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07 ドミニオン

05 Vesta (アラート)

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「………」
「凄いな。景色が」

 バルが窓辺から下界を見下ろす。はるか下にオートキャリアのライトの帯。きらきらと瞬くビルの明かり。空の星を光を増して写したみたいだ。

「バル、こんなホテル泊まった事ないんじゃない?」
「お互い様だろ」

 仕事でこんなところにバルと泊まれるなんて。不謹慎だけどわくわくしてしまう。バルが局から持ってきたガジェットをどさっとチェストの上にぶちまけた。

「ブリングに設定かけろよ。端末を遠隔で見られるように」
「うん」

 パルスガンは日をまたいだ持ち出しができなかった。端末のデータも全てを見ることができるわけではない。色々制約がある。ここから現況コールはできないので、この任務が終わったらまとめてやるしかない。

「それから、お前がドミニオンを守らないといけない」

 バルがぽんぽんと何かをいくつかほうってきた。

「なに? これ」

 小さなスプレー缶のようなものと、何か黒い四角い平べったいもの。手のひらに収まるサイズで真ん中に赤いボタンが付いている。

「このスプレーは催涙スプレー。相手の顔に向けて吹きかけるとまあ、数分? 十数分かな、は目を開けられない。ただし自分にかからないように」
「はい」
「あとこれは簡易の拘束具」
「これが? どうやって?」

 バルが俺の体にその黒い四角の、のっぺりと黒いだけの面を押し当ててボタンを押した。

「うわっ」

 次の瞬間、黒い四角の中から細い黒い紐が4本ヒュッと出て俺の胴と腕を縛り上げてしまった。一瞬の出来事。

「な。拘束具。でも簡易のだから、結構弱いんだ。すぐにちゃんとした拘束具を付け直すこと」
「はい」
「使い捨て」

 バルは俺の体に巻きついた紐を、持ち込んだ護身用の小さなナイフでぷつりと切った。こんなものでも切れてしまうなら、確かにさほどの強度ではない。

「二つくらい持って歩け。これなんて商品名だと思う?」
「なんだろ? そのままじゃないの? 簡易捕縛ボックスとか?」
「悪人キャッチャー」
「ふっ!」
「笑っちゃうよな。それからこれだ。渡して来いよ、ドミニオンに」

 緊急連絡用のブザー。俺がバルを二月にエッシャー児童養護施設に迎えに行った時にたまたま持って行っていて、ゴーシェを追い払えたやつ。今回は俺とバルがレシーバーを持つ。ブザーが押されるとレシーバーが鳴って、ブリングにドミニオンの位置情報が出る。

 ドミニオンのベッドルームのドアの前には、バルくらい大きい、バルよりも横幅のある男性がでんと立っていた。

「あの……ドミニオンさんに渡したいものがあるんですけど」

 男はちらりとこちらを見ると、どかずにドミニオンの部屋をノックした。

「ドミニオンさん! 捜査官が渡したいものがあるそうです」

 返事はなかった。だめ? 帰ったほうがいいのかな? でもドアは内側から開いて、俺は何も言わないドミニオンから部屋の中にぐいと引っ張り込まれた。

 ベッドルームは広かった。ふかふかの絨毯の床。キングサイズのベッドが鎮座している。テーブルセットがあって、香りのいい花の生けられた花瓶とカゴいっぱいのフルーツセット。ドミニオンはつやつやしたパジャマを着ていた。

「座って」

 テーブルセットを指さす。言われた通り腰を下ろすと、彼女も向かいのイスについた。また彼女はフレイバーシガレットを着ける。

「緊急連絡用のブザーをお持ちしました。これをいつも身につけていてください。このボタンを押してもらうと私とA492090rpに連絡が……」
「あんた名前は?」
「え?」
「その数字の名前じゃ覚えらんない。名前を教えてよ」
「規則で……」
「いいじゃん。教えてくれなきゃブザーなんか持たない」

 ……困った。バルならなんて言うかな?

「教えられませんので……お好きに呼んでください」
「ふーん……。じゃあ持たない」
「………」
「部屋からも出さない。言ったでしょ? あたしSPが部屋の真前にいると眠れないんだ。あんたがいてあのSPにどっか行ってもらうってのはどう」
「………困ります。勝手に一人での行動はできないので……」
「ねえ、じゃあこうしよう。友達! 友達になろうよ。友達同士なら名前呼んでもいいでしょ」

 友達……保護対象者や事件の関係者と個人的なやり取りをするのは推奨されない。バルならやめておけと言うだろう。

「だめなの?」
「すみません……」
「じゃあ、叫んじゃうよ?」

 叫ぶ? ドミニオンを見上げると、彼女はシガレットを消してニヤッと笑った。

「捜査官から襲われたの! たすけてーって。いいの? どうする?」

 そんなことをされたら、ことの真偽はともかくSPが踊り込んで来るだろう。今回の仕事もやりづらくなってしまう……。思わず深くため息をついた。

「………ヴェスタ」
「ヴェスタね! あたしはドミでいいよ」





「よう。遅かったな」

 部屋に戻るとバルは荷物の整理を終えていた。その背中に後ろから抱きついた。

「おいおい。こら。仕事中だろ」

 でも離れる気になれない。ひどく疲れた。結構好きだったドミニオンの実物が、あんな感じだったことに疲れた。

「何か言われた? 煙草くさいなお前」
「……名前を言わされた。じゃないとブザー持たないって言われて……」
「悪用されないといいな。お前なんだか気に入られたな。シャワー浴びてきな」

 仕方なくバルから離れる。だからたばこなんか吸って欲しくないのに。部屋にはバスルームがちゃんと付いていた。シャンプーやボディソープも全部揃っている。タオルもふかふか。さっきドミニオンが着ていたパジャマは、ホテルが用意したルームウェアだった。

 バルはブリングを覗き込んで難しい顔をしていた。もう11時。

「まだやるの?」
「んー。もうやめるか。すごいな。ファンからのメールが。1日分で1365通だ」

 これに加えてSNSからメッセージが届く。コメントも。

「誰が読んでるの?」
「誰も読んでない。普段は。メールアプリが差出人ごとにソートして、内容を簡単に抽出してフォルダに整理して終わり。ファンとの交流会の前にテンマがざっと見るだけ。一応SPたちも見られるようになってるけど、いちいちチェックはしていないらしい」
「今回のは?」
「脅迫の可能性がある内容の時、メールアプリからテンマとSPにメッセージが転送される。1通2通ならざっと目を通すだけだったみたいだけど、今回は通数が多すぎた」

 バルの後ろからブリングを覗き込む。LOVEとかcoolとかが並んだフォルダ。バルがスクロールして下の方を見ていく。別な種類の言葉が目に入る。replicant。sexaroid……。バルがブリングの電源を切った。

「終わりにしよう。しつこく来てるメールは情報担当に分析してもらおう。何か分かるかもしれない。明日だな」

 ブリングを置いてバスルームに入るバルを見送った。俺の目にああいう単語が入らないようにしてくれた。さっきのドミニオンの言葉。あんたも・・・・やられたこと・・・・・・あるんじゃない?・・・・・・・・

 そんな言葉が出るほど、レプリカントはそんなことされるの? わからない。俺は生まれた時からずっとバルに守られている……。

 最初はそうだとわからなかった。すれ違いざまにかけられる卑猥な言葉。ふと二人きりになった時に触ってくる手。嫌で嫌で仕方なかった。
 バルがそばに居ればそれらは起こらない。オーナーの前でそのレプリカントに手を出す人は居ないんだと思った。でもだんだん、そうじゃないって気がついた。

 ReLFで他のレプリカントたちがオーナーからもひどい扱いを受けてることを知った。バルが俺に一人の人間としてずっと相対してくれるから、他の人もバルの前ではそうするんだってわかった。
 バルは俺が嫌な目に遭うたびに庇ってくれた。俺が知らないところでも、俺が誰にも何も言われなくなるように。俺がうまくできなくても、うまくやってるとみんなが思うように。

 入職したころは挨拶さえしてくれなかった人たちが、今は他のヒューマンと変わらずににこやかに話をしてくれるようになった。同僚たちの中に紛れることができるようになった。全部バルのおかげ……。

「どうしたんだよ?」

 もどってきたバルが髪に触れる。青いから。バルは家から持ってきた自分の部屋着を着ている。

「一緒のベッドで寝ていい?」
「ブザーが鳴って5分以内にドミニオンの部屋に行けるんならな」
「ふふ。わかったよ」

 バルの隣に潜り込む。

「うちのベッドより広い」
「だな。このくらいのサイズに変えるか?」
「部屋が狭くなっちゃうよ」

 腕枕してくれる。あたたかい。生まれた時からずっと守ってくれる腕。

「ドミニオンと二人で何話してた?」
「……ん。ドミニオンの個人的なこと……」
「言いづらい?」

 言いづらい。言うべき? どこまで?

「ヒューマンの男の人、怖いんだって」
「ああ……」

 バルはそれだけで何か察したみたいだった。

「……よくあるの?」
「レプリカントがヒューマンを怖がることはよくある。レプリカントは抵抗できないから、ヒューマンにやりたい放題やられてトラウマになるんだな。お前は今回は適任かもな。レプリカントだけどヒューマンを殴れるし、男っぽくないしな」
「男っぽくないって言わないでよ。気にしてるんだから。いつも男か女か聞かれる……」
「そこがいいんだけど」

 バルは俺の目の上あたりにちゅっとキスしてくれた。







 夢の中で変な音が聞こえた。ブー、ブーという人を不安にさせる音。ここ、どこ? 暗い……

「おい」

 バルがぱっと起き上がる。何?

「着替えろ。ドミニオンだ」

 ドミニオン! 緊急連絡用ブザーの音だ!

 もう一つのベッドの上に用意していた制服に着替えてすぐに部屋を出る。位置情報。ドミニオンは部屋の中だ。午前4時23分。リビングから見えるドミニオンの部屋の前には、寝る前と同じように大きな男の人が立っている。

「ドミニオンから緊急連絡がありました。開けてください」
「は? 何も……」

 バルがSPをのけるようにしてパンとドアを開ける。

「ドミニオンさん!」
「アハハハハッ! 2分40秒! ほんとに来るんだ」

 ドミニオンはベッドの上で手を叩いて笑った。

「どうやってんの? 普通に寝てるとこ起きてくるの? 服は着たまま寝てんの?」
「……危険はなさそうですね」

 バルはため息まじりに言った。

「ブザーをお試しになるのは構いませんが、できれば事前にお知らせください。実際の事故や事件と混同しますんで」
「はいはい。ごめんね。つまんなかったから。帰っていいよ。次からはちゃんと緊急の時に鳴らすからさ……」
「ご協力お願いします」
「あのさ、ブザーじゃないとだめなわけ?」

 ドアに向かおうとしたバルと俺は足を止めた。

「レプリカントの……ヴェスタ? IDを聞いておくのはだめなの? ちょっと来てほしいとか、確認したいとかさ、ブザー鳴らしてバタバタ来てもらうほどじゃないって言う時にさ……」

 バルをちらっと見る。バルは難しい顔をしている。公用のブリングもあるけど、今回は持ってきていない。教えるなら個人のIDになる。

「でなきゃ、毎回ブザーを鳴らすけど。ブーブー! ねえ、部屋にねずみが出たの! ブーブー! 今日のコーヒーは薄いわ!」
「………教えます」

 バルが片眉を上げて俺をみた。だって仕方がない。こんなこと毎回やっていられないし、彼女は知りたいことを知るまであれこれ言い募るだろう。

「ありがと! 早速なんだけど、7時からの朝食ね。あたし朝ごはんはブッフェで食べたいんだ。テンマは部屋に持ってこさせろって言うんだけど。一緒に食べてよ、ヴェスタ。とにかく誰かと一緒なら異物混入はないでしょ? 普段はテンマとSPと食べなきゃいけなくてすごく嫌なの」
「………」

 もうなんと言うか……。

「承知しました……。7時にこちらにお迎えに上がります」
「よろしく! おやすみ」

 ドミニオンは俺のIDを自分のブリングに受けると、ひらひらと手を振って広いベッドのど真ん中に潜りこんだ。お役御免らしい。バルと部屋に戻って、5時近い。

「寝直す? 制服だからね……」
「とんでもない女だな」

 バルがどさっと椅子に腰掛けて言った。

「わがまま!」
「ふふ……」

 窓からは黎明の街が見えた。まだオートキャリアの列はちらほらとしかない。オレンジと薄紫の朝日がビルの肌を染めている。きれい。

「お前少し寝ろよ。あの調子だと今日から振り回されるぞ」
「うん」





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