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01 チュートリアル

05 Baltroy (プロバビリティ)

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 目が覚めると、イグニスは書き置きを残して居なくなっていた。

 書き置きには緊急で仕事が入ってしまったという事と、部屋を出てもらえれば自動で鍵がかかるから心配しないで仕事に行って欲しいという旨が書いてあった。なんとなくその紙をボトムのポケットに入れてそのまま出勤した。
 ヴェスタのブースにはもうヴェスタが来ていたが、遠目に髪の色がかなり暗い群青になっているのが見えた。今日は青系なのか。

「ヴェスタ。まず昨日の続きからコールして。あれから変な応答はないな? 明日また新しいリストが来るから、三年目の確認コールは今日で一段落つけよう」
「あの、三年目の人たち、結構もうオーナーの所から出てっちゃってて……」
「うん。ヒューマン同士でも半分は離婚してるんだ。レプリカントとヒューマンだって同じくらいかそれ以上離婚してる。出てってるのがわかればいいんだ。三年目のやつらは戸籍はあるからそっちから追える」

 昨日イグニスに会う前にステーションで頭を擦っていった考えを引き戻す。買取人はオートキャリアを予約してるってことだ。バニーノがコールを受けたのは納品から三日後。引き渡しはその翌日だったらしい。コールの後からバニーノに会う30分前までに予約したオートキャリアを調べれば……

「ダメだな。数が多すぎる」

 この街には124万人が暮らしていて、ほぼ全ての人がオートキャリアを利用して生活している。公共交通機関がそれしかないからだ。たまにマニュアルで車を運転してる人もいるが、特別なライセンスと精神鑑定が必要。
 通勤、通学のため定期予約をほとんどの人が入れていて、その他にも買い物、レジャー、旅行などあらゆる目的で使われる。だからその予約はたった24時間でも何百万件という数になる。とても検証できるものではない。だからオートキャリアを堂々と使うんだ。他に何か絞れるヒントはないか……。

「ば、バルトロイさん」
「ん?」

 ヴェスタがブースを覗き込んでいた。髪はやはり青い。

「三年目のコール、今週分は終わったんですけど、ちょっと気になることが」
「何?」

 ヴェスタによると、ポツポツとオーナーが自殺または失踪していると言う。最近の自殺率0.002%に対して、オーナーという限られた人数の中で自殺率を計算すると0.1%ほどになってしまう。これは明らかに多すぎる、ということだった。今まで気がつかなかった。月に五百人近くが発注していれば、何人かは三年もしたら死んでてもおかしくないくらいにしか考えていなかった。

「へえ。お前なかなか……」

 ヴェスタは照れたようにちょっと笑った。髪が見る間にグリーンに変わっていく。

「これが、自殺か失踪した人のリストで、5名が……」
「え! レプリカントの大手メーカーの社員じゃねーか」
「そうなんです。レプリカント購入直後はちゃんと応答してる人たちで」
「よし! ちょっと本人たちに聞いてみよう」
「え? 本人はだから死んで」
「そっちの本人じゃねえよ」

 端末に向き直って発注者リストに紐づいたレプリカントの戸籍の開示を申請する。すぐに身分をチェックされ許可が降りる。モニタには五人分の戸籍が映し出される。配偶者欄に記載があるものもいた。

「リストにあるのは人権ありのレプリカントだけだ。戸籍を見れば個人IDがわかるからレプリカント本人に直接コールできる」

 五人のうち三人が発注者を配偶者にしていた。早速一人目にコールする。画面に赤いメッセージボックスが現れる。「通信不能」。

「通信不能? レプリカントの方には死亡届は出てないのに?」

 次にコール。これも同じ。他の四人も通信不能だった。

「おかしい。人権ありのレプリカントならコールもヒューマンにするのと同じようにできるはずだ。ヴェスタ、他の自殺者のレプリカントの戸籍も見てみてくれないか。コールできなかったら、事情を知っていそうな親族にコールしてみてくれ」

 ヴェスタが自分のブースに飛んで帰って調べ出す。なかなか使える。少し驚く。AIなしなんてポンコツかと思ったら、そんじょそこらの新卒より使えるかも知れない。

「えーと、自殺・失踪者16名で、全員のレプリカントと通話できませんでした。で、25歳の息子さんがいる人がいたので、息子さんにコールしたところ、レプリカントがおかしくなってしまったと」
「レプリカントがおかしくなって? どう言う意味?」
「うーん、具体的には、自発行動がなくなって無気力になったそうです。うつ状態みたいな。レプリカント専門医に診せたりしたらしいのですが、よくならず、そのうちオーナーが自死」
「支配率は何%?」
「34%ですね。一番多いタイプです。人権ギリギリ」
「でもレプリカントの方は死亡届が出ていない」
「そうです。レプリカントの方は発注者が亡くなった前後にいなくなったそうです。でも人権のあるレプリカントなので、息子さんにも自発的な家出ということで何もできず」
「これはいいの見つけたな、お前」

 ヴェスタに目を向けると、彼の髪はエメラルドグリーンに変わっていた。



 さて。
 レプリカントは基本的に家出をしない。存在がまずオーナーありきだからだ。もちろん、ヴェスタのように完全に自分の脳で考えているレプリカントならば、自立しようと思い立って出ていくことはあり得る。でも少しでもAIの支配があるレプリカントだったら、発注者の意に染まないことはAIが調整してほとんどできない。

  逆に言うとそのためにヒューマンは支配率がギリギリのレプリカントを好む。それなのに、オーナーの言うことを聞かなくなるというのは……

「故障?」

 ヴェスタは首を傾げた。

「AIチップの? それならメーカーにシグナルが発信されるんじゃ?」
「そうだな。じゃあ、発注者の所有者権限の失効?」
「それってどんな場合にそうなるんですか?」
「うーんと、第14条第2項レプリカントに対する深刻な人権侵害が明らかになった場合、所有者権限を失効させることができる」
「誰ができるんですか」
「俺たち。レプリカント人権保護局」
「失効させました?」
「めったにねえよ。こんなの。16人も三年以内にやったら絶対わかる」
「どうやるんですか? 失効って」
「お前もそうだったように、出荷時点でもう発注者の名前は所有者としてレプリカントに登録されてる。これをデータ上書きするわけだな。メーカーに送ってやって」
「メーカーならじゃあ、失効させられる?」
「上書きする機能を有効化するのにキーコードが必要で、これはうちからしか発行できない。メーカーが勝手にその機能を使うことはないね。キーコードは実際はうちからの命令で総務課が発行するけど、総務課がキーコードを開封することはできない。うちで開封してメーカーに送るんだ。
 つまりね、失効させるのはどこも単独じゃできないし相当めんどくさいってこと」
「一人になったレプリカントはどうなるんでしょう」
「戸籍があるんだから、普通に働いて生活することはできる。オーナーが死んだのならなおさら自由に生きられるかも知れない」
「誰か他の人と暮らすことはあるんでしょうか?」
「あるだろうな。人権持ちのレプリカントは別にオーナーと死ぬまで一緒じゃないといけないわけじゃないから。AIの支配以上に明確に自分で判断すれば、オーナーと別れることだってあるくらいだ。ただ、俺の経験上、支配率が20%を超えるとほとんどオーナーの言いなりだけどね」
「結構離婚してましたけど……」
「あれはさ、主にオーナーの方が捨てるわけだ。飽きたとか、思ってたのと違うとかでね」
「……」
「ひどいと思うか? お前もレプリカントだもんな。人権が認められたってそんなもんだよ。結局さ……」

 ヴェスタはしばらく俯いて黙っていた。髪の色は青緑色。ちょうど目の色と同じ色になっている。

「……どうしてレプリカントたちは逃げないんでしょうか?」
「ん?」
「支配率の低いレプリカントたち……劣悪な環境で奴隷労働をさせられたとして、もうオーナーの命令もないのなら。どうして自分で逃げないんでしょうか?」
「そこがわかんないんだ。逃げてくるのもいるにはいるけど、最近特に少なくなってる。支配率が低くても自立行動が難しい性質があるのか、よほどうまく別な支配をしているか」
「別な支配」
「俺はさ、だからAIがハッキングかプログラム改変されてんじゃないかと思ったわけ。それでお前にはAIチップがない」
「ハッキングなんてできます?」
「ハッキング……はわからない。でもシステムとして外部からAIのプログラムを書き換えることはできる。修理用の機能で、もちろんパスコードが必要だけど、専用のアプリに製造番号とパスコードを入れれば初期化したりプログラムを書き換えたりできる。支配率は変えられないはずだけどね」
「パスコードは誰が知ってるんです?」
「誰だと思う?」
「メーカーの人? 発注者?」
「『DEXMコール・パスコード』」
「?」
「へえ。AIが入ってないとやっぱり応答はしないんだな。これ、レプリカント本人がパスコードを知らせる必要があると認めた人物から『DEXMコール・パスコード』って言われると、自分でパスコードを言うんだ。パスコードはだからレプリカント本人しか知らない」
「……うーん。どうしましょうね」
「消えたレプリカントを見つけたいな。通信不能か……」

 通信不能になる外的要因は相手が死んでしまっているか、登録IDが変わってしまったか、どこか通信の入らないところにいるかのどれかだ。死んだなら戸籍は死亡戸籍になるはずだが、そうなっていない。登録IDは例えば重大な事件の証人になったりして、保護プログラムを受けないと変えることはできない。あり得るのは通信の入らないところにいることだが、現代では海の底くらいしかそんなところはない。あるいは……

「自分でコールを着拒してるか、かな」

 一番シンプルだが、それは自分の首を絞めることだ。もしレプリカントが酷い扱いを受けているのなら。

「もしかして、バルトロイさん。レプリカントがオーナーを自殺に見せかけて殺して──」

 自由になったんだとしたら? ヴェスタは青緑色の大きな目で俺を見上げた。すっと薄寒くなるような綺麗な目だった。







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