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手料理【子世代】
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水で濡らした手に、白米を一掬い。熱いそれを落とさないように手早く握る。塩を一摘み振ってもう一度ぎゅっと握った。皿に二つ乗ったお握りと、分厚い沢庵、それから……本当は卵焼きになるはずだった、妙に焦げ色のついた炒り卵。両手を合わせてからお握りを一口頬張る。
「……なぜ」
ごくりと飲み込んだ後ため息交じりに零した言葉は、思いの他切実な色を露にして静かな部屋に響いた。
蓮美が、木槿と高校卒業と同時に同居生活を始めてから三年の月日が流れた。不本意ながら蓮美の胃袋は完全に木槿に掴まれていた。
「一応作り置きゴハン作っておきましたけど夏場なので腐らないうちに早めに食べて下さいね? 後は申し訳ないんですけど他の店のテイクアウトで済ませておいて下さい」
「私は生まれて初めて留守番を経験する子供ではありませんよ」
「はじめてのおるすばんって絵本がありましたね、懐かしいです。信用していないわけじゃないんですが……蓮美さんはその、生活面は少し適当なところがありますから」
「心配されずともちゃんと過ごします」
「じゃあ行ってきます」
……そう言って、木槿が実家に帰省して四日。蓮美は早くも限界が来ていた。木槿の料理が食べられないというこの空白は、スーパーやコンビニの総菜だのカップ麺だのでは埋められないのだ。よくよく考えてみればこの三年と暫らく、木槿の作った料理を全く口にしない日というのはほとんどなかった。しいて言えば木槿が風邪を引いた時と、蓮美が数日間の研修に行った時くらいで、それも二日と間が空かなかった。
蓮美自身、ここまで木槿の手料理に依存してしまっているとは思っていなかったのだ。しかし、言ったところで仕方が無い。蓮美の味覚と胃袋は完全に恋人の味を欲している。木槿が戻るのはおそらく、後二日がといったところだ。考えに考えた蓮美がとった手段は、とりあえず買い足さなくても作れるおにぎりを作ってみる事だった。
木槿が家を出る前に作っていた、朝ご飯の献立を思い出す。後は冷蔵庫に入っていた漬け物と、卵焼きが並んでいたはずだ。それをとりあえず頑張って作った。結果は目に見えていたが、まあ現実とはそんなものである。少なくとも木槿の味の再現には程遠い。味噌汁にまで手を出さなかった事が、唯一の救いだと言えるだろう。辛うじて形になったおにぎり、漬け物、卵焼きもどきを口にした蓮美は盛大に溜め息をつく事になった。
そんな食事をしたのが今朝の事だ。現在の蓮美のモチベーションは完全に右肩下がりである。一日の講義を終えて帰宅する頃には、足取りも重くなっていた。だって、木槿がいないから。ただその事実が、こうも自分の調子を崩す事に絶望する。夕飯は流石に作る気力がない為、買い置いてあったカップ麺や冷凍食品で済ませる他ないだろう。むしろ食べなくてもいいかもしれないなんて、同居人が耳にしたら珍しく激怒しそうな事まで考えて、再び溜め息をついたところで、蓮美は鍵を回そうとした手を止めた。鍵が、開いている。
「ああ、蓮美さん。お帰りなさい」
玄関を開けると、そこには数日振りに見た恋人がいた。
「……ただいま戻りました」
「やっぱり蓮美さんのタイミングすごいですね、ちょうど晩ご飯できたところなので、まず手を洗ってきて下さいね」
「木槿さん、帰ってくるのが早くないですか、まだ木曜日ですよ」
「きちんと用事を済ませて帰ってきましたよ。お腹が空いているでしょう?」
洗面所へ押しやられながらチラリと目をやった食卓の上には、リラックマのグラタン皿が二つ並んでいた。向かい合うように座り手を合わせる。湯気がたつマカロニグラタンは、木槿が作った食事だ。
「「頂きます」」
こんがり焼けたチーズをサクッとフォークで割ると、マカロニやジャガ芋を包む、コクのあるホワイトソースの匂いが備考を擽った。口に入れると舌の上で溶ける。熱々のそれを少しずつ口に運んで嚥下するたび、自分の口元が綻ぶのが判った。数日ぶりの木槿の作った料理である。
「どうですか、味は」
「……木槿さん」
「なあに?」
しっかり咀嚼して味わったものを飲み下すと、蓮美は木槿の問いかけに答えた。
「美味しいです」
「それは良かっ」
「木槿さんの作る食事は全部美味しいです」
言いかけた途中で畳み掛けるように褒められた木槿は、目をぱちぱちと瞬かせる。
「どっ、なっ……ありがとう? ……てか、どうしたんですか蓮美さん」
「別に。思った事をそのまま言っただけです」
食事を再開した蓮美を見ると、一拍遅れて木槿も食事を続ける。彼がいつも言う蓮美のツンデレのデレというのものに、さしもの木槿も困惑する。蓮美はと言えば、先程言ったように「木槿さんの料理が美味しい」というその事実を実感しているだけなのだが。
「木槿さん」
「なあに?」
「私は、こうして木槿さんの作る料理を食べる事が嬉しくて仕方がありません」
その言葉に喜びと照れとで、木槿が顔を上げられなくなるのは、その後すぐの事だった。
「……なぜ」
ごくりと飲み込んだ後ため息交じりに零した言葉は、思いの他切実な色を露にして静かな部屋に響いた。
蓮美が、木槿と高校卒業と同時に同居生活を始めてから三年の月日が流れた。不本意ながら蓮美の胃袋は完全に木槿に掴まれていた。
「一応作り置きゴハン作っておきましたけど夏場なので腐らないうちに早めに食べて下さいね? 後は申し訳ないんですけど他の店のテイクアウトで済ませておいて下さい」
「私は生まれて初めて留守番を経験する子供ではありませんよ」
「はじめてのおるすばんって絵本がありましたね、懐かしいです。信用していないわけじゃないんですが……蓮美さんはその、生活面は少し適当なところがありますから」
「心配されずともちゃんと過ごします」
「じゃあ行ってきます」
……そう言って、木槿が実家に帰省して四日。蓮美は早くも限界が来ていた。木槿の料理が食べられないというこの空白は、スーパーやコンビニの総菜だのカップ麺だのでは埋められないのだ。よくよく考えてみればこの三年と暫らく、木槿の作った料理を全く口にしない日というのはほとんどなかった。しいて言えば木槿が風邪を引いた時と、蓮美が数日間の研修に行った時くらいで、それも二日と間が空かなかった。
蓮美自身、ここまで木槿の手料理に依存してしまっているとは思っていなかったのだ。しかし、言ったところで仕方が無い。蓮美の味覚と胃袋は完全に恋人の味を欲している。木槿が戻るのはおそらく、後二日がといったところだ。考えに考えた蓮美がとった手段は、とりあえず買い足さなくても作れるおにぎりを作ってみる事だった。
木槿が家を出る前に作っていた、朝ご飯の献立を思い出す。後は冷蔵庫に入っていた漬け物と、卵焼きが並んでいたはずだ。それをとりあえず頑張って作った。結果は目に見えていたが、まあ現実とはそんなものである。少なくとも木槿の味の再現には程遠い。味噌汁にまで手を出さなかった事が、唯一の救いだと言えるだろう。辛うじて形になったおにぎり、漬け物、卵焼きもどきを口にした蓮美は盛大に溜め息をつく事になった。
そんな食事をしたのが今朝の事だ。現在の蓮美のモチベーションは完全に右肩下がりである。一日の講義を終えて帰宅する頃には、足取りも重くなっていた。だって、木槿がいないから。ただその事実が、こうも自分の調子を崩す事に絶望する。夕飯は流石に作る気力がない為、買い置いてあったカップ麺や冷凍食品で済ませる他ないだろう。むしろ食べなくてもいいかもしれないなんて、同居人が耳にしたら珍しく激怒しそうな事まで考えて、再び溜め息をついたところで、蓮美は鍵を回そうとした手を止めた。鍵が、開いている。
「ああ、蓮美さん。お帰りなさい」
玄関を開けると、そこには数日振りに見た恋人がいた。
「……ただいま戻りました」
「やっぱり蓮美さんのタイミングすごいですね、ちょうど晩ご飯できたところなので、まず手を洗ってきて下さいね」
「木槿さん、帰ってくるのが早くないですか、まだ木曜日ですよ」
「きちんと用事を済ませて帰ってきましたよ。お腹が空いているでしょう?」
洗面所へ押しやられながらチラリと目をやった食卓の上には、リラックマのグラタン皿が二つ並んでいた。向かい合うように座り手を合わせる。湯気がたつマカロニグラタンは、木槿が作った食事だ。
「「頂きます」」
こんがり焼けたチーズをサクッとフォークで割ると、マカロニやジャガ芋を包む、コクのあるホワイトソースの匂いが備考を擽った。口に入れると舌の上で溶ける。熱々のそれを少しずつ口に運んで嚥下するたび、自分の口元が綻ぶのが判った。数日ぶりの木槿の作った料理である。
「どうですか、味は」
「……木槿さん」
「なあに?」
しっかり咀嚼して味わったものを飲み下すと、蓮美は木槿の問いかけに答えた。
「美味しいです」
「それは良かっ」
「木槿さんの作る食事は全部美味しいです」
言いかけた途中で畳み掛けるように褒められた木槿は、目をぱちぱちと瞬かせる。
「どっ、なっ……ありがとう? ……てか、どうしたんですか蓮美さん」
「別に。思った事をそのまま言っただけです」
食事を再開した蓮美を見ると、一拍遅れて木槿も食事を続ける。彼がいつも言う蓮美のツンデレのデレというのものに、さしもの木槿も困惑する。蓮美はと言えば、先程言ったように「木槿さんの料理が美味しい」というその事実を実感しているだけなのだが。
「木槿さん」
「なあに?」
「私は、こうして木槿さんの作る料理を食べる事が嬉しくて仕方がありません」
その言葉に喜びと照れとで、木槿が顔を上げられなくなるのは、その後すぐの事だった。
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