青春は甘くない

狂言巡

文字の大きさ
上 下
6 / 31

哀毀骨立

しおりを挟む
 夏休みに入るなり、藤野篝火ふじのかがりびは父方の親戚が所有する別荘で過ごす事になった。その別荘は遠方にあり、電車をいくつも乗り継いでやっと辿り着いた。

「学校が始まるまで帰ってこないで」

 そうやって厄介払いされるのは初めてではないが、一人で行かされるのは初めてだった。だが休みに入るたびに何度か連れてこられたことはあり、一人で切符を買うことや道の訊き方について、それほど困らないだけの経験を積んでいたので足取りは軽かった。

 その日は、珍しく、蝉があまり鳴いていなかった。その別荘の近くで見知らぬ少女に出会った。ゆるやかな傾斜丘の上にある木に寄りかかっている。その手には、大きなスケッチブック。傍らには絵の具を散らかして、パレットにさまざまな色を落としていた。
 彼女は後ろから蜘蛛のように近付いている篝火に気付かず、一心不乱に絵筆を動かしている。何となく好奇心が湧いて少女の後ろに立った。少女は相変わらず後ろを見ようともしない。まだずいぶんと小さな背中が、一際幼く見えた。そっと少女の手元を覗き込むと、そこには淡い淡い色彩が広がっていた。それは、見慣れない、象牙色の空だった。

「何だ、そりゃ」

 思わず篝火は口に出した。だが少女はかけられた言葉に少し顔を上げただけで、視線はすぐスケッチブックへと戻る。

「おい、何なんだ、その空は」
「なにってなに」

 少女がようやく口を開いた。その声はひどく温度を持たない声で、篝火は思わず眉を顰めた。

「何で空をそんな色で塗っているんだ」
「そらじゃない」

 間髪入れず、少女は答えた。そしてゆっくりと篝火の方に振り返る。左右色違いの双眸の奥には、光がなかった。

「だって、わたしには、せかいがこんないろにみえる」

 その言葉には、減らず口の篝火も二の句が継げなくなる。少女はそれだけを吐き捨てると、完全に顔を背けてしまう。よく見ればその系統の絵の具だけ異様に減っている事に、篝火は気付いた。
 それから篝火は何度か少女に目撃した。
 牛乳をとりにいく朝。
 プールに行く昼。
 バーベキューに行く夕方。
 少女はやはり来る日も来る日も、同じ色だけを使って絵を描いていた。やがて陽が落ちれば真夏の暑さは鳴りを潜め、代わりに秋の香りを乗せた風が躰の隙間を通り過ぎる頃。まるまる一月の休みの終わりが近づいた時、少女の姿を一切見かけなくなった。
 そして、篝火の別荘の近くにあるサナトリウムで療養していた幼い少女が息を引き取ったと聞いたのは、それから少し経ってからの事だった。身の回りの物を片づけて実家に帰る日、篝火はもう一度だけその場を訪れた。そこにはもう、あの少女も、あの奇妙な色合いをした空もない。

「……馬鹿が」

 独り言ちながら、ハンカチの包みを木の下に置く。中身は、いくつかの色鮮やかな絵の具のチューブだった。

「その気になりゃ、もっと別の色も見えたかもしれねぇのによ」

 どこか悲しそうに呟きながら、篝火は静かに空を仰いだ。
 彼の前に青い空が広がって、白い羊雲が風に乗って流れていくのが見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

何か勝手に逆ハーレム(2/16更新)

狂言巡
恋愛
逆ハーレム展開が来たりそれを蚊帳の外から眺めたりする短編集です。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...