。俺はいつもバルにケガさせてばかりだ。ゴーシェのことだって随分負担をかけた。結婚なんて、大それたことだった。

 バルが紹介してくれた人みんなが、表立って反対したり嫌な顔をしなかったのも、なんだか逆に不安になってしまった。いろいろ。色々なことが、エミールさんと話しているうちに噴き出してきた。

「それで、もう……なんだか疲れてしまった……」

 ヴェスタはぽろっとまた涙を流した。

「エミールさんも結婚してる。話をしてくれたんだ。オレグさんとエミールさんはすごく仲が良くて、愛し合って結婚したんだって。でも、だんだん……」

 オレグが病院で色々失敗を繰り返してるうちは、変な話だけど二人はうまくいってた。オレグをエミールが支えて、オレグもエミールなしでは生きられなかった。

 でもオレグが病院を辞めて、父親から与えられたクリニックで、ほとんど失敗のしようがない医療行為(もちろんこの時は具体的に何をしているのかは教えてもらえなかった)だけをするようになると、話は変わった。オレグは家に帰らなくなり、浮気を繰り返すようになった。

 支配率が20%のエミールはなんとか踏み止まって彼を支えた。愛してるから。支配率でAIから制御される以上に、愛してるから。

 ねえ、ヴェスタさん。愛し合っているうちは本当に幸せですよね。僕も知っています。でも人の心は残酷なことですが変わってしまうものです。ヴェスタさんは他の人と付き合ったことが? じゃあその心の変化もお分かりですね……

 気持ちの結びつきを信じるのはやめましょう。それはもろいものです。それはあなたを傷つけるだけです。あなたが信じているほど、ヒューマンは誠実ではありません。僕たちはオーナーを心から信じている。唯一無二の存在です。でも……

「オーナーにとっては、俺たちは唯一無二の存在じゃないから……」

 僕たちはオーナーのために生まれて、短い人生をオーナーに尽くすことになっている。でもオーナーはそう思っていません。はじめは僕たちを心から望んでくれたとしても、目新しさや便利さが薄れてくれば扱いはぞんざいになる。そしてレプリカントに対する差別的な視線や中傷は重くのしかかる。オーナーもだんだん自分のレプリカントが疎ましくなっていく……。

「人は変わってしまうんだよって。だから、一人でも生きていけるようにならないとねって。レッダも前に言ってただろ、現状維持って言うのは……周りの変化に合わせて変わって行くことだって………俺、バルが好きだけど、これが終わるのが怖い。他のレプリカントたちみたいに………」

 いつか飽きられて、ただバルの足枷になるのが、怖い。

 ヴェスタの髪はまた青い炎みたいに色を変えた。
 俺はヴェスタが俺を嫌いになったわけでもエミールに心を奪われたわけでもなかった事の方に安心している自分に気がついた。

「お前、そんな話を本気にしたのか?」
「だって、そんな人たちばっかりだ……! 人身売買されるレプリカントたちはほとんどがオーナーから売られた人たちだし……マリーンさんだって、オーナーから払い下げられた! Relfにいた人たちも、いらないって言われて居場所がなくなった人だった! 俺だって……」
「だから。だから結婚しようって言ってんだよ。少しは安心できるだろ?」
「エミールさんは結婚もしてたよ。でもダメだっただろ……。俺、バルと結婚もして、指輪もして、そうなってからバルが他の人たちから色々言われて……やっぱりしなきゃ良かったって思うのが嫌だ……。それに……」
「それに?」
「結婚、して、幸せになった後で……わ……別れたら……俺、一人で……生きていけない……」
「考えすぎなんだよ」
「メアリさんは、一人で生きていくの……つらくて、死んだんだろ……。俺も怖い……。バルは、俺に40年くれるって言ったけど……20年でバルの気持ちが変わったら? 5年でバルの気持ちが変わったら……? おれ……そのあと……」
「40年じゃない。いくらでも・・・・・やるって言ったんだ。なんで別れる前提なんだよ? さっきから」
「だって……」
「なんで俺に言えなかった?」
「……」

 言えなかった。言えなかったかもな。

 こんな話したって、心配するなとしか言えない。でも絶対に何も変わらないなんてことはない。それは誰にも約束できない。

 レッダの言う通り、自分が変わりたくなくても自分を取り巻く全ての物事は形を変えていく。好むと好まざるとに関わらずだ。
 自分の形も、ある部分は磨耗し、ある部分は研磨されて勝手に変わっていく。誰にもそれを止めることはできないし、多くの場合、どの部分が摩耗するのかさえ選ぶこともできない。

「ヴェスタ」

 でも、必ず何か残るはずだ。ヴェスタがヴェスタである何か。俺が俺である何か。それは変わらないものなんじゃないか。例えば、水がどんなに形を変えても水であるように。

「お前の言う通りだ。将来のことで確かなことは一つもない。明日俺が死ぬかもしれない。でもな、だから・・・未来のことなんか考えるな。どうせ誰にもわからないんだ。誰かと比べるのもやめろ。誰かの人生は誰かの人生だ。お前のじゃない」

 ヴェスタは目を上げたが、まだ髪は青かった。テーブル越しにその白い小さな両手を取った。泣いたせいか、その指先まで温かい。

俺が好きならそれだけにしろ。俺が周りからなんか言われるとか、自分がどうだから俺がこうなるってのは俺の・・話だ。お前が考えることじゃない。今すぐやめろ。
 ちなみに俺は誰が何を言おうが思おうが全く気にならない。それはそいつがそう思うってだけで、俺が何かしてやる義理はないからだ。わかったか」
「………」
「俺が別れるとしたらお前から愛想尽かされた時だけだよ」

 ヴェスタは大きな目をいっぱいに開いて一通り聞いていたと思ったら、はははと笑い出した。

「一度、バルがなんでそんなにメンタル強いのか聞いてみたかったんだ………」
「バル、そういうメンタリティを一般的に傲慢というようですよ」
「黙れレッダ」

 ヴェスタの髪は笑いながら瞬く間にエメラルドグリーンに変わっていった。

「今思い出した」
「何を」
「バルがいてくれたら、何にも怖いことなんかないって思ってたこと」
「いつの話?」
「ずっとだよ。生まれた時から、ずっと」






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

【R18】孕まぬΩは皆の玩具【完結】

海林檎
BL
子宮はあるのに卵巣が存在しない。 発情期はあるのに妊娠ができない。 番を作ることさえ叶わない。 そんなΩとして生まれた少年の生活は 荒んだものでした。 親には疎まれ味方なんて居ない。 「子供できないとか発散にはちょうどいいじゃん」 少年達はそう言って玩具にしました。 誰も救えない 誰も救ってくれない いっそ消えてしまった方が楽だ。 旧校舎の屋上に行った時に出会ったのは 「噂の玩具君だろ?」 陽キャの三年生でした。

両腕のない義弟との性事情

papporopueeee
BL
父子家庭で育ったケンと、母子家庭で育ったカオル。 親の再婚によりふたりは義兄弟となったが、 交通事故により両親とカオルの両腕が失われてしまう。 ケンは両腕を失ったカオルの世話を始めるが、 思春期であるカオルは性介助を求めていて……。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~

焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。 美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。 スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。 これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語… ※DLsite様でCG集販売の予定あり

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

職業寵妃の薬膳茶

なか
BL
大国のむちゃぶりは小国には断れない。 俺は帝国に求められ、人質として輿入れすることになる。

処理中です...