Occupied レプリカント人権保護局

黒遠

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07 ドミニオン

09 Vesta (スモーク)

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 ドミニオンはオートキャリアの窓にスモークを入れなかった。大人っぽいメイクをして、黒いミニドレスを着ている。昼間の彼女とは別人みたいだ。ミュージック動画の中の彼女とも違う。まだ街には活気があり、カフェバーやパブに沢山の人々が出入りしている。通りを歩く人も多かった。

「……憂鬱だわ」

 ぽつりと彼女が呟く。それはそうだろうな。

「苦痛なんだよね。一回も気持ちいいと思ったことないよ。なんかあっちが色々してきて、よがって見せないとやばいかなって思うことはあるけど」

 カチカチとウィンカーの音が鳴る。裏通りを進んで行く。

「あたしを抱きたいんじゃないんだよね。売れてる歌手を抱きたいだけ。話題の人気者を抱いたって言いたいだけ。その時流行ってるやつなら誰でもいいの」

 人通りがぐんと減る。暗くて狭い道。大通りから一本入り込んだだけなのに。

「ねえ、好きな人とやるのってどうなの? 気持ちいい?」
「……」
「教えてよ! ほんとに好きな人となら気持ちいいの?」
「………気持ちいいよ」

 死ぬほど。

「いいなあ………あたしも好きな人ほしい。好きな人とやってみたいな」

 ドミニオンはそれきり何も言わずに窓の外を見ていた。やがてオートキャリアは大きくて高級そうなホテルの裏口に着いた。
 降りると黒い服のサービスマンが恭しくドミニオンの手を取り、車寄せに付いている小型だけど華美なエレベーターに案内した。

「この子、私の護衛なの。いつもSPが待ってるところに案内してあげて」
「承知しました」

 エレベーターは音もなく登っていく。35階、奥の「スペシャル」とだけ書かれたルームの前までサービスマンはドミニオンを案内すると、今度は俺に向かって一礼した。

「どうぞ。こちらに」

 ついて行くと、スペシャルルームとエレベーターホールの間にある、ドアのない、そう広くない部屋に案内された。詰所? 待合室? カウチと小さなテーブル。ティーセットが置かれている。

「お飲み物はご自由に。バスルームはエレベーターホールの右です」

 男はまた一礼すると、微動だにしない微笑みを顔に貼り付けたままエレベーターに乗って消えた。

 なんだかなあ。

 ドミニオンとすごく権力のあるだれかさんとのセックスが終わるまでここで待つ。嫌な時間だ。

 ──あたしを抱きたいんじゃないんだよね。

 すごくよくわかる。その虚しさ。バルと恋人になる前にした4回のセックスがそうだったから。ただの生理的欲求を消すためだけの行為。俺はあの時からバルが好きだったから、すごく気持ちがぐらぐらしたのを覚えてる。好きだから嬉しい。好きだから悲しい。苦しい。つらい。ドミニオンは好きですらない男と、それをしなければならない。

 ブリングを開く。このホテルはどこ? 裏から入ったから名前がわからなかった。バルに見てもらおう……。位置情報を探知してもらえないかな。コールする。出ない。どうして? もう寝ちゃった?

 あたりを見回してみる。ティーセットのティーバッグの包装紙とナプキンが同じデザインになっている。書かれた流れるような筆記体を読みとる。「グランドン」。ホテルグループのグランドンだ。たぶんオートキャリアステーションの近くの。

 バルにメッセージを送っておく。「グランドンだった。今詰所みたいなとこにいるよ。35階」。表からこの階には来られるんだろうか? ドミニオンのスイートルームみたいに、特別な人の泊まる部屋って普通には入れないところがあるんだ。

 ポケットの中を確認する。簡易拘束具。なんだっけ。なんだか笑っちゃう名前だったんだよな。スプレー。これだけでなんとかなるかな? バルから少し教えてもらったけど、あれをとっさにできる気は全くしない。俺は真剣に何かちゃんとやらないといけない。護身術なり、体力作りなり。無力すぎる……。

 かたんと音がした。はっと顔を上げる。エレベーターホールの方から影が伸びているのが見える。誰? さっきのサービスの人?

 影はゆらゆらと左右に揺れている。サービスマンじゃない……。あんな動きは。カウチから立ち上がってそっとホールを見る。

 心臓が止まりそうになった。そこにいたのは、黒いフードにハロウィン用の骸骨の仮面を被った誰かだった。

 こいつだ。カードをドミニオンの部屋につけたやつ。こんな、こんなドミニオンの個人的な場所にまで現れた。まだその誰かは俺に気が付いていないようだ。

 どうする? 戦おうと思うな・・・・・・・。でもバル、ドアの向こうにはドミニオンがいる。守らないといけない。この詰所はあいつから死角になっている。あいつをやり過ごして、後ろから捕縛できれば……。

 息を潜める。その誰かはゆっくり、ぶらぶらと歩くように「スペシャル」のドアに向かい始めた。もう少し。バルのブリングにメッセージを送る。指が震えてうまく書けない。「たすけて」。そいつが通り過ぎようとした次の瞬間、そいつは入り口の影に隠れていた俺の襟首を掴んで壁に押し付けた。

「‼︎」

 首が絞まる。苦しい……。どうしてわかった? せめてスプレーを使いたい。何でも・・・やってみろ・・・・・

「………!」

 思いっきり誰かの体を蹴飛ばす。一瞬手が離れる。床に倒れ込んでしまう。この人、力が強い……。のどがひゅうとなる。酸欠でくらくらする。かちんと硬い音が聞こえた。何? 顔を上げる。何かがそいつの手の中で光る。

 ナイフ? ジャックナイフだ……。怖い。動きを止めなきゃ。なんだっけ。バルは最初どうした? 俺を転ばせたんだ。脚。脚に肩をつけて払うみたいに。体ごと相手の脚にぶつかる。でも相手はよろめいただけだ。ナイフを持った手を振りかざす。刺される!

「あっ……」

 …………?

 刺されない。目を開ける。相手のナイフの切先は俺を向いて止まっている。誰かが男の手首を握っているんだ。

「馬鹿! 離れろ」

 はっと頭が動く。転げるように走り出ながらポケットから簡易拘束具を取り出して、そいつに当て……

「ヴェスタ!」

 きらっとナイフが空を走る。怖い! 拘束具を取り落としてしまう。拾おうと屈んだ時、ヒュッと刃が頬を掠める。ひりつく痛み。バルが俺とその犯人の間に割り入る。だめ! またバルが俺の代わりに! ぱっと血が飛ぶ。

「待て!」

 迸った血に驚いたのか、翻って逃げ出した犯人をバルが切られた肩を押さえながら追う。でも犯人を乗せたエレベーターは、バルの目の前で閉まった。

「くそ!」
「ごめん………」
「怪我はないか?」
「………俺はない。ごめん……」

 バルは俺の頬の傷をちょっと見ると、すぐにブリングでフロントにコールした。

「レプリカント人権保護局のA492090rpです。今、35階から誰かエレベーターで降りたはずです。捕まえてほしい……降りてない? じゃあ、今日の……おい、何時ごろからだ? あいつが来たのは」
「30分経ってない」
「現時刻の前後30分間の防犯カメラの録画を全部下さい。明日で構いません」

 バルの肩についた傷の血はもう止まっていたけど、服は裂けているし真っ赤な大きなしみができている。しかも取り逃した……。

「ごめん」
「いい。大丈夫だ。これくらいすぐ治る。ドミニオンも生きてる。またチャンスはある」
「早かったね?」
「お前を追っかけたんだよ。こういうことがないように」
「…………」

 抱きついて胸に顔を埋める。ごめん。ほんとにごめん。

「怖かっただろ? 無事でよかったな……。明日またちゃんと教えてやるよ、使い方を。『悪人キャッチャー』の」
「……ふっ」
「笑っちゃうよな」





 二時間後、ドミニオンは一段と顔色を悪くして「スペシャル」から出てきた。化粧がだいぶ落ちてしまっている。俺はカウチでバルの肩にもたれてうとうとしていて、バルから頬を軽く叩かれて目を覚ました。

「終わった。帰ろう」

 ドミニオンはバルが目に入らないみたいだった。こつこつとエレベーターに向かって歩き、俺が乗り込むとバルが乗るのを待たずに「閉まる」を押した。バルは閉まるドアの隙間からこっちに軽く手を振った。

「……彼氏ってあの人?」
「………」
「かっこいい?」

 最高にかっこいい。

「……さっき、スペシャルルームの前の詰所に、前のホテルにカードを置いて行ったやつが現れまし……現れた」
「え?」
「俺が襲われて、バルが俺を庇って切られた。犯人はナイフを振り回して逃げた」
「そう……なんか、ごめんね。へえ……」

 ドミニオンはエレベーターから降りながら、濃いくまのできた顔でにやりと笑った。

「バルって言うんだ。あんたの彼氏」

 しまった。

 日付が変わろうとしていた。あと数時間後にはドミニオンは会場入りして歌わないといけない。体を壊しそう。オートキャリアはもう人通りのほとんどない道を走る。

「……あの人とセックスしてんだ」

 それはそうだけど、そういう言い方はすごくやめてほしい。

「そういえばあの人怒ってたもんね。テンマがあんたに使えないって言った時」

 そう。バルは怒ってた。俺はほんとのことだからちょっとへこんだ。今もへこんでる。護身術がインストールできたらバルを怪我させなかったかも知れない。

「なんで好きになったの? なんであの人もあんたが好きになったの? お互いに好きになることなんてあるの?」
「なんで……わからない。俺はバルに育ててもらって、バルのことがわかって……この人しか好きになれないと思った」

 この人無しでは生きられないと思った。バルがそう思っているかはわからない。

「バルはなんで俺が好きなのかな。わからないけど、好きだって言ってくれた」
「ふーん……」

 ドミニオンはフレイバーシガレットをクラッチバッグから取り出してスイッチを入れた。甘い人工的な香りが充満する。

「いいね」

 ふうと煙が血の気のない唇から吐き出される。その息のおしまいが震えた。

「……」

 ドミニオンは泣いていた。頬の涙の筋にまだ少しだけ灯ったネオンが反射して光る。

「いいよねー………」

 言葉が、見つからない。ドミニオンはホテルの前に来るまでには泣き止んでいた。








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