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ご機嫌ようアナーキー
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あなたは匣に、何を詰めますか?
私は列車に揺られて、遠くの親戚の葬式に向かっていた。ボックスタイプの席の向かいには、和装姿の男女がとても親しげに腰掛けていた。目鼻立ちのはっきりした茶色い髪の男と、その肩を枕にして、長い睫毛を伏せている黒髪の女。 眠る女の膝には――漆色の、三十センチ四方くらいだろうか、縦長の長方形の匣が大事そうに抱えられていた。二人の雰囲気に圧倒された私は、心なしか居心地が悪くどうしたものかと考えていた。席を変えようかと思ったとき、不意に起きている男と目があった。
「……御旅行ですか?」
「え、あ、はい……」
思ったより低い声で聞かれ、一瞬迷ったけれど、嘘が口からついて出た。……本当はどこに行くのかも知らないのだ、私は。 私の顔に怪訝そうなものを感じ取ったのか、茶髪の男は慌てたように自己紹介をしてきた。 男の名前はベロニーテと言うらしかった。隣の眠る女はレインというらしい。私も名前を名乗る程度で、それ以上は聞かなかった。いいや、聞けなかった。
「良いですね、旅行。ボクも好きなんです」
「そうなんですか……お二人は、御旅行では?」
「ああいえ、今回は旅行とは、少し違いますね……探しているモノがあるんです」
「探し物?」
「はい、彼女の……彼女とボク、違うかな。彼らの、大切なモノなんです」
男は隣で眠る女と、その膝の漆色の箱を愛おしそうに見つめた。その双眸は、血のような赤色で、私には酷く恐ろしく見えた。
話を切り上げよう言葉を探していると、男は嬉しそうに笑って、車窓の外を見つめた。
「一つは、山の中にあるんです」
「え、」
「彼女……レインがわかるんだそうです。一つは山の中、もう一つは砂場の底、他にも、街の路地裏や、海岸の洞窟の中に隠してあるそうで。でも、一番大切なものは鉄の箱に入れて、森の中に……他の場所は彼ら――ふふ、彼らが探してくれているんです。鈴だったり、鳥だったりの彼らが。だからボク達は森を探しに行くんです。彼は、誰より近い位置にいた人だから。足りないのは、可哀想だから……」
そう言って愛しげに優しく箱を撫でる。 あまりにもその箱を大切そうにしているので、私はその箱の中が気になりだした。 美しい艶をもつ、漆のような闇で作られたような色の箱。見れば見る程、恐ろしい何かを漂わせているように思えてくる。
「……気になりますか?」
あまりに食い入るように見つめていたのだろうか、男は含み笑いで私を見た。
「あ、すみません……」
「いえ、大切な、大切なモノなんです。今は、これしかないから」
深い笑みの中に、淋しそうな影を見て、なぜだか胸が締め付けられそうになった。 男の纏う雰囲気や言葉には、迸る狂気と暖かい慈愛、暗澹たる悲しみに満ちている。とろりとした、宝石のような瞳の中に、彼は何を隠しているのだろう。 ゆっくりとした動作で匣を撫で、片割れで眠る女の頭を撫でてからこつりと箱を叩いた。
「レインがいないと、彼らは息をするのも苦しいんです。ボクはそうでもないんですけど、やっぱりレインは悲しむのは許せない。彼女がいないと息ができない。ボクも、レインがいなければ生きていけないから分かるんです。レインもきっとボクがいなければ生きていけないけれど、レインがいないと息が出来ないんです。皆そう。片割れがいないと生きていけないけど……彼らは、彼らじゃないと息ができない」
「何の、話を……してるんですか?」
男の瞳には熱情のようなものが灯り、饒舌に語りだした。
「酷く罪深い事だった。彼女を、彼らから切り離して、別れさせるなんて……だから罪は償わせたんです。ボク達、みんなで。彼女の為に。だから後は足りないものを探し出して、一緒にしてあげなきゃならないんです。それが、ボク達にできる贖罪なんです」
その内容に、私はまたなんだかすごく恐ろしくなって、目の前の男と、眠っている彼女とその夜空のような色の箱を見た。
「…………」
「この匣が、気になるのでしょう? お見せしましょうか? 中を……」
「え……」
「あなたが、後悔しないなら……」
大事に抱えられた匣に、陶器のような白い手が添えられる。 見たい。しかし恐ろしい。見たい。しかし怖い。ドクドクと心臓が早鐘をうち、手にじっとりと汗をかいて、口の中がカラカラになっていた。悩んで、悩んで、答えが出せずにいたその時。ピクリと、眠っていた女の瞼が震えた。
「まある」
「あ、レイン。起こしたか?」
ぱちりと開かれた長い睫毛に、縁どられた、箱と同じ闇色の瞳。目の前の男と同じような宝石のような瞳がきょときょとと彷徨い、隣の男を見て、手元の匣をみて安心したように微笑んだ。 その笑みは殊更美しく、花が咲きほろんだ如く瞬間のような、それでいて見ている方は毛穴が開き、冷たい汗が滴り落ちるような笑みだった。
「……まひる、が」
「うん?」
「まひるが、よんでる……」
小さく呟いた女の言葉に、男は甘く微笑んでうなずいた。
「そっか、じゃぁ次で降りなくちゃ」
タイミングよく駅へ停車するアナウンスが入り、車窓からみえる景色が変わった。駅名は、聞き慣れないものだった。
「では、ボク達はここで降りますね」
「あ、はい……お気をつけて……」
「ありがとうございます。そちらも」
彼らが立ち上がった時、匣の右下に小さく『神風』と掘られた文字が見えて、何となく口から、
「探しモノ、見つかると良いですね」
するりと、ついて出た。
「すでに近いですから」
私がそういうと、二人は甘く、悲しげに微笑んで去って行った。 二人と入れ違いに夕刊を売りに来た駅員に一部を購入し、おもむろに一番大きな見出しを見る。
『犯人死亡 バラバラ死体の行方掴めず』
一面はこの見出しだった。ある名家の子供が全員殺害され、遺体をバラバラにされた事件。犯人は、事故とも自殺とも他殺とも取れる形で死亡していて、現場に残されていたはずの身体の幾つかが『数人』の『親しい友人』と共に『行方不明』とあった。
新聞を握っていた手に力がはいる。鼓動はまた早くなり、転がるように文字を負う。最後に殺害された子供は『カミカゼ マヒル』。行方不明の友人の名前が、複数記載されている中に『マール=ベロニーテ』『カミカゼ レイン』と二つの名前を見つけた。見出しの下に、一枚だけ載せられた仲睦まじげなカラー写真。屋敷の庭の一角だろうか。制服姿の少年少女が写っている。 その中に、やはり先ほどの黒髪の女と茶髪の青年も写っていた。
ぞくりとして、窓の外をちらりと見ると、闇色の箱を愛おしそうに抱えて歩く彼らと目があった。女は艶やかにてろりと笑い、茶髪の青年もまたこちらを見て微笑んだ。 真ッ黒な箱の中。黒髪の女の首が静かに笑っている画が浮かび、全身が震えて泣きたくなった。
ひどい頭痛により、目が覚めた。とても嫌な感じの夢だった。 私は重い頭を抱えながら辺りを見渡すと、それは自身の学校の保健室である事がわかった。貧血で倒れでもして運ばれたのだろうかと思いながらも外に出ると、廊下の向こうに見慣れた後ろ姿を二つ見つけた。だがそれはこの学校で生徒ではない。
「あれ、麗虹姐さんと、ベロニーテさん……?」
二人の背中に声を掛けながら、小走りに歩み寄ると、二人は同時にくるりと振り返る。
「二人とも……なにして……」
振り向いた麗虹姐さんの腕の中には、どこか見覚えのある黒の匣。深い鍋で煮詰まれた毒のような黒の、艶やかな光沢の匣だった。
「……え、あの、それ……」
匣を見つめたまま私が動けずにいると、ベロニーテさんは可笑しそうにくつりと笑った。
「嫌だなぁ、君も、理解ってるくせに」
「一体、なにいって……」
麗虹姐さんは笑みを浮かべたまま、匣に手を添えた。
「夜空くん、具合はもう大丈夫かい?」
「え、あ、はい……」
「なら行こうか、皆も待っているよ」
「み、みんな?」
顔を上げると、廊下の先には見覚えのあるシルエットがいくつか立っていて、弟や自身の恋人の姿も見える。 艶やかに微笑む二人の顔と、見えるはずのない匣の中の、見覚えのある笑顔。
「今度は、君も一緒だ」
私は列車に揺られて、遠くの親戚の葬式に向かっていた。ボックスタイプの席の向かいには、和装姿の男女がとても親しげに腰掛けていた。目鼻立ちのはっきりした茶色い髪の男と、その肩を枕にして、長い睫毛を伏せている黒髪の女。 眠る女の膝には――漆色の、三十センチ四方くらいだろうか、縦長の長方形の匣が大事そうに抱えられていた。二人の雰囲気に圧倒された私は、心なしか居心地が悪くどうしたものかと考えていた。席を変えようかと思ったとき、不意に起きている男と目があった。
「……御旅行ですか?」
「え、あ、はい……」
思ったより低い声で聞かれ、一瞬迷ったけれど、嘘が口からついて出た。……本当はどこに行くのかも知らないのだ、私は。 私の顔に怪訝そうなものを感じ取ったのか、茶髪の男は慌てたように自己紹介をしてきた。 男の名前はベロニーテと言うらしかった。隣の眠る女はレインというらしい。私も名前を名乗る程度で、それ以上は聞かなかった。いいや、聞けなかった。
「良いですね、旅行。ボクも好きなんです」
「そうなんですか……お二人は、御旅行では?」
「ああいえ、今回は旅行とは、少し違いますね……探しているモノがあるんです」
「探し物?」
「はい、彼女の……彼女とボク、違うかな。彼らの、大切なモノなんです」
男は隣で眠る女と、その膝の漆色の箱を愛おしそうに見つめた。その双眸は、血のような赤色で、私には酷く恐ろしく見えた。
話を切り上げよう言葉を探していると、男は嬉しそうに笑って、車窓の外を見つめた。
「一つは、山の中にあるんです」
「え、」
「彼女……レインがわかるんだそうです。一つは山の中、もう一つは砂場の底、他にも、街の路地裏や、海岸の洞窟の中に隠してあるそうで。でも、一番大切なものは鉄の箱に入れて、森の中に……他の場所は彼ら――ふふ、彼らが探してくれているんです。鈴だったり、鳥だったりの彼らが。だからボク達は森を探しに行くんです。彼は、誰より近い位置にいた人だから。足りないのは、可哀想だから……」
そう言って愛しげに優しく箱を撫でる。 あまりにもその箱を大切そうにしているので、私はその箱の中が気になりだした。 美しい艶をもつ、漆のような闇で作られたような色の箱。見れば見る程、恐ろしい何かを漂わせているように思えてくる。
「……気になりますか?」
あまりに食い入るように見つめていたのだろうか、男は含み笑いで私を見た。
「あ、すみません……」
「いえ、大切な、大切なモノなんです。今は、これしかないから」
深い笑みの中に、淋しそうな影を見て、なぜだか胸が締め付けられそうになった。 男の纏う雰囲気や言葉には、迸る狂気と暖かい慈愛、暗澹たる悲しみに満ちている。とろりとした、宝石のような瞳の中に、彼は何を隠しているのだろう。 ゆっくりとした動作で匣を撫で、片割れで眠る女の頭を撫でてからこつりと箱を叩いた。
「レインがいないと、彼らは息をするのも苦しいんです。ボクはそうでもないんですけど、やっぱりレインは悲しむのは許せない。彼女がいないと息ができない。ボクも、レインがいなければ生きていけないから分かるんです。レインもきっとボクがいなければ生きていけないけれど、レインがいないと息が出来ないんです。皆そう。片割れがいないと生きていけないけど……彼らは、彼らじゃないと息ができない」
「何の、話を……してるんですか?」
男の瞳には熱情のようなものが灯り、饒舌に語りだした。
「酷く罪深い事だった。彼女を、彼らから切り離して、別れさせるなんて……だから罪は償わせたんです。ボク達、みんなで。彼女の為に。だから後は足りないものを探し出して、一緒にしてあげなきゃならないんです。それが、ボク達にできる贖罪なんです」
その内容に、私はまたなんだかすごく恐ろしくなって、目の前の男と、眠っている彼女とその夜空のような色の箱を見た。
「…………」
「この匣が、気になるのでしょう? お見せしましょうか? 中を……」
「え……」
「あなたが、後悔しないなら……」
大事に抱えられた匣に、陶器のような白い手が添えられる。 見たい。しかし恐ろしい。見たい。しかし怖い。ドクドクと心臓が早鐘をうち、手にじっとりと汗をかいて、口の中がカラカラになっていた。悩んで、悩んで、答えが出せずにいたその時。ピクリと、眠っていた女の瞼が震えた。
「まある」
「あ、レイン。起こしたか?」
ぱちりと開かれた長い睫毛に、縁どられた、箱と同じ闇色の瞳。目の前の男と同じような宝石のような瞳がきょときょとと彷徨い、隣の男を見て、手元の匣をみて安心したように微笑んだ。 その笑みは殊更美しく、花が咲きほろんだ如く瞬間のような、それでいて見ている方は毛穴が開き、冷たい汗が滴り落ちるような笑みだった。
「……まひる、が」
「うん?」
「まひるが、よんでる……」
小さく呟いた女の言葉に、男は甘く微笑んでうなずいた。
「そっか、じゃぁ次で降りなくちゃ」
タイミングよく駅へ停車するアナウンスが入り、車窓からみえる景色が変わった。駅名は、聞き慣れないものだった。
「では、ボク達はここで降りますね」
「あ、はい……お気をつけて……」
「ありがとうございます。そちらも」
彼らが立ち上がった時、匣の右下に小さく『神風』と掘られた文字が見えて、何となく口から、
「探しモノ、見つかると良いですね」
するりと、ついて出た。
「すでに近いですから」
私がそういうと、二人は甘く、悲しげに微笑んで去って行った。 二人と入れ違いに夕刊を売りに来た駅員に一部を購入し、おもむろに一番大きな見出しを見る。
『犯人死亡 バラバラ死体の行方掴めず』
一面はこの見出しだった。ある名家の子供が全員殺害され、遺体をバラバラにされた事件。犯人は、事故とも自殺とも他殺とも取れる形で死亡していて、現場に残されていたはずの身体の幾つかが『数人』の『親しい友人』と共に『行方不明』とあった。
新聞を握っていた手に力がはいる。鼓動はまた早くなり、転がるように文字を負う。最後に殺害された子供は『カミカゼ マヒル』。行方不明の友人の名前が、複数記載されている中に『マール=ベロニーテ』『カミカゼ レイン』と二つの名前を見つけた。見出しの下に、一枚だけ載せられた仲睦まじげなカラー写真。屋敷の庭の一角だろうか。制服姿の少年少女が写っている。 その中に、やはり先ほどの黒髪の女と茶髪の青年も写っていた。
ぞくりとして、窓の外をちらりと見ると、闇色の箱を愛おしそうに抱えて歩く彼らと目があった。女は艶やかにてろりと笑い、茶髪の青年もまたこちらを見て微笑んだ。 真ッ黒な箱の中。黒髪の女の首が静かに笑っている画が浮かび、全身が震えて泣きたくなった。
ひどい頭痛により、目が覚めた。とても嫌な感じの夢だった。 私は重い頭を抱えながら辺りを見渡すと、それは自身の学校の保健室である事がわかった。貧血で倒れでもして運ばれたのだろうかと思いながらも外に出ると、廊下の向こうに見慣れた後ろ姿を二つ見つけた。だがそれはこの学校で生徒ではない。
「あれ、麗虹姐さんと、ベロニーテさん……?」
二人の背中に声を掛けながら、小走りに歩み寄ると、二人は同時にくるりと振り返る。
「二人とも……なにして……」
振り向いた麗虹姐さんの腕の中には、どこか見覚えのある黒の匣。深い鍋で煮詰まれた毒のような黒の、艶やかな光沢の匣だった。
「……え、あの、それ……」
匣を見つめたまま私が動けずにいると、ベロニーテさんは可笑しそうにくつりと笑った。
「嫌だなぁ、君も、理解ってるくせに」
「一体、なにいって……」
麗虹姐さんは笑みを浮かべたまま、匣に手を添えた。
「夜空くん、具合はもう大丈夫かい?」
「え、あ、はい……」
「なら行こうか、皆も待っているよ」
「み、みんな?」
顔を上げると、廊下の先には見覚えのあるシルエットがいくつか立っていて、弟や自身の恋人の姿も見える。 艶やかに微笑む二人の顔と、見えるはずのない匣の中の、見覚えのある笑顔。
「今度は、君も一緒だ」
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