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05 追跡
17 Baltroy (彼)
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ゴーシェらしき人物は、ちょこちょこ仕事をもらってはせっせと働いているようだった。これが殺人犯じゃなけりゃだいぶ真面目。先週から声をかけていた職業案内所を尋ねると、何度も来ていると言われた。
「連絡してくださいって……」
「こっちも商売だ。猫の手も借りてえってのに、働き手を詮索する義理はねえよ」
まあそうだ。こうやって似てるのが来たって教えてくれるだけでもまし。
「ありがとうございます」
何件かある仕事の紹介所によれば、どこにも今日は来ていないみたいだ。街を出られるとますますめんどくさくなる。早く見つけないと。
まあ、何というか、見つける必要もないんだ。ほっとけばいい。連邦捜査局は今度こそ見つけるだろう。二度も恥をかかされる組織じゃない。俺にはただ少し聞きそびれたことがあったなっていう。それだけ。
ここからエッシャー児童養護施設はそんなに遠くない。偶然? 病院から歩ける距離にあるドヤ街は他にもある。一番大きくて人の出入りが多かったからここに来たけど、逆に防犯カメラに引っかかる可能性も高い。
俺ならもっと郊外の街に行くか、いっそ州を出るだろう。あいつも何か心残りがあるのか。無さそうだったけどな。白紙の人間関係。何もない部屋。街に戻れない生活。
完全にスタックした。ここまでだ。執着する意味はない。あの穴はどうなっているのかな。せっかくだから寄っていこう。オートキャリアで移動しているうちに、ぱらぱらとみぞれが降り始めた。すぐに雪になるだろう。ヴェスタとの四年目。
──支配率ゼロなんだよ。俺の心をもっと信用してよ。
そうだよな。お前のことを型にはめて一番人間扱いしてなかったのは俺だったのかも知れない。だって信じられなくて。お前がオーナーだからって理由じゃなくて、俺のことをそんなに好きだなんて。
──信用を積み重ねてください!
あれはさ。うそだよ。詭弁だったんだ。ああでも言わないとウーナは納得しなかっただろ。希望を持たせただけ。その前にウーナの寿命が尽きるだろうってのも織り込み済みの汚い言い訳。でも俺のは本当だから、とヴェスタは言った。怖かった。でもバルのせいじゃなかっただろ。俺だって馬鹿じゃないよ。
やってしまった朝は、あんな状態のヴェスタを置いて出てしまった。二回目も三回目も酷かった。ヴェスタのことが好きだと自覚してから、やっと自分が何をしてしまったのかわかった。罪悪感でどんどん身動きが取れなくなっていった。あんなことは、少しでも大切に思ってるやつにできることじゃない。
──ずっと大事にするって誓ってください。
「……くくっ」
笑ってしまう。かわいいやつ。それは、何にでも誓う。約束する。
エッシャー児童養護施設の丘は、細かく降り始めた雨でしっとりと濡れていた。夏は緑に輝いてさわさわと揺れているはずの草原も、枯葉の色に湿っている。裏手に車を停める。職員に見つかるとめんどくさい。また誰かの秘密基地になっているかも知れないし。
二十年ぶり。もっとかな。覚えているか自信がなかった。本当にちょっとわからないところにあったから。上から見下ろしたのでは見えないんだ。足任せに進んでいく。手前にちょっと大きめの岩があって、その岩には意外と厚みがない。洞窟の入り口を隠している。
みつけた。
今は誰の隠れ家なのかな。マッツォはどうしてるかな。入り口は小さい。屈まないと入れない。昔は立ったまま出入りできたのにな。
奥はもう少し広くなっていて、立てる。ブリングの明かりをつける。ふわりと光が広がる。そうそう。奥が暗くて怖かったんだよな。あの頃はこんなもん持ってないし。出入り口に外から差し込む光だけだった。こんなに奥が広くなってるのも知らなかった。足元の石の下がえぐれていて、そこに拾ったおもちゃを置いてた。さすがにないよな。手を突っ込んでみる。
さら、と何かが触れた。薄暗い。ブリングを向ける。紙きれ。今日の雨の湿気を吸って、少しばかりふやけた白い紙。明らかに誰かが最近入れたものだ。子どもが描いた絵でも隠したのかな?開いてみる。11桁の数字。
なんだこれ? こんなもん子どもが入れるか? 大人の筆跡。11桁。まさかな。
まさか。
ブリングを手に取る。見当違いなら、間違えましたで切ればいい。11個の数字を打ち込んで、コール。
そんなの。偶然頼みにも程があるだろ。子どもが拾って、何だかわからずに持ってきただけ。
しばらく呼び出し音が続く。でも誰かに繋がっている。向こうには俺の名前が表示されているはずだ。誰かがついにコールを、取った。
『ふふっ』
押し殺し切れない笑い声。
『バルトロイ。お前ならそこに来ると思ったんだ』
「……ゴーシェ?」
『ランチは取ったか?』
「どこにいる?」
『まあいいや。大丈夫さ、俺が会いに行ってやるよ。そこを動くなよ』
コールが一方的に切れる。会いに行くから? こいつ、自分の立場をわかってないのか? でも確かに、俺がすぐに通報するかと訊かれれば、それはしない。
入り口の近くにある石に腰を下ろす。俺の指定席だった。昔は寝転べるくらいだったのに、今は座るのも窮屈だ。空を眺める。霧のような雨は止みそうにない。息が白い。上着と髪が濡れている。俺は体温が高いから、寒いのはあまり苦じゃない。まあ、腹は減った。動き回ってたせいで食い損ったな。
子供の頃のように、空をぼんやりと見ながら待っていた。小一時間ほど経ったところで、入り口に影が差した。
「よう、バルトロイ」
影に目をやる。思った通りの男がこちらを見下ろしていた。
「……元気そうだな」
「少し寒かったかな。はは」
帽子を被ってマスクをつけている。灰色の目だけが剥き出しでこっちを見ている。
「お前は変わらないね。そのきかなそうな目。ここに来たってことは思い出したんだな」
「……俺になんか用かよ」
こんなところに来てあのIDを見つけるのは俺くらいだ。どうして。
「冷たいな。同類だろ。言っただろ? 仲間には二度と会えないかも知れないって」
俺はもう一人会ったけど。寒さにふと気づいた。体が震えている。もう一月だぞ。こんな所でこんなに待たせんなよ。
「30歳くらいになった時、わかっただろ? 俺たちは歳を取らない」
そうだった。それは25過ぎたあたりから感じ始めて、30くらいで諦めた。再生能力も、嗅覚過敏も衰えない。ヒューマンにはならないんだなって。俺は一生このまま生きていくしかないんだって。俺の一生ってどれくらいなんだよ。永遠に再生し続けるって言うんなら……
「俺たちは永遠に生きるって言っただろ。知ってるか? 三十年前に遺伝子治療を受けた当時96のじじいは今でも生きてやがる。嫁も息子ももう死んでるのにさ! 誰もついて来られない……」
ベラベラよく喋るな。こいつがこんなに喋ってるところを初めて見た。別に俺は友達でも何でもねえんだけど。眠くなってきた。
「まさかお前が俺を捕まえに来るなんてな! 一目でわかった。まあ、お前にピンと来て欲しくてメッセージを残したんだ。あれが報道されなくて一番焦ったのは俺さ。どうしてもお前を見つけたかった! 警察にお前を探させるつもりだったんだ」
「………そんなことのために、あんなこと……」
「せっかく派手に殺したついでさ。とにかくお前に会いたかった。俺は死ぬと思ってたしな。お前は忘れてたみたいだけど、俺は一秒もお前のことを忘れたことはない。お前の血の味もな」
頭が痛い。
「ふふっ。お前、自分の体のこと知らないだろ。いい天気だったな」
ぼんやりする。体が重い。動かせないくらいに。ゴーシェが俺の後ろ髪をぐっと掴んで顔を仰向けた。抵抗できない。手足が自分のじゃなくなったみたいだ。
「お前は俺としか生きられないんだよ。だれも俺たちについて来られないんだから」
は? 何言ってんだこいつ。まだこいつ、薬の匂いがする。それに……。
唇に痛み。ゴーシェの舌が、唇をなぞっていく。やめろ。不愉快だ。
「おい!」
聞き覚えのある声。でもこんな大声で話すのを聞いたことはない。手が髪から離れて、視界がぐるりと回る。
「離れろ! この野郎!」
すごい剣幕だな。土の感触と匂い。
「お前、バルトロイのセクサロイドだろ? 俺を逮捕した時もいたな。すぐわかったぜ。頭の先から爪先までバルトロイのにおいをくっつけやがって」
「俺はセクサロイドじゃない!」
よし。言い返してやれ。お前はさ、とっさに何も言えなくなっちまうのがな……頭の回転は悪くないのにな。遠慮してんじゃねえ。
「……ルを……せ」
「お………て……」
「………んな……………」
「…え…………きな………」
何言ってんだ? 眠い。
ふっと何かが俺の体に覆い被さるように触れた。
「それでもいい! 俺が死んでから出直して来い!」
すげえでかい声。こんな声出せたんだな、ヴェスタ。死んだ時の話なんかすんなよ。
「ちか………おす……ぐ……」
「…………」
眠い。
腕が。痛い。
「……はっ、はっ……」
足も。引きずるなよな。自分で歩くよ。
「はあっ……はっ」
ヴェスタの横顔。ものすごく必死。白い息。
「……ヴェ……スタ」
「ん……はっ……」
一歩。ヴェスタの身長と体重で。俺の腕を細い肩に回して、もう一歩。いやいや。無理だろ。お前が俺を担ぐのは。俺の体重、お前のだいたい倍だぞ。
「だ……じょぶ」
「……全然………大丈夫じゃ……ないっ」
もう一歩。なんとか、足に力を入れる。笑ってしまうくらい感覚がない。
「は………」
ヴェスタが少し息をつく。俺はどうなったんだ? これ。ヴェスタの上着が肩にかかっている。
「ゴ……シェは?」
「……ふう……は……逃げた……」
一歩一歩。オートキャリアが見えてきた。俺のはもう帰ってしまっている。ヴェスタが乗ってきたやつかな……。
「……なんか……されなかった……か」
「なんかされたのはバルだよ! もう……」
面目ない。助かった。
オートキャリアに転がり込む。車の中があったかく感じる。ヴェスタがすぐに俺に体をぴったりとくっつけた。
「どうしよう。抱きついたほうがいい?」
「……なんだよ。急に……」
舌が回るようになってきた。ヴェスタがものすごく真剣な顔で俺に抱きつく。すぐにまた離れて、少し考えてから俺のシャツの前を開けて、自分も上を脱ぎだした。
「おい」
そのまままた素肌を押し付けて来た。
「うわ。すげーあったけ……」
普段はヴェスタよりも熱いくらいの自分の体が、どんなに冷えていたのかわかった。服越しで体をくっつけた比じゃない。
「お前が冷たいだろ? 大丈夫か?」
「バカだな! 凍死するとこだ! 低体温になりやすいってユミンが言ってただろ!」
「………」
聞いたような、聞いてないような。今時冷暖房が入ってないとこもないし、服の体温調整もかなりいいから、聞いてたとしても話半分だったんだろう。ヴェスタは黙って抱かれている。裸の肩にヴェスタの上着をかけてやる。髪が青白い。怒ってる。
「よくわかったな、俺のいるとこ……」
「ビーコンが……」
そうだ。レプリカント連続殺人で俺が囮になった時、軽度の体調不良でもヴェスタに連絡が入るようにしてそれっきりだった。
「それにしても早くないか? 家から二時間はかかるだろ?」
「………ゴーシェの潜伏先の街にいたから……」
「はあ?」
「だって! バルがいないからつまんなくて……気になっちゃって」
「………」
それで突き止めてそこまで来るんだから大したもんだ。さすが……。
ヴェスタがごしごしと俺の唇を服で拭いた。
「もう! ほんとやだ」
涙目。
「キスなんかされてんじゃないよ……」
「ごめん」
低体温か。こんなに簡単になると思ってなかった。俺をここで待たせたのはこれを見越してたのか? すごいな。もしヴェスタが来てなかったらどうなってたんだろうか。
「なんであんな奴と会ったの……」
「いや……聞きたいことがあって。お前なんか話してただろ? 聞こえなくてさ。何話してたんだ?」
「……あとで」
ヴェスタは黙って俺の肩に顎を乗せた。スモークを入れると、車はやわい雨の中、静かに走り出した。
「連絡してくださいって……」
「こっちも商売だ。猫の手も借りてえってのに、働き手を詮索する義理はねえよ」
まあそうだ。こうやって似てるのが来たって教えてくれるだけでもまし。
「ありがとうございます」
何件かある仕事の紹介所によれば、どこにも今日は来ていないみたいだ。街を出られるとますますめんどくさくなる。早く見つけないと。
まあ、何というか、見つける必要もないんだ。ほっとけばいい。連邦捜査局は今度こそ見つけるだろう。二度も恥をかかされる組織じゃない。俺にはただ少し聞きそびれたことがあったなっていう。それだけ。
ここからエッシャー児童養護施設はそんなに遠くない。偶然? 病院から歩ける距離にあるドヤ街は他にもある。一番大きくて人の出入りが多かったからここに来たけど、逆に防犯カメラに引っかかる可能性も高い。
俺ならもっと郊外の街に行くか、いっそ州を出るだろう。あいつも何か心残りがあるのか。無さそうだったけどな。白紙の人間関係。何もない部屋。街に戻れない生活。
完全にスタックした。ここまでだ。執着する意味はない。あの穴はどうなっているのかな。せっかくだから寄っていこう。オートキャリアで移動しているうちに、ぱらぱらとみぞれが降り始めた。すぐに雪になるだろう。ヴェスタとの四年目。
──支配率ゼロなんだよ。俺の心をもっと信用してよ。
そうだよな。お前のことを型にはめて一番人間扱いしてなかったのは俺だったのかも知れない。だって信じられなくて。お前がオーナーだからって理由じゃなくて、俺のことをそんなに好きだなんて。
──信用を積み重ねてください!
あれはさ。うそだよ。詭弁だったんだ。ああでも言わないとウーナは納得しなかっただろ。希望を持たせただけ。その前にウーナの寿命が尽きるだろうってのも織り込み済みの汚い言い訳。でも俺のは本当だから、とヴェスタは言った。怖かった。でもバルのせいじゃなかっただろ。俺だって馬鹿じゃないよ。
やってしまった朝は、あんな状態のヴェスタを置いて出てしまった。二回目も三回目も酷かった。ヴェスタのことが好きだと自覚してから、やっと自分が何をしてしまったのかわかった。罪悪感でどんどん身動きが取れなくなっていった。あんなことは、少しでも大切に思ってるやつにできることじゃない。
──ずっと大事にするって誓ってください。
「……くくっ」
笑ってしまう。かわいいやつ。それは、何にでも誓う。約束する。
エッシャー児童養護施設の丘は、細かく降り始めた雨でしっとりと濡れていた。夏は緑に輝いてさわさわと揺れているはずの草原も、枯葉の色に湿っている。裏手に車を停める。職員に見つかるとめんどくさい。また誰かの秘密基地になっているかも知れないし。
二十年ぶり。もっとかな。覚えているか自信がなかった。本当にちょっとわからないところにあったから。上から見下ろしたのでは見えないんだ。足任せに進んでいく。手前にちょっと大きめの岩があって、その岩には意外と厚みがない。洞窟の入り口を隠している。
みつけた。
今は誰の隠れ家なのかな。マッツォはどうしてるかな。入り口は小さい。屈まないと入れない。昔は立ったまま出入りできたのにな。
奥はもう少し広くなっていて、立てる。ブリングの明かりをつける。ふわりと光が広がる。そうそう。奥が暗くて怖かったんだよな。あの頃はこんなもん持ってないし。出入り口に外から差し込む光だけだった。こんなに奥が広くなってるのも知らなかった。足元の石の下がえぐれていて、そこに拾ったおもちゃを置いてた。さすがにないよな。手を突っ込んでみる。
さら、と何かが触れた。薄暗い。ブリングを向ける。紙きれ。今日の雨の湿気を吸って、少しばかりふやけた白い紙。明らかに誰かが最近入れたものだ。子どもが描いた絵でも隠したのかな?開いてみる。11桁の数字。
なんだこれ? こんなもん子どもが入れるか? 大人の筆跡。11桁。まさかな。
まさか。
ブリングを手に取る。見当違いなら、間違えましたで切ればいい。11個の数字を打ち込んで、コール。
そんなの。偶然頼みにも程があるだろ。子どもが拾って、何だかわからずに持ってきただけ。
しばらく呼び出し音が続く。でも誰かに繋がっている。向こうには俺の名前が表示されているはずだ。誰かがついにコールを、取った。
『ふふっ』
押し殺し切れない笑い声。
『バルトロイ。お前ならそこに来ると思ったんだ』
「……ゴーシェ?」
『ランチは取ったか?』
「どこにいる?」
『まあいいや。大丈夫さ、俺が会いに行ってやるよ。そこを動くなよ』
コールが一方的に切れる。会いに行くから? こいつ、自分の立場をわかってないのか? でも確かに、俺がすぐに通報するかと訊かれれば、それはしない。
入り口の近くにある石に腰を下ろす。俺の指定席だった。昔は寝転べるくらいだったのに、今は座るのも窮屈だ。空を眺める。霧のような雨は止みそうにない。息が白い。上着と髪が濡れている。俺は体温が高いから、寒いのはあまり苦じゃない。まあ、腹は減った。動き回ってたせいで食い損ったな。
子供の頃のように、空をぼんやりと見ながら待っていた。小一時間ほど経ったところで、入り口に影が差した。
「よう、バルトロイ」
影に目をやる。思った通りの男がこちらを見下ろしていた。
「……元気そうだな」
「少し寒かったかな。はは」
帽子を被ってマスクをつけている。灰色の目だけが剥き出しでこっちを見ている。
「お前は変わらないね。そのきかなそうな目。ここに来たってことは思い出したんだな」
「……俺になんか用かよ」
こんなところに来てあのIDを見つけるのは俺くらいだ。どうして。
「冷たいな。同類だろ。言っただろ? 仲間には二度と会えないかも知れないって」
俺はもう一人会ったけど。寒さにふと気づいた。体が震えている。もう一月だぞ。こんな所でこんなに待たせんなよ。
「30歳くらいになった時、わかっただろ? 俺たちは歳を取らない」
そうだった。それは25過ぎたあたりから感じ始めて、30くらいで諦めた。再生能力も、嗅覚過敏も衰えない。ヒューマンにはならないんだなって。俺は一生このまま生きていくしかないんだって。俺の一生ってどれくらいなんだよ。永遠に再生し続けるって言うんなら……
「俺たちは永遠に生きるって言っただろ。知ってるか? 三十年前に遺伝子治療を受けた当時96のじじいは今でも生きてやがる。嫁も息子ももう死んでるのにさ! 誰もついて来られない……」
ベラベラよく喋るな。こいつがこんなに喋ってるところを初めて見た。別に俺は友達でも何でもねえんだけど。眠くなってきた。
「まさかお前が俺を捕まえに来るなんてな! 一目でわかった。まあ、お前にピンと来て欲しくてメッセージを残したんだ。あれが報道されなくて一番焦ったのは俺さ。どうしてもお前を見つけたかった! 警察にお前を探させるつもりだったんだ」
「………そんなことのために、あんなこと……」
「せっかく派手に殺したついでさ。とにかくお前に会いたかった。俺は死ぬと思ってたしな。お前は忘れてたみたいだけど、俺は一秒もお前のことを忘れたことはない。お前の血の味もな」
頭が痛い。
「ふふっ。お前、自分の体のこと知らないだろ。いい天気だったな」
ぼんやりする。体が重い。動かせないくらいに。ゴーシェが俺の後ろ髪をぐっと掴んで顔を仰向けた。抵抗できない。手足が自分のじゃなくなったみたいだ。
「お前は俺としか生きられないんだよ。だれも俺たちについて来られないんだから」
は? 何言ってんだこいつ。まだこいつ、薬の匂いがする。それに……。
唇に痛み。ゴーシェの舌が、唇をなぞっていく。やめろ。不愉快だ。
「おい!」
聞き覚えのある声。でもこんな大声で話すのを聞いたことはない。手が髪から離れて、視界がぐるりと回る。
「離れろ! この野郎!」
すごい剣幕だな。土の感触と匂い。
「お前、バルトロイのセクサロイドだろ? 俺を逮捕した時もいたな。すぐわかったぜ。頭の先から爪先までバルトロイのにおいをくっつけやがって」
「俺はセクサロイドじゃない!」
よし。言い返してやれ。お前はさ、とっさに何も言えなくなっちまうのがな……頭の回転は悪くないのにな。遠慮してんじゃねえ。
「……ルを……せ」
「お………て……」
「………んな……………」
「…え…………きな………」
何言ってんだ? 眠い。
ふっと何かが俺の体に覆い被さるように触れた。
「それでもいい! 俺が死んでから出直して来い!」
すげえでかい声。こんな声出せたんだな、ヴェスタ。死んだ時の話なんかすんなよ。
「ちか………おす……ぐ……」
「…………」
眠い。
腕が。痛い。
「……はっ、はっ……」
足も。引きずるなよな。自分で歩くよ。
「はあっ……はっ」
ヴェスタの横顔。ものすごく必死。白い息。
「……ヴェ……スタ」
「ん……はっ……」
一歩。ヴェスタの身長と体重で。俺の腕を細い肩に回して、もう一歩。いやいや。無理だろ。お前が俺を担ぐのは。俺の体重、お前のだいたい倍だぞ。
「だ……じょぶ」
「……全然………大丈夫じゃ……ないっ」
もう一歩。なんとか、足に力を入れる。笑ってしまうくらい感覚がない。
「は………」
ヴェスタが少し息をつく。俺はどうなったんだ? これ。ヴェスタの上着が肩にかかっている。
「ゴ……シェは?」
「……ふう……は……逃げた……」
一歩一歩。オートキャリアが見えてきた。俺のはもう帰ってしまっている。ヴェスタが乗ってきたやつかな……。
「……なんか……されなかった……か」
「なんかされたのはバルだよ! もう……」
面目ない。助かった。
オートキャリアに転がり込む。車の中があったかく感じる。ヴェスタがすぐに俺に体をぴったりとくっつけた。
「どうしよう。抱きついたほうがいい?」
「……なんだよ。急に……」
舌が回るようになってきた。ヴェスタがものすごく真剣な顔で俺に抱きつく。すぐにまた離れて、少し考えてから俺のシャツの前を開けて、自分も上を脱ぎだした。
「おい」
そのまままた素肌を押し付けて来た。
「うわ。すげーあったけ……」
普段はヴェスタよりも熱いくらいの自分の体が、どんなに冷えていたのかわかった。服越しで体をくっつけた比じゃない。
「お前が冷たいだろ? 大丈夫か?」
「バカだな! 凍死するとこだ! 低体温になりやすいってユミンが言ってただろ!」
「………」
聞いたような、聞いてないような。今時冷暖房が入ってないとこもないし、服の体温調整もかなりいいから、聞いてたとしても話半分だったんだろう。ヴェスタは黙って抱かれている。裸の肩にヴェスタの上着をかけてやる。髪が青白い。怒ってる。
「よくわかったな、俺のいるとこ……」
「ビーコンが……」
そうだ。レプリカント連続殺人で俺が囮になった時、軽度の体調不良でもヴェスタに連絡が入るようにしてそれっきりだった。
「それにしても早くないか? 家から二時間はかかるだろ?」
「………ゴーシェの潜伏先の街にいたから……」
「はあ?」
「だって! バルがいないからつまんなくて……気になっちゃって」
「………」
それで突き止めてそこまで来るんだから大したもんだ。さすが……。
ヴェスタがごしごしと俺の唇を服で拭いた。
「もう! ほんとやだ」
涙目。
「キスなんかされてんじゃないよ……」
「ごめん」
低体温か。こんなに簡単になると思ってなかった。俺をここで待たせたのはこれを見越してたのか? すごいな。もしヴェスタが来てなかったらどうなってたんだろうか。
「なんであんな奴と会ったの……」
「いや……聞きたいことがあって。お前なんか話してただろ? 聞こえなくてさ。何話してたんだ?」
「……あとで」
ヴェスタは黙って俺の肩に顎を乗せた。スモークを入れると、車はやわい雨の中、静かに走り出した。
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