ビッチな僕と童貞くん 〜先日、世界が終わったので。

黒遠

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02 悩むところです

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 息を殺して瓦礫の連なりの影に隠れていると、その男はふらふらとこちらに歩いて来ました。気付かれないように覗き見する程度ですが、幸いなことに見覚えはないようです。どうかな? 本当に一回だけだったりしたら僕が覚えてないかもしれない。あまり記憶力がよくないんですよね。あっちもそうだといいんですけど、残念ながら相手の方は意外と覚えてるんですよ。そりゃそうですよね、あっちにとっては僕の存在って非日常なわけですから。

 男は風呂桶に溜まった水をじっと見ています。勘弁してほしい。僕にとってもあの水は生命線なんです。飲み水は水を買って飲む種類の人間なんでストックがそれなりにあって隠してるんですけど、やっぱり清潔感て大事じゃないですか。気にしないで使えるそこそこきれいな水って貴重なんです。ヒヤヒヤしながら見ていると、案の定男は手をその風呂桶に差し伸べました。

「ちょっと!!」

 思わず呼び止めると、男はビクッと手を引っ込めてキョロキョロ辺りを見回しています。明らかに挙動不審。大丈夫だ。ああいうのには僕は声を掛けないから、少なくともやったことはない。ガタイはいいけど小心者そうです。たぶん僕でも追い払えるでしょう。僕は強そうなタイプじゃないですけど、堂々とした態度にかけては自信があるんです。

「その水、触らない方がいいよ」

 男はがれきの影から立ち上がった僕をちらっと見て、すぐに視線を下げました。癖っ毛の髪が伸びっぱなしで、下を向かれると顔はほとんど見えません。絵に描いたようなチェックシャツのオタクファッションでコミュ障っぽい動きです。こういうやつ嫌いなんですよね。直接話もしないうちに、勝手にいろんなイメージで妄想されてそうで。

「すみません……。喉が、乾いていて」
「どう見ても飲み水じゃないでしょ? 馬鹿なの?」
「いえ、煮沸でもして飲もうと」
「煮沸? どうやって。ガスもIHもなくなったんだからね」
「一応、そこら中に薪になるものがあるんで。鍋くらいどこかから拾ってくれば、と」
「まあ、マッチかライターでもあればできるかもね。あんの?」

 肌寒くなってきてからどう暖を取るかは考えておかないといけないところでした。ライターの一つでも貰えれば、水の多少は分けてやってもいいかな。どうせ雨水だし。

「はい。ファイヤスターターをたまたま持ってたので」
「何それ?」
「火打ち石……かな。キャンプとかで使う……」
「見せて?」

 男は少しためらいながら、鉛筆の芯を太くしたようなものと、厚めのかみそりが付いたキーホルダーのようなものをポケットから取り出しました。僕はアウトドア派ではないので、見たことがありません。

「どうやって使うの?」
「…………」

 なんか言えよ。これだからこういうやつは嫌いなんですよね。まあいいや。そのうちコンビニ跡地にでも行ってライターだのは拾って来ようと思います。

「もういいや。どっか行って。小学校あったとこわかる? あそこにたくさん人がいるから、水が欲しかったらそっちに行けよ」

 男は少しだけ顔を上げて、また僕の目を見ました。まゆげとか整えた事無さそう。でも彫りの深い目元でした。割と好きな顔です。惜しいね。こんな時じゃなかったらね。

「じゃ」
「いや、あの……じ、あの」
「なんだよ?」
「じ、自分………浅宮口のとこから、だ……あ……誰か……いないかなって」
「は?」
「………」

 アサミヤグチ? イライラする話し方です。ナイなー。

「ここまで、歩いて来たんで……あの」
「あー、小学校わかんないって話?」
「はい」
「仕方ないなあ。近くまで連れてってあげる。でも戻ってくんなよ」

 本当は小学校の近くになんか行きたくないんですけど、この辺を下手にうろつかれる方が困ります。それにたまに偵察にも行っておかないと、何か起きてもわかりませんからね。人が多いところに救助隊が来たりするかも知れないし。

 がれきの中を歩き始めると、彼は黙って付いて来ました。並んでみればやはり背が高いのがわかります。年は僕と同じくらいかな? 少し年下かな?

「なんかスポーツとかやってたんですか?」
「………いえ、別に」
「背が高いから。バスケとかかなって」
「いえ」

 会話が続きません。つまんね。顔と体型は好みなんですけど。いやでもモサいかな。ちょっとくさいし。仕方ないけどさ。世界が終わってから悠々と風呂に入れる人間もなかなかいないでしょう。

「なんで、あなたは小学校に行かないんですか」
「別に。困ってないから」
「でも、食べ物とか」
「食べ物は割とまだ大丈夫ですよ。結構落ちてるし。あなたもここまで来る時、見つけませんでした?」
「まあ」
「もう少しして、手近で見つけられなくなったら困るでしょうけど。それまで僕たちが生きてる保証もないしね」
「…………」

 彼がまた黙り込んだので、黙々と歩いて小学校の近くの瓦礫の山までやって来ました。何も変わったところはありません。僕はそろそろ消えたいところです。

「じゃ、ここをこのまま、えーと、あそこに青い看板みたいなのが見えるのわかります? あれ、小学校の壁画の一部なんで、あそこまで歩いていくといいですよ。僕はこ」
「ん゛ーーーーーーー!」

 くぐもった女の声が聞こえました。隣の彼はびっくりしたように当たりを見回します。

「だ……だすけでぇーーー」

 泣き声です。僕の話し声を聞いて助けを求めてみたんでしょう。どこにいるのかはちょっとわかりません。見渡す限りでこぼこの荒れ果てた街なんです。

「ど………どこに」
「さあ。助ける気があるんなら探してあげたらいいんじゃないですか。僕はこれで帰ります。さよなら」

 僕がさっと元来た道を戻ろうとすると、彼はとっさに、という感じで僕の肩を掴みました。手が大きいね。ほんと残念。

「あのさ。離してくれない? あんたが助けたいならそうすればいい。でも僕を巻き込まないで」

「たすけ、て……」
「おーい!」

 おーいじゃないよ。彼はやはりびびっているのか、「多少は大きい」という程度の音量で呼びかけました。僕は手を振り払って歩き出します。こんなところで面倒ごとは嫌なんだよ。でもさらに残念なことに、僕が足を向けた先の瓦礫の中から、どっかで見た顔が出てきました。誠に遺憾です。

「お? サヨリくんじゃないの!」

 あーあ。ほらね。

「誰?」

 瓦礫の影からもう1人男が顔を出します。こっちも見た顔だ。最悪だな。だから小学校の近くなんて来たくなかったんだよ。

「ヒュー! いいね。見かけなかったけどどこにいた?」

 2人はニヤニヤ笑いながらズボンを引き上げてこっちにやって来て、片手を僕の肩に置きました。

「やる事なくてさ。サヨリくんと遊べたら楽しいなあ」
「連絡取れなくなっちゃったでしょ?」

 そうそう。僕が着拒したからね。

「今度やらせてよ。サヨリくん、今どこにいんの?」
「今度ね。今はほら、そこの人案内してるから、またね」
「ほんとにい?」
「ほんと。体育館にいるんだろ? 他の奴らに黙っててくれたら、あんたらだけ抜いてやるよ。こっそり声掛けに行くから」

 腰の辺りをそっと触りながら言うと、名前も忘れた誰かさんたちはキモく笑いながら体育館の方に歩いて行きました。誰だっけ? でもやった。確かに。3Pやってみてもいいかなって思った時。どっちかが割と短小だったんだよな。

「……知り合い?」

 その声ではっと気がつくと、さっきの彼がぼっと突っ立っていました。

「なんでまだそこにいんの? 女助けるんじゃねーの? チャンスだっただろ? それとも混ざりたかっただけ?」
「いや、あの」
「女は?」
「あの」

 男はさっきあの「どっちかが短小コンビ」が出てきた瓦礫の方を指差しました。間抜けかよ。こっちが嫌な気分になった分くらいは頭を働かせてほしいものです。軽く瓦礫の隙間を覗いてみると、服もボロボロ、ほとんど全裸の女が泣いていました。体にいくつもあざがあるのがここからでも見えます。

「あんたが助けたかったんだろ。なんとかしなよ」
「え………いや。えと」

 彼はもじもじしながら俯きました。は? なんなのこいつ。

「女の人……裸だし………」

 かがんで顔を覗き込むと、真っ赤になって目を逸らします。

「なんなの? そりゃそうだろ、あの女、やられかけてたんだろ? 見りゃわかんだろ。童貞かよ」
「やっ……どっ………」

 驚いた。マジ童貞かよ。コミュ障。

「ふざけんなよな………」

 仕方がない。着ていたシャツを脱いで女に渡してやると、女は恐る恐る受け取って泣きながらそれに袖を通しました。くそが。早く家に帰りたい。家って言っても壁だけだけど。

「ほら! もういいだろ! 俺は帰るから」

 流石に上半身インナーシャツ一枚は寒い。駆け足でアパートのあった場所に戻って、服を着ますが、なかなか体が温まりません。夕暮れも早くなってきたなと思います。今日は特に冷え込む。懐中電灯などを持っているわけでもないし、スマホはとっくに充電が切れているのであたりは真っ暗です。まあ、10月も半ばだから。薄手の長袖しかまだ見つけられていない。明日の昼間にでも少しは冬服を掘り出さないと。

 じゃり、と小石を踏む音がしました。

 


 

 


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