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09 「ふたり」の形

02 Baltroy (婚約未遂)

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 なんでなんだろうな。全くわからない。

 部屋に入って扉が閉まると、自動で錠が降りた。もう外してもいいな。鍵は。

 やることはやったと思う。親にも友達にも紹介した。ちゃんと結婚しようとも言った。何回? 忘れた。まあまあ言った。でもヴェスタは結婚してくれない。

 なんで?

 レプリカントだから、とヴェスタは泣きながら言った。俺が対遇だと、恥ずかしいだろ……。恥ずかしくない。全然。どうしても伝わらないみたいだ。

 結婚しなくても構わない状況ではある。しないならそのうち別れないといけないってわけじゃない。そういう段階は終わったと思う。ヴェスタが俺と一生、生きていきたいと言ってくれるなら、結婚はしなきゃいけないことじゃない。

 ただ、俺も結婚したい。ヴェスタを法的にも捕まえておきたい。節税にもなるし。なんで嫌がるんだろう。本気で嫌がってるんだとしたらへこむな。

 まあいい。一度この件を考えるのはやめよう。

 ブリングで検索をかける。アネルマ・マイネ。以前と変わらずプライマリースクールの教員名簿だけが引っかかる。20年前の名簿だ。よく残ってたもんだ。あと、ヴェスタのことを紹介したくてしてないのはこの人だけだ。

 俺の恩師ということになる。俺に前を向かせてくれた人。人と違うことは悪いことでも怖いことでもない。レプリカント人権保護局に入って捜査官になろうと思ったきっかけをくれた人。どうなのかな。先生にとっては俺なんて、たくさんの生徒のうちの一人だから、覚えてもいないかも知れない。

 名簿のプライマリースクールにはギルロイに挨拶した後あたりにメールしていた。「突然のメールで申し訳ない、恩師であるアネルマ・マイネに連絡を取りたい。よろしければこちらにメールください」
 返事はまだない。最初から期待はしていなかった。20年だ。

 この人が俺を救ってくれなかったらどうなっていただろうなと考えることがある。

 レプリカントのことを知らないままだったかも知れない。ヒューマンをただ恨み続けていたかも知れない。多分そうだっただろう。ゴーシェの姿は自分の姿でもある。職を転々として、孤立して、誰とも交わらないまま。

 テンマは俺が羨ましい、と言った。俺はただのヒューマンが羨ましかった。羨ましいどころじゃない。妬ましくて憎くて眩しかった。歳をとるのは素晴らしいことなんだよ、テンマさん。怪我をしたら誰かに手当てしてもらえるっていうのは。他のみんなに紛れることができるっていうのは。

 這い上がる、なんて苦労した気はしないけど、まともな教育を受けて、少ないなりに親身になってくれる友達もできて、まともな職について、今、ヴェスタと暮らしていられるのは、先生が俺にもそうする権利があると教えてくれたおかげだ。
 少しくらい違ったって、それは不幸の種にはならない。違うことは、悪いことじゃない。理不尽な目に遭っても、全ての人が俺の権利を認めないということはない。絶対に。


 大学一年の後期の中頃のことだった。いきなり声をかけられた。

「あのさ、先週の講義出てた? 俺先週出られなくてさ、できればノート回して欲しいんだけど」

 真っ赤な赤毛が目立つやつ。ドレッドにしてて、派手で(彼の上着はゼブラ柄だった)、同じクラスを取ってるのは知ってたけどそいつと話すのは初めてだった。講義室に入って適当に席について、今日の分のテキストを見ようとしたところだった。

「……だめ?」
「いや。だめじゃないけど。何で俺?」
「毎週ちゃんと出てっからさ。いいんならすぐもらってもいい? 始まる前にちょっとは見ておきたいんだ」

 そいつが見た目によらずかなり真面目なことに驚いた。教えられたIDにノートを飛ばすと、彼は短くサンキュ! と言って隣の席にどかっと腰を下ろし、黙々と目を通し始めた。

 それがルーだった。彼は経済学専攻で、自分の店を持ちたいとちゃんと考えていた。大学が終わると着ぐるみを着て接客するレストランで働いていた。もちろん汗だく。普通のレストランにすればいいのに、と言ったら、彼は「だってこの方が時給がいいだろ」と返した。開業資金を作りたかったのだ。

 においがすごいから着ぐるみの彼に近寄れなくて、仕方なくハイブリッドで嗅覚過敏があるんだと言った。彼はふーんと言った。彼もハイブリッドが豚の子と言われているのは知っていたはずだ。でも何も言わなかった。ただ「わかった」と言って、俺と会う時はできるだけシャワーを浴びて着替えてきてくれるようになった。
 彼は店を開いた後も、俺が行くと俺のためだけにちゃんとした食材で俺が食えるものを出してくれる。なんの見返りもないのに。おかげで店の方には行きにくくてしょうがない。

 クソみたいなこともあったけど、ルーやアラスターやユミン、そしてヴェスタと出会ったことは、先生の言ったことを完全に証明した。世界の全てが俺を肯定することはない。でも、受容はしてくれる。

 トントン、とノックの音がした。 

「入れよ」

 少し明かりが強くなって、パンとドアが開く。ヴェスタがするっと部屋に滑り込んでくる。

「……起こした?」
「起きてた。どうした?」
「一緒に寝て欲しい……」

 ヴェスタの白い顔がぱっと赤らむのがわかる。髪は入ってきた時からもう白っぽい。

「おいで」

 ヴェスタがこの部屋に来るのは珍しい。たいてい俺の方が彼の部屋に行く。なんとなくできた習慣。細い体がベッドを沈ませて入り込む。

「なんかあった?」
「今日、ずっと離れてたから……」
「半日だろ?」
「だって……」

 ヴェスタがぎゅうと抱きついてくる。だってだってだな。5歳児……。まだギリギリ4歳児か。確かに家でも職場でも四六時中一緒なのがデフォルトだから、今日みたいなのは滅多になかった。

「あったかい」

 ヴェスタは腕の中でにこっと笑った。




 翌日復命書を書いていると、局長からコールで呼び出しがあった。やだな。めんどくせえ。ヴェスタの方を見ると、画面を見るその髪がさっと紺色に沈むのが見えた。正直なやつ……。

「ヴェスタ、行くぞ」

 ヴェスタは濃紺の髪、不安そうな顔でついてきた。別に取って喰われるわけではないんだが、いつまで経っても慣れないみたいだ。局長室のドアをノックすると、中から「おう、入れ」と声がした。

「失礼します」
「元気だったか。バル、ヴェスタ」
「はい。ご用件は」

 久々に見る局長は少しテカテカしている。髪が薄くなったかな? 脂臭さと加齢臭。年齢調整してると思っていたが。

「警察機構からご指名だ。捜査協力」
「警察機構から?」
「しかもコンロンとキンバリーのコンビから。お前たちも有名になったな」
「や、たまたま別件で知り合っただけで……」
「嫌味じゃない。褒めてる。大したもんだ。レプリカントが犯罪に絡んでいる事件があって難航している。できればそのレプリカントを突き止めたい。連邦捜査局と違って警察機構はアナログだ。まず警察署で顔合わせしたいと。来週月曜に行ってくれるか?」
「はい」
「よし。頼んだぞ」

 局長は軽く手を振って俺たち二人を部屋から追い出した。コンロンとキンバリーか……。そう言えば飲みに行ってなかった。こう来たか。

「大丈夫かな?」

 ヴェスタが紺色の髪のまま言った。

「大丈夫だろ。多分犯人の目星は付いてるんじゃないかな? コンロンとキンバリーだ」





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