上 下
1 / 32

さよなら

しおりを挟む
 ネネリオ。
 俺が一番好きな歌うたい系ウーチューバー。声がいい。この声を聞いていると嫌なことは忘れてしまう。ネネリオは顔出しをしない。男性ボーカルなことしかわからない。いいなあ。こんな声でこんなにうまく歌えたら、そりゃ楽しいだろ。収入もすごそうだ。チャンネル登録者は七〇万人。
「シロ!ごろごろしてねーで稼いでこいよ」
 俺も歌を歌って稼げたらなあ。こんなクソババアの家、とっとと出てってやるのに。
 志路シロはでっぷりと不健康に太った母親の怒号を背中に、イヤフォンを耳に刺したままサンダルをつっかけて外に出た。黄昏時だ。稼ぐにはいい頃合い。駅か、飲み屋街か。駅だな。
 駅に着くとたくさんの人々が疲れた顔をして行き交っている。化粧の崩れたOL。座り込むおっさん。若者の集団。大学生だろうか?うちがまともな家だったらな。俺も大学生だったかもしれない。イヤフォンから聞こえるネネリオの歌声を聴きながら、人の波に混ざる。左斜め前にいる男の尻のポケットから財布を抜く。あまり入ってないのはわかっている。抜きやすいだけ。そのまますっとトイレに入り、中を物色する。思った通りだ。現金は三千円だけ。クレカは足がつくからな。使えない。プリペイドの電子マネーのカードが何枚か出てきた。それと現金だけを抜いて、あとはゴミ箱に捨てる。もう少し稼がないと。
 帰りの人々でますます混み合ってきた。機械音。重なるアナウンス。人の声とも足音ともつかない雑然とした音。なるべく身なりのいいおっさんがいい。体はたるんでるのにやたらいい時計をしてたりするやつ。そういうやつは現金もアホみたいに持ってることが多い。ちょうどいいのが二メートル前にいる。あと3歩。俺はうまいからわざとらしくぶつかったりしない。あと一歩。おっさんの体にぶつかりそうなのをお互いに体を傾けて避ける、その一瞬。
 おっさんはそのまますれ違っていく。俺も何食わぬ顔をしてそのまま駅を抜ける。コンビニのトイレで抜いた財布の中を確認する。ほらな。七万円の現金が入っている。カードはゴールド。金だけ抜いて、トイレのタンクに財布を捨てる。あのおっさんはすれ違いざまに俺に掏られたことにいつ気がつくかな。間抜けだからさ。ご愁傷様。
 今日はラッキーだったな。二人目のおっさんがおいしかった。マック寄って帰ろう。コンビニを出て線路沿いを歩いていると、踏切に通りかかった。子供の悲鳴に近い声が聞こえた。遮断機が降りる。目をやる。
 子どもが線路のレールの上で泣きながら自分の足を引っ張っている。足首から下が埋まっているように見える。レールに挟んだのか?かんかんかんと警報音が鳴る。やばいぞ。
 思わず体が動いた。小学生くらいの女の子だ。遮断機をくぐって足を見てやる。深く靴が嵌まり込んでいる。
「くつは諦めな!」
 遠くに電車の顔が見えてきた。まずい。力づくで引っ張る。靴がレールの隙間の中で脱げて、靴下の足が抜けた。よし!
 でも、その時もう轟音が聞こえていて、俺はとっさに女の子をレールの外に突き飛ばした。
 ブレーキ音に混じって、ネネリオの歌が聞こえた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

平凡なサラリーマンのオレが異世界最強になってしまった件について

楠乃小玉
ファンタジー
上司から意地悪されて、会社の交流会の飲み会でグチグチ嫌味言われながらも、 就職氷河期にやっと見つけた職場を退職できないオレ。 それでも毎日真面目に仕事し続けてきた。 ある時、コンビニの横でオタクが不良に集団暴行されていた。 道行く人はみんな無視していたが、何の気なしに、「やめろよ」って 注意してしまった。 不良たちの怒りはオレに向く。 バットだの鉄パイプだので滅多打ちにされる。 誰も助けてくれない。 ただただ真面目に、コツコツと誰にも迷惑をかけずに生きてきたのに、こんな不条理ってあるか?  ゴキッとイヤな音がして意識が跳んだ。  目が覚めると、目の前に女神様がいた。  「はいはい、次の人、まったく最近は猫も杓子も異世界転生ね、で、あんたは何になりたいの?」  女神様はオレの顔を覗き込んで、そう尋ねた。 「……異世界転生かよ」

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

家族全員異世界へ転移したが、その世界で父(魔王)母(勇者)だった…らしい~妹は聖女クラスの魔力持ち!?俺はどうなんですかね?遠い目~

厘/りん
ファンタジー
ある休日、家族でお昼ご飯を食べていたらいきなり異世界へ転移した。俺(長男)カケルは日本と全く違う異世界に動揺していたが、父と母の様子がおかしかった。なぜか、やけに落ち着いている。問い詰めると、もともと父は異世界人だった(らしい)。信じられない! ☆第4回次世代ファンタジーカップ  142位でした。ありがとう御座いました。 ★Nolaノベルさん•なろうさんに編集して掲載中。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

異世界転生~チート魔法でスローライフ

リョンコ
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。 43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。 その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」 大型連休を利用して、 穴場スポットへやってきた! テントを建て、BBQコンロに テーブル等用意して……。 近くの川まで散歩しに来たら、 何やら動物か?の気配が…… 木の影からこっそり覗くとそこには…… キラキラと光注ぐように発光した 「え!オオカミ!」 3メートルはありそうな巨大なオオカミが!! 急いでテントまで戻ってくると 「え!ここどこだ??」 都会の生活に疲れた主人公が、 異世界へ転生して 冒険者になって 魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。 恋愛は多分ありません。 基本スローライフを目指してます(笑) ※挿絵有りますが、自作です。 無断転載はしてません。 イラストは、あくまで私のイメージです ※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが 少し趣向を変えて、 若干ですが恋愛有りになります。 ※カクヨム、なろうでも公開しています

【完結】異世界で小料理屋さんを自由気ままに営業する〜おっかなびっくり魔物ジビエ料理の数々〜

櫛田こころ
ファンタジー
料理人の人生を絶たれた。 和食料理人である女性の秋吉宏香(あきよしひろか)は、ひき逃げ事故に遭ったのだ。 命には関わらなかったが、生き甲斐となっていた料理人にとって大事な利き腕の神経が切れてしまい、不随までの重傷を負う。 さすがに勤め先を続けるわけにもいかず、辞めて公園で途方に暮れていると……女神に請われ、異世界転移をすることに。 腕の障害をリセットされたため、新たな料理人としての人生をスタートさせようとした時に、尾が二又に別れた猫が……ジビエに似た魔物を狩っていたところに遭遇。 料理人としての再スタートの機会を得た女性と、猟りの腕前はプロ級の猫又ぽい魔物との飯テロスローライフが始まる!! おっかなびっくり料理の小料理屋さんの料理を召し上がれ?

~クラス召喚~ 経験豊富な俺は1人で歩みます

無味無臭
ファンタジー
久しぶりに異世界転生を体験した。だけど周りはビギナーばかり。これでは俺が巻き込まれて死んでしまう。自称プロフェッショナルな俺はそれがイヤで他の奴と離れて生活を送る事にした。天使には魔王を討伐しろ言われたけど、それは面倒なので止めておきます。私はゆっくりのんびり異世界生活を送りたいのです。たまには自分の好きな人生をお願いします。

異世界転移は分解で作成チート

キセル
ファンタジー
 黒金 陽太は高校の帰り道の途中で通り魔に刺され死んでしまう。だが、神様に手違いで死んだことを伝えられ、元の世界に帰れない代わりに異世界に転生することになった。  そこで、スキルを使って分解して作成(創造?)チートになってなんやかんやする物語。  ※処女作です。作者は初心者です。ガラスよりも、豆腐よりも、濡れたティッシュよりも、凄い弱いメンタルです。下手でも微笑ましく見ていてください。あと、いいねとかコメントとかください(′・ω・`)。  1~2週間に2~3回くらいの投稿ペースで上げていますが、一応、不定期更新としておきます。  よろしければお気に入り登録お願いします。  あ、小説用のTwitter垢作りました。  @W_Cherry_RAITOというやつです。よろしければフォローお願いします。  ………それと、表紙を書いてくれる人を募集しています。  ノベルバ、小説家になろうに続き、こちらにも投稿し始めました!

処理中です...