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03 暇潰しにはなるのかも
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「あの」
聞き覚えのある声です。カシュ、カシュ、という音がして、一瞬火花のようなものが見えた次の瞬間、ぽっと明かりが地面に灯りました。ぱっと大きな炎が上がり、すぐに消えそうに小さくなったかと思ったら、安定して一定の光を放ちます。
その炎を、大きな手が風から守っているのがわかりました。もじゃもじゃの黒髪がオレンジの炎に照らされ、形の良い唇がはっきりと見えます。赤い絶望的にダサいチェックのシャツとサンドベージュのチノパン。間違いなく、さっきの童貞くんでした。
「あの………」
男はさっきのように、大きいとも言えない曖昧な声で呼びかけています。
「あの……さ……さより、さん」
どうしよう。名前を呼ばれて、出て行くかどうか少し迷いました。本当なら、他人との接触は最低限にした方がいい。さっきみたいなことがあるから。でもまさか一度の案内でこの場所にこの暗さで戻ってくるなんて。犬か何かかよ。
パチパチと火の爆ぜる音が静かに聞こえます。男は辺りを見回し、さっきよりもう少し大きな声を出しました。
「さよりさん」
「やめて!」
仕方なく瓦礫の家の中から出ると、童貞くんは少しびっくりしたようでした。お前が呼んだんだろ。なんなんだこいつは。
「大きな声出さないでよ。ここに俺がいるって知られたくないんだ。空気読めないやつだな」
「あ……す。すいません」
それでも少し近づいただけで、炎の暖かさと明るさにほっとしました。男は瓦礫の中から木や布やダンボールなんかを集めて火をつけたようです。
「あったか……」
「あ、ど、どうぞ。寒かったかなと」
「どうしたん? 体育館行ったんじゃねーの」
「いや、なんか、あなたに、悪かったなって。火も使いたかったみたいだったし」
「行ってねえの? 馬鹿だねー」
じゃあこいつはまだ水も飲み損なっているのでしょう。仕方なく僕は飲み掛けのペットボトルを彼に向けました。彼はぱっと顔を上げて、差し出されたペットボトルと僕の顔をかわるがわる見ています。犬かよ。お手って言ったらやりそうだな。
「あげる」
「いいんですか?」
頷くと、彼はおずおずとそれを手に取って、うまそうに水をごくん、ごくんと飲み始めました。一口、二口、三口。グビグビ飲むのかと思ったら、意外と大事に飲むんだな。まだ半分くらい残っていた水が三分の一ほどになったあたりで、彼はうやうやしく蓋をきっちり閉めて僕の方にそれを向けました。
「いや、いいよ。あげるって。まだあるんだ」
「でも。貴重だから」
昼間見る彼よりいくらか落ち着いて見えました。彼もこの状況や僕に慣れてきたのかもしれません。
「どうやって火をつけたの? さっきのやつで着けたの?」
「そうです。ちょっと、削る感じで擦ると火花が出るので、火口に移して」
「へえ……」
男は昼間に見せてくれた太めのえんぴつの芯のようなものを取り出すと、厚めのかみそりのキーホルダーでシュッと擦りました。チカチカと火花が散ります。
「ほら」
「きれい。知らなかった。キャンプ用品? キャンプとかすんの?」
「あ、はい。ていうか、始めたの最近なんですけど。一人キャンプとかやってて」
彼はまさにこれを口火にして、滔々とキャンプ用具のことを話し始めました。軽くて丈夫なテントはどれか。小さくまとめられる雨具のこと。ザックは何リットルか。エア・マットの必要性。オタク……キャンプオタクなのか? 早口だし。適当に相槌を打っていると眠くなってきました。困ったな。こいついつまでいる気なんだよ。
「ごめんだけど、今日疲れたから寝ていい?」
「あ。はい、どうぞ」
ほっといて寝ることにしていつもの瓦礫の隙間に戻り、砂っぽくなった布団に潜ると、すぐにうとうとしました。久々に面倒なことがあって、僕も気が張っていたんでしょうね。
気がつくと、すっかり夜になっていました。お腹がすいた。食べる前に眠ってしまった。でも今日は何も用意していませんでした。どうしよう。
ふと、いいにおいがしました。懐かしいにおいです。
「うっそ、マジで?」
インスタントラーメン……。
匂いに釣られてふらふらと穴から這い出すと、童貞くんがどこかから拾ったらしいフライパンを火にかけて、確かにインスタントラーメンを煮ていました。
「食べますか? 起こそうかなと思ってました」
「食べる!」
久々の暖かい食事です。童貞くんはダンボール紙をミトン代わりにしてフライパンを寄せると、これまたどこかから集めてきた不揃いのお椀にちょうど半分ずつ分けてくれました。
「うまあ………」
「ですよね。寒くなってきたし……」
人生で一番うまいインスタントラーメンでした。あっという間に食べてしまうと、ふと疑問が湧いてきました。
「……これ、水どうした? あとラーメンは」
「あ。大丈夫です。さっきの雨水使いましたけど、簡易の濾過器持ってるので」
「え! うそ。どれ?」
童貞くんはチェックシャツの下から何か細長いボトルのようなものを出して見せてくれました。全く気が付かなかった。すぐ手を切るつもりでいたからなあ。
「ラーメンは、体育館のとこからここに来るまでに拾いました。未開封だったんで」
「そっか。ありがとう、うまかったよ」
こうなるとキャンプ用品というのはなかなか役に立つんだな。俺も今度ホームセンターの跡地にでも行って、色々探してみようかな。
とても静かな隣の童貞くんに目をやると、童貞くんはじっとちらちら燃える炎を見ていました。三角座りをして、腕に顎を乗せるようにして。体が大きいから、大型犬がおすわりをしているように見える。やっぱり彫りが深くて、手を入れれば随分イケメンになりそうな顔立ちです。
「なあ、あんたほんとに童貞なの?」
「えっ」
童貞くんは明らかに挙動不審な感じで腕をパタパタ動かして目を泳がせました。本当かも。
「そ、そんな」
「それとも男の方がいいとか?」
「ちょっとな、何を言ってるのか」
「勃った? 今日、さっきの女見て」
「やや、やめてください」
「彼女とかいなかったの?」
「お、俺、緊張しいだから………」
「さっきあれだけベラベラしゃべってたのに?」
「す、す好きなことだけ」
「女の子と喋れないの?」
「ま、て、ていうか、あの……」
「今も緊張してる?」
「はい……」
めんどくさっ。
確かに、このキモい感じはルックスが気に入ったとしても百年の恋も冷めるかも知れない。言動があちこちオタクでコミュ障くさいんだよなあ。
「ごちそうさま。僕寝るから」
「はい」
聞き覚えのある声です。カシュ、カシュ、という音がして、一瞬火花のようなものが見えた次の瞬間、ぽっと明かりが地面に灯りました。ぱっと大きな炎が上がり、すぐに消えそうに小さくなったかと思ったら、安定して一定の光を放ちます。
その炎を、大きな手が風から守っているのがわかりました。もじゃもじゃの黒髪がオレンジの炎に照らされ、形の良い唇がはっきりと見えます。赤い絶望的にダサいチェックのシャツとサンドベージュのチノパン。間違いなく、さっきの童貞くんでした。
「あの………」
男はさっきのように、大きいとも言えない曖昧な声で呼びかけています。
「あの……さ……さより、さん」
どうしよう。名前を呼ばれて、出て行くかどうか少し迷いました。本当なら、他人との接触は最低限にした方がいい。さっきみたいなことがあるから。でもまさか一度の案内でこの場所にこの暗さで戻ってくるなんて。犬か何かかよ。
パチパチと火の爆ぜる音が静かに聞こえます。男は辺りを見回し、さっきよりもう少し大きな声を出しました。
「さよりさん」
「やめて!」
仕方なく瓦礫の家の中から出ると、童貞くんは少しびっくりしたようでした。お前が呼んだんだろ。なんなんだこいつは。
「大きな声出さないでよ。ここに俺がいるって知られたくないんだ。空気読めないやつだな」
「あ……す。すいません」
それでも少し近づいただけで、炎の暖かさと明るさにほっとしました。男は瓦礫の中から木や布やダンボールなんかを集めて火をつけたようです。
「あったか……」
「あ、ど、どうぞ。寒かったかなと」
「どうしたん? 体育館行ったんじゃねーの」
「いや、なんか、あなたに、悪かったなって。火も使いたかったみたいだったし」
「行ってねえの? 馬鹿だねー」
じゃあこいつはまだ水も飲み損なっているのでしょう。仕方なく僕は飲み掛けのペットボトルを彼に向けました。彼はぱっと顔を上げて、差し出されたペットボトルと僕の顔をかわるがわる見ています。犬かよ。お手って言ったらやりそうだな。
「あげる」
「いいんですか?」
頷くと、彼はおずおずとそれを手に取って、うまそうに水をごくん、ごくんと飲み始めました。一口、二口、三口。グビグビ飲むのかと思ったら、意外と大事に飲むんだな。まだ半分くらい残っていた水が三分の一ほどになったあたりで、彼はうやうやしく蓋をきっちり閉めて僕の方にそれを向けました。
「いや、いいよ。あげるって。まだあるんだ」
「でも。貴重だから」
昼間見る彼よりいくらか落ち着いて見えました。彼もこの状況や僕に慣れてきたのかもしれません。
「どうやって火をつけたの? さっきのやつで着けたの?」
「そうです。ちょっと、削る感じで擦ると火花が出るので、火口に移して」
「へえ……」
男は昼間に見せてくれた太めのえんぴつの芯のようなものを取り出すと、厚めのかみそりのキーホルダーでシュッと擦りました。チカチカと火花が散ります。
「ほら」
「きれい。知らなかった。キャンプ用品? キャンプとかすんの?」
「あ、はい。ていうか、始めたの最近なんですけど。一人キャンプとかやってて」
彼はまさにこれを口火にして、滔々とキャンプ用具のことを話し始めました。軽くて丈夫なテントはどれか。小さくまとめられる雨具のこと。ザックは何リットルか。エア・マットの必要性。オタク……キャンプオタクなのか? 早口だし。適当に相槌を打っていると眠くなってきました。困ったな。こいついつまでいる気なんだよ。
「ごめんだけど、今日疲れたから寝ていい?」
「あ。はい、どうぞ」
ほっといて寝ることにしていつもの瓦礫の隙間に戻り、砂っぽくなった布団に潜ると、すぐにうとうとしました。久々に面倒なことがあって、僕も気が張っていたんでしょうね。
気がつくと、すっかり夜になっていました。お腹がすいた。食べる前に眠ってしまった。でも今日は何も用意していませんでした。どうしよう。
ふと、いいにおいがしました。懐かしいにおいです。
「うっそ、マジで?」
インスタントラーメン……。
匂いに釣られてふらふらと穴から這い出すと、童貞くんがどこかから拾ったらしいフライパンを火にかけて、確かにインスタントラーメンを煮ていました。
「食べますか? 起こそうかなと思ってました」
「食べる!」
久々の暖かい食事です。童貞くんはダンボール紙をミトン代わりにしてフライパンを寄せると、これまたどこかから集めてきた不揃いのお椀にちょうど半分ずつ分けてくれました。
「うまあ………」
「ですよね。寒くなってきたし……」
人生で一番うまいインスタントラーメンでした。あっという間に食べてしまうと、ふと疑問が湧いてきました。
「……これ、水どうした? あとラーメンは」
「あ。大丈夫です。さっきの雨水使いましたけど、簡易の濾過器持ってるので」
「え! うそ。どれ?」
童貞くんはチェックシャツの下から何か細長いボトルのようなものを出して見せてくれました。全く気が付かなかった。すぐ手を切るつもりでいたからなあ。
「ラーメンは、体育館のとこからここに来るまでに拾いました。未開封だったんで」
「そっか。ありがとう、うまかったよ」
こうなるとキャンプ用品というのはなかなか役に立つんだな。俺も今度ホームセンターの跡地にでも行って、色々探してみようかな。
とても静かな隣の童貞くんに目をやると、童貞くんはじっとちらちら燃える炎を見ていました。三角座りをして、腕に顎を乗せるようにして。体が大きいから、大型犬がおすわりをしているように見える。やっぱり彫りが深くて、手を入れれば随分イケメンになりそうな顔立ちです。
「なあ、あんたほんとに童貞なの?」
「えっ」
童貞くんは明らかに挙動不審な感じで腕をパタパタ動かして目を泳がせました。本当かも。
「そ、そんな」
「それとも男の方がいいとか?」
「ちょっとな、何を言ってるのか」
「勃った? 今日、さっきの女見て」
「やや、やめてください」
「彼女とかいなかったの?」
「お、俺、緊張しいだから………」
「さっきあれだけベラベラしゃべってたのに?」
「す、す好きなことだけ」
「女の子と喋れないの?」
「ま、て、ていうか、あの……」
「今も緊張してる?」
「はい……」
めんどくさっ。
確かに、このキモい感じはルックスが気に入ったとしても百年の恋も冷めるかも知れない。言動があちこちオタクでコミュ障くさいんだよなあ。
「ごちそうさま。僕寝るから」
「はい」
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