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05 追跡

18 Vesta (Occupied)

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 四軒目の個人の外科医院に入った時だった。ビーコンが鳴り出した。バルに何かあった。マップを見る。エッシャー児童養護施設のすぐ側、草地の地図記号の中にバルの位置がマークされている。

「すみません」

 受付の看護師さんに謝ってオートキャリアに乗り、すぐに座標を設定する。バルの体調を確認する。体温だ。35度を切った。低体温症。余計悪い。傷なら治るけど、これは放っておいても治らない。近くにいて良かった。20分もしないで着ける。何やってんの? ほんと。

 じりじり下がっていくバルの体温を見ていると、やがて草地のマークに一番近いところにオートキャリアが止まった。どこ? ブリングを見ながら進む。すぐそこのはずなのに人の姿が見えない。雨がけぶるように服を濡らしていく。足の先から凍えるようだ。
 マップでマークされているところに目をやると、実際には大きな岩がでんとある。岩の中にでもいるの? 人の声が聞こえる。会話になっていない。まるで独白みたい。回り込む。岩の裏側がぽかんと開いている……そして。

 カッと一気に体が熱くなった。

「おい!」

 痩せて目玉だけぎらぎらした男が、バルの髪を掴んでキスしていた。ふざけるな。

「離れろ! この野郎!」

 自分がこんなに大きな声で怒れるのを知らなかった。男がバルから手を離すと、バルはごろりと土の上に転がった。意識がないんだ。男は俺に向き直ってニヤッと笑った。

「お前、バルトロイのセクサロイドだろ? 逮捕された時もいたな。すぐわかったぜ。頭の先から爪先までバルトロイのにおいをくっつけやがって」
「俺はセクサロイドじゃない!」

 ゴーシェ!

「バルに近寄るな! 触るな!」
「恋人気取りかよ? ハ……人間もどきが」
「バルに何をやったんだよ!」
「お前じゃバルの相手は勤まらないだろ。普通の人間の半分も生きられないくせに」
「………!」
「初めて聞いた? おめでてーやつだな。だから人間もどきだってんだよ」

 バルは知ってた? 知ってるよね。プロだもん。言わなかったんだ。

「お前なんかバルの人生にしたらただの通行人だ」

 通行人・・・

 ブリングが手の中で震えた。またバルの体温が下がったんだろう。男を無視してバルに触れる。まだ少しは温かい。

 俺が死ぬまでそばにいても、バルにしてみればただひと時のこと。やがてバルは他の人とどこかに行ってしまう。俺はバルにとってはほんのつかの間の幻にすぎない。

 でも俺にとっては……

 せせら笑っているゴーシェを睨み返す。ゴーシェは一瞬驚いたように目を細めた。

「それでもいい! 俺が死んでから出直して来い!」

 ポケットから、念のためと思って持ってきたものを取り出す。

「お前は帰れよ! どっかに行け! 見ろよ! 緊急連絡ブザーだ。押したらそこらの警官が駆けつけて来る。困るんじゃないのか? 捕まりたくはないんだろ? 今消えたら見逃してやる。早く行けよ!」
「…………」
「俺が何年生きるかなんか知らないよ! あんたが俺を通行人だって言うんなら、通行人が引っ込むまで黙って待ってろ!」

 指先や爪先は氷のように冷たくなっているのに、胸と頭は燃えてるみたいに熱かった。バルには指一本触れさせない。せめて俺がそばにいるうちは。

 バルを抱き起す。体が大きいからすごく大変。担げるかな……。バルは意識がない。着ていた上着をバルの冷え切った体に掛けて、腕を首に回す。なんとか、持ち上げないと。

「バル! バル……」

 血の気のない顔。頬を叩くと少しだけ目を開ける。またすぐ眠ってしまう。早く温かいところへ。

「………く……」

 重い! でも、進めそう。進まないと。出口を向く。ゴーシェは?

 ゴーシェはいなくなっていた。

 逃げた? 緊急連絡ブザーを持ってきておいて良かった。少なくとも脅しにはなったみたいだ。
 バルを背中に乗せたいけど、難しい。自分より大きい人の運び方を覚えておけば良かった。この前バルが刺された時にでも。
 バルは少し意識があるみたいで、俺の肩に回った腕に少し力を入れてくれた。これだけでだいぶ違う。足も自分でついてくれる。

 それでも、重い。一歩踏み出すのが、もうきつい。早く連れて行きたいのに。一歩、一歩。とにかくオートキャリアに、近づくんだ。

「………はっ、はっ、はっ」

 息が。続かない。もう一歩。お願い。どうか。バルを助けて。もう一歩。

「……ヴェ……スタ」

 バルが起きた。良かった。もう一歩。俺がアラスターみたいに。ゴーシェみたいに。体格が良かったら。力があったら。泣きそうになる。泣いてる場合じゃない。飲み込む。ごめん。バル、ごめんね。

「だ……じょぶ」

 少しだけ、腕の力が増す。バルの足取りが意思を持った。でも、もしまた意識がなくなったら……

「……全然………大丈夫じゃ……ないっ」

 もう一歩。かなりバルが自分の足に体重を乗せてくれるようになった。これなら歩ける。もう少し。

「ゴ……シェは?」
「……ふう……は……逃げた……」

 たぶん。見てなかったからちゃんとはわからない。

「……なんか……されなかった……か」
「なんかされたのはバルだよ! もう……」

 あんな。

 バルが髪を掴まれて、無理矢理キスされていた場面が蘇った。あんな、あんなこと。よくも。

 つっと涙が溢れた。ほおに付いた雨水に混じって、草原に落ちていく。歯を食いしばる。バルに触るなよ。心底腹が立った。バルもあんな胡散臭いやつと二人で会うなよ! 自信過剰だろ。俺がやったら怒るくせに。絶対。

 もう一歩。やっと乗ってきたオートキャリアにたどり着く。ドアが開く。放り込むみたいにバルを乗せると、体中がぎしぎしといった。たったこれだけの距離で。すぐにバルの体を温めないといけない。そのまま抱きついてみるけど、濡れた服が体温を遮る。服のせいでいつまでも暖まらない。バルの濡れたシャツを脱がせる。自分も脱ぐ。そのまま肌を重ねてみた。

「………!」

 思ってたよりバルの体はずっと冷たい。全身に鳥肌が立つくらい。

「うわ……すげーあったけえ」

 バルの体が、俺の熱を吸い上げていく。ほっとする。家の前までそのままでいて、顔を上げるとバルの顔色はかなり良くなっていた。

「助かった」
「お昼ご飯は?」
「や、食い損って」
「バカだな! あんな寒いとこで!」

 早くあったかいものを飲ませてカロリー摂らせないと。濡れた服を引っ掛けて家に駆け込む。

「レッダ! 何か温かい飲み物を用意してくれる? あとカロリー高い食べ物。すぐにできるやつ」
「ヴェスタ」
「バルは早く着替えて! 濡れた服着てないで」

 レッダが色々用意してくれている間、バルはシャワーを浴びて着替えてきた。ビーコンも信号が止まった。大人しく熱いコーヒーを飲みながら、レッダが用意したクロックムッシュを食べるバルを見て、ようやく安心できた。ある意味では。

「ヴェスタにはシナモンロールです」
「ありがとう……」

 焼きたてのいい匂い。シナモンの香り。まだ柔らかいカラメル。甘くておいしい。青いマグと緑のマグが湯気を立てて向かい合っている。

「何があったの?」
「いや。俺も何が何だか」

 バルはざっくりとゴーシェとどうやって会ったのか、どんな話があったのか話してくれた。

「お前は俺としか生きていけないんだって言ってたな。そんな気は全くないんだけど。あいつとしては、同類の俺を捕まえたかったのか、な?」
「……バルは、なんでそんなやつと会いたかったんだよ……」
「ちょっと……聞いてみたいことがあって。悪かった。軽はずみだった」
「何を? あんなやつに何を聞いてみたかったんだよ!」
「すげー怒ってるな。ほんと悪かったよ」

 髪が青白い炎みたいになってるのが、自分でもわかった。だって許せない。

「あのな……生きようと思ったら、いつまででも俺は生きられるんだと思う。俺の母親見ただろ。70でも全然変わらない。あんな風に、俺もたぶん。だから……」

 だから?

「……置いてかれちまうだろ。ほかのハイブリッドのやつはどう思うのかなって」
「置いて……いかれる?」
「そう。誰かと、居たくてもさ。俺たちは、長生きすぎるし……めんどくさ過ぎる」
「………」

 さっきゴーシェから言われたことが頭をよぎって行く。俺は、寿命の短い俺は……

「お前はあいつと何話してたんだよ?」
「……通行人………」

 俺たちはただの通行人だから。バルはそこに留まる。時の流れの中に。

「通行人?」

 時の流れの一瞬、交錯するだけだと。

「俺たちは………ヒューマンの半分も生きないから、バルの相手にはならないって」

 バルはふっと目を伏せた。知ってるよね、バルは。当然。

「でもさ、俺は俺の一生が全部バルならそれでいい」
「……なんて?」
「俺は……バルの一生にしてみたら、ほんのちょっとしか一緒にいられないのかも知れないけど……。俺は俺の一生がずっとバルと一緒だったら幸せだよ。俺が死んだら、俺のこと忘れてもいいよ。でも、それまではずっとそばにいさせてほしい……」

 言いながら勝手に涙が流れて落ちた。長い指がそっと濡れた頬に触れる。

「……あのな、ヴェスタ」
「だめって言うなよ!」
「聞いてくれ。お前の、最近のレプリカントの寿命は40年くらいだ。お前は子ども欲しいんだろ? もう俺と三年生きてる。残りの人生で、子どもが欲しいやつと結婚して、子供をもらって、子どもが大きくなるのを見届けないといけない。俺は……」

 バルは唇を強く噛んだ。

「俺じゃその願いは叶えてやれない」
「いい! そんなの。そんなの俺の願いじゃない。俺はバルと子どもを育てたいって思ったんだもん。バルがいらないんなら、俺が一番叶えて欲しいのはさ、バルと一緒にいることだよ……」
「そうじゃないだろ?」
「そうじゃなくない! なんで俺の願いをバルが決めるの! 結婚もしなくていい! 子どももいらない! 俺はバルと一緒にいたいんだよ!」
「…………俺はめんどくさいからさ……」
「だから何?」
「俺と一緒じゃお前がやりたいこともできない。行きたい場所にも行けない。食べたいものも持ち物一つでも我慢させる。今は付き合いたてだからさ、目をつぶれるかも知れないけど……窮屈だよ」
「そんなの、とっくの昔にわかってるよ! 俺は平気だよ! 何も窮屈じゃない!」

 バルのゆびがもう一度頬を撫でた。温かい手。

「ヴェスタ、ちょっとおいで」

 バルは静かに立ち上がって自分の部屋のドアを開け、俺が入るのを待った。入ってもいいの? 前に入った時は、薄暗い室内灯だけだったから、まるで初めて入るみたいだ。

 バルの部屋はほとんどものがなかった。ゴーシェの部屋みたい……。ベッド、デスク、デスクの上にはデスクトップの端末。棚の隅に、何かのファイルのバインダーがある。

 バルはその青いバインダーを手に取って、渡してきた。

「見てみな」

 ベッドに腰掛けたバルの隣で、恐る恐るそれを開く。開いてすぐに、「人口調整用ドナー登録証」と書かれている一枚の紙があった。IDがついている。

「このIDに繋ぐと、俺の情報が見られる。次のページ」

 上質な紙を一枚めくる。「人口調整用ドナーとは」という紙。生殖能力の高い人の精子や卵子の提供を受け、それらで人工授精を行なって各家庭に子どもを届けるもの。特典として……。

「……特典として、人口調整用ドナーには、本人が提供した素材・・によって受精した子どもが渡される」
「これって、ほんとのバルの子がもらえるってこと?」
「そう」

 欲しい! ほんとのバルの子。

「これが。俺は嫌で」
「ど……」
「俺みたいなのが産まれるのが怖い……。一応、選ばれた時に調べてもらったんだ。ハイブリッドだから、子どもが変なことにならないのか。精子には変異はないって言われた。でも、もし俺みたいなのが生まれて、同じような……」

 バルが口籠った。

「あのな、ヴェスタ。俺はさ、母親の腹の中では四人兄弟だったんだ」
「四人!」
「でも、母親はそれがわかってすぐに堕胎手術を受けた」

 モデルだったから。体型を変えたくない。子どもなんかいらない。父親とだって結婚もしてなかった。母親は元々は人口調整用ドナーでもなんでもない、自然妊娠する可能性がほとんどない普通の女だった。年齢治療の遺伝子操作を受けて、妊娠しやすくなっていることを知らなかった。妊娠する気なんて全くなかった。

 中絶薬を飲んだが子どもたちは死ななかった。単純に吸引するには数が多すぎた。金属の棒が腹に突っ込まれ、粉々にされた胎児は腹から全部吸い出されたはずだった。でも……

「……あの女の腹はだんだん大きくなっていって、病気だと思って受診した。そこでやっと、一人だけ堕胎しきれてなかったことがわかった。俺は……堕胎手術の時に、傷つかなかったのか、片っ端から再生したのかはわからないけど、生き残って生まれてきた、要らない子ども」

 ──勝手に生まれてきたんだから、少しくらいあたしの役に立ちなさいよ!

「母親からも気味悪がられてすぐに施設に入った。母親だけじゃない。こんな体だから」
「バル……」
「だから、子どもを持つのが怖い。俺みたいのが生まれてきた時、どんな顔をしたらいいのか……どうやって育ててやれるのかわからない……」

 初めて見る悲しげなバルを思わず抱きしめると、バルはぎゅっと強く抱きしめ返してくれた。

「ごめん」
「謝らないで。分かった。わかったから……バル……」
「昔は何も考えなかったんだけどな。相手のことも考えてなかった。俺じゃだめだ、ヴェスタ。俺は結婚相手に向いてないんだ」

 バルがあんなにきっぱりと俺との結婚を否定したわけがやっとわかった。バルは俺のことをちゃんと考えてくれてたんだ……。

「……バルは、そういう体で嫌だった?」
「嫌だったな。特に子供の頃はさ。同じ思いはさせたくない……」
「俺は何度も助けてもらったよ」
「ああ……三階から飛び降りた時は、この体で良かったと思ったな。あの時初めてありがたいと思ったかもな」
「ふふ。どうしてあの時俺のこと好きになったの?」
「んー………」

 バルの胸にすっぽり包まれて、鼓動が聞こえる。抱きしめられながら話すの大好きだ。

「代わりなんかいないってわかったからかな。同じ顔で同じことができても……。お前はなんで俺が好きになったんだ?」
「かっこよかったんだもん」
「なんだよそれ」

 バルが笑ったのが、声と胸の動きでわかった。

「……ねえ、俺がバルのレプリカントだからじゃないんだからね。俺が俺でバルがバルだから好きになったんだからね」
「うん」

 バルは髪にキスしてくれた。くすぐったかった。見た目だけじゃないんだからね? バルの面倒見のいいところとか、射撃がうまいところとか、地道なとことか、ちょっとひねくれたとことか、真っ直ぐなとことか、堂々としてるとことか、姿勢がいいとことか、バルの考え方や行動の一つ一つが。

 AIなんかじゃなくて、俺の心を占めて支配するんだ。

 バルの手からバインダーが滑り落ちて、床でかたんと鳴った。それを拾い上げると、バルの登録証が目に入った。バルトロイ・エヴァーノーツ。68年8月18日生まれ、メイル。

「バルと俺は誕生日一緒だったんだね」
「……ああ。月が違うだけ。そんなことも話してなかったな……」
「もっと教えて。バルのことさ」
「……あんまり言うと……」
「ん?」
「愛想つかされるから。追々だな……」
「ふふっ。まだそんなに隠し球があるの? いいよ。俺の40年で全部教えて」
「お前にはもう隠し球はねえのかよ?」
「………」

 ほんとは、バルの子どもを抱いてみたかった。きっとかわいい。バルと血が繋がった子ども。
 検索画面で見た「家庭」の動画みたいに、3人でご飯を食べたり公園で手を繋いで歩いたりしてみたかった。でもバルとじゃないなら、そんなのは意味がない……。

「……どうしても、欲しいものがあるんだ……」
「言ってみな」
「バルの時間」
「ん?」
「さっきの続きだよ。結婚もしなくていい。子どももいらない。俺、バルの40年が欲しい」

 バルは少し体を離して、俺の顔を両手で包むようにして目を合わせた。真っ黒な瞳。

「俺の時間なんていくらでもやる」

 あんまりバルが真剣に言うから、心臓がぎゅっとなって髪がぱっと白っぽくなった。声が出ないでいたら、キスが降ってきた。










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