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01 チュートリアル
20 Baltroy (信じる相手)
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「ようカラス。イグニスとはうまくいってるんだろ?」
「……バル、頼むよ……」
「別にもう何とも思ってねーよ。あのさ、来週、ナーガ・イルソンってやつの家に捜査に入るんだ。サポートを頼めないかな」
「ああ。それならいいよ。ナーガ・イルソンね。ヴェスタは?」
「ヴェスタはまだ意識が戻ってなくてね。しばらくは無理だな。じゃあファイル送っとくから」
他にも数人に声をかけておく。後で局長にメンバーを知らせて確定。
メイハンの家は街の端にでんと構えている。三階建てで庭もある。個人の家としては大きい。外側から見ると、窓が全く無い、四角で三階の一部が欠けたような白い建物だが、恐らく内側から見ると透過壁になっているのだろう。中に入ったことのあるヴェスタに記憶がないのが残念ではある。
外側から分かることだけでも頭に入れていかなければならない。すっかり回復したヴェスタとミーティングルームを借りっぱなしにして資料を広げた。
「全然わかんないけど」
「わかんねえな。ぶっつけで行ってみるしかねえな」
メイハンが家にいる時を見計らうために、向かいのビルにカメラを置かせてもらった。録画を眺めてみる。動きがある部分だけピックアップ。
オートキャリアがよく停まっている。その中からイグニスが出てくることもある。メイハン自身はほとんど外出しない。一度、うつろな目をした美形…たぶんレプリカント……の肩を抱いて車に乗り込んだことがあった。売却したと思われる。そのレプリカントが家に入る映像はないので、家の中にいたんだろう。他に何人そういう「在庫の」レプリカントがいるのか。
「結構人手が必要かも」
「今うちの部署人手不足なんだけどな。ジョッジは捕まってるし」
最近の案件としては結構でかいケースになる。メイハンの他にどんな奴らが絡んでいるかわからない。一人でやっているとは限らないからだ。突っ込んでみたらワラワラと手下が現れて撃ち合いになるかも知れない。裏口の方のカメラもチェックする。こちらには全く動きがない。
「今回はまだ逮捕状じゃない。捜査令状。何か逮捕に結びつくような決定的なモノがないと捕まえられない。中に入れたら探すんだ」
「OK」
「ガスマスクはつけたくないなあ。まあ、行くか」
「はい」
インターフォンを押す。家にいるのはわかっている。裏口にも別のチームが張り込んでいる。
「はい」
「メイハン・アニンロキアさんですね。レプリカント人権保護局のA492090rpです。あなたには人権侵害の容疑で捜査令状が出ています。開けてください」
「どうぞ」
カチンと軽い音がしてドアが開く。驚くほど大人しい。柔和な笑顔のメイハンが出迎えた。
「何かの誤解だと思いますけど」
これは確実におかしい。家の中に入った時、ものすごい違和感を感じた。
においがない。
普通、どの建物に入っても、においはする。建物自体のにおい、住む人のにおい。食べ物やそれらの腐臭、砂埃、洗濯物。必ず。
でもエントランスに入っても建物の匂いというものがない。異常だ。早く逮捕してこの家から出たい。まず逮捕に結びつく何かを早く見つけないと。
エントランスは広々として、三階まで吹き抜けになっている。思った通り壁と天井が透過壁だった。天井は全面。壁は縦長に縞のように透過していて外の様子が見える。外の庭は木が生い茂って森のようだ。白い壁。捕まっているレプリカントを見つけたいのに、においがしない。家の中にいないのか? 逆に考えてみる。どうしてこの男は、ここまでにおいを消さないといけないのか?
「手前からご覧になりますか」
手前の部屋。ゲストルーム。ピカピカに磨き上げられている。何もない。次の部屋。バスルーム。次の部屋。リビング。奥にダイニング。キッチン。
「無駄に広くて」
「お仕事はなにを?」
「貿易ですかね」
二階。部屋がいくつかある。ベッドルームが三室と書斎。三階はフロアの半分が広々としたパーティルームになっていて、同じくらい広いテラスに繋がっている。
「何かわかりましたか?」
わからない。においが無さすぎる。男の薄ら笑い。
「もう一度、一階を調べさせていただいていいですか」
においを消してるんだよな。かなり執拗に。なぜ? この男は俺とは違う。においを感じすぎて困るなんてことはないだろう。逆に、ここまでしないと隠せない何かがあるから?
二階はまだ、リネンのにおいがした。三階もほこりのにおいが。一階だけ匂いという匂いが消されている。一番においがないところ。エントランス。熱帯魚が泳ぐ模様の絨毯が敷かれている。歩くと波紋が広がり、魚たちが逃げて行く。めくりあげてみる。スイッチがある。押す。下への階段が現れ、同時に酷いにおいが立ち昇ってくる。
「こちらは?」
「地下室です」
「ご案内いただけますか」
次の瞬間、男は玄関に向かって走り出した。パルスガンで足を撃つ。もんどり打って倒れた。これでしばらくは動けないはずだ。ヴェスタと階段を降りてみる。静かだ。ここも白い壁が続いている。明るい。
「誰かいますか? 人権保護局の捜査官です」
返事はない。ドアが二つ。右のドアを開ける。診察台のようなシンプルなベッドが真ん中に置かれた部屋。よく見ると拘束具がついていて、ベッドに手足を縛り付けられるようになっている。横にサウンドブレイカー。出力は最小。
「なにこれ?」
「ここでレプリカントの脳みそを壊してたんだろ。サウンドブレイカーか。確かに頭蓋骨を傷つけずに中身だけ壊せるわけだ。こういう使い方をするとはね」
でもレプリカントたちはいない。
左の部屋。ドアを開ける。薬品の匂い。具合が悪くなりそうなほどの。部屋は広い。
「臭い。お前にもわかるか?」
「これはわかる」
踏み込む。注意しないと変な薬品を嗅いでしまうかも知れない。あの男は逃げようとした。何か見つかったらまずいものが必ずここにあるはずだ。
「バル! 誰かいる! あの壁の後ろ」
ヴェスタに言われてパルスガンを構える。
「出てきてください。両手をあげて」
「……バル?」
うんざりした。イグニスの声だった。
「何もしてないよ?」
「じゃあ、両手を上げて。壁につけろよ。何もしてないか決めるのはこっちだ」
ドンドンと体に衝撃が来た。じんじんする痛み。痛いんだよこれ。二発も撃ちやがった。
「ヴェスタ。あいつサウンドブレイカーを持ってる。壁に隠れてろ」
「バル! 僕のこと好きでしょ?」
「いや、どうでもいいね」
もう一度構え直す。次は撃つ。薬品臭の中、かすかにあの匂いがし始めた。発情する香水。うまくやられたよなあ。これは想定内。
「ぼくはまだ君が好きだよ」
「好きなやつを躊躇なく撃たねーだろ」
一歩近づく。
「びっくりしちゃって。ごめんね。………その子、まだ意識がないんじゃなかったの?」
「そう言っておいた方が油断するかと思ってね」
もう一歩。何か薬品をぶっ掛けられるのが怖い。
「……ねえ、やっぱりバルが一番好きだったな。覚えてるよね? すごく激しくて……」
ドンとまた左の肩に衝撃がくる。でも今回はこっちも撃ってる。
「ぐっ……」
「うっかり出力最大にしちまった。ごめんごめん」
イグニスが顔を歪ませて床に転がっていた。パルスガンの最大はかなりきつい。全身こむら返りになったくらいの痛み。小さなからの瓶も落ちている。色っぽい話を持ち出してきたところをみると、たぶん周りには例の香水の匂いが充満してるんだろう。今の俺にはわからないけど。ヴェスタが笑って言った。
「結局ガスマスクつけたね」
「予想通りだな」
もっと奥に行くと、二人のレプリカントが鎖に繋がれていた。その場で身元確認し、二人とも人権持ちだとわかった。
「こちらバルトロイ。二名の保護対象発見。被疑者も二名。うち一名は地下室。応援願います」
鎖を外してやる。尋ねたことには答えるけど、呆然としている。彼らももう脳が壊されているんだろう。
「バル、もう一人いたよ」
「連れて来な」
三人は何の抵抗もなく付いてくる。ヴェスタと誘導してエントランスに出る。意外と平和に片付いて良かった。もうメイハンの方はサポートのディーが手錠をかけていた。
「お疲れ。バル」
「ありがとう」
メイハンとディーが外に出ようとした時だった。
「レッダ、オールクリア」
「はい。メイハン様。オールクリア」
メイハンがさっと外に飛び出した。ディーもつられてドアの外に転げる。同時にドアが閉まり開かなくなる。まずい。床下から煙が上がってきた。
「なにこれ?」
「証拠隠滅だろ。レプリカントの売り先を守りたいんだ。ドアが開かない。しかし、イグニスがいるのに火付けやがったな」
「ドア、蹴破って」
「これドアの向きが逆だから無理だな。上に逃げて飛行型運搬機に拾ってもらおう」
レプリカントたちを上の階に促しながら、パイロットのアラスターにエア・ランナーを頼む。火の周りが早い。
「ここんちもレッダ」
「うちのレッダは様づけで呼ばないよな」
三階のテラスに出ると、もうエア・ランナーが空から寄ってくるところだった。まずレプリカントたちを乗せる。
「あれ何人乗り?」
「あれは中型だから五人かな」
「早くしてくれ! この家、防炎膜を剥がしてあるみたいだ。すぐ火が回るぞ」
アラスターがインカムから叫ぶ。確かにもうパーティルームに煙が充満している。
「次ヴェスタ、乗れ」
「バルから乗って」
「なんで?」
「怖いから。先に乗ってひっぱって」
「?」
そんなビビりじゃねーだろと思ったが、乗って手を差し出した。ヴェスタは取らない。
「おい! 早くしろよ」
「バル、ダメなんだ。これパイロットも入れて五人乗りなんだ」
アラスターが言った。
「これで満員なんだ。もう一人乗せたら飛べない」
「そ……」
ヴェスタを見た。手をひらひらと振っている。インカムからヴェスタの声が聞こえた。
「保証期間内だからさ。これでさよならってわけじゃないよ。新しい俺にもまた教えてやって……」
げほげほとヴェスタがマイクの向こうで咳き込む。黒煙がここまで来る。
派手な音がして、パーティルームとテラスを隔てていたガラスが吹き飛んだ。
「出るぞバル! もっと中に入って! ドアを閉めるから。煙が…」
新しい俺にもまた教えてやって?
ヴェスタの表情はゴーグルで見えない。ただ青い髪が煙の隙間から見える。保証期間内。手続きさえすれば、新しいヴェスタが届く。顔も性能も全く同じレプリカントが。俺のことを知らない、俺から疑われたことも犯されたこともないヴェスタが。俺と喧嘩したこともない、俺から傷つけられたことのないまっさらな──
ヴェスタ。
「……アラスター。俺が行ったらドアを閉めて上がれ」
「は? バ………」
ホバリングしていたエアランナーから飛び降りる。息が詰まるくらいの体に悪そうな煙の匂いと熱気。インカムからアラスターの声がした。
「バル‼︎」
「行けよ。せっかく助けたんだぞ」
「……すぐ! 戻ってくるから! この三人置いたら」
さて。
「バカ!」
ほんとに言うようになったよなあこいつ。
「お前、オーナーにバカって」
火の粉が届いてきた。時間がない。エアランナーを待っていたら焼け死んでしまう。ベランダから下を覗く。まあ10メートルはないんじゃないか。おあつらえ向きに枝振りのいい木も生えている。
「行くぞヴェスタ」
「は?」
固まっているヴェスタを有無を言わさず抱え込み、考える前に後ろ向きに飛ぶ。一瞬の無重力。レッダは俺の家で使い始めて5年だけど、ユーザーは32万人いる。信じたい人を信じてはいかがですか。
そうだよなレッダ。失敗したって諦めがつく。俺が今信じるのは俺だ。
木の枝に突っ込んだ。耳元でバキバキと轟音がする。ゴーグルが弾け飛ぶ。背中から地面に。
着地。
「……はっ………」
土の匂いがする………。折れた枝と血の匂いも。ビーコンの音がする。どっちのビーコンだ? 鼻先にヴェスタの青い髪の毛が揺れている。
「生きてるか?」
「……バカ」
良かった。ほらな。思った通りだ。俺の体はこれくらいじゃさ……それにしても、
「いってえなあ………」
「……バル、頼むよ……」
「別にもう何とも思ってねーよ。あのさ、来週、ナーガ・イルソンってやつの家に捜査に入るんだ。サポートを頼めないかな」
「ああ。それならいいよ。ナーガ・イルソンね。ヴェスタは?」
「ヴェスタはまだ意識が戻ってなくてね。しばらくは無理だな。じゃあファイル送っとくから」
他にも数人に声をかけておく。後で局長にメンバーを知らせて確定。
メイハンの家は街の端にでんと構えている。三階建てで庭もある。個人の家としては大きい。外側から見ると、窓が全く無い、四角で三階の一部が欠けたような白い建物だが、恐らく内側から見ると透過壁になっているのだろう。中に入ったことのあるヴェスタに記憶がないのが残念ではある。
外側から分かることだけでも頭に入れていかなければならない。すっかり回復したヴェスタとミーティングルームを借りっぱなしにして資料を広げた。
「全然わかんないけど」
「わかんねえな。ぶっつけで行ってみるしかねえな」
メイハンが家にいる時を見計らうために、向かいのビルにカメラを置かせてもらった。録画を眺めてみる。動きがある部分だけピックアップ。
オートキャリアがよく停まっている。その中からイグニスが出てくることもある。メイハン自身はほとんど外出しない。一度、うつろな目をした美形…たぶんレプリカント……の肩を抱いて車に乗り込んだことがあった。売却したと思われる。そのレプリカントが家に入る映像はないので、家の中にいたんだろう。他に何人そういう「在庫の」レプリカントがいるのか。
「結構人手が必要かも」
「今うちの部署人手不足なんだけどな。ジョッジは捕まってるし」
最近の案件としては結構でかいケースになる。メイハンの他にどんな奴らが絡んでいるかわからない。一人でやっているとは限らないからだ。突っ込んでみたらワラワラと手下が現れて撃ち合いになるかも知れない。裏口の方のカメラもチェックする。こちらには全く動きがない。
「今回はまだ逮捕状じゃない。捜査令状。何か逮捕に結びつくような決定的なモノがないと捕まえられない。中に入れたら探すんだ」
「OK」
「ガスマスクはつけたくないなあ。まあ、行くか」
「はい」
インターフォンを押す。家にいるのはわかっている。裏口にも別のチームが張り込んでいる。
「はい」
「メイハン・アニンロキアさんですね。レプリカント人権保護局のA492090rpです。あなたには人権侵害の容疑で捜査令状が出ています。開けてください」
「どうぞ」
カチンと軽い音がしてドアが開く。驚くほど大人しい。柔和な笑顔のメイハンが出迎えた。
「何かの誤解だと思いますけど」
これは確実におかしい。家の中に入った時、ものすごい違和感を感じた。
においがない。
普通、どの建物に入っても、においはする。建物自体のにおい、住む人のにおい。食べ物やそれらの腐臭、砂埃、洗濯物。必ず。
でもエントランスに入っても建物の匂いというものがない。異常だ。早く逮捕してこの家から出たい。まず逮捕に結びつく何かを早く見つけないと。
エントランスは広々として、三階まで吹き抜けになっている。思った通り壁と天井が透過壁だった。天井は全面。壁は縦長に縞のように透過していて外の様子が見える。外の庭は木が生い茂って森のようだ。白い壁。捕まっているレプリカントを見つけたいのに、においがしない。家の中にいないのか? 逆に考えてみる。どうしてこの男は、ここまでにおいを消さないといけないのか?
「手前からご覧になりますか」
手前の部屋。ゲストルーム。ピカピカに磨き上げられている。何もない。次の部屋。バスルーム。次の部屋。リビング。奥にダイニング。キッチン。
「無駄に広くて」
「お仕事はなにを?」
「貿易ですかね」
二階。部屋がいくつかある。ベッドルームが三室と書斎。三階はフロアの半分が広々としたパーティルームになっていて、同じくらい広いテラスに繋がっている。
「何かわかりましたか?」
わからない。においが無さすぎる。男の薄ら笑い。
「もう一度、一階を調べさせていただいていいですか」
においを消してるんだよな。かなり執拗に。なぜ? この男は俺とは違う。においを感じすぎて困るなんてことはないだろう。逆に、ここまでしないと隠せない何かがあるから?
二階はまだ、リネンのにおいがした。三階もほこりのにおいが。一階だけ匂いという匂いが消されている。一番においがないところ。エントランス。熱帯魚が泳ぐ模様の絨毯が敷かれている。歩くと波紋が広がり、魚たちが逃げて行く。めくりあげてみる。スイッチがある。押す。下への階段が現れ、同時に酷いにおいが立ち昇ってくる。
「こちらは?」
「地下室です」
「ご案内いただけますか」
次の瞬間、男は玄関に向かって走り出した。パルスガンで足を撃つ。もんどり打って倒れた。これでしばらくは動けないはずだ。ヴェスタと階段を降りてみる。静かだ。ここも白い壁が続いている。明るい。
「誰かいますか? 人権保護局の捜査官です」
返事はない。ドアが二つ。右のドアを開ける。診察台のようなシンプルなベッドが真ん中に置かれた部屋。よく見ると拘束具がついていて、ベッドに手足を縛り付けられるようになっている。横にサウンドブレイカー。出力は最小。
「なにこれ?」
「ここでレプリカントの脳みそを壊してたんだろ。サウンドブレイカーか。確かに頭蓋骨を傷つけずに中身だけ壊せるわけだ。こういう使い方をするとはね」
でもレプリカントたちはいない。
左の部屋。ドアを開ける。薬品の匂い。具合が悪くなりそうなほどの。部屋は広い。
「臭い。お前にもわかるか?」
「これはわかる」
踏み込む。注意しないと変な薬品を嗅いでしまうかも知れない。あの男は逃げようとした。何か見つかったらまずいものが必ずここにあるはずだ。
「バル! 誰かいる! あの壁の後ろ」
ヴェスタに言われてパルスガンを構える。
「出てきてください。両手をあげて」
「……バル?」
うんざりした。イグニスの声だった。
「何もしてないよ?」
「じゃあ、両手を上げて。壁につけろよ。何もしてないか決めるのはこっちだ」
ドンドンと体に衝撃が来た。じんじんする痛み。痛いんだよこれ。二発も撃ちやがった。
「ヴェスタ。あいつサウンドブレイカーを持ってる。壁に隠れてろ」
「バル! 僕のこと好きでしょ?」
「いや、どうでもいいね」
もう一度構え直す。次は撃つ。薬品臭の中、かすかにあの匂いがし始めた。発情する香水。うまくやられたよなあ。これは想定内。
「ぼくはまだ君が好きだよ」
「好きなやつを躊躇なく撃たねーだろ」
一歩近づく。
「びっくりしちゃって。ごめんね。………その子、まだ意識がないんじゃなかったの?」
「そう言っておいた方が油断するかと思ってね」
もう一歩。何か薬品をぶっ掛けられるのが怖い。
「……ねえ、やっぱりバルが一番好きだったな。覚えてるよね? すごく激しくて……」
ドンとまた左の肩に衝撃がくる。でも今回はこっちも撃ってる。
「ぐっ……」
「うっかり出力最大にしちまった。ごめんごめん」
イグニスが顔を歪ませて床に転がっていた。パルスガンの最大はかなりきつい。全身こむら返りになったくらいの痛み。小さなからの瓶も落ちている。色っぽい話を持ち出してきたところをみると、たぶん周りには例の香水の匂いが充満してるんだろう。今の俺にはわからないけど。ヴェスタが笑って言った。
「結局ガスマスクつけたね」
「予想通りだな」
もっと奥に行くと、二人のレプリカントが鎖に繋がれていた。その場で身元確認し、二人とも人権持ちだとわかった。
「こちらバルトロイ。二名の保護対象発見。被疑者も二名。うち一名は地下室。応援願います」
鎖を外してやる。尋ねたことには答えるけど、呆然としている。彼らももう脳が壊されているんだろう。
「バル、もう一人いたよ」
「連れて来な」
三人は何の抵抗もなく付いてくる。ヴェスタと誘導してエントランスに出る。意外と平和に片付いて良かった。もうメイハンの方はサポートのディーが手錠をかけていた。
「お疲れ。バル」
「ありがとう」
メイハンとディーが外に出ようとした時だった。
「レッダ、オールクリア」
「はい。メイハン様。オールクリア」
メイハンがさっと外に飛び出した。ディーもつられてドアの外に転げる。同時にドアが閉まり開かなくなる。まずい。床下から煙が上がってきた。
「なにこれ?」
「証拠隠滅だろ。レプリカントの売り先を守りたいんだ。ドアが開かない。しかし、イグニスがいるのに火付けやがったな」
「ドア、蹴破って」
「これドアの向きが逆だから無理だな。上に逃げて飛行型運搬機に拾ってもらおう」
レプリカントたちを上の階に促しながら、パイロットのアラスターにエア・ランナーを頼む。火の周りが早い。
「ここんちもレッダ」
「うちのレッダは様づけで呼ばないよな」
三階のテラスに出ると、もうエア・ランナーが空から寄ってくるところだった。まずレプリカントたちを乗せる。
「あれ何人乗り?」
「あれは中型だから五人かな」
「早くしてくれ! この家、防炎膜を剥がしてあるみたいだ。すぐ火が回るぞ」
アラスターがインカムから叫ぶ。確かにもうパーティルームに煙が充満している。
「次ヴェスタ、乗れ」
「バルから乗って」
「なんで?」
「怖いから。先に乗ってひっぱって」
「?」
そんなビビりじゃねーだろと思ったが、乗って手を差し出した。ヴェスタは取らない。
「おい! 早くしろよ」
「バル、ダメなんだ。これパイロットも入れて五人乗りなんだ」
アラスターが言った。
「これで満員なんだ。もう一人乗せたら飛べない」
「そ……」
ヴェスタを見た。手をひらひらと振っている。インカムからヴェスタの声が聞こえた。
「保証期間内だからさ。これでさよならってわけじゃないよ。新しい俺にもまた教えてやって……」
げほげほとヴェスタがマイクの向こうで咳き込む。黒煙がここまで来る。
派手な音がして、パーティルームとテラスを隔てていたガラスが吹き飛んだ。
「出るぞバル! もっと中に入って! ドアを閉めるから。煙が…」
新しい俺にもまた教えてやって?
ヴェスタの表情はゴーグルで見えない。ただ青い髪が煙の隙間から見える。保証期間内。手続きさえすれば、新しいヴェスタが届く。顔も性能も全く同じレプリカントが。俺のことを知らない、俺から疑われたことも犯されたこともないヴェスタが。俺と喧嘩したこともない、俺から傷つけられたことのないまっさらな──
ヴェスタ。
「……アラスター。俺が行ったらドアを閉めて上がれ」
「は? バ………」
ホバリングしていたエアランナーから飛び降りる。息が詰まるくらいの体に悪そうな煙の匂いと熱気。インカムからアラスターの声がした。
「バル‼︎」
「行けよ。せっかく助けたんだぞ」
「……すぐ! 戻ってくるから! この三人置いたら」
さて。
「バカ!」
ほんとに言うようになったよなあこいつ。
「お前、オーナーにバカって」
火の粉が届いてきた。時間がない。エアランナーを待っていたら焼け死んでしまう。ベランダから下を覗く。まあ10メートルはないんじゃないか。おあつらえ向きに枝振りのいい木も生えている。
「行くぞヴェスタ」
「は?」
固まっているヴェスタを有無を言わさず抱え込み、考える前に後ろ向きに飛ぶ。一瞬の無重力。レッダは俺の家で使い始めて5年だけど、ユーザーは32万人いる。信じたい人を信じてはいかがですか。
そうだよなレッダ。失敗したって諦めがつく。俺が今信じるのは俺だ。
木の枝に突っ込んだ。耳元でバキバキと轟音がする。ゴーグルが弾け飛ぶ。背中から地面に。
着地。
「……はっ………」
土の匂いがする………。折れた枝と血の匂いも。ビーコンの音がする。どっちのビーコンだ? 鼻先にヴェスタの青い髪の毛が揺れている。
「生きてるか?」
「……バカ」
良かった。ほらな。思った通りだ。俺の体はこれくらいじゃさ……それにしても、
「いってえなあ………」
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