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05 追跡
13 Vesta (tea / tear time)
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待ち合わせのティールームは、本の匂いがする素敵なところだった。あたりを見回した。ソファ席やカウンター席、テーブル席が少しずつあって、好きなところで好きなように寛げるようになっている。観葉植物。木目の床。
「ガートルード」
「こんにちは」
マリーンさんが奥のソファ席で待っていた。モスグリーンのふかふかしたソファ。かわいらしい。
「ごめんなさい………急に、こんなことで」
「どうして? 私は頼ってもらえたみたいで嬉しいな。誘ったのは私よ」
マリーンさんと二人きりで話すのは初めてだった。
「今日は髪が青いのね。ザムザがこの前言ってた。ヴェスタの髪の謎が解けたって」
「ああ、これ……」
いつのまにか色が変わっているから、普段は気にしていない。確かに青い。バルの恋人になってからはずっと緑だったから、自分でも違和感がある。浮かれてたんだよね……。
「何か頼みましょう。トライフルがおいしいのよ。紅茶も色々揃ってる」
マリーンさんは首元までぴったりと体にフィットする白いブラウスを着ていた。モスローズのスカート。花びらのようなカットのショートブーツ。髪は随分伸びて、ハーフアップにしている。きれいだ。
この人くらいきれいだったら良かったな。最初からバルの心を掴めていたのかも。こんなに回り道して、迷路に入らずに済んだのかも。
「仕事はどう? 大変でしょう」
「三年経って、やっと慣れて来たかなって。それに、保護してちゃんとなると嬉しい……」
マリーンさんはにっこりと微笑んだ。「私も助けてもらったものね」。
「でも、何度保護してもダメになっちゃうこともあって。そういう時はつらいかな」
ウーナ。俺たちを恨んでいた。
「なんかね、旦那さんが………ヒューマンでオーナーなんだけど、レプリカントの奥さんを何度も殴って。そのたび保護してたんだけど、奥さんは保護なんてしてもらいたくなかったって」
「あなたのオーナーさんはなんて?」
「ん……バルはあんまり何も言わない……何でかなって。相手がオーナーだから逃げないのかなって。それだけ」
そして、お前は何で俺が好きなんだって。
「あなたは何でだと思う?」
「俺………わからない……けど、バルがもし、そういうことをしてきたら」
「うん」
「やっぱり離れられないと思う……好きだから」
マリーンさんは紅茶を一口飲み、カップをテーブルにそっと置いた。そして左の手首のボタンを外して、肘から下をあらわにした。その肌は所々に瘢痕があり、硬く盛り上がっていた。
「私はね、こんな傷が体中にある」
はっと思い出した。なんて無神経だったんだろう。マリーンさんはオーナーから虐待されていて、オーナーを殺しに行ったところを捕まえたんだ。
「ごめんなさい! 俺………」
「いいのよ。昔のこと。私は30パーセントのレプリカント。だから、オーナーの命令に逆らえなかった。危害を加えることもできない。でもね、その時に保護局に保護されていたら、きっと保護局に感謝したと思う。大嫌いだったもの」
大嫌いだなんてセリフがこの人から出ると思わなくて、彼女の深い海のような色の目を見た。マリーンさんはにっこり微笑んだ。
「私たちはオーナーだからって無条件に好きになるわけじゃないわよ。ちゃんと心があって好きになるから好きになるのよ。よく勘違いする人がいるけどね。その逃げないレプリカントの人も、オーナーを愛してるのね……」
白いブラウスにまた腕を隠す。彼女がどんな時も長袖の服を着ている理由がわかった。
「仕方ないわ。それは彼女が選ぶことだから。彼女にとっては殴られるのも愛情表現なのかも知れない。あなたはやるべきことをやった。それでいいと思う」
殴られる愛情表現。悲しい。
「少なくとも私はあなたたちに確実に救われた。胸を張ってください」
マリーンさんはその白い指で少しだけ俺のテーブルに載せた手を触った。さらさらして優しい指だった。
トライフルは柔らかくて、とても甘くて美味しい。バルとはあまり甘いものを食べないから新鮮に感じる。俺は全てにおいて経験と知識が無さすぎる。
話そう。
「昨日……モールで、結婚プランニングのお店があって。思わず駆け寄っちゃって。もういいやって、結婚したいんだって言ったんです。そしたら………」
口の中に涙の味が込み上げてくる。トライフルのいちごの色とカスタードの色が滲んで混じる。
「……結婚なんてできないって」
昨日もう泣かなくても大丈夫ってくらい泣いたのに、ぼろぼろと涙がまたこぼれ落ちる。どうなってんの、俺の目。
「そうか……。うーん」
困るよね。ごめんなさい。止められない。マリーンさんがナプキンを差し出してくれた。瞬く間にぐっしょりと濡れる。
「どうして結婚したいと思ったの?」
「バルと……離れたくないから……」
「そうね。他には?」
「……わかんない……。でも、結婚したら……捨てられないんじゃないかなって……」
「……わかるわ……。他にある?」
「か……家族、とか、家庭、とか……なってみたい……。バルの、かけがえのないものに……なりたい……」
「バルトロイさんは、どうして結婚できないって?」
「バルは、俺を、縛るだけだからって……。こ、こどもも……いらな……」
マリーンさんは長い腕を伸ばして、俺の肩をさすってくれた。ほんとにごめんなさい。申し訳ない。恥ずかしい………。
「縛るだけだから、か……」
「バルは、俺と、ずっと一緒にいるの、嫌なのかな……」
子どもみたいに、しゃっくり上げながらしか話せない。
「そんなに悲観しないで。結婚なんて形式的なものだからって考えの人もいるし……」
「……昔は……、バルも結婚しちゃいたいって……べ、別な人とだけど……思ってたって……」
「………」
「なんで、なんで俺とは、だ、だめ、なの……」
「ヴェスタさん……」
「怖い……。俺……バルと離れたくない……」
マリーンさんは俺をそっと抱き寄せて、手を握ってくれた。金色の細い指輪が薬指に嵌められている。ザムザも同じのをしているのを知っている。いいな……。
「バルトロイさんが結婚したかったのは昔のことなんでしょう? 若い頃と今では考え方が変わったのかも知れないわ。結婚って、いいこともあるけど煩わしいことも多い。いつまでも恋人同士の方がときめきがあっていいって言う人もいるし」
「……ときめき?」
「そう! おめかししてデートしたりとか。記念日にプレゼントを贈りあったりとか。家族になってしまうと特別感がなくなっちゃうでしょう? 恋人っていうのは、『スペシャルな人』っていうこと。ずっとあなたにスペシャルでいて欲しいのかも」
「……ふふ」
バルがそんなこと考えるわけないけど、そうだったらちょっと面白い。
「考えが……変わったのかもしれない?」
「そう。年をとって、人から色んなことを聞いて結婚に幻滅しちゃったとか、別にする必要があることじゃないって気づいたとかね。それに、結婚したって他の人を好きになってしまう人もいるわ。絶対的なものじゃないんだから、してもしなくてもおんなじって思ってるのかも。考えすぎないこと」
「……ん」
俺には他の誰かなんて好きになれない……。
トライフルも紅茶も、途中から涙の味しかしなくなった。他の誰もバルみたいには好きになれない。他の誰かを好きになろうとしてもだめ。俺、それはほんとに努力してみたんだ。でもそんなのは間違いだって気づいただけだった。俺を好きになってくれた人をただ傷つけただけだった。
「ガートルード」
「こんにちは」
マリーンさんが奥のソファ席で待っていた。モスグリーンのふかふかしたソファ。かわいらしい。
「ごめんなさい………急に、こんなことで」
「どうして? 私は頼ってもらえたみたいで嬉しいな。誘ったのは私よ」
マリーンさんと二人きりで話すのは初めてだった。
「今日は髪が青いのね。ザムザがこの前言ってた。ヴェスタの髪の謎が解けたって」
「ああ、これ……」
いつのまにか色が変わっているから、普段は気にしていない。確かに青い。バルの恋人になってからはずっと緑だったから、自分でも違和感がある。浮かれてたんだよね……。
「何か頼みましょう。トライフルがおいしいのよ。紅茶も色々揃ってる」
マリーンさんは首元までぴったりと体にフィットする白いブラウスを着ていた。モスローズのスカート。花びらのようなカットのショートブーツ。髪は随分伸びて、ハーフアップにしている。きれいだ。
この人くらいきれいだったら良かったな。最初からバルの心を掴めていたのかも。こんなに回り道して、迷路に入らずに済んだのかも。
「仕事はどう? 大変でしょう」
「三年経って、やっと慣れて来たかなって。それに、保護してちゃんとなると嬉しい……」
マリーンさんはにっこりと微笑んだ。「私も助けてもらったものね」。
「でも、何度保護してもダメになっちゃうこともあって。そういう時はつらいかな」
ウーナ。俺たちを恨んでいた。
「なんかね、旦那さんが………ヒューマンでオーナーなんだけど、レプリカントの奥さんを何度も殴って。そのたび保護してたんだけど、奥さんは保護なんてしてもらいたくなかったって」
「あなたのオーナーさんはなんて?」
「ん……バルはあんまり何も言わない……何でかなって。相手がオーナーだから逃げないのかなって。それだけ」
そして、お前は何で俺が好きなんだって。
「あなたは何でだと思う?」
「俺………わからない……けど、バルがもし、そういうことをしてきたら」
「うん」
「やっぱり離れられないと思う……好きだから」
マリーンさんは紅茶を一口飲み、カップをテーブルにそっと置いた。そして左の手首のボタンを外して、肘から下をあらわにした。その肌は所々に瘢痕があり、硬く盛り上がっていた。
「私はね、こんな傷が体中にある」
はっと思い出した。なんて無神経だったんだろう。マリーンさんはオーナーから虐待されていて、オーナーを殺しに行ったところを捕まえたんだ。
「ごめんなさい! 俺………」
「いいのよ。昔のこと。私は30パーセントのレプリカント。だから、オーナーの命令に逆らえなかった。危害を加えることもできない。でもね、その時に保護局に保護されていたら、きっと保護局に感謝したと思う。大嫌いだったもの」
大嫌いだなんてセリフがこの人から出ると思わなくて、彼女の深い海のような色の目を見た。マリーンさんはにっこり微笑んだ。
「私たちはオーナーだからって無条件に好きになるわけじゃないわよ。ちゃんと心があって好きになるから好きになるのよ。よく勘違いする人がいるけどね。その逃げないレプリカントの人も、オーナーを愛してるのね……」
白いブラウスにまた腕を隠す。彼女がどんな時も長袖の服を着ている理由がわかった。
「仕方ないわ。それは彼女が選ぶことだから。彼女にとっては殴られるのも愛情表現なのかも知れない。あなたはやるべきことをやった。それでいいと思う」
殴られる愛情表現。悲しい。
「少なくとも私はあなたたちに確実に救われた。胸を張ってください」
マリーンさんはその白い指で少しだけ俺のテーブルに載せた手を触った。さらさらして優しい指だった。
トライフルは柔らかくて、とても甘くて美味しい。バルとはあまり甘いものを食べないから新鮮に感じる。俺は全てにおいて経験と知識が無さすぎる。
話そう。
「昨日……モールで、結婚プランニングのお店があって。思わず駆け寄っちゃって。もういいやって、結婚したいんだって言ったんです。そしたら………」
口の中に涙の味が込み上げてくる。トライフルのいちごの色とカスタードの色が滲んで混じる。
「……結婚なんてできないって」
昨日もう泣かなくても大丈夫ってくらい泣いたのに、ぼろぼろと涙がまたこぼれ落ちる。どうなってんの、俺の目。
「そうか……。うーん」
困るよね。ごめんなさい。止められない。マリーンさんがナプキンを差し出してくれた。瞬く間にぐっしょりと濡れる。
「どうして結婚したいと思ったの?」
「バルと……離れたくないから……」
「そうね。他には?」
「……わかんない……。でも、結婚したら……捨てられないんじゃないかなって……」
「……わかるわ……。他にある?」
「か……家族、とか、家庭、とか……なってみたい……。バルの、かけがえのないものに……なりたい……」
「バルトロイさんは、どうして結婚できないって?」
「バルは、俺を、縛るだけだからって……。こ、こどもも……いらな……」
マリーンさんは長い腕を伸ばして、俺の肩をさすってくれた。ほんとにごめんなさい。申し訳ない。恥ずかしい………。
「縛るだけだから、か……」
「バルは、俺と、ずっと一緒にいるの、嫌なのかな……」
子どもみたいに、しゃっくり上げながらしか話せない。
「そんなに悲観しないで。結婚なんて形式的なものだからって考えの人もいるし……」
「……昔は……、バルも結婚しちゃいたいって……べ、別な人とだけど……思ってたって……」
「………」
「なんで、なんで俺とは、だ、だめ、なの……」
「ヴェスタさん……」
「怖い……。俺……バルと離れたくない……」
マリーンさんは俺をそっと抱き寄せて、手を握ってくれた。金色の細い指輪が薬指に嵌められている。ザムザも同じのをしているのを知っている。いいな……。
「バルトロイさんが結婚したかったのは昔のことなんでしょう? 若い頃と今では考え方が変わったのかも知れないわ。結婚って、いいこともあるけど煩わしいことも多い。いつまでも恋人同士の方がときめきがあっていいって言う人もいるし」
「……ときめき?」
「そう! おめかししてデートしたりとか。記念日にプレゼントを贈りあったりとか。家族になってしまうと特別感がなくなっちゃうでしょう? 恋人っていうのは、『スペシャルな人』っていうこと。ずっとあなたにスペシャルでいて欲しいのかも」
「……ふふ」
バルがそんなこと考えるわけないけど、そうだったらちょっと面白い。
「考えが……変わったのかもしれない?」
「そう。年をとって、人から色んなことを聞いて結婚に幻滅しちゃったとか、別にする必要があることじゃないって気づいたとかね。それに、結婚したって他の人を好きになってしまう人もいるわ。絶対的なものじゃないんだから、してもしなくてもおんなじって思ってるのかも。考えすぎないこと」
「……ん」
俺には他の誰かなんて好きになれない……。
トライフルも紅茶も、途中から涙の味しかしなくなった。他の誰もバルみたいには好きになれない。他の誰かを好きになろうとしてもだめ。俺、それはほんとに努力してみたんだ。でもそんなのは間違いだって気づいただけだった。俺を好きになってくれた人をただ傷つけただけだった。
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