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04 (e)VAC(u)ATION

08 Vesta (彼、「バルトロイ」)

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 ポートがあるところは市民庁舎の駐車場だけだったので、そこにゆっくりとエアランナーをつけるとエアバイクが現れた。フルフェイスのヘルメット。でもすぐわかった。

「バル!」
「来たな。遠かったろ」

 もう街は夕暮れだった。

「乗り換えろよ。腹減っただろ」
「ヘルメットがないよ」
「いいだろ、それで」
「フライトヘルメットだよ?」
「たいして変わらねえよ」

 大雑把。でもバルの後ろに座る。

「エアバイクって初めて乗る……」
「そうだな。しっかり掴まってろよ」

 しっかり? 掴まる? 何に? ふわっと少しだけ車体が浮く。次の瞬間、音もなくバイクが進み出した。

「うわ!」

 びっくりしてバルの体に後ろから抱きつく。

「はは。加速するぞ。振り落とされるなよ」

 こんなくっついていいの? 息が止まりそうなんだけど。オートキャリアが列をなして道路を進んでいる横を、エアバイクは専用レーンでするすると追い越していく。
 夕暮れの街は古くひなびていて、昔の映画の中みたいだ。れんがの道。プラタナスが並ぶ。シンプルな四角いビル。鉄製のベンチ。

 やがてバルは年季の入ったパブの前に停まった。

「ここはうまいよ。ミンチパイとウォルナッツサラダが」
「来たことあるの?」
「うん。この街は避難所にしてたんだ。遠くて田舎だから」

 ヘルメットの下から出てきたバルの顔は、家や局で見るより精悍で気楽そうに見える。良かったな。
 パブの中には結構人がたくさんいて、熱気がすごい。床にパーティの後みたいにゴミが散らばっている。

「どうしてこんなに床、きたないの?」
「この辺の習慣。ゴミは床に捨てるもんなんだ」
「なにそれ?」
「この辺はもともと移民の街だから……いろんな文化があんのさ」

 ゴミをよく見るとナッツ類の殻が多い。それに紛れて紙くずや串が落ちている感じ。

「適当に頼んでいいか?」
「うん!」

 ここもウェイターが聞きにくる昔ながらのお店だった。今日は古いお店でばかり食べてるなあ。いろんな人がいる。赤ら顔の体の大きな男性。鼻の高い見事なドレッドヘアの女性。年齢調整してないのかな、白髪で皺の刻まれた男女。女性たちの席。男性たちの席。二人の席、一人の席、広くもないパブは満席だった。

「仕事大丈夫か?」
「ひまだよ。今週分のコールは終わった。要チェックなとこはマークしてあるから帰ったら行かないと。消耗品申請しておいたからね」
「ありがとう」

 食前酒が届く。このお店の今日のおすすめ。白ワインベースのきりっとした冷たいカクテルだった。

「あと、今日もバルのお母さん来てた。んーと……伝言を頼まれたんだ。悪い話じゃないんだから連絡してって。私もバルも、無限にお金がいるんだからって」

 ふっとバルが鼻で笑った。

「いつまで生きる気なんだか。もうあの女、70だぜ」
「70歳?」
「そう。俺の親なんだから」

 サラダをバルが取り分けてくれた。サラダとは言うものの、大ぶりのクルトンやベーコンが入っていて食べ応えがありそうなやつだった。どこがウォルナッツなの?

「あ。アラスターに聞いた。お母さんはバルのこと誰かと結婚させたいの?」
「そう。食ってみな。うまいから。俺がドナーだったから」
「ドナー?」

 一口食べる。ドレッシングがくるみだ!

「おいしい!」
「だろ。人口調整用ドナーってやつ。もうお勤めが終わったからあの女も黙ると思ったんだけどな」
「何それ?」
「検索してみな」

 人口調整用ドナー。この国では18歳になると、ヒューマンは精子または卵子を政府に提供する義務がある。ヒューマン全体の生殖能力が低下しているため、生殖能力のある提供者は『人口調整用ドナー』として登録され、精子または卵子を32歳まで定期的に提供する義務を課せられる。このドナーは現在100人に一人程度の割合……。

「これ?」
「そう。ほら、ミンチパイ。熱いうちの方がうまい」
「バルって、ほんとに絶滅危惧種なの?」
「そんなでもねーって」
「これだと結婚しろって言われるの?」
金もちと・・・・な」

 ドナーは提供する年齢を超えてもドナーであった記録は残る。そして格式を重んじる旧家なんかでは、どうしても「母親の腹から自然妊娠で直接生まれた子」を欲しがる傾向がある。

「つまりさ、金持ちの中には生殖能力が保障されたやつと自分の子供を結婚させたがるのがいるわけ。腹から生まれた子供を持つために」
「それで……バルのお母さんはバルがドナーだから、お金持ちと結婚してほしいってこと?」
「そう。俺がドナーになったってわかってからずっと」
「最近は来てなかっただけ?」
「うん。金持ちの家に身売りしたいドナーは沢山いる。若ければ若いほどいい。30過ぎた男をわざわざ選ぶやつはいない。だから諦めたと思ったんだけどな」

 はあ。

「ミンチパイうまいか?」
「うん。おいしい」

 大変なんだ。色々。

「知らないことばっかりだ」
「お前今年で3歳だろ。当たり前だ」
「ふふ」
「あの女はさ、下手に遺伝子操作がうまくいっちまったから、頭がおかしくなったんだな……」

 バルが深いため息をついた。でもバルのことが少しわかって良かった。

「さて。早く食えよ。今日はちゃんと泊まるから」
「泊まれるところあるの?」
「この街は何度も来てるから知ってるんだよ」

 野宿かと思った。それも楽しそうだけど。食べ終わるとまたバルの後ろに乗った。街はもう暗くなって、星が見える。今日は月がない。オートキャリアさえほとんど走っていない道路を音もなく進んで、町外れ、ほとんど森の中の一軒家に着いた。

 ここ?

 普通の家に見える。少しばかり古くて大きめの。蔦がれんがの壁に這って、唐草模様のようだ。看板が控えめについている。「B&B」。

 ドアを開けるとカランカランと呼び鈴が鳴る。

「おやまあ。バルトロイじゃないかい? 久しぶりね」

 白髪混じりの女性が、入ってすぐの部屋で何かを飲みながらソファに座っていた。側に太い杖が立てかけられている。

「おばちゃん。泊まれる?」

 おばちゃん。バルの口からでる呼び方とは思えなくて、思わずバルを見上げる。

「もちろん。あんたさんが二人で来るのは初めてだね。ツインでいいかね?」
「いいよ。立たなくていい。勝手に入るから」

 バルは本当に勝手にカウンターから鍵を一つ取ると、すたすたと奥に入ってしまった。

「あ、の。こんばんは。よろしくお願いします……」
「はいはい。ごゆっくり」

 親戚の家? 雑すぎる……。

 バルの後を慌てて追いかけて2階の部屋に入る。普通の部屋。なんていうか、個人的なものが置かれていないだけの、家族の部屋みたい。

「ここ、何? バルの知り合いの家?」
「ちがう。ベッドアンドブレックファースト。民宿だな。30になる前までは逃げてくると毎回ここに泊まってたんで」
「ここは大丈夫なんだ?」
「うん。そりゃ、普通の家くらいの匂いはするけど、下手なホテルみたいな変な匂いはしない。安心して泊まれる」

 バルは自分の家みたいにぽんぽんと荷物を一人掛けのソファに置いて、ベッドにごろんと横になった。

「疲れたな! さすがに。昨日もろくに寝てないから」

 ベッドサイドのテーブルに、このB&Bの案内があった。一階にバスルーム。朝食はキッチンで七時。但書がある。「このB&Bのホストは足が不自由ですので、御用命にお応えするのに時間を頂くことがあります」。そうか。だから。

「九時に起こしてくれるか? 寝るから」
「いいよ。俺バスルーム使うね」

 一階に降りる。もうあのおばさんはいない。バスルームに入ると、くるくると丸く畳まれたタオルが置いてあった。古いタイルばりのバスルーム。タイルには青で模様が描かれている。猫足のバスタブと金属のシャワーヘッド。古い映画の中に入り込んだみたいだ。

 シャワーを浴びて誰もいないロビーを見回した。奥に暖炉。三人がけのソファ。その向かいに二人掛けのソファ。オットマン。ソファには手作りらしいレースがかけられているけど、青が基調なので落ち着いて見える。よく磨き込まれた木の床。
 壁にたくさんの写真が貼られている。今時、紙の写真なんて。思わず見入った。色褪せているのもある。さっきのおばさんと誰かの写真。お客さんと撮ったのかな? いろいろ。写真が何枚もある人、一人で写っている人……。

「あ!」

 すっかり色褪せた一枚の写真。10年前の日付が入っている。端正な、今よりほんの少し若い………

 バルの写真。

 玄関のドアの前で、ドアノブに手を掛けている。背中をこちらに向けて、今にも外に出そう。振り向きざまに撮られたような感じ。切れるような目でこちらを睨みつけている。

 なんだか寂しそうな写真。

「見つけたかい?」

 奥の部屋から、杖をつきながらさっきのおばさんが歩いてきた。

「バルですね」
「そう。ふらっと一人で来てね。もう十年以上前。三年前まで、毎年。来たら何日か泊まっていった。誰かと一緒に来たのは初めて」

 俺の知らないずっと昔のバル。アラスターも言ってた。前は突っ張ってたって。一人だったって。

「もう一人じゃないんだね。良かったよ」








 部屋に戻るとまだバルは眠っていた。気の強そうなはっきりしたまゆ。黒い長いまつ毛。子供のように眠る顔を見ていると、優しい気持ちになる。

 押しかけだったけど、連れてきてもらえて良かった。さっきはおばさんに言えなかった。俺は違うんですって。俺はバルの何でもないんですって。

 ──バルは一人じゃなくなった気がするな。

 アラスターが言っていた。そうだったらいい。そうだったらどんなにいいか。

 うっとりとバルの顔を眺めていた。もう少しで九時だ。起こさないといけない……。

 急にブリングが鳴った。こんな時間に? ザムザかな……。

 画面を見ると、連邦捜査局と出ていた。ザムザなら自分の端末からかける。悪い予感がする。恐る恐る出た。

「はい」
『ヴェスタ・エヴァーノーツさん。今どこにおられます?』

 やっぱりだ。アルミスとテナー……F146とF147から始まる二人。

「えーと……どこだったかな。今、休暇で旅行中で……」
『あなたも休暇を取った?』
「はい……。バディがいないと仕事が進まないもので」
『一人ですか?』
「いや、バルと一緒です」
『バルトロイ・エヴァーノーツさんと? 今話せますか?』
「何か」

 はっと振り向くと、バルがすぐ後ろから俺のブリングを覗き込んでいた。

『今、どちらですか?』
「どうしてそんなことを聞くんですか」
『ある事件の関係で、お話を伺いたいんです』
「任意ですよね? お断りします」

 バルが通話を切った。おしまい。

「バル!」
「なんだよ。休暇中だろ。俺はなんも悪いことはやってねえよ」
「でもさ」

 そういえばザムザも深刻さを伝えたいから直接話したいと言っていた。

「……ザムザと話してよ。しつこいコンビなんだって言ってたよ」
「やだよ。俺が殺したと思うんなら証拠を持ってきてからだ」

 もう。同じ保安職とは思えない。全然協力する気がないんだから。

 起きたバルはすぐにシャワーを浴びに行き、バスルームからルートビールの瓶と一緒に帰ってきた。一本を俺にくれた。

「電気消していいか?」
「いいよ。俺見えるし」
「暗視は使わない方がいいと思うけど」

 バルが電気を消す。暗視を使わない? 窓の外が紺碧に輝いている。

「うわ………」

 窓を開ける。すごい。星が。アラスターの部屋からも星は見えたけど、街の光の方が強かった。ここは森に囲まれているから、暗い森に空が明るく見えるほどに星がまたたいている。

「いいだろ」
「きれい」
「今日は新月だから余計だな。明るい」

 バルは一人でここに来て一人でこれを見てたの? 

 俺も一緒に見ていいの?

「違う世界にいるみたいだろ」
「うん」

 バルの顔がはっきり見えない。こっそり暗視にしてみる。少年のような顔をして、空を見上げているバルの横顔が見えた。

「星座。全然わかんねえな」
「ふふ。わかんないね」

 目眩がしそうなくらい幸せな日だった。








 
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