黒狼夫婦の事情(1/12更新)

狂言巡

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願い【学生時代】

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「死ぬならどっちがいい?」
「……はい?」

 明るい色彩で彩られた雑誌を捲っていた手を止めて、黒猫は貌を上げた。千登里は癖のない前髪の奥の額には、『興味津々』と書いて、突然の台詞に間の抜けた返答を返す後輩に更に迫る。

「だからー、死ぬ時は誰でも一人だろう? でもって旦那か恋人とか居ても置いて逝かれるじゃないか。――心中でもしない限りな」

 物騒な台詞をさらりと続けながら、手にした雑誌を丸めてトントンとテーブルを叩く。

「はぁ? ……ええと」
「それなら黒猫ちゃんは、後がいいのか先がいいタイプなのかなって。―置いていかれるの置いていくの、どっちがマシだと思う?」

 二度三度叩いて満足したのか、放り出された紙束は机上をつるりと滑って開く。女子が好みそうなレイアウトと見出しが踊るピンク系統の表紙。そんなリリカルでファンシーなモノを千登里が自ら買うわけがないので、クラスメイトにでも借りたのだろう。その手の話題でも取り上げていたのだろうか。おそらくは的中している推測を立てながら、黒猫は読んでいた小説にアカボニー色の栞を挟んだ。こちらに関心が向かれている限り、逃れる事は出来ないのが経験上の予測である。

「随分と、気の早いお話ですね。平均寿命から言えばまだ六十年近くも先ですよ」

 くすりと、笑んで交わす黒猫に言葉を紡ぐ。

「そんなの判らないだろ。添加物てんこ盛りのこのご時世に、私達がのんびり定年まで長生き出来ると思うか? 事故とか病気とか犯罪とか、原因なんて十人十色だし。自然災害なんかで、明日死ぬ運命かもしれない」
「……そうですね」

 軽く付け加えられた最後のフレーズの重さに、溜め息混じりの返事を返す。それから指を(夫のケアでいつも綺麗だと誉められるようになった)白皙の頬に添えて、少し考える間を置いてから言った。

「それなら、先がいいですね」
「へぇ……その心は?」
「置いて逝かれるのは……嫌ですから」

 意外そうに、千登里は空色の瞳をちょっと見開く。黒猫はハードカバーを厚い鞄へ仕舞いながら、淡々と告げる。

「でもさー、先に逝ってしまったら後が心配じゃないか? そいつが死んだ後なんて何してるか判らないぞ? ――特に誰かさんとかはな」

 千登里は意地悪気に笑みを噛み殺しながらそう言って、立ち上がる後輩を見上げた。

「何を今更」

 ふっと頬に微笑――艶と少しの憂いを含んだ――を浮かべて返ってくる答え。

「今の今までも好き勝手にしているじゃありませんか」
「……でも、自分が死んだ後で知らない誰かと幸せになってたら嫌じゃないのか?」
「いいえ」

 首を振り、きっぱりと黒猫は言い切った。

「いつまでもウジウジされている方が嫌ですね」
「ありゃ、オットコマエな発言で」
「幸せになってくれるのなら、それで構いませんから」

 ――ただ、置いていかれるのは辛い。

「――だからこれは、私の我が侭ですね。秘密ですよ?」

 上目遣いに見上げてくるから。

「じゃあ、口止め料は肉まんでいい」
「ああ、角のコンビニの?」
「そ」

 じゃれるように細く、そしてピンと伸ばされた背に凭れかけながら、千登里は控えめで臆病な後輩の幸せを、神に祈った。
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